12/26/2013

教師に求められるもの

 教師として求められるもの、色んな意見が出てきそうですが、私個人としては次の2点が最も重要だと思います。

  1. 授業が上手いこと
  2. 生徒指導ができること
 授業に関しては必須条件です。このための先生なので、授業が下手、あるいは授業が成立しない教師は教師の資格なしです。

 生徒指導ができること、これは非常に広範囲になるのですが、例えばまず学級経営がしっかりできていること。子どもたちの個性を見極めつつ、集団としての質も高め、生徒たちを納得させるだけの価値観や指導観を兼ね備えていなければならないと思います。
一朝一夕にできることではないし、自分の今までの生き方に関わるものなのである程度の時間を要するかもしれませんが、教師という仕事はパフォーマンスなのでなるべく早く身につけなければならない絶対的な資質と言えます。

 その他、部活動の指導力がある先生も魅力がありますが、全国で1位になったとか、そういう結果のみで教師として高評価を下してはならないのです。
なぜなら、真面目にやるのは部活動の指導のみで、授業もろくにできず、滅茶苦茶な学級経営をしている教師が実在するからです。保護者としては結果で判断し敬う方もいらっしゃいますが、同じ教師からすれば「役に立たない教師」に過ぎません。

 部活動の指導はできないよりできた方がいい。しかしそれしかできない人間は教師としては不適格なのです。部活動のみなら外部からプロの指導者を呼んだ方が質は確実に向上するのですから。

 授業が上手く、学級や学年の生徒指導を安心して任せることができ、部活動の指導も優秀なら言うことはありません。

 ※悪いことをした生徒を叱ったりすることが生徒指導と誤解されがちですが、子どもたちをいかに守り育てるか、つまり学校の指導すべてが生徒指導の中に包括されているのです。

 どんな先生か確かめるには、まず授業を見に行きましょう。授業が上手い先生か、下手な先生なのかか。
そしてその先生が担任しているクラスを見ましょう。クラスの子どもたちの雰囲気は先生の生徒指導の現れなのです。(脅しによる緊張感のある無言の状態がいいわけではありませんよ)
 そして最後に部活動の指導を観察する。

ここまで観察して問題点がなければその先生は子どもたちに好かれる先生であると思います、たぶん。

 

12/20/2013

民間人校長二人採用〜宮城


河北新報 東北のニュース/宮城県教委 民間人校長2人採用 着任は4月 http://www.kahoku.co.jp/news/2013/12/20131219t11028.htm @kahoku_shimpoさんから

 宮城県でも2名の民間人(電力会社と銀行)の校長採用が決まったようですが、大阪でも失敗しているだけに頑張って欲しいものです。

 以上!

 これで終わりじゃつまらないので

 以前大阪の民間校長の件でも書いたのですが、学校という現場において民間企業の感覚で校長という職務に就くのは困難を極めるだろうと思います。新しい感覚を取り入れて特色ある学校作りをしたい、してほしいという願いは十分わかるのですが、最悪の場合校長が自死を選択するケースもあったほど追い詰められる現場でもあります。

 教育現場においての難しさは
  1. 教職員が非協力的・批判的になり、校長と意見対立することが多い。民間出身の校長であれば尚更風当たりが強いかもしれない。
  2. 語弊はあると思うが、民間企業というのは営利目的で利益が最優先される組織であり、それが社員の給与に直結するため組織としてまとまりやすい傾向はあると思うが、公立学校という現場ではその意識は全く通用しない。いじめがあろうが生徒が自殺しようが教職員の給与に影響することは滅多にない現場である。
  3. 学校の主役は子どもたちであり、その子どもたちの実態把握なくして学校経営はあり得ない。利益のための経営と人を育てるための経営、これが企業との決定的な違いであり、50歳を過ぎた校長が子どもたちの中にどれだけ入っていけるか、それで校長の質が決まるだろう。
  4. 保護者の理解と協力が得られるかどうか。保護者は民間出身の校長に期待しつつも怪訝する雰囲気もある。子どもに関してのクレームは民間企業のクレームの比ではないし、校長自身がクレームの窓口対応者となる。
 企業経営のつもりで単にシステムを構築するだけであれば、おそらくそう時間はかからずに進むだろう。つまり、校長が上司として職務権限を最大に使い「職務上の命令」を行使すればいいだけの話である。
でもそれをやったら職員会議が紛糾する、企業では考えられえないほどの怒号が飛び交う、単なる理想論者である校長の命令など簡単に無視することができる。

 教師との関係もだが、保護者とのトラブルをいかに回避できるか、それは腕の見せどころになるだろう。企業なら「代替品で」「弊社の商品券で」、あるいは非を認めてひたすら謝罪して乗り切ることもできようが、学校という現場はそれができない。下手に保護者に迎合してしまったら学校の生徒指導が崩壊することすらあり得る。

 あとは子どもたちとの関係をいかに築き、特色ある学校づくるを子どもたちといかに進めるか。実態把握ができないことには特色も何もないし、単なる理想論なら誰で打ち上げることができるわけだし。

 民間採用校長の人気は6〜9年ほどだが、今の学校制度に風穴をあけて特色ある学校作りを目指し、生徒たちが「卒業したくない」と思うような学校を目指してほしいものです。

また辛口になってしまいましたね(^^ゞ



12/19/2013

体罰考

 体罰は是か非かと問われれば当然「非」である。
これは刑事事件にも発展するし、民事訴訟にも至る。教員の場合には服務規程違反にもなる。
 ただし、学校現場において体に少し触れたりするぐらいの程度が体罰と訴えられるのであれば、それはそもそも形成すべき人間関係がない、ラポートがないという状況に他ならない場合。例えば、教師を嫌う生徒にとっては、その教師の言動すべてが不快そのものであり、きつい言葉を浴びせられれば言葉の暴力であり、体に少しでも触れようものなら暴力以外何ものでもない。間違いなく何か原因があってそうなっているわけだが、人としての信頼関係がない以上、同じ行為でも感情が先に立って容認出来ないのである。

 どこからが体罰かという点はさておき、なぜ体罰が起きるかについて考えてみたい。
結論を言ってしまうと「子どもを預かり育てることよりも、自分の欲求や感情が優先されるから」。

 まず最も多いのが「指導者の地位保全・絶対性の保全」
これを保つことができれば自分の意のままにクラスや組織、団体を経営することができ、指導者にとって最も快適な場を構築するために体罰を使用する。

 第二に「大人としてのプライドを保つ」ことが目的の体罰。
これも学校現場では多いのではないだろうか。
要は「子どもたちになめられたくない」という気持ちの現われである。

 第三に「子どもに従順さを押し付ける」ための体罰。
これは上記と重複するかもしれないが、大人に従順なこどもはいい子、という己の過去を振り返ることすら出来ない意味のない価値観の押し付けといえる。

 そして最後、これが最も問題であろうと思われる「指導力・指導理念の欠如」
このような教師はその日の気分で怒り狂う場合もあるし、特定の生徒を目の敵にしたり、思いつきや行き当たりばったりで強い指導を行う。こんな教師を子どもたちは絶対に信頼しない。
 生徒たちから見て、「罰すべきを罰することができる教師」、「ダメなことをダメと言える教師」、「生徒たちが納得できる指導ラインが常にブレない教師」、「誰に対しても公平に指導できる教師」などは間違いなく信頼できる教師の資質を備えているし、安易に体罰を振るうことなどない。

 私も色々やったほうなので大口を叩くことはできないのですが、上記4つが体罰に至る教師側の問題点だと思われます。
 体罰の弁解として「感情を抑えきれず、ついカッとなって殴ってしまった」とありますが、その根底にあるのは上記4つのいずれかです。実は感情的になって殴ることはほとんどないと思います。子どもたちの言葉で言えば「ムカつく」から殴ったということになるでしょう。極稀に、体罰を振るったことのない教師が涙ながらに生徒を殴ることもあるかもしれませんが、その場合は体罰として訴えられることはまずないでしょう。

 各項目について説明したい点は多々ありますが、いずれまた!

12/13/2013

嘉納治五郎師範は泣いているだろう

まず下記転載記事をお読みいただき、どのように感じるだろうか?

・・・転載開始・・・
「人の生涯で、素晴らしい人との出会い、正しい教育、充たされた環境の中で培われ、育まれることにより、各人が人として立派に形成されるのではないか」と須坂氏は冒頭で問いかけ、それらの条件を満たすものとして日本の武道文化、「とりわけ柔道によって全て充たされるものと信じています」と続ける。
 さらに、須坂氏は「日本人が豊かな生活と便利と快適を求め続けた」と指摘し、「経済大国の美名の下で『叱ることの出来ない日本社会』が作り出されてしまいました」と嘆く。
 たしかに、現代において一部の親や教師などが子どもたちを「叱れない」という指摘は当たっているかもしれないが、問題は次の一節である――「現在の日本は、誤った暴力観と言うか愛のムチも体罰も区別がつかない大人が横行したため、子供たちは、愛のムチの痛さ愛の鉄拳の痛さも知らずに、世におくり出され、そこで遭遇するあらゆる想定外事案におびえ、おののき、不幸な結果をまねいてしまう」、「柔道の少年修行者は、道場において少なからず、愛のムチ愛の鉄拳痛みを経験するでしょう。『弟子がにくくて、殴る師匠はいない』 愛の鉄拳は、痛みの中に熱い情を感じるものである。これを体罰と受け止める子供はいないはず。叱ることのできない現在の日本社会において『武道』(柔道)こそ、この“じれんま”を解消させる唯一の手段と信じています。」 
・・・転載ここまで・・・

叱ること=鉄拳制裁 かつ 唯一の手段 と結論づけている。

柔道を指導する人間は、言葉を理解することができないほど知能が低いから暴力でしか教えることができないのでしょうか?
愛のムチという身勝手な理論と暴力で痛みを覚えれば、社会に出て不幸な結果を招かないのでしょうか?

こんな身勝手な理論は指導者として失格である。
子どもたちの心を育てるために真摯に柔道に向き合い、熱心に子どもたちを指導している他の指導者たちにとって失礼極まりない暴言である。

己の非を認め、律することすらできない人間が武道の精神を語れるのか?
柔道の人間教育は殴ることで成り立っているのか?
それが嘉納治五郎師範の教えなのか?

さらにもう1つ転載させていただく。
・・・転載開始・・・
【5】 「無事故」で定年を迎えたい? 相原中学松本雅之校長の思惑
 以上、【1】~【4】まで、おもに柔道界の問題点を指摘したが、最後に相原中学の松本雅之校長の言動についてふれておきたい。
 2010年4月に相原中学に赴任した松本校長は、赴任の年から在学生らが住民票を移して寝泊りしている柔道場での暴力について「不知/関知しない」との立場を採った。
 大手メディアによる暴力報道があっても、「柔道場は学習塾と同じ扱い」といった発言をし、批判を浴びた。さらに、暴力問題に嫌気がさして転校を決めた生徒が久しぶりに登校して来た時には「転校の理由が柔道部にあることは、クラスで発言しないように」と生徒に何ともオメデタイ口止めまでしているのだ。これが教育者のすることかと残念に思う。
 さらに、そのオメデタイ松本校長――2014年3月に定年を迎えるそうで、学校関係に詳しい人物に聞くと、処分歴が無く“無事故”で定年を迎えられるとだいたいどの自治体でも〈教育功労賞〉などの金一封が退職時にもらえるとのこと。おそらく松本校長もそのような計算があって、これまでの暴力問題についてひた隠しにして来たのかもしれない。その陰で、どれだけの生徒が悔しい思いを噛み殺して来たことか、学校関係者は考えてみるべきだ。
・・・転載終了・・・

生徒が学校敷地内の柔道場に住民票を移し、そこで暴力問題。柔道場は学習塾と同じ扱いで関知せず、しかも生徒に口止め。

開いた口が塞がらない発言。
こんな馬鹿が校長をやっているから日本の教育は良くならない。
このような校長は懲戒免職でいいだろう。給与、退職金の無駄遣いだ。
しかし教育委員会も同等の立場ということなのか?それも呆れる。

上記はJANJAN BLOGさんより転載させていただいた。
ぜひ記事全文をお読みいただきたいと強く思う。

JANJAN BLOG 現職警察官による暴力 ―問われる柔道界トップの〈愛の鉄拳〉論―

12/12/2013

体罰という観念の形成

 体罰って突然おきるのでしょうか?誰しもが行ってしまうのでしょうか?

 変な言い方ですが、体罰は受け継がれますよね?
自分が実際体罰の現場に遭遇してそれが当たり前の環境となっていたり(見たぐらいでは実際に手は出さないと思う)、自分自身が体罰を受けており自分の経験がごく一般的であり、正当な行為の尺度となってしまっていたり。

 まず体罰という経験をなくすことが下記のような事件を防ぐことになりますよね。
指導者のあり方については過去に書いたので割愛します。

 結びつきの強い人間が本気で怒り、感情的になって平手打ち。
この平手打ちは相手の人生に多大な影響を与え、劇的に変わることだってあるのは事実。

 難しいね〜^^;

【下記はAmebaに投稿した記事のコピー】
桜宮高体罰 男子生徒遺族 大阪市を提訴|MBSニュース-MBS毎日放送の動画ニュースサイト- http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000003244.shtml @mbs_newsさんから

親御さんとすれば当然の措置だろう。

手塩にかけて育ててきたわが子が、法令違反にもかかわらず長年放置されてきた体罰教師によって追い込まれて自殺してしまったわけだから。

 しかしこのような事件があったにも関わらず体罰事件の報道が跡を絶つことはない。

指導者というのはその組織のピラミッドの頂点であり、自分の指導が浸透しやすいようなシステムを構築しなければならない。自分の指導力を誇示し、常に地位を保ち、従順な下僕を育てるために使われる手段が体罰であり、それは指導の一環である。そのシステムの構築こそが常勝につながるのである。

さしずめ体罰とは彼らにとってこの程度の認識ではないだろうか?

戦後教育の腐敗のツケ、これは容易に改善できるものではないが、何十年かかろうともひとつひとつ悪しき習慣や意識の芽を摘んでいかねばならない。

12/11/2013

H24児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査


この書類ずっと書かされていたのですが、毎年6月ぐらいに書いて市教委に提出していたように記憶しています。
全国の集計なのでやはり半年ぐらいは時間を要すのでしょう。

 それはさておき、この集計結果、集計されている数値よりも諸問題の数はもう少し増えると思います。その理由ですが
  • 学校判断で記載するため学校ごとの認識の差が出てしまう。この資料をまず市教委に提出することもあって、校長によっては「それは書かなくていい」とか根拠の無い体裁を繕うための減数もありえます(校長の頭の中に学校の実態がインプットされていないことが多い)。また、判断が難しい事例(とくにいじめなどはその最たるもの、不登校も同じような傾向あり)についてはカウントしなかったりすることが多く、学校ごとの認識のズレがかなり生じます。
 暴力行為や器物損壊、出席停止措置、自殺などは数を把握しやすいのですが、いじめ・不登校に関しては判断が難しい事例が多いことも確かです。
 いじめ・不登校に関しては発表された統計よりもさらに多いことを念頭におくべきでしょう。

12/10/2013

ひとり親家庭支援(こんなのあったらいいな案)

こんなのがあったらひとり親家庭は助かるだろうと思うことを無責任に書いてみた。

企業・事業主さんに検討してほしい有給休暇

  • こども慶事休暇
入学式、卒業式のための有給休暇。時間休は認めず1日フル休暇。入学式、卒業式の案内文書のコピー添付。太っ腹の社長は祝い金を出す。
  • こども介護休暇
かぜ、インフルエンザ、ケガその他、子どもの傷病の際には社に申請し、領収書の控えを添付。入院の場合は別途医師の診断書を添付する。
  • PTA役員、委員休暇
PTAの会議出席のための休暇(時間給可能)、PTAからの実施要項のコピーを添付して申請する。
  • 授業参観休暇
授業参観のための休暇(時間給可能)、学校からの授業参観案内のコピーを添付して申請する。
  • 面談休暇
これは家庭訪問、三者面談、進路相談のための休暇、文書とともに時間申請。

このぐらいあったら今までの有給は殆ど使わなくていいんじゃないかな?親自身が体調不良の時ぐらいしか使わないだろう。

お役所への要望

  • ひとり親家庭証明書の発行
目的は医療機関での診断書発行の際に使用し、その診断書作成料については自治体が負担するため。
  • 病み上がりの子どもたちのための公立託児所を作る
これがあったら親が安心して働くことができる。
  • 小児がん、白血病、その他難病にかかる費用全額を国が負担する。
これ、国が早急に何とかしてほしい!(各自治体負担はきつすぎる)実現したらどれほど親が救われるか。保険が適用にならない治療もあるが、それも国が負担してほしい。とにかく18歳まで全額。
ろくに調べずに好き放題書いてしまったけど、もう既設のものもあるかな?
社長さんや事業主さんからは苦情がきそう、しかしひとり親の精神的負担を取り払えば生産性も上がるっつ〜もんだよ!
やれそうなものはどんどん実施してほしい。
悪用する人間もいるんだろうとは思うが・・・助かる人が多いよね?

この投稿に関しての苦情は一切受け付けません(笑)


12/09/2013

ひとり親家庭への支援

  今も同じ用語かどうかはわかりませんが、以前は経済的な困窮度に沿って「要保護」「準要保護」という援助制度がありました。
具体的にどんなものかというと、例えば修学旅行費や鑑賞代金など学校行事にかかる費用が全額返金される制度ですが、私自身が手続きを行った記憶がないので、小学校時に役所に手続きを行い、それが中学校でも継続されていたのだと思います。

調べてみたのですが、各自治体や国でも様々支援を行っています。(やはり要保護、準要保護でした)

阿見町の制度案内
http://www.town.ami.ibaraki.jp/kakuka/kyoikuiinkai/gakkokyoikuka/gakkokyoikuka/school_support.htm

手続きNETさんのシングルマザー手続き
http://www.tetuzuki.net/life/singlemother.html

厚生労働省 ひとり親家庭の支援について
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/boshi-katei/index.html


 と様々な支援があるのですが、問題は受け入れ側(企業や施設など)の実態がどうなっているかということ。
 最もわかりやすい例でいうと、母子二人だけの家庭で子どもが幼い場合、ウイルスに感染したりすると数日間保育所を休ませなければなりません。祖父母と同居していればお願いすることもできるでしょうし、近隣に病気のお子さんでも預かってくれる施設があれば助かりますが、そのいずれも期待できない場合やはり母親が数日にわたり仕事を休まなければなりません。
 正社員であっても有給をもらいにくい状況であるし、病弱なお子さんの場合頻繁にお休みとなってしまいます。ましてパート採用の場合「解雇」される可能性が高いのではないでしょうか。(その前に幼い子がいる場合には採用されない可能性大)
 せっかく母親が自立しようとしているのにそれを受け入れる体制ができていないという現実があります。

 今は大手企業でさえ正社員を雇用せずにパートでまかなっているのが現状。
法を整備(活用)して安心して働ける状況を作るのが急務と思います。

ちなみに、企業に対する助成金も結構あるのですよ!
厚生労働省 事業主の方のための雇用関係助成金
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/kyufukin/index.html


12/07/2013

学校が荒れるということ

 何かのウイルスにでも感染したかのように学校が荒れることがあります。

不思議ですよね?
学校の荒廃を促すような悪い菌でもあるかのように荒れが伝播していきます。

学校外の要素も当然大きいのですが、学校内の事について書きたいと思います。

  • どこの学校も荒れる可能性を秘めている
 大規模校のみが荒れるわけではなく、僻地の学校ですら荒れる可能性を持っています。たしかに規模によって荒れる要素が多い少ないは違ってくるのですが、ひとつ間違えれば学年1クラスの中学校でさえ荒れてしまいます。

  • 荒れる原因は?
 学校が荒れる場合、必ず鍵となる子どもたちの存在があります。
たった一人の生徒からすべてが始まってしまうこともあります。
このような書き方をすると生徒が悪いような印象を与えてしまいますが、彼らが悪いわけではありません。それについては後述します。

  • 鍵となる子供たちとは?
 中学生といえば13〜15歳ですが、それぞれがいろんなことを背負って生きてきています。家庭環境や経済的にに恵まれなかったり、あるいはそれらは満たされているように見えても心が満たされていなかったりと様々です。
鍵となる子供たちとは、心が満たされず不満の多い子供たち。

  • きっかけとなる事件がある
 不満を持っているからと言って必ず暴走してしまうとは限りません。
ほとんどの子供たちは自分を何とか抑えて行動していますが、教師の指導や態度そのものが彼らの暴発の引き金を引いてしまうのです。

  • どのように伝播していくか
 ある一人の教師に対して反発した生徒に追随する生徒が出てきます。
まずは同じクラスの生徒が追随し、他クラスへと伝播していきます。
その後、生徒たちは教師を見ながら授業によって態度を変えていき、「この教師は大して注意をしない、怒らない」と判断すると行動がエスカレートしていくのです。そして他学年へと波及し、他の学校への波及していくのです。

 この時鎮静化のために体罰を使うことが常であったと思いますが、体罰というのは鎮静剤になるかカンフル剤になるかの賭けとなります。教師の力が勝れば沈静化に向かいやすくなりますが、生徒の力が勝ればさらに暴徒化することになります。
  • 立て直し
 一つの事件があり、3ヶ月もあれば学校は崩れていきます。特に夏休み後は子供たちに歯止めが効かない状況下となり、2学期はそれが顕著に現れます。
一度荒れると、学校を立て直すためには荒れた学年が卒業して2〜3年は必要になるかもしれません。
その間、人事異動で生徒指導を強化する措置を講じたりします。
  • 指導における共通理解と実践の大切さ
 教師は同じポイントあるいはラインで皆同じように生徒を注意する。そのポイントやラインのことを共通理解と思ってください。
実践の手段については各教師の個性に任せて指導していいと思います。例えばキツめに叱る先生もいれば穏やかに説諭する先生もいる、そういう教師がそれぞれ持つ個性を発揮できればいいことです。
最も大切なのは同じポイント、同じラインを見極めて適時指導すること。
この共通理解を図らないことこそが学校の生徒指導を揺るがす最大の原因です。
  • わがままな教師が多い学校は崩れやすい
 生徒は別に何とも思っていませんが、教師は学級経営者でクラスの頂点。
その教師たちが自分のやりたいように指導したらクラスによって子供たちの不満が爆発することになります。「◯組はいいのになぜうちのクラスはダメなんですか?」
こんな些細な事から学級崩壊、学校崩壊の芽が育ってしまいます。
共通理解と実践を守ろうとしない教師はわがままなのです。
  • 学校が荒れないようにするためには
 「指導における共通理解と実践の大切さ」が大切なのは前述の通りです。
子供たちはやってダメなことはわかっています。だからダメなことをダメと当たり前に言ってくれる教師や大人を望んいでいるし、それが大人として当然だと思っているのです。「ダメなことをダメと言えない大人」、子どもたちはそういう大人を最も軽蔑します。

 そして落ち着いて生活できる環境を作ることが大切。
卒業後少年院に速攻でぶち込まれた生徒がおりましたが、その子は校内ではほとんど悪いことはしませんでした。(校外、特に休日はやらかしましたが)
「お前よく学校の中で悪さしたりしないよな」と訊いたら彼曰く
「この学校で何かやっても馬鹿らしいから」。

学校のいい雰囲気を作り、落ち着いて生活できること、これが荒れを防止する最良の手段です。
  • 学校が落ち着いている時こそ生徒指導の基盤を固める時
学校が荒れればどんな教師でも本気になって立て直しに取り組みます。
しかしそれは荒れた時ではなく、落ち着いている時にこそしっかり取り組むべきことです。
平和だとその平和に浸りきって甘くなったり手抜きになったり、見過ごしてはいけないことを見過ごしてしまいがちです。結果的にそれが蓄積されて荒れる原因を作ってしまうのです。
学校が平和なときにこそ基礎をしっかり固め、それを継続して行くことが肝要なのです。


12/06/2013

不登校・登校拒否への協力体制

 本音の話ですが、不登校や登校拒否の児童生徒を抱えると担任の負担は間違いなく大きくなります。
実務上は家庭への連絡(電話・訪問)が増えるということになりますが、すべて自分だけで背負い込んでしまうという精神的な負担も大きい物があります。

こんな所に書くのもなんですが、一番多い時、クラスに2人の不登校生徒を抱えていた時がありました。

  • 一人は小学校時代からの不満が爆発して友人ともめてそのまま不登校、ただ部活だけは来ていたという男子、ちなみに部活顧問は私
  • もう一人は飛行(非行)タイプ女子・・・「先生わり〜、心配すんな」と言いつつ家出、自由飛行。何故かたまに私に電話を入れるアホ娘
二人共卒業式で呼名しても返事がありませんでした(^_^;)

私の場合、幸運にも親御さんや生徒たちと意思の疎通がとれていた分、非常に救われた部分もあるのですが、でも教室の机が2つも主役が座っていないとやはり寂しいもんです。

 不登校の生徒がいると、朝迎えに行ったりして若干通勤に支障をきたし、自分のクラスの他の保護者から「来ている子もちゃんとみてください」とご尤もなお叱りを受けたりします。

 そんな時に助かるのが学年のバックアップ体制。
当時は朝の学活に副担の先生にいってもらう程度でしたが助かりました!

 でも実際今の現場でバックアップ体制は充実しているのでしょうか?
意外と担任任せで学年で本気になって不登校に取り組む学校は少ないかもしれません。
学校によっては生徒指導部会で話し合い、校長自ら家庭訪問したりしているとこもあるらしいですが、殆どの学校は担任任せが実態ではないでしょうか?
ベテラン教師なら様々対処できると思いますが、新採用やかなり若い先生には手に負えず、様々なトラブルが発生するかもしれません。

 やはり不登校、勿論いじめなどもそうですが、校内に専門チームが必要だと感じます。スクールカウンセラーも配置されていますが、彼らも含めた実効性のある専門組織が求められると思います。

不登校の場合、無理に登校刺激を与えると間違いなく逆効果になるケースもありますし、その判断を下すのは複数の教員の経験と知識。
子どもたちを無理に登校させてよしとするのではなく、不登校を保護者がどう受け入れるか、そちらの方が解決法としては効果があると思います。

12/05/2013

いろんな保護者がいらっしゃいます(^_^;)

 学校の先生という職は様々なお子さんと関わりを持つわけですが、子どもたちの数以上に個性的な保護者の方との関わりをもつことになります。
当然の事ながら現役のあるいはリタイアされた団体関係や組関係の保護者の方もいらっしゃいます(^_^;)

こう書くと
「いやいや、それは大変だっぺ〜?」
と言われるのですが、実はご心配いただいている点で苦労したことはないのです。
過去その筋の保護者の皆様とトラブッたことは一度もなかったのです。(単にラッキーという話もありますが)

 家庭訪問において初めて保護者の方々にお会いするわけですが、いろいろ話していくうちに「あら?」と感じる部分があり、よく見ると「あわわわ、小指が・・・・」とか確認。こちらも平然を装っておりますが内心は「(´゚д゚`)アチャー ヤバ」と思っているわけであります。

 しかし直接話しをすると「親として子を可愛がる」気持ちが伝わってくるもので、話が色々弾んだり(たまに)します。
ある程度打ち解けたところで、こちらの指導方針や切り出すわけです←ここがすごく大事!
それが明確だと「わかった、先生に任せる。何かあったら色々教えてくんちぇ」となることが多いのです。
それはすべての保護者に対して伝えることなのですけどね。

あとはひたすら筋を通して接する!!

 ただ、ひとつ問題があってですね、彼らの多くは「口で言ってわからん奴は・・・」という傾向が非常に強いので、事あるごとにお子さんの問題について電話連絡すると翌日、生徒が木刀で殴られてぱっくり割れた頭のまま登校するなんてこともあります。
思わず病院で縫うように電話したら「いい。口で言って分かんね奴は仕方ね〜んだ。そのうちくっつくから大丈夫だ」
この程度でおしまいになりますので、伝えるべき内容とタイミングを考えなければなりませんね。

 もう一つ大事なこと。
彼らの世界の話をしてはならないということ。
話すのは子供に関することのみです。

色んな話も聞けるので驚きもあるのですが、一切口外しないことです(^^)

12/04/2013

児童相談所について

 以前別記事(虐待とその判断)で知り合いから聞いた話について投稿したのですが、児相の判断ミスもあって子どもたちが虐待死に至ってしまった報道もあったように記憶しています。

 児相のお世話になった経験がない(相談したこともない)ので、児相の現状や問題点も今ひとつ認識していないため調べてみました。


かなり厳しい内容ですがkarimerojuniaのブログさんの下記記事
http://blog.livedoor.jp/karimerojunia/archives/2972274.html

心に青雲 さんのブログ
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/215874958.html

DV防止法犠牲家族支援の会 さんのサイト
http://www5f.biglobe.ne.jp/~constanze/nomarin258.html


 各サイトを拝見して(すべて読みきれていません)感じたのは、児相といよりお役所の杜撰さ。こんないい加減な案件処理で子どもたちの一生が左右されてしまうのか、という驚愕でもありました。

 日頃から学校教育についてのみ考えていましたが、これは公的施設の組織、構造自体を改革しないと子どもたちの犠牲はなくならないと感じた次第です。下手に連携したら子どもたちの将来を滅茶苦茶にしてしまうのではないでしょうか?

下記の書籍、批判も多いですがかなり真実味が増してきます。
著者の内海さんにはかなり裏情報が流れていると思われます。
児童相談所の怖い話児童相談所の怖い話
(2013/01/23)
内海 聡

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生活安全課とか派出所のお話

 中学校で生徒指導担当を任されると、裁判所や警察との合同会議に出席したり、悪さをした生徒を引き取りに行ったり、生活安全課にお願いして同行してもらったり・・・と様々なお付き合いが増えます。
警察官に顔も覚えてもらえるので突然パトカーから「せんせ〜」なんていうドスの利いた声がかかったりします(^_^;)

 現役時代、相当お世話になったのですが、みなさんいい方ばかりで大変助かりました。

具体的には・・・
生活安全課の方に自分の学校の万引き生徒の数とか名前とか教えていただいたり(今は個人情報漏洩に関してうるさいのでないと思います)、保護者に啓蒙するために学校まで出向いていただいて講義をしていただいたり、またある時は盗癖のある生徒を直接指導(被害届が出ていないので警察署での取り調べにはならないような案件)していただいたりしました。
大きな問題を起こした生徒については、未然に今後の犯罪を食い止めるよう情報交換を行ったり、ずいぶんとお世話になった記憶ばかりです。

 先生と生徒だけの場合、お互いに手の内を知り尽くしていますので指導しても効果がないことも多いのですが、警察官に説教していただくと絶大な効果があったりするものです。特に女性と年配の警察官の方の説諭は重みがありました。

学校としてはなるべく警察のお世話にならないようにというのが基本ですが、それもケースバイケース。

学校と警察がお互いに意思の疎通があるとメリットも多く、生徒が拾得したものを顔見知りの派出所に届けてくれて犯罪の検挙に繋がったこともあります。

警察というのは特殊な機関ではありますが、彼らも地域との連携を積極的に推進しようとしていますし、積極的に関わりを持つ方のメリットが非常に大きいと思います。

12/03/2013

日本の課題は社会のシステム〜フィンランドの教育

教育システムの変革について色々調べていたのですが、興味深い記事があったのでご紹介したいと思います。

坂根シルクさんの記事
日本にフィンランド式教育は有効か?
http://clase.wasedabook.com/cn6/04.html

・・・転載開始・・・
日本の教育システムについて、どの点に問題があるとお考えですか。
問題は教育システムそのものよりも社会のシステムにあると思います。
学歴社会が続く限り、親は成績を重要視し、子どもたちは、よりレベルの高い学校や大学への進学を強いられています。その為に、小さなころから学習塾などに通う必要があり、子どもたちが人間として健康に元気に成長する為に必要な「遊ぶ時間」がとても少なくなります。
人よりも優れていなければいけない、親や先生からの期待、勉強だけでなくスポーツや音楽でも力を出しすぎ、心身ともに疲れています。
また、中学や高校の入試問題は公立校で勉強する内容では対応できない内容となっており、家庭の経済的事情などで学習塾に行くことのできない子どもたちは入試に必要な勉強をすることができません。
一方、塾に通う子どもたちは、何の為に学校に行く必要があるのだろうか、塾だけで十分なのでは、と考えてしまうようになりかねません。
実際に、私の娘が直面した問題ですが、授業のテンポが速すぎ、一授業における学習内容が詰め込みすぎで、ひとつのことをじっくり考えていくことが困難でした。娘はのんびりとした性格ではありましたが、納得してから先に進むタイプの子どもたちにとっては、あっという間に勉強について行けなくなり、最終的には学ぶ意欲を失うことになります。
フィンランドの教育が、「落ちこぼれを作らないが、優秀な生徒の才能は自主性に任せる」教育だとすれば、日本の教育は「優秀な生徒を優先し、落ちこぼれを作ってしまう」教育だと言えるのではないでしょうか。・・・転載ここまで・・・

やはり日本の教育の最大の問題はこの点だと思います。
子どもたちの学びを阻害しているのは社会そのものであり、学力格差社会。

まず「学び=生きること」、これが原点ではないでしょうか?
まず教育とは何のためにあるのか、この点を考えて様々な方策を打たない限り、今の日本の教育を変えることはできないだろうと思います。

12/02/2013

家庭教育をどうするか?

 現在の学校教育が崩壊した要因の一つに「家庭教育の崩壊」が間違いなくある。
この家庭教育や家庭でのしつけを取り戻さなければ、現在の諸問題が解決されることはないだろう。
ただし、これだけ価値観が多様化(換言すればわがままな大人が多い)した中で、家庭教育の骨子を再構築しようと唱えること自体無謀と言われるかもしれないが、そもそも日本には家庭のしつけや生き方の手本となるべき教えが存在していた。

それが「実語教」や「童子教」と言われるものであった。

Wikipediaによると実語教とは
実語教(じつごきょう)は、平安時代末期から明治初期にかけて普及していた庶民のための教訓を中心とした初等教科書である。」

同じく「童子教」とは
「童子教(どうじきょう)は、鎌倉時代から明治の中頃まで使われた日本の初等教育用の教訓書。成立は鎌倉中期以前とされるが[1]、現存する最古のものは1377年の書写である[2]。著者は不明であるが、平安前期の天台宗の僧侶安然(あんねん)の作とする説がある[3]。7歳から15歳向けに書かれたもので[4]、子供が身に付けるべき基本的な素養や、仏教的、儒教的な教えが盛り込まれている。江戸時代には寺子屋の教科書としてよく使われた[1]。女子向けの「女童子教」など、「○○童子教」といったさまざまな対象に向けた類書も書かれた。」

 これで初等のしつけの基本はカバーできるが、問題は就学以前、特に0〜3歳の家庭教育をどうするか?
啓蒙していくことは大切だが、これはおそらくすぐに浸透させることはまず不可能だろう。
 実質、実語教や童子教の教えを学んだ子どもたちが将来大人になって父母となり、そこから初めて徐々に浸透させていくしか方法はなかろうと思う。
そのために要する時間は最低でも30〜50年をみなければならないと思うが、もしかしたら荒れた学校を立て直すように、荒れていた期間の倍の時間を要してしまうと考えると、戦後から今までの期間の倍で約130年という気の遠くなるような時間が必要かもしれない。

 教育行政を含めて国が一丸となって取り組むことができれば、130年という膨大な時間をかけなくても20年ほどである程度結果が出てくるのではないだろうか?

 今の日本は心が喪失している。
しかしどこかにまだ日本人の心というものが微かに脈打っている。
取り戻すなら今しかない。

子どもと声に出して読みたい「実語教」
子どもと声に出して読みたい「童子教」

こちらのサイトさんも参考になりますよ!
http://happylifestyle.com/7170

自著「三つ子の魂」
http://macmusiclife.blog.fc2.com/blog-entry-49.html

休暇・休職措置は本当に適切か?

ひどい記事が載っていた。

免停中の中学教諭、オートバイを酒気帯び運転 : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20131202-OYT8T00895.htm?from=tw

スピード違反、一時停止違反等で60日間の免許停止中の酒気帯び運転。
本人はアルコール依存症と診断されて、休職と病気休暇を繰り返しており、現在も休職中だった。”そうである。

 気になるのは”休職と病気休暇”を繰り返していたこと。
この間の所得は一体どうなるのか?

勿論、全額ではないにせよ、給料を貰えます。ただし民間と違い支給される年数が2年間(あるいはそれ以上)となっているようです。
金額にして通常通り勤務していた時の給料の6〜8割ぐらい。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1496009739

アルコール依存症で休職、病気休暇を繰り返してお給料をいただき、免停中に酒気帯び運転で逮捕となったというわけです。

 この先生、懲戒免職は間違いないと思いますが、それにしても「教員が優遇されすぎじゃないか?」と言われても当然ですね。

精神疾患が増えている中、判断が難しい事例も間違いなくありますが、傷病の程度により給与支給期間を決めなければならないかもしれません。
病気を本気で治す気もないのに、それを理由に仕事を休めてしかもお給料をいただけるのが教員。こんな風に思われたら本当にひどい症状の教師たちが休職できず、命を落としかねないですね!

調査書ってなぁに?

 点を取るためだけの高校入試、もうそこからある程度脱却すべきと考えつつも現実的な話。そろそろ願書とか推薦の話が聞こえてくるようになりました。そこで今日は調査書について。

 調査書、高校や大学の入試の際に、お子さんが所属している学校が記録を書いて提出する書類なのですが、大凡下記のような内容だと思います。

http://www.koukou.fks.ed.jp/shidou/nyusi/25nyusi/25tyui.pdf

記載事項は多岐にわたりますが、「生徒の長所を記載する」書類です。

つまり、短所や本人の不利益になるようなことは書かないし、書けないし、書く必要もないのです。

 昔は(今もかもしれませんが)「調査書のせいで不合格になった」と騒ぐ保護者がいましたが、まずこの程度の書類だけで高校が合否判定を下すことは考えられません。
もしこの書類の中で最も気にするとすれば、出席・欠席の欄の可能性大。やはり高校入学後もちゃんと学校に来てくれるかどうか、それは高校の先生方が最も気にする所だと思います。その他、市内で悪行三昧をはたらき、高校まで名が知れ渡った場合は、名前を見ただけで「不合格」ということも昔はあったようです。

 しかし高校によっては調査書など見もしないところもあるほどです(特に進学校と言われる高校など)。調査書を重視するのは生徒指導面を重視している学校がほとんどではないでしょうか?

 現在は県によって呼称が違うと思いますが、私が居住する県では1期選抜、2期選抜というのがあって、1期選抜は「推薦入試」。学力あるいは部活動面が特に優れている生徒を優先します。つまり1期選抜は調査書の記載内容をかなり重視することになります。2期選抜は一般入試なので入学試験の点数と調査書の 内容を高校独自の比率で点数化して合否を決めているような話です。

 ということで、調査書というものはほとんど気にせず、日がろから学業や部活動に熱心であればいいのではないでしょうか?
本人の不利益になるようなことは絶対書きませんから、気にしなくても大丈夫です!

12/01/2013

学校の質は教員の質

 施設が立派な学校(幼稚園)があり、新しいこともあって入園希望者も多かったのですが、ある時園児同士がケンカをして片方のお子さんが軽い怪我をしてしまったそうです。

ここまでなら子ども同士のケンカで目くじらを立てるほどのことはないと思うのですが、この後の学校の対応が問題。
保育時間内に起きた出来事にもかかわらず、「親同士の問題だから園には関係ない」 というような発言が園関係者(おそらく園長)から出てしまい、一部の保護者からは「管理下の事故なのに関係ないとはどういうこと?」と対応に疑問の声が上がったそうです。
当たり前ですよね?
「後は親同士で・・・」は保護者が発すべき言葉ですから。

本来なら
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・事情を調べて子どもたちに説諭する
・保護者に事故の経緯、学校の対応(指導の経過等)、子どもたちのその後の様子について電話連絡または家庭訪問で説明する
・子どもたちのケンカなので両成敗が多いのだが、場合によっては一方的なこともあるので保護者の心情を配慮しながら適切に対応することが必要
・子ども同士のケンカであれ、相手に怪我をさせたことを重く考える保護者も多いはず。その際、保護者から「謝罪に行きたい」旨の話があれば、相手方の保護者の了承を得て連絡先を教える等の措置を講じる。
(ここまでくればあとは保護者同士にお任せして差し支えない)
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 このような幼稚園の場合、お子さんたちがかなり大きな怪我をした場合も「親同士の問題だから園には関係ない」と最初から責任逃れをしてしまうのではないでしょうか?

最終的に保護者にお任せすることになったとしても、それは保護者の判断でそうなります。学校管理下で起きた事故は学校の責任があるわけですから、まずそれを果たさなければなりません。

 管理下の事故にもかかわらず「保護者の問題だから学校には関係ない」という無責任な学校経営では、安心して自分のこともを預けることができませんし、若い先生方は絶対に育ちません。先生方はいずれ保護者との板挟みとなってつぶれてしまうかもしれません。
他人のお子さんを責任をもって預かる、これができないなら教育の現場を悪用した金儲けをしているに過ぎないと思います。

 学校の質は教師の質、またその教師たちを育て管理する校長、園長の経営者の質です。