12/26/2013

教師に求められるもの

 教師として求められるもの、色んな意見が出てきそうですが、私個人としては次の2点が最も重要だと思います。

  1. 授業が上手いこと
  2. 生徒指導ができること
 授業に関しては必須条件です。このための先生なので、授業が下手、あるいは授業が成立しない教師は教師の資格なしです。

 生徒指導ができること、これは非常に広範囲になるのですが、例えばまず学級経営がしっかりできていること。子どもたちの個性を見極めつつ、集団としての質も高め、生徒たちを納得させるだけの価値観や指導観を兼ね備えていなければならないと思います。
一朝一夕にできることではないし、自分の今までの生き方に関わるものなのである程度の時間を要するかもしれませんが、教師という仕事はパフォーマンスなのでなるべく早く身につけなければならない絶対的な資質と言えます。

 その他、部活動の指導力がある先生も魅力がありますが、全国で1位になったとか、そういう結果のみで教師として高評価を下してはならないのです。
なぜなら、真面目にやるのは部活動の指導のみで、授業もろくにできず、滅茶苦茶な学級経営をしている教師が実在するからです。保護者としては結果で判断し敬う方もいらっしゃいますが、同じ教師からすれば「役に立たない教師」に過ぎません。

 部活動の指導はできないよりできた方がいい。しかしそれしかできない人間は教師としては不適格なのです。部活動のみなら外部からプロの指導者を呼んだ方が質は確実に向上するのですから。

 授業が上手く、学級や学年の生徒指導を安心して任せることができ、部活動の指導も優秀なら言うことはありません。

 ※悪いことをした生徒を叱ったりすることが生徒指導と誤解されがちですが、子どもたちをいかに守り育てるか、つまり学校の指導すべてが生徒指導の中に包括されているのです。

 どんな先生か確かめるには、まず授業を見に行きましょう。授業が上手い先生か、下手な先生なのかか。
そしてその先生が担任しているクラスを見ましょう。クラスの子どもたちの雰囲気は先生の生徒指導の現れなのです。(脅しによる緊張感のある無言の状態がいいわけではありませんよ)
 そして最後に部活動の指導を観察する。

ここまで観察して問題点がなければその先生は子どもたちに好かれる先生であると思います、たぶん。

 

12/20/2013

民間人校長二人採用〜宮城


河北新報 東北のニュース/宮城県教委 民間人校長2人採用 着任は4月 http://www.kahoku.co.jp/news/2013/12/20131219t11028.htm @kahoku_shimpoさんから

 宮城県でも2名の民間人(電力会社と銀行)の校長採用が決まったようですが、大阪でも失敗しているだけに頑張って欲しいものです。

 以上!

 これで終わりじゃつまらないので

 以前大阪の民間校長の件でも書いたのですが、学校という現場において民間企業の感覚で校長という職務に就くのは困難を極めるだろうと思います。新しい感覚を取り入れて特色ある学校作りをしたい、してほしいという願いは十分わかるのですが、最悪の場合校長が自死を選択するケースもあったほど追い詰められる現場でもあります。

 教育現場においての難しさは
  1. 教職員が非協力的・批判的になり、校長と意見対立することが多い。民間出身の校長であれば尚更風当たりが強いかもしれない。
  2. 語弊はあると思うが、民間企業というのは営利目的で利益が最優先される組織であり、それが社員の給与に直結するため組織としてまとまりやすい傾向はあると思うが、公立学校という現場ではその意識は全く通用しない。いじめがあろうが生徒が自殺しようが教職員の給与に影響することは滅多にない現場である。
  3. 学校の主役は子どもたちであり、その子どもたちの実態把握なくして学校経営はあり得ない。利益のための経営と人を育てるための経営、これが企業との決定的な違いであり、50歳を過ぎた校長が子どもたちの中にどれだけ入っていけるか、それで校長の質が決まるだろう。
  4. 保護者の理解と協力が得られるかどうか。保護者は民間出身の校長に期待しつつも怪訝する雰囲気もある。子どもに関してのクレームは民間企業のクレームの比ではないし、校長自身がクレームの窓口対応者となる。
 企業経営のつもりで単にシステムを構築するだけであれば、おそらくそう時間はかからずに進むだろう。つまり、校長が上司として職務権限を最大に使い「職務上の命令」を行使すればいいだけの話である。
でもそれをやったら職員会議が紛糾する、企業では考えられえないほどの怒号が飛び交う、単なる理想論者である校長の命令など簡単に無視することができる。

 教師との関係もだが、保護者とのトラブルをいかに回避できるか、それは腕の見せどころになるだろう。企業なら「代替品で」「弊社の商品券で」、あるいは非を認めてひたすら謝罪して乗り切ることもできようが、学校という現場はそれができない。下手に保護者に迎合してしまったら学校の生徒指導が崩壊することすらあり得る。

 あとは子どもたちとの関係をいかに築き、特色ある学校づくるを子どもたちといかに進めるか。実態把握ができないことには特色も何もないし、単なる理想論なら誰で打ち上げることができるわけだし。

 民間採用校長の人気は6〜9年ほどだが、今の学校制度に風穴をあけて特色ある学校作りを目指し、生徒たちが「卒業したくない」と思うような学校を目指してほしいものです。

また辛口になってしまいましたね(^^ゞ



12/19/2013

体罰考

 体罰は是か非かと問われれば当然「非」である。
これは刑事事件にも発展するし、民事訴訟にも至る。教員の場合には服務規程違反にもなる。
 ただし、学校現場において体に少し触れたりするぐらいの程度が体罰と訴えられるのであれば、それはそもそも形成すべき人間関係がない、ラポートがないという状況に他ならない場合。例えば、教師を嫌う生徒にとっては、その教師の言動すべてが不快そのものであり、きつい言葉を浴びせられれば言葉の暴力であり、体に少しでも触れようものなら暴力以外何ものでもない。間違いなく何か原因があってそうなっているわけだが、人としての信頼関係がない以上、同じ行為でも感情が先に立って容認出来ないのである。

 どこからが体罰かという点はさておき、なぜ体罰が起きるかについて考えてみたい。
結論を言ってしまうと「子どもを預かり育てることよりも、自分の欲求や感情が優先されるから」。

 まず最も多いのが「指導者の地位保全・絶対性の保全」
これを保つことができれば自分の意のままにクラスや組織、団体を経営することができ、指導者にとって最も快適な場を構築するために体罰を使用する。

 第二に「大人としてのプライドを保つ」ことが目的の体罰。
これも学校現場では多いのではないだろうか。
要は「子どもたちになめられたくない」という気持ちの現われである。

 第三に「子どもに従順さを押し付ける」ための体罰。
これは上記と重複するかもしれないが、大人に従順なこどもはいい子、という己の過去を振り返ることすら出来ない意味のない価値観の押し付けといえる。

 そして最後、これが最も問題であろうと思われる「指導力・指導理念の欠如」
このような教師はその日の気分で怒り狂う場合もあるし、特定の生徒を目の敵にしたり、思いつきや行き当たりばったりで強い指導を行う。こんな教師を子どもたちは絶対に信頼しない。
 生徒たちから見て、「罰すべきを罰することができる教師」、「ダメなことをダメと言える教師」、「生徒たちが納得できる指導ラインが常にブレない教師」、「誰に対しても公平に指導できる教師」などは間違いなく信頼できる教師の資質を備えているし、安易に体罰を振るうことなどない。

 私も色々やったほうなので大口を叩くことはできないのですが、上記4つが体罰に至る教師側の問題点だと思われます。
 体罰の弁解として「感情を抑えきれず、ついカッとなって殴ってしまった」とありますが、その根底にあるのは上記4つのいずれかです。実は感情的になって殴ることはほとんどないと思います。子どもたちの言葉で言えば「ムカつく」から殴ったということになるでしょう。極稀に、体罰を振るったことのない教師が涙ながらに生徒を殴ることもあるかもしれませんが、その場合は体罰として訴えられることはまずないでしょう。

 各項目について説明したい点は多々ありますが、いずれまた!

12/13/2013

嘉納治五郎師範は泣いているだろう

まず下記転載記事をお読みいただき、どのように感じるだろうか?

・・・転載開始・・・
「人の生涯で、素晴らしい人との出会い、正しい教育、充たされた環境の中で培われ、育まれることにより、各人が人として立派に形成されるのではないか」と須坂氏は冒頭で問いかけ、それらの条件を満たすものとして日本の武道文化、「とりわけ柔道によって全て充たされるものと信じています」と続ける。
 さらに、須坂氏は「日本人が豊かな生活と便利と快適を求め続けた」と指摘し、「経済大国の美名の下で『叱ることの出来ない日本社会』が作り出されてしまいました」と嘆く。
 たしかに、現代において一部の親や教師などが子どもたちを「叱れない」という指摘は当たっているかもしれないが、問題は次の一節である――「現在の日本は、誤った暴力観と言うか愛のムチも体罰も区別がつかない大人が横行したため、子供たちは、愛のムチの痛さ愛の鉄拳の痛さも知らずに、世におくり出され、そこで遭遇するあらゆる想定外事案におびえ、おののき、不幸な結果をまねいてしまう」、「柔道の少年修行者は、道場において少なからず、愛のムチ愛の鉄拳痛みを経験するでしょう。『弟子がにくくて、殴る師匠はいない』 愛の鉄拳は、痛みの中に熱い情を感じるものである。これを体罰と受け止める子供はいないはず。叱ることのできない現在の日本社会において『武道』(柔道)こそ、この“じれんま”を解消させる唯一の手段と信じています。」 
・・・転載ここまで・・・

叱ること=鉄拳制裁 かつ 唯一の手段 と結論づけている。

柔道を指導する人間は、言葉を理解することができないほど知能が低いから暴力でしか教えることができないのでしょうか?
愛のムチという身勝手な理論と暴力で痛みを覚えれば、社会に出て不幸な結果を招かないのでしょうか?

こんな身勝手な理論は指導者として失格である。
子どもたちの心を育てるために真摯に柔道に向き合い、熱心に子どもたちを指導している他の指導者たちにとって失礼極まりない暴言である。

己の非を認め、律することすらできない人間が武道の精神を語れるのか?
柔道の人間教育は殴ることで成り立っているのか?
それが嘉納治五郎師範の教えなのか?

さらにもう1つ転載させていただく。
・・・転載開始・・・
【5】 「無事故」で定年を迎えたい? 相原中学松本雅之校長の思惑
 以上、【1】~【4】まで、おもに柔道界の問題点を指摘したが、最後に相原中学の松本雅之校長の言動についてふれておきたい。
 2010年4月に相原中学に赴任した松本校長は、赴任の年から在学生らが住民票を移して寝泊りしている柔道場での暴力について「不知/関知しない」との立場を採った。
 大手メディアによる暴力報道があっても、「柔道場は学習塾と同じ扱い」といった発言をし、批判を浴びた。さらに、暴力問題に嫌気がさして転校を決めた生徒が久しぶりに登校して来た時には「転校の理由が柔道部にあることは、クラスで発言しないように」と生徒に何ともオメデタイ口止めまでしているのだ。これが教育者のすることかと残念に思う。
 さらに、そのオメデタイ松本校長――2014年3月に定年を迎えるそうで、学校関係に詳しい人物に聞くと、処分歴が無く“無事故”で定年を迎えられるとだいたいどの自治体でも〈教育功労賞〉などの金一封が退職時にもらえるとのこと。おそらく松本校長もそのような計算があって、これまでの暴力問題についてひた隠しにして来たのかもしれない。その陰で、どれだけの生徒が悔しい思いを噛み殺して来たことか、学校関係者は考えてみるべきだ。
・・・転載終了・・・

生徒が学校敷地内の柔道場に住民票を移し、そこで暴力問題。柔道場は学習塾と同じ扱いで関知せず、しかも生徒に口止め。

開いた口が塞がらない発言。
こんな馬鹿が校長をやっているから日本の教育は良くならない。
このような校長は懲戒免職でいいだろう。給与、退職金の無駄遣いだ。
しかし教育委員会も同等の立場ということなのか?それも呆れる。

上記はJANJAN BLOGさんより転載させていただいた。
ぜひ記事全文をお読みいただきたいと強く思う。

JANJAN BLOG 現職警察官による暴力 ―問われる柔道界トップの〈愛の鉄拳〉論―

12/12/2013

体罰という観念の形成

 体罰って突然おきるのでしょうか?誰しもが行ってしまうのでしょうか?

 変な言い方ですが、体罰は受け継がれますよね?
自分が実際体罰の現場に遭遇してそれが当たり前の環境となっていたり(見たぐらいでは実際に手は出さないと思う)、自分自身が体罰を受けており自分の経験がごく一般的であり、正当な行為の尺度となってしまっていたり。

 まず体罰という経験をなくすことが下記のような事件を防ぐことになりますよね。
指導者のあり方については過去に書いたので割愛します。

 結びつきの強い人間が本気で怒り、感情的になって平手打ち。
この平手打ちは相手の人生に多大な影響を与え、劇的に変わることだってあるのは事実。

 難しいね〜^^;

【下記はAmebaに投稿した記事のコピー】
桜宮高体罰 男子生徒遺族 大阪市を提訴|MBSニュース-MBS毎日放送の動画ニュースサイト- http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000003244.shtml @mbs_newsさんから

親御さんとすれば当然の措置だろう。

手塩にかけて育ててきたわが子が、法令違反にもかかわらず長年放置されてきた体罰教師によって追い込まれて自殺してしまったわけだから。

 しかしこのような事件があったにも関わらず体罰事件の報道が跡を絶つことはない。

指導者というのはその組織のピラミッドの頂点であり、自分の指導が浸透しやすいようなシステムを構築しなければならない。自分の指導力を誇示し、常に地位を保ち、従順な下僕を育てるために使われる手段が体罰であり、それは指導の一環である。そのシステムの構築こそが常勝につながるのである。

さしずめ体罰とは彼らにとってこの程度の認識ではないだろうか?

戦後教育の腐敗のツケ、これは容易に改善できるものではないが、何十年かかろうともひとつひとつ悪しき習慣や意識の芽を摘んでいかねばならない。

12/11/2013

H24児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査


この書類ずっと書かされていたのですが、毎年6月ぐらいに書いて市教委に提出していたように記憶しています。
全国の集計なのでやはり半年ぐらいは時間を要すのでしょう。

 それはさておき、この集計結果、集計されている数値よりも諸問題の数はもう少し増えると思います。その理由ですが
  • 学校判断で記載するため学校ごとの認識の差が出てしまう。この資料をまず市教委に提出することもあって、校長によっては「それは書かなくていい」とか根拠の無い体裁を繕うための減数もありえます(校長の頭の中に学校の実態がインプットされていないことが多い)。また、判断が難しい事例(とくにいじめなどはその最たるもの、不登校も同じような傾向あり)についてはカウントしなかったりすることが多く、学校ごとの認識のズレがかなり生じます。
 暴力行為や器物損壊、出席停止措置、自殺などは数を把握しやすいのですが、いじめ・不登校に関しては判断が難しい事例が多いことも確かです。
 いじめ・不登校に関しては発表された統計よりもさらに多いことを念頭におくべきでしょう。

12/10/2013

ひとり親家庭支援(こんなのあったらいいな案)

こんなのがあったらひとり親家庭は助かるだろうと思うことを無責任に書いてみた。

企業・事業主さんに検討してほしい有給休暇

  • こども慶事休暇
入学式、卒業式のための有給休暇。時間休は認めず1日フル休暇。入学式、卒業式の案内文書のコピー添付。太っ腹の社長は祝い金を出す。
  • こども介護休暇
かぜ、インフルエンザ、ケガその他、子どもの傷病の際には社に申請し、領収書の控えを添付。入院の場合は別途医師の診断書を添付する。
  • PTA役員、委員休暇
PTAの会議出席のための休暇(時間給可能)、PTAからの実施要項のコピーを添付して申請する。
  • 授業参観休暇
授業参観のための休暇(時間給可能)、学校からの授業参観案内のコピーを添付して申請する。
  • 面談休暇
これは家庭訪問、三者面談、進路相談のための休暇、文書とともに時間申請。

このぐらいあったら今までの有給は殆ど使わなくていいんじゃないかな?親自身が体調不良の時ぐらいしか使わないだろう。

お役所への要望

  • ひとり親家庭証明書の発行
目的は医療機関での診断書発行の際に使用し、その診断書作成料については自治体が負担するため。
  • 病み上がりの子どもたちのための公立託児所を作る
これがあったら親が安心して働くことができる。
  • 小児がん、白血病、その他難病にかかる費用全額を国が負担する。
これ、国が早急に何とかしてほしい!(各自治体負担はきつすぎる)実現したらどれほど親が救われるか。保険が適用にならない治療もあるが、それも国が負担してほしい。とにかく18歳まで全額。
ろくに調べずに好き放題書いてしまったけど、もう既設のものもあるかな?
社長さんや事業主さんからは苦情がきそう、しかしひとり親の精神的負担を取り払えば生産性も上がるっつ〜もんだよ!
やれそうなものはどんどん実施してほしい。
悪用する人間もいるんだろうとは思うが・・・助かる人が多いよね?

この投稿に関しての苦情は一切受け付けません(笑)


12/09/2013

ひとり親家庭への支援

  今も同じ用語かどうかはわかりませんが、以前は経済的な困窮度に沿って「要保護」「準要保護」という援助制度がありました。
具体的にどんなものかというと、例えば修学旅行費や鑑賞代金など学校行事にかかる費用が全額返金される制度ですが、私自身が手続きを行った記憶がないので、小学校時に役所に手続きを行い、それが中学校でも継続されていたのだと思います。

調べてみたのですが、各自治体や国でも様々支援を行っています。(やはり要保護、準要保護でした)

阿見町の制度案内
http://www.town.ami.ibaraki.jp/kakuka/kyoikuiinkai/gakkokyoikuka/gakkokyoikuka/school_support.htm

手続きNETさんのシングルマザー手続き
http://www.tetuzuki.net/life/singlemother.html

厚生労働省 ひとり親家庭の支援について
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/boshi-katei/index.html


 と様々な支援があるのですが、問題は受け入れ側(企業や施設など)の実態がどうなっているかということ。
 最もわかりやすい例でいうと、母子二人だけの家庭で子どもが幼い場合、ウイルスに感染したりすると数日間保育所を休ませなければなりません。祖父母と同居していればお願いすることもできるでしょうし、近隣に病気のお子さんでも預かってくれる施設があれば助かりますが、そのいずれも期待できない場合やはり母親が数日にわたり仕事を休まなければなりません。
 正社員であっても有給をもらいにくい状況であるし、病弱なお子さんの場合頻繁にお休みとなってしまいます。ましてパート採用の場合「解雇」される可能性が高いのではないでしょうか。(その前に幼い子がいる場合には採用されない可能性大)
 せっかく母親が自立しようとしているのにそれを受け入れる体制ができていないという現実があります。

 今は大手企業でさえ正社員を雇用せずにパートでまかなっているのが現状。
法を整備(活用)して安心して働ける状況を作るのが急務と思います。

ちなみに、企業に対する助成金も結構あるのですよ!
厚生労働省 事業主の方のための雇用関係助成金
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/kyufukin/index.html


12/07/2013

学校が荒れるということ

 何かのウイルスにでも感染したかのように学校が荒れることがあります。

不思議ですよね?
学校の荒廃を促すような悪い菌でもあるかのように荒れが伝播していきます。

学校外の要素も当然大きいのですが、学校内の事について書きたいと思います。

  • どこの学校も荒れる可能性を秘めている
 大規模校のみが荒れるわけではなく、僻地の学校ですら荒れる可能性を持っています。たしかに規模によって荒れる要素が多い少ないは違ってくるのですが、ひとつ間違えれば学年1クラスの中学校でさえ荒れてしまいます。

  • 荒れる原因は?
 学校が荒れる場合、必ず鍵となる子どもたちの存在があります。
たった一人の生徒からすべてが始まってしまうこともあります。
このような書き方をすると生徒が悪いような印象を与えてしまいますが、彼らが悪いわけではありません。それについては後述します。

  • 鍵となる子供たちとは?
 中学生といえば13〜15歳ですが、それぞれがいろんなことを背負って生きてきています。家庭環境や経済的にに恵まれなかったり、あるいはそれらは満たされているように見えても心が満たされていなかったりと様々です。
鍵となる子供たちとは、心が満たされず不満の多い子供たち。

  • きっかけとなる事件がある
 不満を持っているからと言って必ず暴走してしまうとは限りません。
ほとんどの子供たちは自分を何とか抑えて行動していますが、教師の指導や態度そのものが彼らの暴発の引き金を引いてしまうのです。

  • どのように伝播していくか
 ある一人の教師に対して反発した生徒に追随する生徒が出てきます。
まずは同じクラスの生徒が追随し、他クラスへと伝播していきます。
その後、生徒たちは教師を見ながら授業によって態度を変えていき、「この教師は大して注意をしない、怒らない」と判断すると行動がエスカレートしていくのです。そして他学年へと波及し、他の学校への波及していくのです。

 この時鎮静化のために体罰を使うことが常であったと思いますが、体罰というのは鎮静剤になるかカンフル剤になるかの賭けとなります。教師の力が勝れば沈静化に向かいやすくなりますが、生徒の力が勝ればさらに暴徒化することになります。
  • 立て直し
 一つの事件があり、3ヶ月もあれば学校は崩れていきます。特に夏休み後は子供たちに歯止めが効かない状況下となり、2学期はそれが顕著に現れます。
一度荒れると、学校を立て直すためには荒れた学年が卒業して2〜3年は必要になるかもしれません。
その間、人事異動で生徒指導を強化する措置を講じたりします。
  • 指導における共通理解と実践の大切さ
 教師は同じポイントあるいはラインで皆同じように生徒を注意する。そのポイントやラインのことを共通理解と思ってください。
実践の手段については各教師の個性に任せて指導していいと思います。例えばキツめに叱る先生もいれば穏やかに説諭する先生もいる、そういう教師がそれぞれ持つ個性を発揮できればいいことです。
最も大切なのは同じポイント、同じラインを見極めて適時指導すること。
この共通理解を図らないことこそが学校の生徒指導を揺るがす最大の原因です。
  • わがままな教師が多い学校は崩れやすい
 生徒は別に何とも思っていませんが、教師は学級経営者でクラスの頂点。
その教師たちが自分のやりたいように指導したらクラスによって子供たちの不満が爆発することになります。「◯組はいいのになぜうちのクラスはダメなんですか?」
こんな些細な事から学級崩壊、学校崩壊の芽が育ってしまいます。
共通理解と実践を守ろうとしない教師はわがままなのです。
  • 学校が荒れないようにするためには
 「指導における共通理解と実践の大切さ」が大切なのは前述の通りです。
子供たちはやってダメなことはわかっています。だからダメなことをダメと当たり前に言ってくれる教師や大人を望んいでいるし、それが大人として当然だと思っているのです。「ダメなことをダメと言えない大人」、子どもたちはそういう大人を最も軽蔑します。

 そして落ち着いて生活できる環境を作ることが大切。
卒業後少年院に速攻でぶち込まれた生徒がおりましたが、その子は校内ではほとんど悪いことはしませんでした。(校外、特に休日はやらかしましたが)
「お前よく学校の中で悪さしたりしないよな」と訊いたら彼曰く
「この学校で何かやっても馬鹿らしいから」。

学校のいい雰囲気を作り、落ち着いて生活できること、これが荒れを防止する最良の手段です。
  • 学校が落ち着いている時こそ生徒指導の基盤を固める時
学校が荒れればどんな教師でも本気になって立て直しに取り組みます。
しかしそれは荒れた時ではなく、落ち着いている時にこそしっかり取り組むべきことです。
平和だとその平和に浸りきって甘くなったり手抜きになったり、見過ごしてはいけないことを見過ごしてしまいがちです。結果的にそれが蓄積されて荒れる原因を作ってしまうのです。
学校が平和なときにこそ基礎をしっかり固め、それを継続して行くことが肝要なのです。


12/06/2013

不登校・登校拒否への協力体制

 本音の話ですが、不登校や登校拒否の児童生徒を抱えると担任の負担は間違いなく大きくなります。
実務上は家庭への連絡(電話・訪問)が増えるということになりますが、すべて自分だけで背負い込んでしまうという精神的な負担も大きい物があります。

こんな所に書くのもなんですが、一番多い時、クラスに2人の不登校生徒を抱えていた時がありました。

  • 一人は小学校時代からの不満が爆発して友人ともめてそのまま不登校、ただ部活だけは来ていたという男子、ちなみに部活顧問は私
  • もう一人は飛行(非行)タイプ女子・・・「先生わり〜、心配すんな」と言いつつ家出、自由飛行。何故かたまに私に電話を入れるアホ娘
二人共卒業式で呼名しても返事がありませんでした(^_^;)

私の場合、幸運にも親御さんや生徒たちと意思の疎通がとれていた分、非常に救われた部分もあるのですが、でも教室の机が2つも主役が座っていないとやはり寂しいもんです。

 不登校の生徒がいると、朝迎えに行ったりして若干通勤に支障をきたし、自分のクラスの他の保護者から「来ている子もちゃんとみてください」とご尤もなお叱りを受けたりします。

 そんな時に助かるのが学年のバックアップ体制。
当時は朝の学活に副担の先生にいってもらう程度でしたが助かりました!

 でも実際今の現場でバックアップ体制は充実しているのでしょうか?
意外と担任任せで学年で本気になって不登校に取り組む学校は少ないかもしれません。
学校によっては生徒指導部会で話し合い、校長自ら家庭訪問したりしているとこもあるらしいですが、殆どの学校は担任任せが実態ではないでしょうか?
ベテラン教師なら様々対処できると思いますが、新採用やかなり若い先生には手に負えず、様々なトラブルが発生するかもしれません。

 やはり不登校、勿論いじめなどもそうですが、校内に専門チームが必要だと感じます。スクールカウンセラーも配置されていますが、彼らも含めた実効性のある専門組織が求められると思います。

不登校の場合、無理に登校刺激を与えると間違いなく逆効果になるケースもありますし、その判断を下すのは複数の教員の経験と知識。
子どもたちを無理に登校させてよしとするのではなく、不登校を保護者がどう受け入れるか、そちらの方が解決法としては効果があると思います。

12/05/2013

いろんな保護者がいらっしゃいます(^_^;)

 学校の先生という職は様々なお子さんと関わりを持つわけですが、子どもたちの数以上に個性的な保護者の方との関わりをもつことになります。
当然の事ながら現役のあるいはリタイアされた団体関係や組関係の保護者の方もいらっしゃいます(^_^;)

こう書くと
「いやいや、それは大変だっぺ〜?」
と言われるのですが、実はご心配いただいている点で苦労したことはないのです。
過去その筋の保護者の皆様とトラブッたことは一度もなかったのです。(単にラッキーという話もありますが)

 家庭訪問において初めて保護者の方々にお会いするわけですが、いろいろ話していくうちに「あら?」と感じる部分があり、よく見ると「あわわわ、小指が・・・・」とか確認。こちらも平然を装っておりますが内心は「(´゚д゚`)アチャー ヤバ」と思っているわけであります。

 しかし直接話しをすると「親として子を可愛がる」気持ちが伝わってくるもので、話が色々弾んだり(たまに)します。
ある程度打ち解けたところで、こちらの指導方針や切り出すわけです←ここがすごく大事!
それが明確だと「わかった、先生に任せる。何かあったら色々教えてくんちぇ」となることが多いのです。
それはすべての保護者に対して伝えることなのですけどね。

あとはひたすら筋を通して接する!!

 ただ、ひとつ問題があってですね、彼らの多くは「口で言ってわからん奴は・・・」という傾向が非常に強いので、事あるごとにお子さんの問題について電話連絡すると翌日、生徒が木刀で殴られてぱっくり割れた頭のまま登校するなんてこともあります。
思わず病院で縫うように電話したら「いい。口で言って分かんね奴は仕方ね〜んだ。そのうちくっつくから大丈夫だ」
この程度でおしまいになりますので、伝えるべき内容とタイミングを考えなければなりませんね。

 もう一つ大事なこと。
彼らの世界の話をしてはならないということ。
話すのは子供に関することのみです。

色んな話も聞けるので驚きもあるのですが、一切口外しないことです(^^)

12/04/2013

児童相談所について

 以前別記事(虐待とその判断)で知り合いから聞いた話について投稿したのですが、児相の判断ミスもあって子どもたちが虐待死に至ってしまった報道もあったように記憶しています。

 児相のお世話になった経験がない(相談したこともない)ので、児相の現状や問題点も今ひとつ認識していないため調べてみました。


かなり厳しい内容ですがkarimerojuniaのブログさんの下記記事
http://blog.livedoor.jp/karimerojunia/archives/2972274.html

心に青雲 さんのブログ
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/215874958.html

DV防止法犠牲家族支援の会 さんのサイト
http://www5f.biglobe.ne.jp/~constanze/nomarin258.html


 各サイトを拝見して(すべて読みきれていません)感じたのは、児相といよりお役所の杜撰さ。こんないい加減な案件処理で子どもたちの一生が左右されてしまうのか、という驚愕でもありました。

 日頃から学校教育についてのみ考えていましたが、これは公的施設の組織、構造自体を改革しないと子どもたちの犠牲はなくならないと感じた次第です。下手に連携したら子どもたちの将来を滅茶苦茶にしてしまうのではないでしょうか?

下記の書籍、批判も多いですがかなり真実味が増してきます。
著者の内海さんにはかなり裏情報が流れていると思われます。
児童相談所の怖い話児童相談所の怖い話
(2013/01/23)
内海 聡

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生活安全課とか派出所のお話

 中学校で生徒指導担当を任されると、裁判所や警察との合同会議に出席したり、悪さをした生徒を引き取りに行ったり、生活安全課にお願いして同行してもらったり・・・と様々なお付き合いが増えます。
警察官に顔も覚えてもらえるので突然パトカーから「せんせ〜」なんていうドスの利いた声がかかったりします(^_^;)

 現役時代、相当お世話になったのですが、みなさんいい方ばかりで大変助かりました。

具体的には・・・
生活安全課の方に自分の学校の万引き生徒の数とか名前とか教えていただいたり(今は個人情報漏洩に関してうるさいのでないと思います)、保護者に啓蒙するために学校まで出向いていただいて講義をしていただいたり、またある時は盗癖のある生徒を直接指導(被害届が出ていないので警察署での取り調べにはならないような案件)していただいたりしました。
大きな問題を起こした生徒については、未然に今後の犯罪を食い止めるよう情報交換を行ったり、ずいぶんとお世話になった記憶ばかりです。

 先生と生徒だけの場合、お互いに手の内を知り尽くしていますので指導しても効果がないことも多いのですが、警察官に説教していただくと絶大な効果があったりするものです。特に女性と年配の警察官の方の説諭は重みがありました。

学校としてはなるべく警察のお世話にならないようにというのが基本ですが、それもケースバイケース。

学校と警察がお互いに意思の疎通があるとメリットも多く、生徒が拾得したものを顔見知りの派出所に届けてくれて犯罪の検挙に繋がったこともあります。

警察というのは特殊な機関ではありますが、彼らも地域との連携を積極的に推進しようとしていますし、積極的に関わりを持つ方のメリットが非常に大きいと思います。

12/03/2013

日本の課題は社会のシステム〜フィンランドの教育

教育システムの変革について色々調べていたのですが、興味深い記事があったのでご紹介したいと思います。

坂根シルクさんの記事
日本にフィンランド式教育は有効か?
http://clase.wasedabook.com/cn6/04.html

・・・転載開始・・・
日本の教育システムについて、どの点に問題があるとお考えですか。
問題は教育システムそのものよりも社会のシステムにあると思います。
学歴社会が続く限り、親は成績を重要視し、子どもたちは、よりレベルの高い学校や大学への進学を強いられています。その為に、小さなころから学習塾などに通う必要があり、子どもたちが人間として健康に元気に成長する為に必要な「遊ぶ時間」がとても少なくなります。
人よりも優れていなければいけない、親や先生からの期待、勉強だけでなくスポーツや音楽でも力を出しすぎ、心身ともに疲れています。
また、中学や高校の入試問題は公立校で勉強する内容では対応できない内容となっており、家庭の経済的事情などで学習塾に行くことのできない子どもたちは入試に必要な勉強をすることができません。
一方、塾に通う子どもたちは、何の為に学校に行く必要があるのだろうか、塾だけで十分なのでは、と考えてしまうようになりかねません。
実際に、私の娘が直面した問題ですが、授業のテンポが速すぎ、一授業における学習内容が詰め込みすぎで、ひとつのことをじっくり考えていくことが困難でした。娘はのんびりとした性格ではありましたが、納得してから先に進むタイプの子どもたちにとっては、あっという間に勉強について行けなくなり、最終的には学ぶ意欲を失うことになります。
フィンランドの教育が、「落ちこぼれを作らないが、優秀な生徒の才能は自主性に任せる」教育だとすれば、日本の教育は「優秀な生徒を優先し、落ちこぼれを作ってしまう」教育だと言えるのではないでしょうか。・・・転載ここまで・・・

やはり日本の教育の最大の問題はこの点だと思います。
子どもたちの学びを阻害しているのは社会そのものであり、学力格差社会。

まず「学び=生きること」、これが原点ではないでしょうか?
まず教育とは何のためにあるのか、この点を考えて様々な方策を打たない限り、今の日本の教育を変えることはできないだろうと思います。

12/02/2013

家庭教育をどうするか?

 現在の学校教育が崩壊した要因の一つに「家庭教育の崩壊」が間違いなくある。
この家庭教育や家庭でのしつけを取り戻さなければ、現在の諸問題が解決されることはないだろう。
ただし、これだけ価値観が多様化(換言すればわがままな大人が多い)した中で、家庭教育の骨子を再構築しようと唱えること自体無謀と言われるかもしれないが、そもそも日本には家庭のしつけや生き方の手本となるべき教えが存在していた。

それが「実語教」や「童子教」と言われるものであった。

Wikipediaによると実語教とは
実語教(じつごきょう)は、平安時代末期から明治初期にかけて普及していた庶民のための教訓を中心とした初等教科書である。」

同じく「童子教」とは
「童子教(どうじきょう)は、鎌倉時代から明治の中頃まで使われた日本の初等教育用の教訓書。成立は鎌倉中期以前とされるが[1]、現存する最古のものは1377年の書写である[2]。著者は不明であるが、平安前期の天台宗の僧侶安然(あんねん)の作とする説がある[3]。7歳から15歳向けに書かれたもので[4]、子供が身に付けるべき基本的な素養や、仏教的、儒教的な教えが盛り込まれている。江戸時代には寺子屋の教科書としてよく使われた[1]。女子向けの「女童子教」など、「○○童子教」といったさまざまな対象に向けた類書も書かれた。」

 これで初等のしつけの基本はカバーできるが、問題は就学以前、特に0〜3歳の家庭教育をどうするか?
啓蒙していくことは大切だが、これはおそらくすぐに浸透させることはまず不可能だろう。
 実質、実語教や童子教の教えを学んだ子どもたちが将来大人になって父母となり、そこから初めて徐々に浸透させていくしか方法はなかろうと思う。
そのために要する時間は最低でも30〜50年をみなければならないと思うが、もしかしたら荒れた学校を立て直すように、荒れていた期間の倍の時間を要してしまうと考えると、戦後から今までの期間の倍で約130年という気の遠くなるような時間が必要かもしれない。

 教育行政を含めて国が一丸となって取り組むことができれば、130年という膨大な時間をかけなくても20年ほどである程度結果が出てくるのではないだろうか?

 今の日本は心が喪失している。
しかしどこかにまだ日本人の心というものが微かに脈打っている。
取り戻すなら今しかない。

子どもと声に出して読みたい「実語教」
子どもと声に出して読みたい「童子教」

こちらのサイトさんも参考になりますよ!
http://happylifestyle.com/7170

自著「三つ子の魂」
http://macmusiclife.blog.fc2.com/blog-entry-49.html

休暇・休職措置は本当に適切か?

ひどい記事が載っていた。

免停中の中学教諭、オートバイを酒気帯び運転 : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20131202-OYT8T00895.htm?from=tw

スピード違反、一時停止違反等で60日間の免許停止中の酒気帯び運転。
本人はアルコール依存症と診断されて、休職と病気休暇を繰り返しており、現在も休職中だった。”そうである。

 気になるのは”休職と病気休暇”を繰り返していたこと。
この間の所得は一体どうなるのか?

勿論、全額ではないにせよ、給料を貰えます。ただし民間と違い支給される年数が2年間(あるいはそれ以上)となっているようです。
金額にして通常通り勤務していた時の給料の6〜8割ぐらい。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1496009739

アルコール依存症で休職、病気休暇を繰り返してお給料をいただき、免停中に酒気帯び運転で逮捕となったというわけです。

 この先生、懲戒免職は間違いないと思いますが、それにしても「教員が優遇されすぎじゃないか?」と言われても当然ですね。

精神疾患が増えている中、判断が難しい事例も間違いなくありますが、傷病の程度により給与支給期間を決めなければならないかもしれません。
病気を本気で治す気もないのに、それを理由に仕事を休めてしかもお給料をいただけるのが教員。こんな風に思われたら本当にひどい症状の教師たちが休職できず、命を落としかねないですね!

調査書ってなぁに?

 点を取るためだけの高校入試、もうそこからある程度脱却すべきと考えつつも現実的な話。そろそろ願書とか推薦の話が聞こえてくるようになりました。そこで今日は調査書について。

 調査書、高校や大学の入試の際に、お子さんが所属している学校が記録を書いて提出する書類なのですが、大凡下記のような内容だと思います。

http://www.koukou.fks.ed.jp/shidou/nyusi/25nyusi/25tyui.pdf

記載事項は多岐にわたりますが、「生徒の長所を記載する」書類です。

つまり、短所や本人の不利益になるようなことは書かないし、書けないし、書く必要もないのです。

 昔は(今もかもしれませんが)「調査書のせいで不合格になった」と騒ぐ保護者がいましたが、まずこの程度の書類だけで高校が合否判定を下すことは考えられません。
もしこの書類の中で最も気にするとすれば、出席・欠席の欄の可能性大。やはり高校入学後もちゃんと学校に来てくれるかどうか、それは高校の先生方が最も気にする所だと思います。その他、市内で悪行三昧をはたらき、高校まで名が知れ渡った場合は、名前を見ただけで「不合格」ということも昔はあったようです。

 しかし高校によっては調査書など見もしないところもあるほどです(特に進学校と言われる高校など)。調査書を重視するのは生徒指導面を重視している学校がほとんどではないでしょうか?

 現在は県によって呼称が違うと思いますが、私が居住する県では1期選抜、2期選抜というのがあって、1期選抜は「推薦入試」。学力あるいは部活動面が特に優れている生徒を優先します。つまり1期選抜は調査書の記載内容をかなり重視することになります。2期選抜は一般入試なので入学試験の点数と調査書の 内容を高校独自の比率で点数化して合否を決めているような話です。

 ということで、調査書というものはほとんど気にせず、日がろから学業や部活動に熱心であればいいのではないでしょうか?
本人の不利益になるようなことは絶対書きませんから、気にしなくても大丈夫です!

12/01/2013

学校の質は教員の質

 施設が立派な学校(幼稚園)があり、新しいこともあって入園希望者も多かったのですが、ある時園児同士がケンカをして片方のお子さんが軽い怪我をしてしまったそうです。

ここまでなら子ども同士のケンカで目くじらを立てるほどのことはないと思うのですが、この後の学校の対応が問題。
保育時間内に起きた出来事にもかかわらず、「親同士の問題だから園には関係ない」 というような発言が園関係者(おそらく園長)から出てしまい、一部の保護者からは「管理下の事故なのに関係ないとはどういうこと?」と対応に疑問の声が上がったそうです。
当たり前ですよね?
「後は親同士で・・・」は保護者が発すべき言葉ですから。

本来なら
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・事情を調べて子どもたちに説諭する
・保護者に事故の経緯、学校の対応(指導の経過等)、子どもたちのその後の様子について電話連絡または家庭訪問で説明する
・子どもたちのケンカなので両成敗が多いのだが、場合によっては一方的なこともあるので保護者の心情を配慮しながら適切に対応することが必要
・子ども同士のケンカであれ、相手に怪我をさせたことを重く考える保護者も多いはず。その際、保護者から「謝罪に行きたい」旨の話があれば、相手方の保護者の了承を得て連絡先を教える等の措置を講じる。
(ここまでくればあとは保護者同士にお任せして差し支えない)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 このような幼稚園の場合、お子さんたちがかなり大きな怪我をした場合も「親同士の問題だから園には関係ない」と最初から責任逃れをしてしまうのではないでしょうか?

最終的に保護者にお任せすることになったとしても、それは保護者の判断でそうなります。学校管理下で起きた事故は学校の責任があるわけですから、まずそれを果たさなければなりません。

 管理下の事故にもかかわらず「保護者の問題だから学校には関係ない」という無責任な学校経営では、安心して自分のこともを預けることができませんし、若い先生方は絶対に育ちません。先生方はいずれ保護者との板挟みとなってつぶれてしまうかもしれません。
他人のお子さんを責任をもって預かる、これができないなら教育の現場を悪用した金儲けをしているに過ぎないと思います。

 学校の質は教師の質、またその教師たちを育て管理する校長、園長の経営者の質です。

11/29/2013

大人たちがバカ過ぎるこの国

 今のいい年をしたおっさんたちは何を考えているのでしょうか?

学校別成績、都道府県教委も公表可能 競争激化の懸念も(朝日新聞デジタル) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131129-00000029-asahi-soci

 昔、学校が荒廃し、偏差値教育が問題だと言って「ゆとり教育」を実施、そして「ゆとり教育」により学力が低下したため「学校別成績を公表」し、点取り競争。概ねこのような流れということでよろしいでしょうか?

 これは、井の中の蛙が大海があることをわかっていながら無視して、どんぐりの背比べに明け暮れてセコい優越感に浸ることじゃないの?

あれほど子供たちのいじめとか自殺で大騒ぎしたはずなのに、そんなことよりも都道府県別学力選手権大会の方が大切?
道徳なんか何十年もやってきたのに、それを教科にすればもう心の教育は大丈夫なの?

 今の日本の教育に足りないものは一体何?
ものの豊かさを得た代わりに失ってしまったものは何?
学力が上がれば、行政がいじめ対策の法を整備すれば失われたものは取り戻せるのか?

大人たちのバカさ加減に言葉を失い、行く末を案じざるを得ない。
後世に残すべき「人」というかけがえのない宝を磨かなかったら、本当にこの国は終わってしまうのではないか?

こういう校長さんもいるんですよね!

JanJan Blogさんをいつも拝読しているのですが、下記の記事がとても素晴らしかったのでご紹介致します。

生徒のために、生徒とともに ――土肥信雄氏の教育実践 (前) 

http://www.janjanblog.com/archives/104221

”「用務員のおじさん」のように生徒が思っていた校長
あの先生が校長室にいるのを見たことがない
今朝校舎前で生徒一人ひとりの名を名前を呼んで迎え・・・
あの人の顔を見ないと学校に来た気がしなかった
校長が壇上に上がると生徒がみんな喜んでウエーブして歓迎する

 しかし東京都教育委員会は退職教員790人中790位という業績評価をつけて、現場から排斥しようとした”そうです。

この校長先生(土肥信雄先生)のような人間ほど現在求められている教師はいないだろう。この校長先生の実践、今の現場の校長たちで何人が実践できるでしょうか?

教師の評価は誰がする?教育委員会?
いや最も正当な評価をするのは生徒たちです。

ぜひ記事をお読みください。

指導者論について

素晴らしい記事あったのでご紹介。

目からウロコの…〈スポーツ指導者〉論

http://www.janjanblog.com/archives/102964

【転載開始】
「中高の公教育でのすぐれたスポーツ指導者とは、どれだけ〈バスケ好き〉〈柔道好き〉の子どもたちを育てられたかではないだろうか」
 彼によれば、「すぐれたスポーツ指導者」とは、県大会優勝とか全国大会優勝などという順位ではなく、たとえば、その教員が中学に赴任してから、下手でもいいから、どれだけその指導者の部(バスケ部、柔道部etc)の愛好者を増やせたかで評価すべきだという。
 「ひと握りのトップを育てることより、ズブの素人をバスケ好き、柔道好きにして、その種目を生徒が生涯続けられるように育てることのほうがどれだけ指導として大変かわからない。結果、結果…と大会結果に大騒ぎしている指導者には、『おまえの学校を柔道好きの中学生だらけにしてみろ!』と言いたい」
 ◇
  さらに、彼はこんなことも口にする――「“厳しい指導者”のことを世の中は誤解している」 彼によれば、「厳しい指導者」とは…
◎ 何があっても、体調不良の生徒には練習させない(徹底した安全指導)
◎ 何があっても、生徒を怒鳴らない(徹底した自己抑制)
◎ 何があっても、順位を気にしない(徹底したアンチ勝利主義)
 といった指導者のことだという。
  世間でよく聞く「厳しい指導者」像は、それとは対照的だ。
● 試合では少しのミスも許さない
● 試合は勝つことに意味があると考える

● 「病は気から」―多少体調が悪くても、練習に必ず参加させる

【転載終了】

ついでに私個人の経験からもう一つ追加しておきたい。
これはスポーツでも音楽でも言えることだが、優れた指導者とはたったひとつのプレーに対しても決して妥協しない指導者のことである
安全指導を徹底し、感情的な指導をせず、目先の勝利にこだわらない。しかしどんなプレーや演奏に対しても決して妥協しない。
つまりこの「妥協しない」部分は、指導者の意識、知識、指導技術の高さが最も問われる部分でもある。
妥協しないという意識は子供たちの能力を引き出す上で非常に大切な要素なのである。

自己満足で終わってないか、練習試合

 音楽の世界ではあまりないのですが、スポーツの世界では対外試合や練習試合は頻繁にありますよね?
でも練習試合さえしていれば満足しているという部分はありませんか?

 練習試合とか遠征とか否定するつもりはないのですが、それさえやっていれば満足しているという傾向が強くなっていないか?と思うことがよくあるわけです。

課題を持って練習する
練習試合、対外試合を行う
今までの練習の反省点や今後の課題を検証する
課題を新たに設定して練習する


 日々の活動はこれの繰り返しですよね?

確かに対外試合や練習試合は、日々の練習とは桁違いの緊張感が生まれるので効果的です。しかし検証や課題設定がうまくなされなかったらやはり上達には結びつきにくいのではないでしょうか?

遠征費用についての問題などは別記事に 既に投稿ずみですが、特に公立学校で「湯水のごとく」活動費を浪費するのはいかがなものかと思います。

 体罰の件もそうですが、指導者の意識の転換点を迎えていると思います。

7/26/2013

ネタが尽きませんな〜

「女子生徒に馬乗り体罰、交際申し込み…3教諭に懲戒処分」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/671363/

間違いなくクソ生意気なガキもいますが、なんで馬乗りなんでしょうか?

「女子生徒にテスト解答教え停職、北海道の中学教諭」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/671822/

これはこの時点で発覚してよかったのではないでしょうか?このまま見つからなければ更に深刻な事態に発展していたかもしれません。

「プレーヤーに入れたまま…中学教室でアダルトDVD再生 教諭を停職」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/669923/

短い時間でも一番いい所が再生されちゃったんでしょうね。見せようと思った映画がサウンド・オブ・ミュージックだけに残念!

「生徒7人に体罰、懲戒 三重の中学教諭」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/671803/

ごく当たり前のように体罰があったのでしょう。力で指導体制を築いていたということ。


これだけ体罰を含めた様々な問題が報じられているにもかかわらず、なんでこうなるのでしょうね?
やはり感覚的なズレが大きい世界なのでしょうか?

 大多数の教師は真面目にやっていると思うのですが、たった1件の信用失墜行為があると学校としての信用を取り戻すのに何年かかるか。ただ、うまくいっている学校では、世の中でどんな信用失墜行為があろうとも良好な関係を保ち、世間の喧騒など全く関係ないのです。不思議なもんですよね。

 親もわけのわからない論理を展開する人が増えました。その理論は「公共の福祉」を目指すものの一環であればいいのですが、蓋を開けてみると単なる「わがまま」。
教師は教師で上記の通り。

 画一化とも思える教育がずっと推進されてきたのですが、それに比べるとある意味ごく普通の状態に戻りつつあるのが現在なのかと思ってしまいます。

それにしても、預かる側ぐらいはもうちょっときちんとしないとね〜。
子供たちが可哀想!

7/24/2013

虚しい

【東京新聞】

調布の小5アレルギー死亡事故 再発防止へ報告書


http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013072390135536.html

ーーー部分引用ーーー
事故につながった女児の「おかわり」は、クラスで目標としていた、給食の食べ残しをしない「完食記録」に貢献したかったからだと、同級生が新盆の際に泣きながら教えてくれた」


◆調布市検討委の報告書主な対策
▽教職員が緊急時に児童に行うエピペン注射は市教委が責任を負う
▽事故防止に同級生の目を活用するため、全校児童にアレルギー授業を実施。互いに認め、助け合う力を育成
▽小学校給食室にアレルギー対応食の調理・配膳専用スペースを設置
▽食物アレルギーのある児童は当面、おかわりを禁止
▽重篤な食物アレルギーの原因となるピーナツとそばを献立から削除
▽全小中学校に食物アレルギー問題に対処する常設委員会の設置を義務づける
▽各校にPHSを配備し、提携病院の専門医と緊急時にホットラインをつなぐ
▽アレルギー児童向けの特別食と一般食のトレーや食器の色分けを徹底

ーーー引用ここまでーーー

こういう記事を読む度に悔しさと虚しさをおぼえる。

アレルギーというものが全く未知のもので初めての経験ならわかる。

しかしアレルギーの死亡者はすでにかなりの数に達しているはず。

子ども一人の大切な命を犠牲にしての対策が上記の通り。

こんな対策、尊い命を犠牲にする前にできただろうに・・・。

ご冥福をお祈り致します。

7/22/2013

怠慢だった

小6女児の自殺未遂で会見
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kennaitopix/2013/07/20093336011035.shtml

また自殺未遂が起こってしまいましたね。

 この学校の校長さんは「怠慢だった」「チェックが足りなかった」と話していますが、おそらく校長にはこの子の情報が全く伝わっていなかったのでしょう。

もし校長が事前に情報を入手していたら、最低でも「いじめとは認識していなかった」とか「学校で協議し、対策を講じていた」などと釈明していたでしょう。

つまり、学校の生徒指導が全く機能していなかったということです。
おそらく担任だけが「靴隠し」「仲間はずれ」の指導をして、情報はすべてそこで途切れていたということです。

 これは小学校の指導体制の怖さ、弱点でもあります。
学校によっても違いますが、小学校はごく一部の教科以外はすべて一人の教師が授業を受け持ちます。良好な学級経営ができればいいのですが、同じ人間が担当している故、盲点が改善されないままであることが多々あるのです。
結果的に担任の指導力任せということになるのですが、アンテナが敏感な教師の場合にはいじめに至る前の初期の時点で対策を講じることができますが、感度の鈍い教師の場合には何も感じず、からかいがいじめにエスカレートして初めて気づくことになるのです。感度がひどい場合には子供の死という最悪の結果になった時さえ「気づかなかった」ということになります。

 ではこのケースのような場合はどうすればよいか?

 まず、学校内における連絡系統および指導体制を充実させなければなりません。
学級における子供たちの動向や問題など、学年会や学校全体で話し合う必要がありますので、連絡報告内容の充実と情報の共有が大切です。
ただし、上記の通り担任一人がすると観察能力の問題と限界が生じてきますので、もうひとつの目が鍵となります。
子供たちのいじめを事前に食い止めるためには、その「もう一つの目」の役割を果たす教師が必要だと思います。しかもその教師は学習指導の補助要因を兼ねた観察指導の熟練者で、学校内すべてのクラスを担当。この仕事はスクールカウンセラーには絶対にできない仕事です。
 「このような体制は財政的に無理」とか「校務分掌的に無理」批判されるかもしれませんが、子供一人の命が救える可能性があるなら、現状を打破するためにも考えるべき措置ではないでしょうか?

 さらにもう一つ、教師の観察力をより感度が良くなるように高める必要があります。
おそらくこちらの方が実践する難易度は高いと思われます。つまり、ひとそれぞれの感受性、観察力などは生まれてから現在までの人生で無意識の内に身についたものであり、一朝一夕に培われるものではないからです。
 最終的には現場での実践において感覚を研ぎ澄ますようになるのですが、大学の履修科目にいじめ、不登校、自殺についての専門科目の理論と現場実習(教育実習とは異なる)を設けたり、採用直後に一定期間重点的な研修をしたりといくつか方法が考えられます。

 肝心なのは若いうちにこの感覚を身につける努力をさせること。

感覚の鈍い10年選手に今更研修しても間違いなく時間と経費の無駄になるのです。

 昔からいじめ、不登校、自殺があり、今だにそれらはなくなりません。0にすることは不可能なのかもしれませんが、現在の学校を本気で抜本的に改革しない限り犠牲となる子供たちが減ることはないでしょう。

自殺未遂の子が1日も早く意識を取り戻しますように!

7/17/2013

チャイム考

いきなり結論:チャイムはいらない!!

ゆとりとか何とかになってチャイムを廃止する学校がかなり増えたのですが、問題も多くチャイムを復活する学校もあるとか・・・

記事
現在の小・中学校ではチャイムがならない!? – 尾木直樹 http://honmadekka.tv/post/onair/20130306/9298

【兵庫】授業知らせるチャイムは必要?不要?…「ノーチャイム制」を導入した小中学校で、成否が分かれる (274)
http://desktop2ch.tv/newsplus/1287884006/

消え行くチャイム 西日本新聞
http://www.naraken-pta.jp/kirinuki07.htm

こだわりの生活
http://kodawari-club.blog.ocn.ne.jp/diet/2009/05/post_de07.html

 上の各リンクを眺めてみると、「子どもたちの自律性を促す事につながった」という意見から「教師の姿を見て子どもたちが教室に入る」ためチャイムを復活、「チャイムがなくなると寂しい」というご意見まで様々。

ポイント1:チャイムなしがうまく機能するかどうかは先生方のやる気と行動力

 昔、僻地の中学校に勤務したことがあるのですが、その中学校はもちろんチャイムなし、ついでに時間割を自分で組む期間が設けられていました。
僻地で学年20名ほど1クラスでしたし、チャイムなしは小学校からずっと続けている子どもたち。
トラブルなどは全くありませんでした。
当たり前のように時計を見ながら子どもたちは行動していましたよ。

「時計を見る習慣をつけさせるなら腕時計を持たせなくちゃダメだろう」と考える方もいらっしゃると思いますが、学校は時計の宝庫、時計がないのはトイレと廊下ぐらいです。それに下手に腕時計など持たせたら「紛失・盗難」が必ず問題になってくるし、多機能な時計だと休み時間にゲームとか・・・。だから腕時計はいらないんです。

ポイント2:幼児期あるいは小学校低学年からの継続指導と連携が大切

 時計を読めるようになってからの継続指導が大切です。
可能であれば幼稚園保育園から徐々に時計を見る習慣をつけさせる。
小学校はその確立時期になると思いますので、先生方のフットワークが肝。
中学校はおそらくばらつきが出てくるので、うまく行動できない、行動しない子どもたちに留意すべきだと思います。

 継続的に9年ほど指導する事が出来れば、95%の生徒はチャイムなしで行動できると思いますが、残り5%は手をかけてあげないとダメだと思います。
その5%の子どもたちはそれぞれ問題や悩みを抱えた子どもたちなので、チャイムのあるなしに関係なく常に全職員で見守らなければならない対象であると思います。

 最後に一番大切なこと!
ちょっと昔のことを思い出してみて下さい。
授業が楽しい、面白い先生の場合、早めに移動して着席したりしてませんでしたか?「あ〜、もう終わっちゃった。もっとやりたい」と感じませんでしたか?
逆につまらない授業の先生の場合、終業チャイムが天の救いの音に聞こえませんでした?

チャイムの有無は時間的な区切りと行動を起こすタイミング、ただそれだけのものです。
その先にもっと楽しみがたくさんあれば、子どもたちは自分から飛びついていきますよね?


7/15/2013

スクールカウンセラー(問題点)

  今日はスクールカウンセラーの問題点ということについてですが、まずは下記リンクおよび動画をご覧ください。
大津の事件の調査に参加された尾木直樹さんの発言に注目です。

「スクールカウンセラーの真実」〜精神科医の犯罪を問う
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/53821500.html

 大津の中学校ではスクールカウンセラーが学年所属で教師たちの下請け状態、カウンセラーとしての独立性がない。
調査もずさんで、校長からのDVをいう説明を真に受けて、まずDVありきですべてを説明していく。

スクールカウンセラーは独立性が担保され、外部機関として存在しないとその役割を果すことは不可能でしょう。

ブログ「精神科医の犯罪を問う」さんでは以前から警鐘を鳴らしていたようです。
===引用ここから===

社会臨床学会は、早くから臨床心理学の技術の危険性に気付いていました。カウンセリングという技術は、管理側の問題を個人の内面の問題へと転嫁させることで不当な管理の技術になり得るということです。スクールカウンセラーの存在についても、子どものために導入するという見せかけの裏にある危険性をいち早く見抜いていました。
私自身は、スクールカウンセラーが精神科への安易な橋渡しになる危険性を指摘してきました。
そのどちらについても、世間からは全く同意が得られませんでした。残念なことに、スクールカウンセラー導入とは、まさに日本のお役所仕事にぴったりな事業だったからです。
お役所は、何か対策をしておく「ふり」をする必要があるのです。問題が生じた場合、事前に何もしていないことが発覚すると各方面から責められるからです。いじめ、不登校、校内暴力・・・教育現場で蔓延する問題に対処していることを示すパフォーマンスとなるのが、まさにこのスクールカウンセラー導入というものです。
問題は、目的や熱意がなくても、パターンだけで動けてしまうことです。彼らはそれがどのような結果になるのかについて知りません。責任も持ちません。決められたことをやったことのみが重要なのです。
これらは、自殺対策やメンタルヘルス対策にも見られることです。専門家につなげるという体制を作ることが第一の目的となっているのです。彼らは、つなぐ先の専門家がどのようなずさんな治療をしているのか関心がありません。それが却って自殺やメンタルの問題を引き起こしていると知っても、それを止めようとはしません。
===引用ここまで===


”スクールカウンセラーは目的や熱意がなくてもパターンだけで動けてしまう。
どのような結果になるのか知らず、責任も持たない。決められたことをやったのことのみが重要”
”専門家へ繋げるという体制を作ることが第一の目的”

 これらの厳しい指摘をスクールカウンセラーは肝に銘じなければなりません。
私は心理学の専門家ではなく現場での叩き上げの生徒指導担当でしたが、子供たちの深刻な問題に関わることがいかに大変なことであるか、そして己の無力さを思い知らされるばかりであったと思います。
 スクールカウンセラーとして週8時間、月32時間のうちでそれらの問題に対処しようとするなら、並大抵の覚悟ではできないでしょう。
上記大津の例は特殊なのかもしれませんが、いずれのカウンセラーも陥る可能性がある問題であると思います。
スクールカウンセラーに外部機関としての独立性と権限を持たせるなら、職務として遂行できなかった場合には資格剥奪、最悪の場合は刑事罰を科すぐらいの厳格さは必要。
子供たちを扱う仕事というのはそれだけ責任が重いということです。(これについては教師も同様です)

 何はともあれ、まず学校および教育機関としてのの体制づくりが急務。
スクールカウンセラーの特殊性を考慮し、専門のカウンセリング室を設置しなければなりません。そしてスクールカウンセラーが本当に機能するようにシステムを整えなければ、今の教師と同じように「子供たちが二の次」になってしまいます。
「とりあえずやりました!」だけのお役所仕事はもううんざりです。
そのお役所仕事でどれほどの子供たちが犠牲になったことか・・・。


「死ねは遊びの延長」

同級生「死ねは遊びの延長」 名古屋の中2転落死
http://www.asahi.com/national/update/0715/NGY201307140036.html

「死ね」という言葉、それほどまでに軽い言葉なのかと愕然。

アニメやドラマ、映画でも歌でも「死ね」という言葉が濫用されている。
「死ね」という言葉が乱れ飛んでいるという印象はあるのだけれど、内容をより効果的演出するための手法の一つであろうし、許容できることも多い。

問題は、子供たちの「死ね」という言葉の濫用に対して周囲の大人たちが関心を示さず、不快感も顕にしないことにあるのではないか?
現にこのクラスの担任の女性教師も「子供たち挨拶代わりのように使っていた」と話している。

「死」という言葉が濫用されている原因は、「死」自体が軽く扱われているからではないのだろうか?いや見方を変えれば「生」が軽視されているということになる。

何の罪もない動物たちを遊び感覚で殺す、顔が見えないことを良い事に他人に「死ね」と罵声を浴びせる。
挙句、子供たちは「クラスの挨拶代わりのように『死ね』」
まともな感覚ではない。

 言葉は人の心が音となって表現されたもの。
荒んだ言葉をで使えば、行いまでもがその影響を受ける。
心・ことば・体はひとつのもの。

私たち大人の無責任さを痛切に感じた記事。

スクールカウンセラー(実態・感想)

 各学校にスクールカウンセラーが配置されていますが、勤務時間は週8時間以内、時給は¥5,000ほど、「資格を取ってスクールカウンセラーになろう」という広告もよく見受けられます。
臨床心理士の資格は必要なようですが、広告を見る限りはアルバイト感覚。
時給¥5,000のバイトですから高給には違いないです。

実際に配置される方はベテランの方から大学院を卒業したての若い方まで様々。
やはりスクールカウンセラー自身も様々な苦悩を抱えているし、相談する保護者に不満も多いと思います。
下記リンクをちょっとご覧ください。

スクールカウンセラーとして活動されている方のブログ
「おふうの笑えるぼやき」
http://kuwa.way-nifty.com/ohuuboyaki/2005/06/post_9b30.html

「不登校解決ブログ」
http://futokou.blog106.fc2.com/blog-entry-124.html

◯現場の先生方の声
「ただ職員室に座っているだけ、何をしに来ているのか?」
「自ら子供たちと関わろうとしない」
「本当に悩んでいる子どもが見ず知らずの人間に相談するのだろうか?」
「職員との人間関係すら築けない。それで子供たちのカウンセリングなどできるのだろうか?」
「結局心療内科や精神科への橋渡しの役目しかないのではないか?」

またツイッターの友達であるお母さんからは「存在意義がわからない」という感想も寄せられました。

 心理学は大変重要な学問なのですが、現場の状況に適合させながら効力を発揮させるのが非常に難しい。そこがカウンセラーの手腕ということになるわけです。
また、現場でのポジションを明確にしないと活用できない存在でもあります。

色んな声を総合すると「スクールカウンセラーをまだまだ十分に活用できていない現場がほとんど」ということになりますでしょうか。

次回は動画をまじえて問題点の指摘!!


7/13/2013

中二男子自殺

J-CASTニュース
自殺した生徒に「死ねるものなら死んで見ろ」 中学担任女性教諭はそういったのか
http://www.j-cast.com/2013/07/12179391.html

痛いニュース

いじめ受けてた生徒「自殺する」→担任「やってみろ」 自殺当日のやり取り、同級生が証言

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1767727.html

東京新聞 7/12朝刊

中2男子いじめ自殺か メモに「死ねと言われた」 名古屋転落死

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013071202000119.html



 いじめが日常的に行われていれば、見ている子どもたちが必ずいます。
今後の調査でさらに具体的な内容が出てくる可能性がありますので、今後の調査次第。
まだまだわからないことが多いのですが・・・
本当にいじめだったのかどうか、まずそこから検証しなければなりません。

 中学生は友だちと一過性の喧嘩をする場合でも遊んでいる時でも「死ね」という言葉をよく使います。
日頃から「死ね」という言葉を浴びせられて、それ以外にも精神的、肉体的な苦痛があったとすれば「いじめ」であるし、逆に「この時だけたまたま」というのであればいじめに発展する可能性がある案件であると思います。
 ただし結果的に男子生徒が死を選択してしまったという事実がありますので、日常的ないじめがあった可能性が大きい事を前提としてアンケート調査以外にも聞き取り調査が必要だと思います。

なんて尤もらしい文章を書きましたが、中学校は教科担任制なので複数の大人が授業を担当しています。だからいじめがあればその微妙な雰囲気を感じ取ることができるはず。いじめが日常的にあり、それに大人たちが誰一人気づいていなかったとすれば、使いものにならない教師の集団ですね。しかし一過性の揉め事、いじめに発展する本当に初期の段階であったとすれば、担任を含めて気づかない場合もあります。実際のところどうなんでしょう?これだけの情報では判断しかねます。でも子どもたちは知っている!

部分引用(東京新聞より)
 複数の生徒によると、亡くなった当日は、帰りの会でクラスメートから「死んでみろ」「死ね」と言われ「死ねと言うから死ぬ」と言い返していた。その会話を聞いていた担任教諭は「死ぬ気もないのに、そんなことを言うもんじゃない」などと話していたという。
 担任教諭は十一日夜、市教委の調査に「そんな発言はしていない。死ねという言葉も耳にしていない。もし聞いていれば、必ず注意している」と答えた。

J-CASTニュースより引用
"この「事件」は、2013年7月10日の昼、クラスの一部の男子と女子が一人の男子生徒に対し繰り返し「死ね」と言った。言われた生徒は担任に「自殺してやる」と訴えたところ、担任は「やれるもんならやってみろ」と突き放した、とされている。"

痛いニュースより引用
「A君が(男子生徒に)死ね死ねって言っていた。Bちゃんも乗っかって死ね死ね言っていた。(男子生徒が)『自殺する』と言ったら、D先生があおった。『そんなのやれる勇気ないのに、やってみろ』と」(同級生)

 各ニュース、微妙にニュアンスが違っていますのでかなり不確定情報と言えます。
教諭が発言したとされる「死ぬ気もないのに、そんなことを言うもんじゃない」と「やれるもんならやってみろ」と『そんなのやれる勇気ないのに、やってみろ』は全く違いますが、当の教師は「そんな発言はしていない。死ねという言葉も耳にしていない。もし聞いていれば、必ず注意している」と市教委の調査に答えています。
帰りの会での出来事のようなので、他にも多くの生徒がこの状況を見ていただろうし、聞き取り調査によってさらに正確な情報が得られるだろうと思います。

 生徒からの情報で先生が何か言っているのは確実、しかもその発言内容は自殺した子を煽る、挑発する、追い詰めるような言い方だったんだろう。
この担任教師はもめている生徒たちを何故放課後指導しなかったのだろう?という素朴な疑問が湧いてくる。
担任がいじめについて全く知らなかったとしても、この状況であればなにか異様な雰囲気は感じたはず。放課後、それぞれ(死ねといった子どもたちと自殺した子)生徒指導をすればよかっただろうし、念には念をという考え方(いじめがすでにあるのではないかという前提)で指導するのであれば、学年の先生にお願いして生徒一人ひとりから聞き取りをすればいい(問題が大きいほど個別相談の効果が大きい)。
それをせず帰宅させてしまった。こういう光景が日常的見られる学校だということで、教師の感覚が麻痺しているのだろうか?

同級生のこんな発言もあったようです!
「止められたのに、2回チャンスがあった」(同級生)
「明るくて、人に心配をかけないように自分で背負い込むような性格だった」(同級生)


ということで今後の調査結果待ちですが・・・
 子どもたちが安易に(彼らにとってはその余地しかないのかもしれませんが)「死」を選択してしまう、これがどうしてもわからない、理解できない。
その選択をすることによって、大好きな人が苦しんでしまうということは考えないのだろうか?
なぜ「死」なのか?その他の選択肢はないのか?

ちょっと悩んでみます。

書き終えたら続報ありました!

朝日新聞

担任、自殺あおる発言否定 名古屋中2転落死で会見


http://www.asahi.com/national/update/0712/NGY201307120038.html

7/12/2013

同僚の自殺3

自殺した彼女の生育環境等について
分かる範囲ですが・・・
学力は優秀、育った地区で最も優秀な女子校に進学、そして大学の教育学部へ
「どうしても先生になりたかった」と教師志望が強かった女性

外見から感じる印象もそうですが、話し声はかなり小さめでした。非常に穏やかな性格で大声で笑ったり、興奮して声を荒げることなどなかったと思います。ただ、教師になって故意に声を荒げたことはあるかもしれません。

死後、彼女のご自宅に伺いましたが、ご両親とも温和な方。お盆休みや正月休みなど、帰省した際には父親と二人で散歩に出かけたり、大変仲の良いご家族。このご両親なら感情的になって娘を叱ったりしたことはないだろうと感じました。

優秀な女性でしたので授業なども様々な工夫を凝らしていたようです。たとえばゲームを取り入れながら授業を進めたりなど、授業内容について生徒からの苦情(授業がわかりにくい等)はなかったと思います。
子供たちから苦情が出ていたのは「声が小さい」ということぐらいではなかったかと思います。
保護者との飲み会で「あの先生何?」と訊かれたことがありますが、学校の先生としてはあまりにも大人しいタイプであったため、保護者も若干当惑気味だったようです。

 もし生育環境において「教師として問題になる部分」があるとすれば、あまりにも彼女が穏やかに育ちすぎた点かもしれません。
我々は親や担任に殴られながら育ったし、中学校の場合多くの先生が性格行動面では優等生なわけではありません。だから場合によっては感情的になったりしつつ生徒たちを接するわけです。
しかし彼女は「生徒を叱る」というより「諭す」タイプの先生であったのかと思います。それは教師として理想的な指導法であると思うのですが、子供たちは話の内容や指導形態よりも表面的な威圧感に敏感に反応してしまう。それ故「あの先生は怒っても怖くない」という捉え方をしていたはずです。

 非常に難しい問題ですが、本来なら一人の大人として自分をさらけ出して付き合うことも大切です。しかし反面、教師はパフォーマーでもあります。場合によっては大げさな演技をすることも大切で、その使い分けは非常に大切。それを上手く使い分けできない場合、教師自身にとっても辛いものかもしれません。

新採用教員に対する学校学年のバックアップ体制不足
当時新採用した場合、授業数を少なくして研修に当てるため補充教員を別枠で採用していました。しかし、それらの研修や指導担当教員の話が本当に意味のあるものであったか、それは疑問です。
形式的な講義よりも、ぶつかっている問題にどのように対処すべきか、その方が重要であり、新採用教員が最も望んでいることだと思います。
 学校というのは意外と先生を「放置」します。学年主任などがそばについて細かく指導してあげればよいのですが、面倒臭がってやらない、自分で失敗しながら覚えるものだという職人気質のような一面もあります。
 ある新採用教師が来た時新入生を担任。しかし学年主任は入学式当日に何をすればいいのか全く教えない。その先生が途方に暮れていたのでやるべきことを書いたプリントを作ってあげたことがあります。思った以上に冷たい現場ですよね。

 学校として新採用教員をいかに育てるか、その辺りはまだまだ改善しなかればならない点が多いと思いし、最低でも3年間(中学1〜3年)持つまでは責任をもって育てる必要があると思います。

他クラスの指導をどうするか?
私が彼女のクラスの生徒に対して強い指導を行いましたが、本来それをやってはいけません。
理由は「その先生に指導力がない」ことを生徒が確信してしまい信用が更に失墜してしまうこと、そして本人が自信を喪失してしまうからです。
 ではなぜあえて手を出してしまったのか?
あの時私が考えていたのは「これ以上放置すると他クラスに波及して収拾がつかなくなる」と感じたからだったと思います。事実私のクラスには卒業後少年院のお世話になるほどの奴がおりましたし、各クラスに追随しそうな男子は間違いなくいたのです。学年から学校全体へ影響が出ることを懸念していたのは間違いありません。

 しかし・・・・繰り返しますが、私の行為は本当にやってはいけない。
そのために学年で経験不足や悩んでいる先生をサポートするシステムが必須なのです。もちろんそれは力で抑える指導ではなく、学年全員で模索しながら最善策を打つ対策です。具体的には指導方法を変えることや場合によっては2人の教師が授業、その他の活動を行なってもいいと思います。
 あの当時は学年会でその策を真剣に議論したこともなかったし、もしかしたら今の学校でも同じかもしれません。
別な記事で「中学校の担任は日替わりでいい」と書きましたが、学年全体で子どもたちを見守るシステムができているなら何も問題はないわけです。でも実際は「自分のクラスは自分のクラス、他のクラスは他のクラス」、最終的には「自分のクラスさえよければいい」となってしまうのが現状です。
 また学年会が事務連絡と思っている先生方も非常に多いのですが、学年会の主題は生徒指導、情報交換が最も大切なのです。

教師の個人情報公開

 1,2をお読みになって気づいた方もいらっしゃると思いますが、彼女自身が電話で話していたこと(夜中に呼び鈴を押され、足音が聞こえる)、自殺の全校放送が流れた時に「俺のせいだ」と言って泣いた生徒。

 元担任の先生に対してのひどい仕打ちを反省して「俺のせいだ」ということかもしれませんが、もしかしたら何人かの生徒が夜中に彼女宅に向かい、呼び鈴を押して逃げる行為を行なっていた可能性もあります。(これについては確認していませんので状況からの推測です)

 当時は新採用の女性であっても電話番号と住所を保護者に公開していたと記憶しています。今であればかなり配慮がなされ、せめて電話番号をクラスの保護者に知らせる程度にすると思いますが、年賀状を出すために先生の住所を知りたがる子もいますので、職務上全く公開しないというのも難しいかもしれません。

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 長々と書いて来ましたが、学校は教師も追い詰められる現場でもあります。

「死を選択した彼女が弱すぎたんだろう」という批判もあると思いますが、教師が様々な個性の子どもたちを尊重しないのと同様、子どもたちや保護者も先生の個性を受容できずに排他してしまう傾向も強いのではないでしょうか?もちろん、同僚教師にも同じ事が言えます。
ある一定の枠組みや価値観によって人を判断し、是と非に選り分けしてしまう。それらが営利目的の企業であればある程度許容される事もあるでしょうが、公的教育機関としての学校ではその選り分けが様々な問題に発展していきます。

 今の学校は、他人から預かった大切な子どもたちを育てているという責任感と状況を見極める的確な判断力、そしてそれらを元にしての行動力、実践力が著しく欠如しています。子どもたちが育つ場所なら若い世代の大人たちも間違いなく育ちます。しかし実状は子どもも大人も育たない、育てられないのが今の教育現場なのかもしれません。

ご質問、ご意見等あればお気軽にどうぞ、お待ちしています!


7/11/2013

同僚の自殺2

 その後、その先生は病休を取ったのですが、生徒たちが2年生になってからだったと思います。

 彼女が病休を取って何ヶ月かした頃、夜7時すぎに学校に1本の電話。
その彼女からの電話だったのですが、まず教頭さんが応対したのですが同学年ということで私が話すようお願いされました。
久しぶりに話したのですが、その時彼女が話した内容はいまでも記憶しています。
「◯ ◯先生、こんなことを言ったら私の頭がおかしくなったと思われるかもしれませんが、夜中に自分のアパートの部屋の呼び鈴を誰かが押すんです。足音は確かにするのですが、外には誰も居ないのです。そんなことが続いていたんです。」

 それから数ヶ月後、ずいぶん明るくなってもうすぐ復帰できると周囲が思っていた矢先、彼女は実家で首を吊って自殺。
何が直接のきっかけとなったか全くわかりませんでしたし、遺書もなかったらしいので発作的に行為に及んでしまったのではないか・・・ということでした。

 学校に自殺の一報が入って緊急の打ち合わせ。
我々はもちろんですが、亡くなった先生の実家まで遊びに行っていた先生方は特にショックが大きく呆然としていました。ちょうどその1週間ほど前に会いに行って、そろそろ復帰できると確信していたらしいのです。彼女自身も復帰を口にしていたようですので、尚更受け入れ難い事実だったでしょう。

概略等校長から話があった後、生徒にどのように伝えるか校長から説明と指示がありました。
全校放送で生徒に伝える死因は「病死」、「自殺」は子供たちの動揺が激しいだろうという配慮。

打ち合わせ終了後に校長が彼女の死と死因について全校放送。
放送後に男女を問わず泣き出す子供たちが多かったのですが、中には「俺のせいだ」と言いながら泣きじゃくっていた男子もいたようです。

葬儀の日は土曜日(当時は土曜日の授業あり)だったのですが、職員の1/3が休暇、授業終了後に一切の活動を停止して残りの職員が葬儀場に駆けつけ、火葬前に全職員が顔を見ることができたそうです。

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ここまでがおよその流れとなります。

考察とか問題点その他諸々は明日書きます、本当に明日。


同僚の自殺1

 昨日の投稿で「若い人の命を守るためにも採用の前に講師経験が必要」と書きましたが、そう書いた理由には昔若い同僚が自殺したことが頭をよぎったからなのです。

事細かく記載できませんが・・・

 その先生は新採用として私のいる中学校に赴任、学級担任と教科担任、部活動は副顧問でした。
大変知性的な先生でしたが、性格は穏やかで声を荒げることなどなかったし、当然感情的になることなどありませんでした。
右も左もわからず学級担任を任され、当初は子どもたちも「優しい先生」だと言っていたのですが、1学期後半ぐらいからでしょうか、クラスが乱れ始まったのです。
子どもたちの中で「うちの先生は何をしても怒らない」という意識が強くなりだし、好き勝手な行動を起こすものが出て、その数が少しずつ増えていったのです。

 その先生が何もしていないような印象を受けるかもしれませんが、間違いなく注意、指導をしていたのです。
しかし、子どもたちにとってその先生が注意、指導する時の言動が「本気で怒っていない」ように見えたこと、つまり自分たちの過去の経験や教師像の範疇にはなかった先生だったのだろうと思います。

 1学期中は何とかその状況のままで終えたのです。
学年の飲み会の際に皆で励ましたりしたのですが、その先生は皆の前で泣いていました。
「初めてだし、そうやって色々自分が考えながらやっていくしかないよ」と皆が口々に言っていたと思います。
 口だけじゃなく、実際にクラスに入って助けてあげればいいじゃないか?と思うかもしれませんが、基本的な姿勢として間接的な助けはしますが、直接的な助け(つまりクラスでの補助的な対応)はしないのです。それはその先生が自分で解決できるかどうか、今後本当にやっていけるかどうかの試練でもあるためですが、それ以外にも、他の先生が助けに入ると益々その先生に対する子供たちの評価が下がってしまうのです。

 そして夏休み明け
さらに子どもたちはエスカレートし、2学期には先生の話を全く聞かず、授業中の出歩き、パンを食べるなどの行為が多くなり、通常は制止役に入るはずの女子のリーダークラスも男子に追随。ますます状況が悪化。
ここまで状況が悪化すると、他の先生の授業でもひどいのか?と思われるかもしれませんが、基本的にその先生の時だけひどかったのです。他の授業では皆無。
当然授業担当の先生も子供たちの不満の声を聞いたり、どうすべきか一緒に考えたり、その教師と情報交換したりしていたわけです。

 私は学年の生徒指導担当で、他の先生と同様情報収集したり、先生を励ましたりしていましたが、ある日、クラスの酷さを訴えてきた子がいたのです。
その時点で「もう無理」と判断し介入。
 素行がひどかった出し数名を保健室に呼び出し、ビンタ1発ずつくれてから説教。その後男子と同様に素行がひどかったリーダークラスの女子数名が保健室に入ってきて「先生、私達も殴って下さい」。
男女差別やえこひいきが嫌いな私はその女子たちにも遠慮せずにやりました。
おそらくそのリーダークラスの女子たちにとっては生涯一度のビンタだった思います。

 その後、クラスは落ち着きを取り戻したかといえば、表面的にはそうなったと思います。しかし、担任に対する本質的な不満の部分が解消されていないため、子供たちの内面ではずっとくすぶっているわけです。ただ、同じような行為をしたらまたこっぴどく叱られるということが一時的な歯止めになっていたに過ぎません。

その状況が続いたまま1年を終了し、クラス替えをして2年生になったわけですが、その先生はクラス担任を外され、副担任として学年所属。
担任を外されたことで、その先生は相当気落ちしていました。

とりあえず今日はここまで!続きは明日書きます。


7/10/2013

教員の採用について思うこと

 以前も別な記事で書いた記憶があるのですが、大学卒業後すぐに新採用教員となるのは反対です。
 若い人材は当然採用しなければならないのですが、新大卒でいきなり学級担任、部活動生顧問となると若い人たちの負担も大きいし、新採用教員の補充もしなければならなかったので現場の負担も大きかった。

そこで提案、教員採用試験を受験するための条件

公立学校教員を志望する者は、最低3年間の常勤講師経験を必要とする

  • 常勤講師として教科授業および校務分掌等の実務を学ぶ
  • 講師の力量と現場の裁量により、学級担任および部活動顧問を担当させることができる
  • 勤務評価が高い講師は、現場からの推薦による採用も考慮する。その場合教員採用試験における一般教養および教職教養試験を免除、面接試験のみとし、優先的に採用する
てな具合ですがいかがでしょう?

 学校現場が欲しいのは即戦力、講師経験(複数の学校だとさらにいい)によってその力が養われます。
それに、本当に自分がこの職に適しているのか、こういう学校現場で本当にやっていけるのか、について本人が3年間考えることもできますし、学校現場の実態だって知ることができます。

 若い人を講師として受け入れた時、学校の負担はやはり大きいものがありますが、それは致し方無いでしょう。必要最低限の負担です。

 現在講師で活躍されている方も多いのですが、彼らは採用試験に落ちてしまうことが多いのです。それは教師として不適格な人間だからということではなく、いざ現場の実務を普通にこなしていると試験勉強などほぼできない。その結果、時間的に余裕がある大学生が合格してしまうのです。現場からすると「もったいない」の一言。
大学生でも優秀な人材がいることはわかりますが、大学で学んだことなど現場では役に立たないことがほとんどです。役に立つのは教科指導に関すること(教育実習通りになど行きません。あるクラスで上手くいった授業でもクラスが違えばやり方を変えねばなりません)と今までの自分の生きざまだけ。
 せっかく夢と希望を持って教職の道を選び、教員採用試験に合格したのに、現実に打ちひしがれ、叩きのめされて結果的に死を選択した教師もいます。

 若い命を守るためにも考える時間は必要なのです。

7/09/2013

校長という仕事

 2006年の記事ですが、当時東京都杉並区立和田中学校の校長をされていた藤原先生の記事がありましたのでご紹介!

Nikkei BPnet :今学校で何が起きているのか 「校長という種族」

 教頭さんは事務処理係、膨大な文書を処理します。それと電話番。
今の教頭さんたち。定時の出勤退勤が増えているようですが、昔は朝7時に出勤して巡視を兼ねて子どもたちのために昇降口を解錠する。そしてお湯を沸かしつつ欠席連絡の電話番。1日の終りは日直巡視後に再度正常確認を行い、最終退庁となり。早くても午後8時の退勤。授業を持っている教頭さんもいますが、ほとんど事務処理と電話番が仕事となります。ついでに問題ある校長に仕えた場合、その心労たるやすごいらしく、常に退職願を背広の内ポケットに忍ばせていた教頭さんもいるほどです。
 これだけの仕事で管理職手当が月に4〜5万円と聞いたことがありますが、隣でいつも眺めていて「この仕事はやらなくていいや!」と思ったものです。

こういう事務職を経験するので藤原先生の下記の記載となるのでしょう!

===転載ここから===
校長は「上がり」の仕事か
 こうした中途半端な権限しかない校長だが、新米教師として初任地に赴任し「先生」と呼ばれるようになってから20年から30年。一通り主任を経験して教頭となり、その後校長任用試験を受けて、学校という世界ではいちばん偉い地位に就く。多くの校長はそれを「上がり」の立場として安住する。だから保守的になり、新しいことにチャレンジする気持ちが失せる。
 教頭在職中は校長に仕えて死ぬほど事務仕事をこなすから、校長になったとたんに「お山の大将」気分になるのも無理からぬところだ。しかし、実際にはマネジメントの「マ」の字も知らないで校長職に乗っかっちゃっている諸氏も少なからずいる。ただの事務長のままなのである。
 唯一の上司である教育長には、忘年会の席などで、酒を注いでなんとか機嫌を取ろうと校長先生の長蛇の列ができる。サラリーマンとかわらない。
 外の世界をほとんど知らないから、校長は校長同士で傷をなめあい、校長サークルの中で人生を営んでゆく。60歳で校長を辞めても、嘱託で教育研修所長とか教育相談担当の参与になりたいので、教育委員会には相変わらず頭が上がらない。その後も校長仲間とだけゴルフをし、旅行会や山登り会に参加する。
 でも、生徒に及ぼす影響では、最後まで教員で通すプロ教師にはかなわない。生徒が大人になって結婚式に招くのは、校長ではなくて、「担任してくれた先生」だからだ。
===転載ここまで===

 校長となって最も大切なのはやはり教育熱というか愛というか、自分の理想の具現化であると思うのです。現場でどうしても納得できず、「俺は校長になって自分の理想に使い教育をしたい」と思った熱意を忘れてはならないですよね。
それなくして安住の地になってしまうとやはり学校は何も変わりませんし、逆に質が低下します。
 年をとっても情熱は失っちゃいけませんよね。
教師は、情熱がなくなった時、子どもたちとの関わりに楽しみを覚えなくなった時が退職時だと思います。金のためだけに職にすがりつく情熱のない教師は、生徒にとって迷惑な存在、不幸でしかありません。

7/08/2013

教育委員会とは?

 某中学校のいじめの件で教育委員会の指導力とその存在意義が問われましたが、今日は教育委員会についてです。

教育委員会、学校教育がその仕事と思いがちですが、実は仕事は多岐にわたります。

例えば生涯学習や文化、体育スポーツに関わるものがあったりと様々な部署があります。その中の学校教育課というのが学校の専門部署になります。

リンク:全国都道府県教育委員会連合会

紙上を賑わせたのはこの学校教育担当部署、教育委員会から校長教頭に昇任したり、現場との中継点となったりするためおそらく人間関係も独特のパイプがあるのでしょう。だから隠蔽工作に走った可能性もあります。

しかし、この部署がなくなるとどうなるのか?

リンク:Nikkei BPnet 「教育委員会とは」

教育委員会は行政区内の環境整備とか様々な調整とか実務全般を行いますが、それ以外にも国や県からの膨大な文書処理も行なっています。
つまり、この機関がなくなると連絡系統が県と直接学校が行うようになり、相当混乱してしまうと思います。

ということで教育委員会は事務処理という観点からはなくすわけにはいかない。

 実は最大の問題は学校教育専門部署である「学校教育課」なのです。
ここが本来の指導力を発揮して教育の質の向上に努めればいいのですが、例のいじめの問題のようにともに隠蔽と言われても仕方がない工作に走るわけです。

これには頷ける理由があります。
なぜなら学校教育課の指導主事はほぼ学校の先生です。そしてここを経由してまた現場に戻り昇任したりするわけです。さらに教育委員会は学校の上位組織ですし、良くも悪くも現場に圧力をかけることができます。
教員同士の人間関係が優先されれば、当然隠蔽と言われても仕方がない行為が横行しやすい環境であると言えます。

 教育委員会は、現場の教員が教育行政について学べる機関であるとは思うのですが、もっと独立性のある指導組織であって欲しいと思います。もちろん、教育事務、行政事務も必要ですが、指導部と事務部を明確に分担し、学校教育目標の具現化のためにさらに専門的部署としての質を高めてほしい。
 そして原発事故の経験から、国や県の指示がなくても行政単位で子供たちを守れる組織であってほしい。
 未来の宝を守るための切なる願いでもあります。

アスペルガー症候群〜対処法求む

 自分は直接受け持ったことがない(少なくともそういう診断を受けた子がいなかった)のですが、知人からアスペルガー症候群を持つ子について少し情報を得ているのでご参考まで書き留めます。

Wiki アスペルガー症候群

 高機能自閉症などと書かれていることが多いのですが、学力的には中の上クラス以上、ある特定の分野については教師が舌を巻くほどの知識を持っていたりします。
ですから能力的には人並み或いは人並み以上と言えます。

 ただ問題は生活行動面。
アスペルガー症候群にはかなり個人差があるようですが、中学生でも3〜4歳児と同等にしか見えないこともあるらしいのです。
同じクラスの子供たちもそういうものだと思って面倒を見てくれているらしいのですが、他人とのコミュニケーションは成立せず、その時々の気分によって大騒ぎしたりすることが多いそうです。
なにか気になることがあれば、そのことをずっと口走ってこだわり続けたりすることも多く、授業中立ち上がったり、常に落ち着きのない状態が続いたりします。

 もう一つ心配なことは、中学生にもなると異性に対する目覚めもあり、男の子の場合は女の子に抱きついたりということがあるそうです。
当然女子生徒は嫌がりますので教師がその都度指導するわけですが、それでも同じ事を繰り返す。そうなると、最初は「仕方がない」と思って面倒を見てくれていたクラスメイトが厳しく糾弾するようになります。
当然クラスで孤立(いじめには発展しません)するわけです。

通常の子が抱きついたりする場合の対処は問題ないのですが、アスペルガー症候群の子供たちに関しては判断が難しいようです。
女子生徒に抱きついたりすることが幼児の感覚としての行為なのか、あるいは高機能だけに幼児のように振舞って故意に抱きついたりしているのか?

 いずれにせよ担任は同じ指導を繰り返し、必要があれば学校での状況を家庭に連絡しているらしいのですが、思うような状況の変化は見られないことが多いようです。

もし、アスペルガー症候群の子供たちへの指導で大変効果的なものがありましたら、何卒ご教授下さい。宜しくお願い致します。

7/06/2013

忘れ物〜やってはいけない指導

 忘れ物に対する指導でやってはいけないこと(これは教師の認識不足が原因となっています)は、何だと思いますか?
体罰は法令違反となるので当然ですが、それ以外で大きな事故に繋がる可能性がある指導・・・・・

「忘れ物をした児童生徒を自宅に戻らせること」

 これはご法度です。法令で「自宅に戻らせてはいけない」とされているわけではありませんが、重大な事故に繋がる可能性があります。(この指導は昔よくやっていましたが、今はおそらく滅多にお目にかかれないでしょう)

具体例
 ある中学生が忘れ物をしたため自宅に戻りました。
そして忘れ物を持って学校へ戻る途中、不幸にも交通事故。
一時はかなり重篤な状態だったようですが、この子は助かったそうです。

 担任の先生は「戻らなくていい」と話したそうですが、このお子さんは真面目なお子さんだったのでしょう。教師の指示を無視して自宅に戻ってしまったのです。

このケースは教師が生徒に自宅に戻るように指示したわけではありませんが、やはり管理上の問題が生じると思います。

学校は、朝お子さんを預かったら下校時まで責任を持たなければなりません。
早退させる場合には必ず保護者の方に連絡を入れます。
一度預かったお子さんを単独で校外へ出すことは早退する時以外はないのです(昼食を買いに行かせるようなケースがなきにしもあらずですが、それは認めません)
だから、お子さんが戻ってしまったこのケースでも学校の管理責任は問われると思います。

 親御さんの立場になって考えたらどうでしょうか?
保護者の方は通常の帰宅時間までは子供たちが学校にいてくれる、と思って安心しています。しかし、学校にいるはずの時間帯に交通事故に遭い、もしも最悪命を落としてしまったら、その子の親は「忘れ物をした我が子が悪いので仕方がない」と思うでしょうか?それとも「何故忘れ物ぐらいで一人で自宅に戻らせたんだ?」と思うでしょうか?

交通事故以外にもリスクはあります。
例えば、変質者被害、連れ去りなどの突発的な事故のリスクです。

「忘れ物を取りに戻らせる」指導はリスクを伴うのです。

忘れたという結果に対する指導も大切ですが、忘れ物をしないような工夫をする方が最も大切な指導だし、その指導の方がリスクを伴わないのです。

今は保護者に連絡する手段も増えていますので、色んな手を使って忘れ物に対する指導を工夫したいものです。具体的には先生方が考えて頂戴!


7/05/2013

教育公務員の残業手当

公立学校の先生方、残業手当はつくのでしょうか?

答え:つきません。少なくともそういう項目がありません。

 この点について20年以上前に上司である教頭さんに聞いてみました。
「残業手当はないです。それらしいものがあるとすれば”教職調整額”に含まれていると思います。」
という回答でした。

記憶が定かではないのですが、当時で7,000〜8,000円ぐらいだったと思います。

◯ 文部科学省 教職調整額の経緯について
◯ なぜ公立学校教員に残業手当がつかないのか?(PDF資料)

つまり、勤務態様に特殊性があるため、一般行政職と同じような勤務時間管理はなじまないので、給料の4%を教職調整額として支給している、そうです。

 学校の出勤時間によって当然退勤時間も変わりますが、だいたい16:30〜17:00が退勤時間となります。
そこで帰れればいいのですが、中学校の場合はそのあとも部活動指導が続きます。
17:00に部活動を終了させても服務上何も問題はないのですが、実際はそうはいきませんよね。夏場だと17:00以降が勝負の時間帯だったりしますから・・・。
17:00以降の部活動は、顧問教師のボランティア活動の要素が強いし、先生方も部活が好きだから苦にもしていないのです。

 深夜に家出した子どもたちを捜すとか、そういうこともボランティアということになります。ただ子供たちを捜すのは超過勤務手当がどうこの問題ではないですけど。

 ちなみに休業日の部活動手当もあります。
4時間以上の部活動指導が条件だったと思いますが、¥1,200/日となります。(各地区によって違いがあるかもしれません)
8時間指導しても4時間指導しても1日¥1200です。時給じゃないですよ、日給!!

 先生方、口に出しませんが、好きで一生懸命やっている部活動にもかかわらず保護者のわがままクレームが多くなると
「そんなに文句を言われるなら、退勤時間に帰宅して自分の子供の世話でもした方がずっといい」と思ってしまうわけです。あまりにも心無いクレームがあると本当にそう思います。
部活に関しては「金は出すけど口は出さず、助けが必要であればいつでも助ける」がベストの保護者の立ち位置かもしれません。

ちょっとは参考になりましたでしょうか?

あくまでお金の問題についての解説ですので、指導についてはまた別な話。
部活動指導に全く熱意が感じられないとか、いい加減だとか、直接子どもたちに影響を及ぼすのであれば手を打たねばなりません。それについては具体例をまじえながら別の機会に書こうと思います。

7/04/2013

教員免許更新制について

教員免許更新制の目的(文部科学省)

教員免許更新制は、その時々で教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すものです。  
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/koushin/08051422/002.htm


目的は「社会の尊敬と信頼を得ることを目指す」わけですが、つまり社会の尊敬と信頼が全くないから一生懸命勉強してますよとアピールするだけということになりますかね。

免許更新制については知人からも話を聞いたのですが、感想は下記のような感じでした。
  • 講義の内容がつまらない
  • 時間と費用の無駄
  • 教員の質の向上とは全く無関係
  • 講師の小遣い稼ぎ
  • 更新講習会の必要性を感じない
2ちゃんねるにもスレがあるのでご参考まで!


これに時間と経費をかけるなら、学校現場の教育の質を向上させるために力を注いでほしいとお考えの方のほうが断然多いと思います。

 社会の尊敬と信頼を得るためには教育活動の質を向上させるしか方法はないと思うのです。
学校には保護者と生徒の信頼が厚い先生が結構います。そういう教師を一人でも多く、というよりそういう教師が当たり前になるほど質を向上させなければなりません。
そのためには現在のシステムを抜本的に変革しない限り無理のような気がするのです。

 例えば60歳定年、教育に関して言えばこれが本当に退職年齢として妥当な年齢なのか?
離任式の当日まで子どもたちに慕われながら退職する教師もいれば、在職当時から授業が成立せず無気力な教師もいます。

思い切って退職年齢を50歳にして、そこから後は単年契約年俸制にしても面白いのではないか?

しかしその後の契約更新のために人事評価を下すのが能なし校長の場合もある。それはそれで大きな問題であるし、その下駄を生徒と保護者に預けるのも荷が重すぎるだろう。
上には役立たず教育委員会や教育事務所、都道府県教育庁がある。

ん〜、とにかく管理職としていい人材とか、機能する組織がないことで手詰まりとなってしまう。続きはまた今度「組織改革案」ということで書きたいと思います。

校長・教頭の評価と降格処分

「お願いです、校長と教頭を降格処分にするのだけはやめて下さい。
降格処分されるような管理職がもしも現場に戻ってきたら、私達、そして子どもたちが甚大な被害を被ります。降格処分になるような管理職は、そもそも現場では使いものにならない方々なのです。現場に戻すぐらいなら、いっそ解雇するか、教育委員会や教育事務所の事務局で定年まで面倒を見てあげて下さい。お願い致します(大泣)」

 こんな陳情書がわんさか来そうな管理職の降格処分。

具体的に名前を挙げるわけには行きませんが・・・

 ある教頭は事務処理が全くできない。送付された文書を、雪崩が起きるほど机上に積み上げ、それで足りなくなるとダンボールの箱に詰めたまま放置。
突然、先生の出張先から電話が入る。
「今日◯◯の会議なんですが、おたくの先生がまだお見えになっていないのですがどうなっていますか?」
慌てふためく担当教諭と教頭、出張依頼文書は書類の山かダンボールの中にあるわけです。
 別な教頭は事故(これは学校における事故や生徒指導案件すべて)処理の際、自分で判断し、教諭に適切な指示を出すことができない。
そういう方は決まって「校長の指示がない」とか「校長と連絡が取れない」とか指示待ち。校長への報告と指示伝達は当然必要なのですが、物事はそうそう待ってくれないし、間を置かずに対応しないと傷口が更に広がる場合もあるわけです。
判断できない管理職を目の当たりにした時点で先生方は「ダメだこいつ」の一生消えない烙印を心の中で焼き付けるわけです。

 アホ校長に至っては、校長=独裁者と勘違いしている輩もおります。
自分の意見に反論する教諭を捕まえて説教、しかもその先生の授業が始まって生徒たちが待っているにもかかわらず延々と説教。
その他勤務時間中に行楽地へ出かけて問題になった校長、生徒が家出や行方不明になっているのに自宅に戻ってのんびりしている校長。

教頭は現場と直結しているので、能力がない教頭は実害が多いのです。しかし、校長は「何かあった時に責任をとってくれればいい」程度にしか思われていないので、現場に実害を及ぼす可能性が低くなります。
つまり、先生方は「処理能力のない教頭は早く校長になってほしい」と思っているのです。そして降格してヒラとして現場には絶対戻ってきてほしくないと切に願っています。

こんな管理職が現場に戻ってきたら呼び捨てにして、いじめますよね?
あ、いじめはいかんか(笑)


7/03/2013

中学校の担任は日替わりでいい

 中学校の担任の実務の中で重要なもの(教科指導を除く)

  1. 通知表を書く
  2. 家庭訪問
  3. 指導要録の記載
この3つが重要で重い仕事だと思います。
その他、クラスの生徒についての生徒指導用資料の作成とか色々なものがありますが、さほど苦労せずに作成できるものばかり。

つ〜ことは、上の3つを含めた事務処理を担当する人を決めてしまえば、残りは学級活動、道徳、朝と帰りの学活(ホームルーム)、昼食は誰がやっても大丈夫。

中学校の担任は、同じ学年所属の先生で日替わりOK!!

これにはいい効果があります!

ご存知のように学級の雰囲気はクラスごとにまるで違います。
☆ やたら明るくて反応が良いクラス
★ よどんだ雰囲気で、底なしの井戸のような無反応のクラス
★ やたら落ち着きのないクラス

 これらの雰囲気は担任の先生の影響も少なからずあります。
同じ先生がずっと上のようなクラスを1年間継続したら、その差(学力も含めて)は歴然です。☆のクラスはいいとしても、★のクラスは何としても雰囲気を変えてあげなければなりません。

 その雰囲気を変えるには方法が2つしかありません。
  1. 担任教師が考えを改めて指導方法を劇的に変えること
  2. 外部から様々な刺激を与えること

担任の先生が自分の考えや行動、その他指導方法をすぐにしかも劇的に変えることはできるでしょうか?これは難しいと思います。
ということは外部から様々な刺激を与えることがより早く学級の雰囲気を変える方法。
そのために日替わり担任は実施する価値があると思っています。
学年所属以外にも、校長、教頭、他学年の先生の授業(学級活動や道徳)も面白いのではないでしょうか。

 実は子どもたちは自分の学年の先生を強く意識しています。それ自体悪いことではないのですが、学年所属以外の先生の話を聞こうとしない傾向もあるのです。また他学年の先生は「自分の学年じゃないから特に注意しなくてもいい。学年の先生がやるべきこと」と考えがちです。
それらの考えを排除し、生徒にとっては「すべての先生が自分たちを見守ってくれる学校」、教師にとっては「すべての生徒が自分の生徒」という意識付けをするために大変効果的な手段が、担任日替わりを含めた様々な外部刺激だと思います。

しかし日替わり担任を実施するには大前提となる条件があります。それは

学校、学年として生徒指導における共通理解が確実に図られており、すべての教師がそれを実践しようと努力している

上記が最も重要な条件です。

この共通理解、その学校ですべての教師が指導しなければならないベースラインと考えて頂いて結構です。生徒たちにとっては、最低限守るべきこと、これをやったらすべての先生に同じ注意をされることです。
 これ、実践するのがかなり難しいのです。これを否応なしに迫られるのが、学校が荒れた時。そういう時は教師の入れ替えをしつつ全職員が一丸となって取り組むのですが、何故か学校が平和な時は手を抜いてしまいがちです。

ある中学校の教頭に共通理解のことを話したら、「そんなものは必要ない」と一蹴されたことがありますが、おそらくその教頭は生徒指導が苦手だったのかもしれませんね。また僻地の教頭先生だったのでその言葉が出たのかもしれません。

ここまで推し進めてきて最後に矛盾したようなことを述べますが、「学校、学年として生徒指導における共通理解が確実に図られており、すべての教師がそれを実践しようと努力している」学校であるなら、荒れることは滅多にないし(地域性もありますがそれについてはまた記事を書きます)、担任を日替わりにする必要もほとんどないでしょう。
子供たちを見守るべき先生すべてが最低ラインの指導を守り実践し、その上で十分個性を発揮する。そんな学校なら、今の諸問題はほとんど解決されるのではないかと思っています。

7/02/2013

教師の評価を誰がする?

 今、公立学校では各教諭は校長から通知表をもらっています。
通知表というと子どもと同じになってしまいますが、決められた項目ごとに評定がくだされています。

 学校の管理者ですから校長が教諭の評価・評定を下すのは当たり前なのですが、実は問題点があります。

子どもたちに置き換えてみるとわかりやすいのですが、先生方が子供たちの評価や評定をつける時にどのようにしているか?

  • 学力評価ならテストを実施、その他授業中の集中力や発言などをチェックします。単元や題材ごとに評価項目が決められていますのでそれに沿って評価をしています。
  • 生活の様子も基本的生活習慣(挨拶とか時間を守るとか)などの項目があるので、それに日頃の観察記録を照らしあわせて評価しています。

 では、校長は上記のように各教諭の授業の様子、企画力や行動力について細かく観察しているのでしょうか?

答えはNO

 職員会議や行事、その他事務的なことについては校長室や職員室でも把握することはできると思いますが、一番大事な授業については観察できていないはずです。生徒指導についても同様でしょう。事実、問題行動を度々起こしている児童生徒の名前すら覚えていない校長がいる始末ですから。
だから、現場の先生方に聞くと、「何でこういう評価が下されるのかよくわからない」と話しますし、先生方は全く気にも留めていないのです。

 当然校長が把握、情報収集にも限界があります。

 校長の限界をカバーすることができるのは一体誰かというと、児童生徒の皆さんしかいないのです。彼らは授業とか日頃の指導内容をすべて知り尽くしています。つまり校長が管理職として最も把握したい部分を知っているのが子供たち。

 ならば、
  • 子どもたちに担任の先生方の通知表をつけてもらいましょう!
  • ついでに「おらが学校のベストティーチャー賞」を作って生徒会またはPTAで表彰してあげましょう。

大規模校ならベストティーチャーを3人ぐらい選出してもいいでしょう。
担任の先生については、各学期ごとに子どもたちから通知表を手渡す。

 アンケートを記名にするか無記名にするか、どのような項目を設定するか、大変神経を使うところですが、子供たちの考えも取り入れながら作った方が面白いと思います。使い方によっては非常に有効な手段だと思うのですがいかがでしょう。
実際に先生の通知表を発行している学校もあるかもしれません(この方法は昔から知っていたネタですので)。

◯参考リンク
http://www.kyo-sin.net/reportcard.htm
http://www5.ocn.ne.jp/~kkazushi/tuutihyou.htm
http://www.tos-land.net/teaching_plan/contents/1513
http://mimizunotawagoto.blog.fc2.com/blog-entry-62.html


先生によっては「くらだらない、教師の通知表など意味が無い」と反論するかもしれませんが、そんな先生方には下記の言葉を言い放ちたい。
ではあなたの学校の先生方は皆子どもたちのために粉骨砕身努力していますか?」
「あなたは自己評価をどの程度厳しくしていますか?それだけで本当に十分ですか?」
「あなたの指導力を最もわかっているのは子供たち、その評価が最も大切ではないのですか?」
「あなたは子どもたちに授業をして給与を得ています。ならば授業を受ける子どもたちの評価を今後に生かすのは当然ではないですか?」
「口先ばかりで何もしない教師はあなたの学校には誰一人いないのですか?」
「すべての先生が創意工夫に満ちた質の高い授業をしていますか?」
「みんなが子どもたちのために本気で議論し、目標実現のために実践している学校なのですか?

 教師とは自分は自分、他人は他人となる傾向が非常に強い仕事なのです。でも実際指導の現場に立つと、そういう学校は荒れやすく、子どもたちも教師も質が向上しません。

アンケート調査を嫌がる教師が多いかもしれませんが、それを実施することで教師の意識が少しでも良い方向に変わってくれればまずは大成功と言えると思います。

具体的な苦情や悩みなどは、保護者が直接電話で校長や生徒指導担当に話をしてもらうべきでしょう。それだけ話しやすい学校の雰囲気である必要がありますが、それは校長がリーダーシップを発揮して保護者の信頼を得るしか方法はありません。

子どもたちの力を借りながら先生方の意識を変える第一歩に過ぎないのかもしれませんが、いかがでしょうか?校長だけの評価よりもずっと有益だと思うのです。

一生残る(だろう)手書きの恋文

手紙文化が廃れてしまうのか…小学生の半数「はがきの表書き分からない」(産経新聞) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130630-00000540-san-soci

全国の国語の先生が頭を痛めている傾向でしょう。
中学校では手紙の書き方指導もしているようです。

メールは便利、すぐに届くし、料金も安いし、文字も美しい。文面をやわらげるために顔文字とか絵文字も多数ある。
入力ミスさえなければこの上なく便利なツールです。

しかし、直筆の手紙は書いて封筒に入れて切手を貼って、郵便局かコンビニ、設置されたポストに投函しなければなりません。
でも手間がかかる分、どんなに下手な字であっても(そうあってほしい)、「こんなに一生懸命書いてくれた」という感動が生涯残る記憶と記録。

直筆の手紙なら後生大事に特別の場所に保管しておくかもしれないけれど、メールはハードディスクやクラウド保存。

どっちがというより、どっちもできるようにしたいね。

ということで、最後に芥川龍之介の恋文のご紹介です↓

芥川龍之介ゆかりの宿 九十九里浜 一宮館
http://www.ichinomiyakan.com/akutagawa/000.html