12/12/2013

体罰という観念の形成

 体罰って突然おきるのでしょうか?誰しもが行ってしまうのでしょうか?

 変な言い方ですが、体罰は受け継がれますよね?
自分が実際体罰の現場に遭遇してそれが当たり前の環境となっていたり(見たぐらいでは実際に手は出さないと思う)、自分自身が体罰を受けており自分の経験がごく一般的であり、正当な行為の尺度となってしまっていたり。

 まず体罰という経験をなくすことが下記のような事件を防ぐことになりますよね。
指導者のあり方については過去に書いたので割愛します。

 結びつきの強い人間が本気で怒り、感情的になって平手打ち。
この平手打ちは相手の人生に多大な影響を与え、劇的に変わることだってあるのは事実。

 難しいね〜^^;

【下記はAmebaに投稿した記事のコピー】
桜宮高体罰 男子生徒遺族 大阪市を提訴|MBSニュース-MBS毎日放送の動画ニュースサイト- http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000003244.shtml @mbs_newsさんから

親御さんとすれば当然の措置だろう。

手塩にかけて育ててきたわが子が、法令違反にもかかわらず長年放置されてきた体罰教師によって追い込まれて自殺してしまったわけだから。

 しかしこのような事件があったにも関わらず体罰事件の報道が跡を絶つことはない。

指導者というのはその組織のピラミッドの頂点であり、自分の指導が浸透しやすいようなシステムを構築しなければならない。自分の指導力を誇示し、常に地位を保ち、従順な下僕を育てるために使われる手段が体罰であり、それは指導の一環である。そのシステムの構築こそが常勝につながるのである。

さしずめ体罰とは彼らにとってこの程度の認識ではないだろうか?

戦後教育の腐敗のツケ、これは容易に改善できるものではないが、何十年かかろうともひとつひとつ悪しき習慣や意識の芽を摘んでいかねばならない。

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