1/30/2014

教育改革メモ〜教師

別ブログに書いた記事を転載します!

 教育改革についてのメモ
フィンランド方式は魅力がある

☆大学教育学部
・門戸を狭くし、難易度を上げる
・大学入学時より付属(あるいは提携)の小中学校、高校で授業実習を行う
・コースは義務教育科と高校教育科に分けるか、小学校課程、中学校課程、高校課程をそれぞれ設置するか、小学校課程と中高課程に分けるか
・実習の過程で教師に向かない学生を転部させる
・修士課程の取得が教員免許取得の条件

ここまでできれば相当質の高い教員が育成されるだろう。今までとは比較にならないレベルだと思う。

☆教員採用試験
・国家試験とする ※現在の都道府県ごとの試験および採用は廃止
・合格者は日本全国のいずれかの都道府県に配置される
・赴任地については本人の希望も考慮するが、原則、教員が不足する都道府県に配置
・教員採用試験不合格者は、採用試験合格まで講師として国に登録される。臨時教員として常勤講師採用または期間講師として採用できる。赴任地は各都道府県の希望に応じて配置

☆教員
・国家公務員とする

ちょっと無理があるか?
国家公務員となるので給与も当然今までより高くなる。

本当に質の高いプロ教師が日本全国に配置できるだろう。入れ替えまでに時間を要するのが難点。

赴任地については、今だと「大阪は勘弁して」とか出てきそうな気がする(^_^;)
年老いた両親の面倒をみたいという希望も出るだろうが、全国規模の人事異動となるのでその点は大変だろうな (´ヘ`;)ウーム…

大学のカリキュラムもガラッと変えなければならない

やはり国の一大イベント

とりあえずメモなので・・・



フィンランドの教育改革

別ブログに掲載したものを転載します。
この改革、見習うべき点ばかりであり、実践も容易だと思います。

フィンランドの教育~教育の機会均等

☆要点書き起こし
・ヘイノネン氏(元教育大臣)
教育で大切なのは機会の均等、その基盤があって世界の頂点に立てる高い水準の人材育成ができる。
教育はいわば「投資」である。
フィンランドは一部の人間だけ良い教育をすればいいとは考えていない。国民全員の教育レベルの向上が必要。教育こそが組織、企業、国全体の競争力を上げる方法。
人口520万人の国、ひとりとりの学力を上げなければならない。
人という資本に投資が必要だった。

・教育現場に大きな裁量権を持たせる。
・内容や教え方を教師に任せた。

・指導要領はあるが項目が大幅に減った。
・教科書の検定もない。

・学校ごとに独自のカリキュラムを作成

・大幅な権限の移譲
・地方自治体と学校の裁量でほとんどのことが決めることができるようになった

教師の責任が大きくなった
教師が意欲的になった

《校長》
学校に指図する権威は存在しない
自分たちでカリキュラムを作ることができ、人事権もあり適材適所に教員を配置することができる
フィンランドの教育の強みは教育現場が大きな自治権を持っていること

・ヘイノネン氏(元教育大臣)
教育の基礎ができており、中央政府がこれ以上コントロールする必要はないと感じた
教育関係者が持つ能力をもっと取り入れたいと思った
彼らこそが現場を知り抜いている専門家、プロ
システムに柔軟性をもたせる(地域により状況が大きく異なるから)
管理は現場の長所を活かせなくなる
教師や教育関係者の指導レベルを上げるため国の要求を削減し、核となる部分だけに限定した
教育には自由が欠かせない
それぞれの現場に任せるべき、阻害してはならない
意欲、モチベーションが最も重要、厳しい管理はモチベーションを下げる
教室で起こることに責任があるのは教師

《教育学部》
教師の社会的地位が高い
志願者の10%しか入学できない
教師になるには最低5年学び、修士号を習得

入学後、1年生時から教育実習を行う
教師に向いていなければ転部を勧められることもある
社会的ネットワークを築く能力が求められる
すべての教師は年1回の研修に参加
クラブは別の専門家が担当
授業に専念する
懇談会が頻繁にあり、率直な意見交換が行われる

各学校の自己評価が法律で定められている
自己評価の結果は保護者の求めに応じて公開される
教師は自由な代わりに保護者や子どもたちに対して大きな責任を負っている

・ヘイノネン氏(元教育大臣)
教育制度というものは急転換して無理やり法案を通すようなことはできない
関係者を巻き込む必要がある、彼ら自身が動き始めなければならない
教育改革とは例えるなら船
教師と連携なしに改革できない
全国各地で教育政策を議論することが大事、共通認識が大切

国内のどんな地域に住んでいても全く変わらない教育を平等に受けることができる
国内のすべての学校にコンピュータを配置
使うことを学ぶために設置したのではなく教科での活用、情報を読み解く力をつけるため

現代は未来がどうなるかわからない世界
自分で自分を導かなければならない
自ら学ぶ力が大切
他者と協力、他国とコミュニケーションを取る力が必要
学校で学ぶあらゆる事柄コンピュータを活用できるように政策を推し進めた
情報を読み解く力=リテラシー すべての基本が読解力

図書館の存在
ヘルシンキは56万人、図書館が38ある、日本の4倍
国民の77%が1時間以上/日 読書
図書館利用率も世界一
学校と図書館の連携

なぜ本が好きなのか、読むのか?
自分自身を教育することで人生をより豊かにすることができると思っている
至る所に図書館があり気軽に利用、習慣になっており、伝統でもある
新聞文化が教育と密接に結びついている

給食無料、大学まで授業料無料、筆記用具も無料

すべての子どもに平等な教育と食事が約束されている

移住してきた子どもたちには補助学習指導員がつく
病欠、ついていけなくなった子には補習授業が行われる

他人と比べるのではなく一人一人のペースで学べるようなシステム

教育の機会の平等がなければ教育の質の向上は不可能だと考えている
教育の機会の平等はすべての前提
どこにすんでいような同じ機会が与えられる
人はそれぞれ違う、様々なアプローチの仕方を考慮すべき
だれでもついていけるようにシステムに柔軟性が必要
子どもを育てるには村が必要、社会全体で教育制度を支えている

人々が互いが思いやる社会をどうやって築くか
人はそれぞれ違う事を理解、自分と異なる人を受け入れ、コミュニケーションをとる。それが自分の強みなると気づくべき
他人を理解するには自分を知らなければならない。自分に価値があるということを知らなければならない。
どうやって自分を知り他者の価値を知り、自己中心的な人間にならないようにするか、これが福祉国家のベースになる

フィンランドの教育の次の目標
・教育制度や教育政策というものは決して完成することはない
・それぞれの時代社会情勢、文化に応じて決断を下さなければならない
・変化のスピードがあまりにも早すぎて多くの人が精神的にまいっている
・変化と選択肢の多さが問題
・次世代の大人になる力が弱まっている
・自分たちの大切で貴重な価値観を次世代に承継
・しっかりと自分たちの時代を築くこと、次世代にチャンスを与えること
・洞察力が失われつつある
・これからはあえてペースを落としより深く考える必要がある
・頭で考え心で感じたことを信じること
・子どもたちの創造性を引き出しモチベーションを高め内なる洞察力を彼らが手にすることができれば、私たちには幸せな未来が待っている

私たちは学校のためではなく人生のために学ぶ



1/29/2014

吉岡たすく先生の講演

別ブログに書いた投稿をまとめてみました。
吉岡先生の講演、時間がある時にぜひ前編お聴きください。

テレビ寺子屋という番組に吉岡たすく先生が出演されていたのですが、今でも記憶に鮮明に残っているほど面白い講演でした。

もともと小学校の教師をされていた方なので話の内容は興味深いものばかり。今聴いても頷ける内容ばかりで大変参考になります。












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1/25/2014

国家賠償法について

第一条  国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
○2  前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する

公務員が職務中に故意または過失によって他人に損害を与えた場合、国または地方公共団体が賠償するわけですが、公務員に故意または重大な過失があった時は、国または地方公共団体はその公務員に対して支払った賠償金を求償することができるわけです。

一部の公務員は、自分がミスをしても国や地方公共団体が賠償金を払い、自分は支払わなくていいと勘違いしているようですが、それは間違い。

故意および重大な過失とはいかなるものなのか?

体罰は法令で禁止されている事項であり、間違いなく故意または重大な過失となります。

暴行の事実があれば刑法も適されて当然なはずなのですが、下記の記事では「国家賠償
法」で個人責任が問われていなかったそうです。

JanJanブログ
http://www.janjanblog.com/archives/106418

あり得ないことです。

随分昔の話ですが、地元の中学校で部活動をしていた生徒が倒れ、救急搬送されましたが
心不全のために死亡。
顧問は部活動に来ないで職員室で仕事をしていたため、生徒の異常に気づくのが遅れたこ
と、そして部活動についていなかったことにより個人責任を問われ裁判の賠償金を全
県および市から求償されたそうです。
地元の事例から考えれば、上記ブログの記載内容は更に悪質であり、暴行傷害致死、学校
教育法に違反となるはず。

なぜ「個人責任を問わない」という判決が出るのでしょう?
私は理解に苦しみます。