9/23/2012

友人関係のトラブルといじめ


いじめ有無判断難しく 中学生自殺


http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000001209220003
(朝日新聞 埼玉)

小学生から高校生まで友人関係のトラブルはつきものであり、逆に言えばそれがないこと自体ありえないだろう。特に女子生徒の関係は流動的というべきか、昨日まで一緒に過ごしていたのが今日からは別のグループと行動しているとか・・・。
とにかく些細な事でくっついたり離れたりを繰り返すことが多い。

上記の新聞記事にも書かれているが、「無視されるようなこともあった」という情報や「孤立するような様子はなく、友人たちと仲良くしていた」ということは、「いじめ」という断定的判断は難しいかもしれない。

いじめであれば、心理的、物理的な攻撃が日常的にあり、その行為を見ている生徒がいたり、雰囲気を察知する生徒が多い。
聴取した子供たちから「いじめ」の事実が出ない場合、本人の感受性が非常に強く、思い悩んで発作的に死という選択をすることも考えられるが、通常は数日経てば友達関係が修復されて、「あの時の沈痛な面持ちはどうしたの?」と感じるほど朗らかに過ごしていたりする。

子供たちの自殺=いじめ が必ずしも成立するわけではない。

今の子供たちは、人との関わりが我々大人が思っている上に希薄なのかもしれない。だから軽いトラブルと大人が考えても、その価値観や自分の体験が判断の基準とならないこともある。ただ、生きていく上で他人と衝突したりする事は不可避であるし、それによって自分をコントロールしたり、対人関係を保つ術を身につける。
より繊細な心を持った子どもたちに接する場合、どの時点で大人たちが手を差し伸べるか、その判断は非常に難しい。

子供たちが死を選択してしまうケースが多く、理解に苦しむ反面、子供たちを育てる上で、教えるべき大事なことが欠落しているのではないか、本当に大切な何かを我々大人が失いつつあるのではないかと考えこんでしまう。

9/15/2012

楽な職務じゃないよ、校長


校長公募に1282人、橋下市長「すごい人数」


http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20120914-OYT8T00472.htm

年齢層は30代〜60代で学習塾経営者、電機メーカー役員、学校法人関係者、現職の市立校教頭もいたそうだ(しかも教頭は360人)

教育職に一度は就いてみたいと考えた人は結構多いのかもしれない。
塾経営者は学習指導のノウハウを活かしたいだろうし、会社役員は組織として学校を機能させたいと思っているだろう。学校法人関係者と現職教頭は学校の内部事情も知っています。
教職しか知らない人間が校長になるよりは、新鮮味があって少しはいいかもしれないですね。

でも校長職、本気でやるならこれほど辛い職務はないですよ。
校長とは、校長室の椅子に座って職員に指示するだけの仕事ではないのです。

田舎ののんびりとした学校なら学習指導を重点項目にして、様々な新しい取り組みができるだろうし、子供たちと触れ合って毎日が絶対に楽しいはず。

でも、都市部の学校はそうは問屋が卸しません。
様々な価値観を有した保護者がいるし、職員も数が多く組織としてまとまりにくい。おそらく小学校においては子供たちよりも職員の方が世話が焼けるだろうと思います。まず職員の我儘、だらしなさに閉口するでしょう。
校長が専制君主的に指導を強化すれば、校長に対する嫌がらせとして、校内で問題が起きた場合に最終的に彼らは校長に丸投げするかもしれません。←絶対にやりますよ、これ!「じゃ、校長先生がやってください」とか言って・・・。

例えば某いじめで有名になった荒れた中学校に赴任した場合、採用された校長は毅然とした態度で保護者、生徒らに接し、校長としての職務を十分果たすことができるのでしょうか?甚だ疑問です。
校長の裁量とか権限を強くしたとしてもそれは対職員の話だろうし、常識が通じない保護者には馬の耳に念仏状態です。

彼ら公募者の最大のネックは十分すぎるほどの生徒指導の経験が全くないことであり、それが最も心配です。これは現職教頭でも同じ(力のある教頭ならこれに公募したりせずとも、黙っていても校長に昇任できる)
校長として必要なのは、それまで培い、増やしてきた引き出しの多さと中身の充実さであるし、くぐり抜けてきた修羅場の数でもあると思うのです。

以前、公募して採用された校長先生が自殺されたことがあります。
そうなる大人がでないことを祈ります。

9/14/2012

わが子に嘘は通用しないよ!

夫婦は最も近い他人、でもその二人から生まれた子どもたちは、二人の血を受け継いでいます。だから、子どもたちは夫婦の微妙な雰囲気を無意識の内に察知するし、誤魔化そうと思っても無理なんです。無駄な抵抗はやめたほうがいいです!夫婦、家族、多少波風はあっても仲良くが基本です。

ーーー過去の事例ーーー
ある女子生徒、成績は優秀、お母さんも子どもの教育に熱心な人。生徒の自宅に電話するとその子の電話応対は学校の姿からは考えられないほど素晴らしい。
でも娘は学校で担任の男性教諭にやたら突っかかってくる。

担任教諭、なぜ自分に突っかかってくるのかわからず。

態度があまりにもひどいため直接本人と話してみたそうだ。
友達とか、家庭とか、部活とか・・・。特に問題もなさそうな状況に思えたのだが、ある単語にだけ異常に反応し顔色が変わった。
「離婚」
「一般的な話として、家庭の問題、例えば離婚・・・」と担任が話した瞬間に顔色が変わり、話をやめて退室してしまった。
担任としてそれ以上深入りできないと判断し話は終了。

翌年から担任も変わり、卒業となった。

しかし、事実が見えてきたのはその女子生徒の弟が入学して少し時間が経過してからだった。
とにかくその弟が荒れだした。豹変という表現がぴったり。
その姿は、学校で鬱憤を晴らしているかのように思えた。

直接話をしてみたが、素直で特に暴れることもない。話を素直に聞いてくれる。
その態度と荒れた時のギャップ、その理由がわからなかった。
でも彼、本養護教諭に本音を漏らしていた。
「あの男が家にくるのが嫌だ」

それはつまり父親ではない男性。

これを聞いた瞬間に姉の態度の謎が解けて、現在の弟の状況まで見事に繋がった。

おそらく相当以前から夫婦関係が崩壊していたのだろう。
母親の熱心さは、修復不能な夫婦関係への苛立ちを裏返したものだった。
姉はその雰囲気を察知し、母親のために一生懸命頑張った、だから心配をかけないように家ではきちんとしていた。でも彼女にもストレスの捌け口は必要であったし、それが父と同性の男性担任教諭に向いたのであろう。

しかし弟はそうはいかなかった。自分で昇華することができなかった。
母親に別な男性が絡んだため、さらに耐え難い状況に追い込まれたのだろう。
だから彼は家庭や学校で苦しい思いを別な形で発散した。

経験から、女の子よりも男の子の方が精神的に弱く、家庭の異変には敏感に反応しますし、自暴自棄になりやすい傾向が強いと思います。特に男の子は母親への思いが何故か強いため、母を苦しめる対象に牙をむいたり、それができない場合には外に向けてその気持を発散します。

家庭の問題、難しいです。
容易に他人が口出しできる問題ではありません。
でも家庭の中心に子どもたちがいれば、そうそう簡単に夫婦関係が悪くならないのではないかと思いますが、場合によってはそれでも尚且つ離婚という道を選択しなければならない場合もあると思います。
それはそれで仕方のないことであるし、その後の時間を大切にすればいいだけのことです。
子供たちの笑顔、夫婦の笑顔が絶えない家庭、そんな家庭であれば子供たちを苦しめることはありませんね。
「子は鎹(こはかすがい)」いい言葉だし、重い言葉でもありますね。

いじめの延長

いじめが後を絶たない。
下記は川越市の中学生がいじめにより意識不明となった事件。

川越・中学生意識不明 「いじめの延長」市教委謝罪
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news/20120913-OYT8T01620.htm

記事の中で教育長はこう述べている。
「学校はけんかなどのトラブルは把握していたが、どうしてもいじめとしての認識を持つことができなかった。重大な傷害事件に至ってしまい本当に申し訳ない」

基本的に教育委員会は学校のことはほとんど知らない(市教委の生徒指導担当者ぐらいは各学校の問題生徒や問題行動を把握しているかもしれない)。
つまり、市教委というのはほとんどが事故が社会的問題になってから学校から聴取し、実態を知ることになる。
この発言で最も問題なのは「どうしてもいじめとしての認識を持つことができなかった」という点だろう。各学校の実態を正確に把握している組織ではないので、こういう表現しかできず、この表現で責任逃れをしていると思われても弁解の余地はないだろう。

担任教諭が過去に数回、「いじめられているのではないか」と生徒に聞いたが、その都度「大丈夫」と回答していたことを明かし、「ささいなことでも、その裏に根の深いことがないかというのを、教員が複数の目で確認し合うことが、現場の学校にとっては一番重要。いじめに気づけず申し訳ない」

担任が被害者本人に質問しているが、「大丈夫」と言われておそらく観察と指導の手を緩めているのだろう。
通常は本人と話をすれば間違い無く否定する。加害者たちも否定する。
しかしそのいじめを確実に見ている生徒がいる。
だから周囲からの情報を収集して裏付けを取らなければならないのである。

実は上記の説明には問題点が隠れている。
それは担任教師の生徒指導力と生徒たちからの信頼の欠如である。
もしもこの担任教師が指導力のある教師であれば、被害者に聞いた時点で本人からいじめの事実を聞く事ができただろうし、いじめに関係のない生徒たちからすでに情報が入っていただろう。
つまり、それが全くなかったということであれば、指導力不足で子供たちから信頼されていなかったことになる。

もう一つ、「教員が複数の目で確認・・・」と市教委が説明しているが、中学校の場合は教科担任制なので最低でも教科数分の教師が子供たちを観察している。
にもかかわらず、その当たり前の観察や指導ができないということは、学年および学校の生徒指導態勢そのものが崩壊しているということになる。
学校で最も大切なのは生徒指導である。その生徒指導という優しく、柔軟性があり、時には厳しさのある空間の中で授業や部活動、その他の活動が関わり合いないが機能しなければならない。

この学校にかぎらず、学年経営、学校経営、1からすべて見直す必要がある。
学校に本当の自省と自浄が必要であり、誰のための学校であるのか、教育組織が本気で取り組まない限り、いじめを含め諸問題が解決することは決してないだろう。

最後に意識不明のお子さんが回復されること、切に願って止まない。

9/13/2012

変質者被害が多くなる季節

まだまだ残暑が厳しいですが、朝夕は随分と秋めいてきた感じがします。

実は春と秋、児童生徒の変質者の被害が多くなります。
中学生の場合、新人戦が近いということもあり、部活動は7時近くまで実施していますので帰る時間帯は相当暗くなっています。

【露出による被害】
実際に起きた(指導で経験した)ケースは、明るい時間帯に起きた「露出」。
これは人通りが少ない通学路で、女子生徒が単独で帰宅する場合がほとんど。
車両内から「道を教えて」と声をかけ、女子生徒が近寄ると露出させてそのまま立ち去るというパターン。
生徒が車両のナンバーを覚えていることも多く、警察でも情報はかなり持っているように思います。
実際に被害にあった女子生徒は、警察署で数枚の顔写真を見せられたそうですが、いわゆる「面通し」ですね。

【車両に連れ込む被害】
最も怖いのがこのケース。
実際にあったケースとしては、部活終了後の生徒を車で尾行し、人気の少ない場所で腕を掴んで車に引きずり込もうとしたケース。
狭い道であったため、生徒が車両と反対方向に走り、学校に戻ってきたことがあった。
実はこの犯人、学校の敷地内に車両を停めて生徒を物色していたことが後に判明した。

中学生になると体力もあるため、相手を振り切ったりすることができるし、上のケースでは「車両の進行方向とは逆に逃げた」ことが大事に至らなかった理由だと思います。

しかし、もしも小学生の低学年の子供たちに同様のことが起こったら、うまく振り切って逃げることはできるでしょうか?
小学校低学年の場合には、日中であっても人気の少ない場所を一人で下校させるにはリスクが高いと思います。
友達と別れて一人になる、犯罪者はそういう子供たちを狙っています。

連れ込みの口実として子供(小中学生)たちが騙されやすいのは
「家族が事故で病院に運ばれたので、連れて行ってあげるから車に乗って」かもしれません。子供たちを精神的不安に陥れ、冷静に判断する余地を失う可能性が高いからです。

学校の指導は勿論のこと、各家庭においても被害例を話したり、どのように対処したら良いのか話し合う時間は必要だと思います。
その話し合いは、子供たちが被害に遭いそうになった時に思い出す可能性が非常に高いのです。

【参考リンク】
子供たちへの不審者による「声かけ」や「連れ去り」を防ぐ
http://allabout.co.jp/gm/gc/3642/


リポート:【今週のハイライト】凶悪犯罪から子どもを守れ!


http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/report/50/index.html

子どもを守る施策
http://www.npa.go.jp/hakusyo/h17/hakusho/h17/html/G3040400.html

8/28/2012

部活動の送迎(乗り合い送迎)・・・・・追記

部活動の乗り合い送迎について以前投稿しましたが、アクセス数が大変多いので気にしている保護者の方が随分多いものだと驚いています。

それについて追記ということでまた投稿してみます。

この件で最も大切なことは承諾書を作成することではないと思います。
承諾書はあくまでそれまで話し合った内容の確認書類。

最も大切なのは、送迎事故の実態、事故を起こしたらどのような事態に発展してしまうのか、について知り、送迎の際の安全運転意識を高めることではないでしょうか?
(実際に送迎している保護者でも、任意保険に加入していない、スピード違反や信号無視、後部座席の子供たちにシートベルトを着用させないなどの問題が多くあります)

保護者会で安全運転意識を高めた上で、最後の最後に承諾書で念を押す形が望ましいと思います。
つまり、主は話し合いの内容を深めることであり、話し合いを深めずに「承諾書」に押印してもらったとしても、安全運転意識は高まらないと思うのです。

そして承諾書の内容は、なるべく具体的に書くなら
「私達◯◯中学校◎◎部保護者会は、生徒乗り合い送迎の際には交通法規を遵守し、子供たちを安全に送迎することに努めます。
にもかかわらず事故が起こってしまった際には、加入保険(自賠責保険、任意保険、傷害保険)によりできうる限りの補償を致します。
しかしそれ以外の不当な請求には一切応じませんし、また請求も致しません」

ちょっとくどすぎですか?

ご参考まで!


保護者からの訴え

昔、担任していた男子生徒が水泳部に所属していたが、水泳部が県外の上位大会に進出した。
その男子生徒はレギュラーではなく見学および応援という形で同行したが、本人も喜んで参加していた。

ここまでなら何も問題はないはずだった、後日その子の母親から涙ながらに訴えられるまでは・・・。

お母さんの話によると、上位大会に行っている息子から、夜自宅に電話が入ったそうだ、
「お母さん、迎えに来て。もうこの場にはいたくない。」

理由を尋ねると
「顧問教師から馬鹿にされた。お前は泳いでも遅いのに一体何しに来たの?」
と仲間たちの前で嘲笑されたそうだ。
男子生徒はそれに耐え切れず涙ながらに自宅に電話を入れたらしい。
お母さんは平素からは考えられない息子の様子に驚き、片道400キロを車で迎えに行ったそうだ。

ーーー私から見たその男子生徒ーーー
大人しく温和であったが真面目でしっかりした男の子。ちょっとからかわれたぐらいなら笑ってその場をやり過ごしたり、からかい返したりできる子だった。真面目な性格なので女子からも信頼されていたし、クラスでトラブルなども一切なし。目立たない存在かもしれないが、欠席すると周囲が健康を気遣ったりする。間違いなく人柄の良さからだろう。
運動能力は高いわけではなかったが、とにかく自分なりに一生懸命に取り組むタイプ。水泳の記録も飛び抜けて優れてはいないが、それでも腐ることなく努力を怠ることはなかった。

経緯を説明した後、お母さん曰く
うちの子は確かに能力が低いので記録なんて出すことはできない。水泳を続けさせている理由は、他の友だちよりもうちの子の運動能力が劣っているかもしれないから、全身運動ができる水泳を選んだのです。記録とか成績とか、そんなものは全く期待していません。
顧問の先生は過去に記録を残したようなすごい先生かもしれない。でも部活動に参加している子はそんな子供ばかりじゃないし、なぜうちの子が顧問に笑い者にされなければならないのですか?

お母さんの仰ったこと、尤もだと思います。

この顧問の先生の指導者としての資質が著しく欠如していることは勿論ですが、こういう先生、あちこちにいるのではないでしょうか?

先生の問題以外にも部活動のあり方について、色々思う所は多いのです。

8/10/2012

実技教科に評定はいらない(と思う)

夏休み、中学生たちは所属している各部活動に勤しんでおります。

子供たちの笑顔を見ながら考えたこと、「実技教科に評定は本当に必要なのだろうか?」

実技教科は保健体育、技術家庭科、美術、音楽だと思いますが、これらすべて評価項目を設定して評定を出します。そしてそれが高校入試の調査書や指導要録(学校にたぶん30年保存の記録)に記載されます。
結局、実技教科は入試のために評定を出しているだけに過ぎないのではないだろうか?と感じるわけであります。

例えば音楽、歌ったり、楽器を演奏したり、曲を鑑賞したりしますが、生徒たちはそれぞれ得意不得意があるし、学校の教科書に記載されているものだけが音楽ではないのです。
歌わせれば音程は外れるし、笛を吹けば最後まで演奏できない。でもある分野の音楽については涙を流すほど感動してしまうが、言葉や文字でうまく表現できないから周囲には伝わらない。おそらくそれらは教師の物差しでは測定できないものがほとんどなのです。

それに、実際の話、中学校の音楽の成績が「5」よりもカラオケで90点取るほうが社会においては高評価だと思うのです(笑)

芸術領域は生涯の趣味となるケースが多いし、技術家庭は生活に密着している。保健体育は生活にも密接な関連があり、尚且つ命に直結していますよね。
だったら学校教育の小さな物差しで評価評定をつけるより、「生きていく上での有益な知識と実践」を重点的に教え、将来子供たちが「あの時学校で習ったことが本当に役に立った」と思える機会を増やしてあげられるような、中身の濃い教科にしてあげられたらと思うのですが、皆さんどうでしょうか?

7/27/2012

電車内での出来事

Twitterを閲覧していたら、考えさせられる記事が掲載されていたのでご紹介。

これを書かれた方と同じ感想を抱いたことがありました。私の場合は病院の待合室ででした。

「親の体面、子の心」とありますが、まさにその通りではないかと感じます。

今の時代は「子」よりも親の「個」が優先されているような気がしてならないことがよくあります。


sabotem's Tumblr

興味趣味甘味


ソースはこちら→ http://sabotem.tumblr.com/post/27430691440

ーーー転載ここから
先日電車内でのこと。とある親子が乗ってました。子供はまだ幼稚園ぐらいですかね。おかあさんのスカートをずーっと握ってまして…まぁ甘えたい年頃なんだなぁと思いつつ最初は注意を払ってなかったんですよね。
そしたらまぁ何が原因かよくわからないんですが子供が大声で泣き出した。スマホの画面から目を離して見てみると、結構なガチ泣き。もうわんわん泣いてて見ているこっちがどうしたんだ何があったんだと子供に聞きたいぐらい。知らない子じゃなければ背中さすってなだめてるところです。

車内は子供の泣き声でいっぱいに。とはいえあのぐらいの子供はまぁ泣くものです。乗ってる客もそうイラだった雰囲気はなく。そのうち収まるかな…うーんしかし何が原因で泣いてるんだろう?なんて思ってましたが、これがまた一向に泣きやまない。

で母親が一生懸命諭してるのかな…と見てるとどうもただ怒っている。ひたすら子供を怒ってるわけです。

「もう、なんで泣くの!みっともないでしょう!」
「ほら…みんなが見てるじゃないの…」
「そんな子は知らないわよ!泣けばいいってもんじゃないでしょう!」


聞いてるとどうも違和感が。
泣いてる原因は聞いてないんですよね。
ただ「自分が恥ずかしいから」泣くなといってるように聞こえる。母親の怒りのボルテージは上がる一方。
むしろ子供の泣き声より母親の言動の方がイラっとくる状態。
とはいえ他人の家族の間に入り込むのも気がひける。が、子供の泣き声が胸に痛い。自分が子供の時もガチ泣きしてたことはあるわけで…まぁ誰だって人ごとじゃないはずなんですよね。泣く子供ってのは。誰しも一度はくぐってる時代のはずですし。

その後も数駅。子供はひたすら泣きわめきながら「おかーさーーーんうわーーーーーーっ」とかやってるんですが、母親の方はともかく泣くのをやめなさいを繰り返すばかり。

あれで泣き止むもんなら子育てはきっと苦労はないんだろうなぁ…と思っていたところ優先席に座っていた年輩の夫婦がそっと立ち上がって子供のそばに。旦那さんの方が母親に、奥様の方が子供と同じ視線にしゃがむようにして壁に寄りかかりながらドアのそばの手すりをつかんで。

「子供がなくと大変ですなぁ…」
なんて会話を旦那さんがしていて、母親の気を紛らわせ始めます。
「どうしたのかな?どっか痛いのかな?」
奥様は子供の気を引きます。優しい笑顔で頭をそっとなでる。くびすじをなでる。ぽんぽんと肩をたたく。そうしつつ子供と目線を合わせている。
旦那様の方は母親を気遣いながら子育ての大変さを聞き出しはじめる。
ぼんやりと見ること2分もたたないうちに子供は泣き止み母親もテンションが普通に戻っている。うわーこれは見事だなぁと見ていてびっくり。
まぁここまで見てるだけってのもあれだったので、スーツのポケットに飴をいれてたのを思い出しまして。そっと近づいてしゃがんでいるおばあさんに渡すとそれはもういい笑顔で子供に渡してあげてくれて。

その次の駅で母子は降りて行きました。
私は老夫婦に席をゆずり(子供をあやしている間に優先席は別の人に取られてしまっていた)手際のよさを褒め称えました。
すると旦那さんの方が「あんた顔しかめてたねぇ。あれかな女性のヒステリーは苦手な方かな?」
などと問われる。見てるところは見てるもんだなぁと恐縮。
「子供が泣いてるのに体面ばかり気にする言葉ばかりで…どうにもいらいらしてしまいました」
素直にそう言うとこれもまたいい笑顔で「私もだよ」なんて言われまして。
「子供が親の話を聞くなんてのは親が勝手に思ってるだけでね。子供に言葉で諭したってだめなんだよな。触ってあげて優しくしてあげればいいんだ。疲れてすぐに泣き止む。怒るのは泣いてない時にやるんだよ。すくなくともうちのかみさんはそれで何人も育ててるんだから」
自慢げにそう言われてこちらもなるほどそうなのかぁ…とうなずくばかり。まぁ子育てなんてやったこともないんでそう言われればそうなのかなぁと。
私が思っていたのは叱り方の方で。
「みんなが見ているから」
とか
「恥ずかしいでしょ」
としきりに言ってたんですが、それってあんたが恥ずかしいだけだよな?子供じゃないよな?と思いつつ見ていた。
老夫婦にその辺りを聞いて見たかったのですが、私も降りる駅がきてしまったので挨拶だけして電車を降りました。

会話の端に「何人も子供を育てた」という言葉があったので、老夫婦はいわば子育てのエキスパートだったのでしょうかね。奥様のやり方を旦那さんが肯定していて自然にサポートしている。まぁ実際の子育ての頃は今ほど落ち着いてはいなかったのでしょうけれど、やはり経験ってのは人を磨くものだなぁと思ったりも。

そして今でも思うのは母親の叱り方。
他の場面でもよく見るのです。椅子の上で変な座り方をしていたりはしゃいでるいるのを放置していたり、叱る時も「みんなが見ている」とか「恥ずかしい」を連発している親を。
その叱る言葉は本当に子供のための言葉なんだろうか…ただ自分が恥ずかしいから子供を叱っているのではないか。
そして「みんなが見ている」という言葉。
みんなが見ているからやめなさい…ではなく本当は「それはしてはいけない事だから」やめなさいではないだろうか。
自分が母親に叱られていた子供時代はどうだったか。
それが社会の仕組みでみんながきちんとしているのはなぜか。他の子も泣いてないでしょう?こういう乗り物はみんなが乗るものだから自分だけわがまま言っちゃだめでしょう?そう諭されていた気がします。
まぁそれでも泣いて最後にはげんこつ食らってさらに泣いてた気もしますが(苦笑)言うこと聞かない子供だったしなぁ…

それはさておき。

子供を持たぬ独身男には不思議なのですが、子供を叱るってのはどういうことなのかと。
これから社会で生きていくために必要なルールを教える。それはとても大切なこと。特に日本ははみ出しものには辛いところですから、最低限のところは教えてあげないといけない。
公共の場と自宅の違いも教えてあげないといけない。
でも。
泣いているならば。
他人の目がどうこうではなく。なんで泣いているのか。泣いている原因がわがままなら叱るでしょうし、そうでないなら他人の目なんて気にせず子供に相対して欲しいな…と個人的には思うのです。
たぶんその方が早く泣き止むと思うので。

自分の子にあまり触れない親が増えているとも聞きます。
体面ばかりを気にする親が増えているとも聞きます。

今回の件でそうなのかもな…と思いつつ。それでも子供を産み育てる苦労を考えると、それをしていない身としては何も言えず。せいぜい飴のひとつも子供にあげるぐらいしか出来なかったわけで。
世の親とは大変だなぁとも思うのですが、それでも…
子供の立場を考えれば…あのぐらいの子では表現が泣くか笑うかぐらいしかないんだろうな…とも思うので。あまり親の都合で叱ってほしくはないかなぁ…と思うのです。まぁ子育ての大変さから子供に当たるというのもわからないではないんですが。子供からしたらたまったものではないだろうなぁと。

私の母も女手ひとつで私を子育てしてましたので、ストレスを私にぶつけてくることはありました。離婚の理由。分かれた父親への怨嗟の言葉。酔えばもう出てくるのはひどい言葉ばかり。あんたなんて生むんじゃなかったと何度聞いたことか。人格形成に大きく影響を与えるヒトコマではありましたが、長じて大人になると母の言葉もわかってくるものです。今の自分が一人で子育てを…働きながらしたらどういうことになるのか。それを考えると母に文句は言えないなぁと。
あの頃はなんで遊んでくれないのか構ってくれないのかと泣いてたもんですけれどね(笑)子供には親の事情がわからないってのは実感出来るなぁ…自分がそうだったから。
親も子も。ボルテージをあげずにうまくやっていけるといいんですが…なかなか難しいのでしょう。あの老夫婦のように何回も子育てしてる家庭なんて今時そうはない訳ですし。みんな始めてで最後の子育てに挑戦している。それはとても大変だろうなと。でもまぁ、親ってのは大人な訳で。子供よりは我慢も効く。なら…なんて。
あんな時母親を叱る人ってのも車内にはいたりするのです。

正義の味方のように。

「あなたは体面ばかりを気にしてるじゃないか」
なんて言っちゃう人もいる訳です。私も心ではそう思いました。思いましたが、それをやったらたぶん子供はもっと泣くだろうなぁ…と。なんで泣いてるのかわからんけれど、なんか伝えたいんだろうな。だから泣くんだろうな…そう思ったら出来ませんで。
ともかく泣き止んでくれれば母親も恥ずかしくはないんだろうなぁ…さてどうするかな。そう思った矢先の老夫婦の行動。
最近道を占有したり電車内で大きな声で携帯を使ってる老人などを見て、あれが昔聞いた「老いるのに失敗した人達」なのだろうな…などと思ったりすることも増えていたので、今回の件は結構晴れやかな気持ちになれました。

時間にしてわずかに十数分の出来事。

大したことのない日常のヒトコマ。
けれどいろいろと思うことが増えるヒトコマではあったかなと思います。
親の体面子の心。
 自分が親になることはないかもしれませんが…もしなったとしたら。思い返してみたい出来事だったな…と思っています。
ーーー転載ここまで 

6/29/2012

教え子の死

中学2年から卒業まで担任し、卒業後に単車の事故で死亡した生徒がいた。

能力的には非常に高く、市内のトップレベルの高校に進学できる学力を彼は持っていた。実際に中学2年時には定期テストで満点をとることがあり、その実力はクラスメートたちも認めていたほどだ。しかも、運動能力も高く、身長175cmほどでありながらバスケットのリングを掴めるほどの跳躍力があった。

その後中学3年になると不登校傾向が強くなった。深夜にゲームをし、生活時間帯が昼夜逆転してしまったために登校時間に起床できなくなっていたようだ。そして喫煙、しかも制服、背負カバンを背負ったままコンビニでセブンスターを購入するほどの常習。

進路を決定する際も登校せず、近隣の合格しやすい高校を選択したが不合格、その後予備校に行くとヤル気を見せたのだが挫折し、暴走族に入って事故で死亡してしまった。

この子について深く考えさせられたことは、入試の際、私が調査書の欠席日数と欠席理由(当時は「悪心」と書くことが多かった。更に一歩踏み込んで書くなら「怠学」)について事実を書いていなければ、もしかしたらこの子の死はなかったのではないか?ということだった。
事実を調査書に記載しないことは文書の偽造となるが、彼にとっては学力、能力的に見合わない高校で有っても、生きてさえいればいずれやりたいものを見出して彼本来の力を発揮でき、死という終止符を打たなくても済んだのではないか。

私は出張のため葬儀には参列できなかったが、後日訪問し、位牌の前で号泣してしまった。

そしてラストチャンスだった予備校入学。彼は自分から予備校に行くと父に言い出したらしい。
しかし入学時に寝坊、遅れて出席したが、いきなり予備校の教師に平手打ちを食らったそうだ。そしてその翌日から彼は1日も出席せず、結果的に暴走族に入って走りまくったようだ。

結果として、私と予備校講師、二人の対処ミスがこの子の人生を左右してしまったのかもしれない。
大人として、教師として本当に自分の対処で良かったのだろうか?そう思い悩む事がいまだにある。

6/07/2012

教育実習

大学生が教員の免許を取得するために実習がありますが、それが教育実習。

だいたい期間は3週間ほどのようですが、大学生の皆さんはほとんどの方が楽しい思いをされて学校に復帰するようです。
ま、稀に苦労して帰る人もいるとは思いますが(^^)

実習について思いつくままに・・・

まず実習生を受け入れる学校サイドとしては、実習生を受け入れるということが大変な負担となります。
大学で指導案の書き方等しっかり教わってくればいいのですが、ほぼ白紙の状態で実習を行う場合がほとんど。教える方とすれば結構しんどいというか、部活動終了後の少ない時間出指導しなければならないので大変なのです。
せめて指導案の書き方ぐらいは大学で事前に勉強してきてほしいし、大学の先生方もきちんと指導してほしいものです。

しかし生徒たちは実は大喜びです。
つまり生徒たちにとっては本当の先生ではなく、大学生のお兄ちゃん、お姉ちゃんが遊びに来たぐらいの感覚なのです。
だから年齢が近い分気軽に話しかけるし、特に日頃生徒指導上問題がある子たちが安らぎを求めて接近していく傾向が強いのです。
そういう子たちにとっては、ある意味「癒し」なのでしょう。

そうこうしている内に緊張感と楽しさがある実習期間が過ぎ去っていくわけですが、その楽しい経験=教員というわけではありませんので注意しましょう。
すなわちお互いに嫌な思いをせずに終了するのが実習期間であり、いざ正教員となるとそんなに甘い世界ではないのです。

生徒が一番触れてほしくない部分に触れて指導しなければならないのです。
お互いに感情的になったり、生徒から敬遠されることだって度々あります。
ノイローゼになる教員もいるし、最悪命を絶ってしまう人もいるのです。

安定志向だから教員や公務員が楽でいい、と思っている方も多いようですが、いざ実際に修羅場を経験してみるとそんなに楽な仕事ではありません。

おそらく現場に入ったら、大学で学んだことは殆ど役立たないと思うことが多いでしょうし、自分で悩み苦しみながら指導法を確立していくしかないのです。

教師は楽しいけど、とても大変な仕事なのです。

5/04/2012

ショッピングセンターで見かけた出来事

今日の夕方ショッピングセンターエブリアで見かけた出来事について思う所があるので書きます。

ある子(A君)が遊び場(おそらく滑り台の上部近くかもしれません)で突き飛ばされて頭を打ち、それを見ていたA君のお母さんが激怒。あまりのA君ママの激怒ぶりに相手のB君大泣きで、B君の両親もその状況にどうしていいかわからず。
最後は店員が警察に連絡してとりあえず一件落着になった様子。

遊び場は子供専用に設計された場所で安全面にも配慮されていますので、ちょっと頭を打ったぐらいで大怪我に至ることはありません。
しかし、突き飛ばしたのはおそらく滑り台の上部近く(突き飛ばされる現場を目撃していないので断定できません)だったため、それを見ていたA君のお母さんが激怒するのも当然のことだったと思います。上部の1m50cm位の高さからまともに落ちたとしたら、いくら安全設計がなされているとはいえ落ち方次第で大怪我になると思います。

実はこの件、伏線があります。
突き飛ばしたB君、私の目の前でA君を殴る真似をしていました。もしかしたら遊んでいる最中そういう行為が度々あったのかもしれません。
それに対してA君は「そんなことしないで!」と一回り体格がいいB君に文句をいっておりました。
「小さいのに自分よりお兄ちゃんに言いたい事を言っている、大したもんじゃん」と見ておりました。

で、その後A君のママがぶちきれる声が聞こえ、何があったのかと目の前で見ていた下の娘に聞いたら「あの子が頭を打った。あっちの子が押したんだよ」

A君のママさんがずっと状況を見ていたとしたら、ぶちきれるのは納得できる。落ち方が悪かったら大怪我に至るはずだから。
確かにキレ方が半端じゃなかったには違いないと思うけど、彼女を責められない。

ショッピングセンターの遊び場、親が買い物するにはありがたい場所であるけど、やはり親の目は必要だ。子供を放置して置く場所ではないと思う。
怪我に至るのではないかと思われる行為があったら、「危ないからやめようね」の一言、そして注意された子の親としてはそれに不快感を見せることなく、「こういう理由で危ないと注意されたんだから気をつけようね」の注意を受け入れる気持ちと、最低限相手の子に「ごめんね」は必要じゃないかな。

ある程度の子供たち同士の関わりは学びの材料として必要。
しかし「ここでそれをしたら子供たちが傷を負うかもしれない」という時点で大人としての注意、警告、指導は大切だと思う。

自分自身の反省として、B君がA君を殴る真似をしていた時に「そんなことしないよ!」の一言注意していればこうはならなかったかもと・・・。

5/03/2012

部活動・・・保護者引率についての補足、確認

実際に保護者が子供たちを相乗りで送迎し、事故を起こしてしまったケースもあり、不安に思っている方が多いので再掲および捕捉説明したいと思う。

まず、部活動はほぼ学校管理下となる。
「ほぼ」と記載したのは、保護者会主催で練習を実施した場合は学校管理下外となるからであり、同じ活動をしていても学校管理下なのか否かによって問題が生じてくる。
たとえ部活動顧問の教師がその場にいたとしても、保護者会主催であることが書面等によって明示されていればその活動中の事故はすべて保護者会の責任となる。

では学校管理下外の部活動とはどのような場合か?

  • 学校の部活動は休みなのだが、保護者会が主催して自主練習を行う場合
  • 出張その他の都合で顧問、副顧問教師が不在になる(指導することができない)場合に保護者および外部コーチが指導にあたった時
  • 正規の部活動時間が終了し、それ以降も延長して活動を行う場合(この場合、校長および顧問が連名で部活動延長承諾書を作成し保護者が承諾を提出していれば、学校管理下の活動となる)
学校管理下であるか否かが明確になっていないと、活動中の怪我の際に支払われる健康会からの治療費請求の対象外になることもある。健康会が治療費を支払ってくれるのは「学校管理下」の活動中の傷害のみだったはず。
傷害ならまだいいが、後遺障害や死亡事故が起きる可能性もあるため確認が必要である。

さて最大の注意点は、「子供たちを送迎中の交通事故であり、尚且つ他人のお子さんを同乗させて事故を起こした場合」である。

まず、保護者による相乗り送迎が学校管理下となるのかどうか確認して頂きたい。まずはその確認が大切。
殆どの学校は保護者による送迎については「協力」と認識しており、学校管理下ではないと考えているはず。いざ事故が起これば「それは運転者の責任で対処して下さい」ということになるだろう。中体連の大会は学校管理下の大会であるため、本来は学校や教育委員会がバスを手配すべきだと思うが、市や学校の予算の問題も大きいため地区大会等では保護者が送迎して現地集合、現地解散も多い。

そういう前提で・・・
多くの部活動が保護者会において「承諾書」をとっているはずである。
ただし、「事故が起きても運転者の責任を問わない」という承諾書の文面は間違いである。
自動車事故の場合、自賠責保険、任意保険によって支払われる保険金があるし、法的にも当然運転者の責任が発生するので「事故が起きても運転者の責任を問わない」という文言は常識的に通じない。

承諾書をとる最大の目的は、保護者会としてお子さんたちを安全運転に努めて送迎します。事故が起きた場合には加入保険によって可能な限り補償しますが、『不当な請求』については一切応じません。また被害者となった場合は不当な請求をしませんということの確認だ。
事故後に示談が成立したにもかかわらず更に補償や慰謝料を求めたりする、その不当な請求を防ぐ必要があり、そのための承諾書であると私は考えている。




4/28/2012

中学校の部活動遠征

どこの中学校でも部活動が盛んに行われている。
(放射性物質の問題はちょっと抜きにして・・・)

先日も公立学校の教師になった中学校の教え子と話をしたが、
「私は部活動命の中学校生活でした」
と話していた。
ちなみにその生徒は私が顧問をしていた部活動の部長であり、コンサートマスターであった娘。大人しく真面目な娘だったが、部活中はとにかく楽しそうであり、私も頼りにしていた。
子供たちが多忙になったと言われる昨今だが、今も部活動が毎日の励みになっているお子さんは多いだろうと思う。

しかし、小学校でスポーツ少年団に入団して熱心に活動し、優秀なチーム成績を残していながら、中学校では同じ競技の部活動に入部しないケースも多い。

理由はいくつか考えられる。

  • 子供たち自身が別な競技に興味を持った
  • スポ少の指導が厳しすぎてうんざりしてしまった
  • 友達との人間関係
  • 遠征が多く保護者の負担が大きい
特に保護者の意向が最も大きく影響するのが「遠征」の多い部活への入部。
部活動顧問の熱心さ(?)はわかるが、通常の活動費の集金以外に平均して月々2万円弱の遠征費(宿泊、交通費、その他)がかかってしまうのはいかがなものだろうか?

実際にある中学校では、ある学年の入部生徒がたった1名。他にスポーツ少年団で活躍し、優秀な成績を収めた子供たちが大勢いたにもかかわらず、誰一人入部しなかった。
理由は上記の「遠征費がかかりすぎる」ということのようだ。

公立中学校の部活動、やはり経済的な面を無視して過度の負担を保護者に強いるのは相応しく無いだろう。
経済的に余裕がある家庭の子しか参加できない部活動、それは公立中学校の全員参加が原則の教育活動にはそぐわない。

実は最大の問題点、それは部活動顧問の人間性に尽きる。
部活動顧問の人間性に問題がなければ、苦しいながらも保護者は何とか遠征費を工面しつつも子供たちのためにと頑張れるのかもしれないが、教師の教育者としての姿勢に不満がある上、金がかかるとなれば入部させたくなくなるのも当然かもしれない。


4/26/2012

虐待とその判断

児童虐待について考えてみたい。


ある学校で、生徒が虐待している事実を把握したため、担当教師が生徒同伴で児童相談所を訪問し、虐待の事実を告げた。


しかし児童相談所の職員は
「目立った外傷がないので虐待とは認められない。外傷がない以上、保護者を召喚したり警察に通報すれば、名誉毀損となってしまうおそれがある」
ということで学校からの相談を虐待と認めなかった。


外傷があればどんな愚かな人間でも虐待の可能性を認識することができる。
しかし虐待とは暴行により傷害を負ったケースばかりではない。
児童相談所の職員が法律の定義を理解しておらず、結果的に対応が後手に回れば子供たちの命が危険にさらされることになる。


一度皆さんも下記の法律を読んでいただきたい。


法的根拠は下記の通り。
児童虐待の防止等に関する法律

第二条  この法律において、「児童虐待」とは、保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)がその監護する児童(十八歳に満たない者をいう。以下同じ。)について行う次に掲げる行為をいう。
  児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。
  児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。
  児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による前二号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。
  児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。

4/21/2012

部活動の保護者会で確認すべきこと

もう4月も下旬、中学校に入学した子供たちも学校に少しずつ慣れ、部活動にも真剣に取り組んでいる頃。

4月または5月に各部活動の保護者会が開催されますが、その際の注意事項や確認事項をいくつか・・・。
(部活動によっては保護者会がない場合もありますが、練習試合や大会に参加する際に保護者が乗合で子供たちを送迎する場合、保護者会は必要と思います。各家庭が自分の子供だけを送迎するなら問題なしです)

まず最悪の場合の想定から・・・

保護者の配車による乗合送迎で死亡事故を起こした場合どうなるか?

子を亡くした親御さんは、「自分の子の運が悪かったと思って諦めます」という方はほとんど皆無に近いと思います。つまり怒りの矛先を誰かに向けないとやり切れないのです。
事故が起きなければ仲の良い保護者同士であったとしても、いざ最悪の事態が起こった時は平穏無事な時の人間関係など保たれないと思うべきかもしれません。
感情的にこじれれば、裁判において損害賠償請求ということになると思います。

保護者会で何を取り決めるべきか?

まず学校の管理下と管理下外を明確に区分し、理解しましょう!

遠征や大会への送迎を含めてすべて学校が手配するのであれば、すべて学校の管理下となります。しかし送迎のみ保護者の場合、その送迎時は保護者個人の責任または乗合の場合は保護者会の責任となります。
つまり学校は一切責任を負わないのです。

学校の先生自身が管理下と管理下外を明確に区分していない(よくわかっていない)事が多いのです。
だから保護者会が存在するあるのであれば、その線引きを明確にすべきです。

保護者による乗合送迎時の事故が起きた時のために、承諾書を作成しましょう!
つまり、自動車保険や団体傷害保険等で支払われる保険金以外に不当な請求をしない、という取り決めと承諾書を取る必要があります。
そうならないことを願いますが、その承諾書は裁判の際に資料となります。
「何もそこまでやらなくても・・・」と思っている保護者が多いのも事実なので、すべての保護者に対して「事故が起きたらこれだけ大変なことになる」という意識付けも必要だと思います。

遠距離の遠征はバスをチャーターしましょう!
個人負担金額は大きくなるかも知れませんが、リスクを考えたらプロの運転手さんにお願いするのが一番ローリスクだと思います。

とにかく安全運転を心がけましょう!
乗合の場合、他人のお子さんの命を車に乗せています。

番外編
保護者会がなく、生徒の保護者の協力も得られず、他の交通手段もない場合は部活動顧問の車両に生徒を同乗させる場合もあります。
以前から極力教師の教師の車には生徒を乗せないようにとの通達等がありましたが、やむを得ない場合は顧問教師の送迎もあり得ます。
おそらくその都度校長の承諾が必要になると思います。当然引率計画にもその旨が明確に記載されています。


その他、学校の通常の部活動であるのか、あるいは保護者会が主催の活動であるのか、それを明確にしないと怪我をした場合の保険の適用範囲も違ってくるかもしれません。

保護者会の鉄則事項として「金は出すけど口は出さない」
これ、すごく大事!!

ご意見、ご質問等あればいつでもどうぞ!!



アメリカ・インディアンの教え


ご存じの方も多いと思いますが、アメリカ・インディアンの教えというのがあります。
解説の必要など何もないですね!
親失格じゃん!と自省しております。

ネットで見つけた、「ページTH69」さんのHPからの引用です!

”引用ここから
批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします
 If a child lives with criticism,He learnes to condemn.

敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦います
If a child lives with hostility,He learnes to fight.

ひやかしを受けて育った子ははにかみ屋になります
If a child lives with ridicule,He learnes to be shy.


ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしているような気持ちになります
If a child lives with shame,He learnes to feel guilty.


心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなります
If a child lives with tolerance,He learnes to be patient.


はげましを受けて育った子は自信を持ちます
If a child lives with encouragement,He learnes confidence.


ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります
If a child lives with praise,He learnes to appreciate.


公明正大な中で育った子は正義心を持ちます
If a child lives with fairness,He learnes justice.


思いやりのある中で育った子は信仰心を持ちます
If a child lives with security,He learnes to have faith.


人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にします
If a child lives with approval,He learnes to like himself.


仲間の愛の中で育った子は世界に愛をみつけます
If a child lives with acceptance and friendship,He learnes to find love in the world.

引用ここまで”

4/19/2012

学校への無理難題(?)

学校へは種々様々な苦情がくる。

  1. 風で校庭の砂が飛んでくるので何とかしろ!
  2. 体育祭の練習で使用している外の放送がうるさい!
  3. 玄関先にタバコが落ちていた。中学生に違いないのでしっかり指導しろ!
  4. 今中学生がくわえタバコで下校していたので厳しく指導してほしい!
学校の校庭の砂、どうしようもない。いちいち水を撒いていたら膨大な金額の水道料がかかる上、すべて税金だぞ!校庭をアスファルトで固めるか?
砂というのはある程度クッションの役目も果たすので、大怪我防止になること多い。

何でもかんでも外に放送を流しているなら別だが、年に一度の体育祭の練習。しかも全体練習時のみ使用するのがほとんど。その期間だけでも我慢出来ないもんだべか?

玄関先の煙草の吸殻=中学生の喫煙 なんで?

くわえタバコの現場を目の当たりにしたなら、大人としてその場で注意すべき。もしそれが出来ないなら警察に通報してもいい、法令違反なのだから。
「その場で怒鳴り飛ばして下さって結構ですよ!」→「何されるかわからないので怖い」

極めつけ・・・・・
学校には「指導訪問」と言って教育委員会が訪問してくる。
授業の指導を行ったり、学校経営全般をみて改善点を指摘したりするわけだ。

ある学校の指導訪問が終了し、教育委員会の面々が職員玄関を出た所で、その学校の生徒が喫煙をしていた。
しかし、あろうことか指導主事と呼ばれる面々はその場で注意せず(できず)、教育委員会に戻ってから学校に連絡を入れたそうだ。
「生徒が玄関先で喫煙していた。厳重に指導してほしい!」

「まず現場で見つけたお前がやれよ!!」

以上でございますm(_ _)m

3/16/2012

教師の規範意識と判断の甘さ

今日は娘の部活動指導で2つの問題があったが、指導者が全くその意味について理解していないので書きたい。それとこの件については子を預ける保護者としても知っておいて欲しい。


  • 問題点1:現在娘の学校の部活動終了時刻(=下校時刻)は午後6時。つまり6時にはすべての活動を終了して学校を出るということだ。しかし、明日大会のため午後6時30分まで保護者への通知や承諾なしに活動時間を延長した。

この問題点は、規範意識を教育すべき教師が自らルールを守っていないことにある。午後6時下校ならその時間を遵守しなければならない。
もしも時間を延長して活動したいのであれば、校長と部活動顧問の連名で活動時間延長承諾書を作成し、承諾した保護者の子供たちのみで延長時間を遵守して活動しなければならないのだ。


  • 問題点2:本日の練習は本来は外練習であったため、生徒たちは体育館用の競技シューズを持参していない。しかし、体育館が空いたため急遽通常練習に切り替え、シュージを持参していない生徒たちに対して「戻れる人は自宅に戻ってシューズを持ってきて」と言っている。
体育館が空いたので外練習から変更するのは別に問題ない。シューズは通常の上履きを使用すればいいだけだ。しかし、最大の問題は「シューズを自宅まで取りに行って欲しい」と言ってしまったことだ。

これは実際にあった話だが、忘れ物をした生徒に対して担任が「今すぐ戻って持って来なさい」と指導し、生徒が自宅へ戻る途中に交通事故に遭ってしまった。幸い命は取り留めたらしいが・・・。
教師は子供を預っている以上、自分の管理下外に子供たちを置いてはならないのだ。


2つの問題点、教師がルールを守らないことと教師が子供を管理できない状態においてしまうという事。
活動時間を勝手に延長したが故に性的被害や交通事故、その他の犯罪に巻き込まれるケースもある。良かれと思って自宅に戻したことが最悪交通死亡事故につながる。

そこまで最悪の事が起きてほしくはないが、いざ自分の子供達が教師のルール違反や配慮のなさから事故に巻き込まれて、死という最後を迎えてしまった場合、親として「うちの子は運が悪かったんです」で済むだろうか?教師さえ時間を守っていてくれれば、あるいは自宅にわざわざ戻す必要性はあったのか?と考えて怒りをぶつけるのが普通ではないだろうか?

指導者は常に子供たちが安全に、そして安心して活動できるように配慮しなければならないし、下校後自宅に戻るまでの安全指導は絶対に必要。そのために指導する側としての鉄則としてのルールがある。
また、保護者としても教師にルールを守ることを常に求めなければならない。大会が近いから、一生懸命やってくれているからという感情論に左右されてはならない。
ルールを無視した活動には子供が世話になっていても敢えて釘を刺さなければならない。

子供を育てるということはそれだけの配慮が指導者と保護者に必要ではないだろうか?

3/10/2012

引率計画・参加計画・指導計画の重要性

昨日、娘が所属する部活動顧問が参加計画を作成していなかったため、思わず電話で説教をかましてしまったが、たかだかA4 1枚の引率計画等がいかに重要か知ってほしい。

それらの書類作成の目的は?

  •  保護者および生徒に日程、時程、会場、留意事項、引率者、引率方法について周知徹底を図る。
  •  現況を考えれば、非常時の対応について確認しておく必要がある。例えば、生徒が怪我をした場合、交通事故の場合、その他災害時の確認事項。電話が通じればいくらでも連絡は可能だが、昨年の震災時のような場合、万が一の場合に子供たちを親に引き渡す場所を確認しておかなければならない。それを徹底しないと子を迎えに行った親が二次被害に巻き込まれる可能性も有り得る。
  • 全職員に引率計画を配布することにより、非常時に全職員が対応できるようにしなければならない。部活動指導にもかかわらず、自校の生徒がいつどこでどのような活動をしているのか、特に管理職、学年主任、学級担任は把握しておかなければならない。
  • 指導計画は、教職員自身が自分の身を守るための術となる。理解しにくいかもしれないが、たった1枚の書類が最終的には裁判において証拠となる。こういう書き方をすると「教師が保身のために作成するのか?」と怪訝な顔をする人間も多いが、いざ死亡事故が起きた時、指導計画の有無が過失責任の割合を確定してしまう。しかも、指導計画を作成していない場合や顧問が生徒の活動に伴っていない場合、県や市は教師を救ったりはしない。裁判の賠償金額を全額教師の個人負担とするのが通例だ。
指導計画は事故や災害が起きなければほとんど無視されがちで、口頭や携帯メールでも十分そうな気がするが、しかし他人の子供を責任をもって預かる以上きちんとした形で指導計画を形として残すのが義務である。
事故がなくて当たり前、しかし事故は思いがけず発生するものだ。
最悪の事態を想定して改革を立案しないと、非常時には全く対応できなくなってしまうであろうし、そこまで考えて対処するのが人の命を預かる人間の責務である。

2/08/2012

女子生徒の家出は怖いぞ!

自分の赴任校ではなかったが、他地区のある中学校1年生女子が家出を敢行した。

何の目的もなく別な市に約1ヶ月滞在し、しかも滞在場所はビジネスホテル。

当時はテレクラの全盛期、中学生がテレクラに電話をして相手の男性と待ち合わせ場所を決め、男の顔を見て楽しむというガキどもも結構いた。

家出の中1女子もやはりテレクラを利用し、売春行為で金を稼ぎ、ホテル代、食事代をせっせと稼いでいたらしい。
女子生徒がどういう理由をつけてホテルに説明していたかはわからないが、取りあえずお金は間違いなく入るので当初はホテル側も見逃していたのだろう。
しかしさすがに1ヶ月ホテル住まいとなると、これは普通じゃないとホテル従業員も感じて生活安全課に連絡を入れたのだろうな。

男子の家出は心当たりを探せば何とかなるが、それにしても女子の家出は怖いね!

1/30/2012

部活動のあり方

昔、転勤後にある部活動の顧問を任されたことがあった。

あるお母さんと懇親会で話したら
「うちの子は今先生が顧問をしている部活に在籍していたけど、クビになりました。まだ中学生なのに大人が解雇通知をもらったのと同じです。これが教育的なんですか?」

そのお子さんが部活動在籍中にどのような状況であったかとか、前顧問の指導とか、友達関係とか全くわからなかったが、「クビ」という通告はひどいし、教育的だとは思えないと共感した。
内情が分からないので具体的なことは書けないが、自分たちの居心地がいい場所を作るために同調できない、あるいは同調しない子を追放しただけに過ぎないんじゃないかと感じる。

子供たちは共感できる友だちを常に求めるし、その価値観に合わない子は排除しようとする傾向が強い。でもそれはその年代の子供特有の症状(実は大人になってもあると思うけど)であって、驚くほどのことではない。
驚くのは教師が自分が担当している部活動に所属している生徒に対して「クビ」を通告することだ。
つまりそういう先生は、生徒と同様に自分も居心地の良い場所にしたいわけだ。

しかし、学校の教育活動の一環である部活動指導として考えれば、生徒に「クビ」を通告する措置は間違いである。教育的指導という観点から言えば、友だちとのトラブルが多い子だったとしてもそれを地道に支援しながら背中を押してあげることではないだろうか?

私がかつて担当した部活動、総勢95名の大所帯になったことがある。男性は5名、残りはすべて女子生徒。
なぜそれほどの大所帯になったかというと、おそらく運動部と違い全員がレギュラーであり、大会に参加できることだったと思う。

しかしトラブルもあった。部長から直訴されたこともあった。
どんな直訴かというと「先生、あの◯◯さんは他の部を退部してうちらの部活に入ろうとしています。絶対に入れないで下さい」

その後、その◯◯さんが入部したいと申し出たので私は受諾。
部長や副部長から猛抗議があったけど何とか説得して受諾してもらった次第。

その時部長たちに話したのは
「中学校の部活とは嫌な子を拒絶したり、意にそぐわない者を排除する所ではないと思う。自分から入りたいと申し出てきたという事は、『今の自分を変えたい』と本人が願っている証拠ではないのか?だから結果的に上手く演奏できなくとも、出来る所だけ演奏して本番に出れればいい。
顧問としては『来る者拒まず、去る者は必死になって引き止める』、そんな部活動にしたいし、最後の砦であるうちの部活でその子を救ってあげられたら最高だと思う。」

部長たちは渋々納得したが、結果的にその〇〇さんは引き止めたにもかかわらず数ヶ月後に退部してしまった。

中学校の部活動、価値観を何に置くべきかで随分と指導が変わってしまう。
しかし、最も大切な事は子供たちが自信を持って活動でき、自分の居場所を確保できること、存在価値を見いだせる事だと思う。
子供たちが楽しんで活動できる部活動であれば、必然的に大会の結果もついてくるんじゃないか、そんな気がする。
事実、指導力のある先生はそれを実践しているし、実は目標はたった一つであり、それをどれだけ本気になって追求できるかなんだろうな、きっと!

1/29/2012

親の影響力

突然昔のことを思い出したので・・・

ある学校に赴任していた時のこと、2年生に「将来大物になるのではないか」と危惧されていた男子生徒がいた。
部活動の中心メンバーでもあったことから友だちへの影響力もあった。威圧して簡単に旧友をねじ伏せるだけの力は間違いなくあったと思う。

担任の先生(50代女性)二者面談、三者面談を通して指導を継続していたが、特に生徒自身に変化は見られなかった。

時は流れて卒業式後の謝恩会。たまたまその男子生徒の父親と話した。
失礼だとは思ったが、自分が疑問に思ったことを素直にぶつけてみた。
その疑問とは、あれだけ大物になると思われていたのにもかかわらず、その子がマイナス方向に成長せず、存在感が薄れるほどに大人しくなってしまった事についてだった。

話を聞き終えた時、理屈とか一般論で無難な方向へ誘導する教師の無力さを痛感したと共に、親が本気になった時の教育力(=愛情)に勝るものはないと思った。


「卒業おめでとうございます。息子さんえらく真面目に頑張っていましたね。途中から存在が感じられなくなるほど穏やかになっちゃいましたけど・・・」

父親
「先生、俺もあの頃は息子がこのままではとんでもない事になってしまうのではないか、と心配だった。」

私「じゃ、お父さんもかなり厳しい指導をしたのですか?」

父親
「いや、それはうちの息子には逆効果だと思ってやらなかった。だから当たり前のことを毎日やろうと考え、実践したんだ。」

私「毎日の実践とは一体何ですか?」

父親「恥ずかしい話だけど、俺はほとんど息子と一緒に食事を取ったことがなかった。朝は早めに仕事に出かけ、夜は一杯呑んで帰るので帰る頃には息子は寝ていた。だから朝と夜は必ず夕飯を息子と一緒に食べるようにしたんだ。」

私「他にもあるのですか?」

父親「いや、俺に出来るのはそれぐらいしかなかったので、それだけだよ、先生」


1/04/2012

子供たちの自殺(1)〜教育機関

子供たちの自殺、これほど心を痛めることはない。

小学生、中高生も短絡的(この言葉は適切ではないのかもしれない。考えぬいた挙句の結論なのだろう。あくまで第三者が使う言葉か?)に死を選択してしまうことがあり、しかも死の連鎖を引き起こすことも過去に多々あったように記憶している。

相変わらずいじめによる自殺が跡を絶たないが、ほとんどの場合いじめた子供たち、亡くなった子供に寄り添っていた子供たちも深い傷を負う。おそらく彼らの親御さんも同様だろう。
そして、大人になってもふとした瞬間にその辛い思い出が脳裏をよぎる。おそらく死ぬまでその辛い思い出を引きずっていかなければならないだろう。

しかし、現場の教師たちや教育委員会、教育事務所等、尊い命が消えたこと、一人の子供の死をどれだけ深刻に受け止めているのだろうか?

私の目には、教育関係者が「命の尊さ」よりも「表沙汰にならない事」を優先しているように思えてならないし、彼らにとっては「事実が表面化しないこと」が最優先課題であり、「自分たちの責任を問われないこと」が最も大切なのだろうと感じている。
もしも自分が管理あるいは担任しているクラスのこどもが自ら死を選び実行したら、職を辞すべきか悩む、職を辞さずとも少なくともその後の教師人生が一変する筈であり、それが人としての通常の感覚だろうと思う。
しかし今の教師という職に就いた大人たちは、自殺が起きれば管理職が緘口令を敷き、公にならないことだけを祈りつつ、公になった場合の対処のみ綿密に教育委員会と連絡を取り合っている。
マスコミでの会見はあくまで「その場しのぎのパフォーマンス」であり、事前に練りに練られた内容なのだ。(練りに練ってあの程度か?

「今後同様の事故が起きないように指導を徹底します。」
次から起こさないのは当然であり、一番問題なのはなぜ今回起きてしまったか?学校としての指導の問題点は一体何だったのか?それを明確にして自覚と指導内容を改善しない限り、ほとぼりが覚めた頃にまた同じ事故が起きる。

個人的には良い教師もいるが、その質を向上させるだけのシステムがない。システムとしてあるのは上司の命令を忠実に守るか、上司の指示がない限り行動してはならないという公務員独自の閉鎖的体質(職によっては命を救うためにその命令系統が必要な場合も当然ある)。「自ら考え行動できる生徒」と育成すべき教師が、指示がないと自分で行動すらできないのだ。

もう今の教師たちの指導力では子供たちの命を守ることはできないのかもしれない。
事実、放射能から我々の子供たちを守ろうとしなかったではないか?