4/18/2014

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学校問題悩み相談室のブログ
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2/19/2014

道徳に係る教育課程の改善等について(諮問)の考察

2/17に文科省が発表した文書について考えてみる。

道徳に係る教育課程の改善等について(諮問)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1344356.htm

引用1
我が国の道徳教育を全体として捉えると,歴史的な経緯に影響され,いまだに道徳教育そのものを忌避しがちな風潮があること

 歴史的な経緯とは一体何のことでしょうか?もしかしたら戦争や戦後処理についてなのでしょうか?
そのせいで道徳教育が忌避しがちな風潮などありますか?
そんな風潮は全く感じたことはありません。
歴史的な経緯と道徳という生き方に関わること、心のことは別問題だと思います。

引用2
グローバル化や情報通信技術の進展,少子高齢化の進行など,今後の変化の激しい社会において,道徳教育に期待される役割は極めて大きく,道徳教育は人間教育の普遍的で中核的な構成要素であると同時に,その充実は,我が国の教育の現状を改善し,今後の時代を生き抜く力を一人一人に育成する上での緊急課題であること

 随分長々とそれらしいことを書いていますが、前段の下りなどどうでもいいこと。
我が国の教育の現場を改善するなら、今の教育システムを全廃して新たな視点でシステムを再構築する方が効果的である。今後の時代を生き抜く力とは、国やメディアに騙されず、本質を見抜く力のことではないのか?

引用3
道徳教育が学校教育活動全体の真の中核としての役割を果たすこととなるよう

 道徳は学校の教育活動の一つ、すべての今日に深く関わっていますが、中核ではないでしょう。「道徳」の2文字でなんとかなる程教育とは甘いモノではありませんよ。それこそ生まれて10年15年、あるいはそれ以上の時間を要して初めて形成されてくるものでしょう。

引用4
数値による評価を行うことは不適切であるが,児童生徒の成長の振り返りや指導計画・指導方法の改善のため,道徳教育の特性を踏まえた多様な評価方法を検討すること

 そもそも人の心の評価は可能でしょうか?評価する必要があるのでしょうか?
何も話さず、何も書かず、でも深く心に刻む子もいますよ。それをどうやって評価するの?

引用5
どの学校でも一定水準の授業が実施されるよう,主たる教材を安定的・継続的に提供するとともに,民間発行者の切磋琢磨によって質の向上を図るなどの観点から,「特別の教科 道徳」(仮称)に検定教科書を導入すること

 これが最も問題視される点でしょう。
一定水準?主たる教材を安定的・継続的に提供する?検定教科書?
つまり国が認めた教材をを使用して、国が求めるような道徳心を持つ人間を育成するという解釈でOK?
それって思想教育、挙句、思想統制になりはしないのか?
人の心は何人にも束縛されない、いやされてはいけない。
道徳教材など日々の出来事や町中を歩くだけどいくらでも得ることができる。だから検定教科書などいらない。
現場に責任を持たせないから管理的教育が横行し、悪循環を断ち切れないのではなだろうか?

引用6
学校,家庭,地域の連携の強化を図ること

 何十年前から同じ言葉を使いまわしているんだ?
形骸化した施策、つまり何の効果も得られていない。いつまで経っても何も変わらない。同じ言葉を使っているのはそれを証明しているようなものだ。


 対症療法を何度繰り返しても効果などないよ。それはすべてここ数十年で立証済み。
システムを一気に変えなければダメ。

2/02/2014

道徳の教科化について思うこと

別ブログに書いた記事ですが・・・
Ameba Blog 学校問題悩み相談室のブログ http://ameblo.jp/gakkou-seitoshidou


道徳の教科化は無理、無駄、無意味、危険!!
以上(`・ω・´)ゞ


これで終わったら怒られますよね^^;

道徳の教科化について、まず下記の4つの記事があれば十分でしょう。

道徳の教科化 「愛国心」の押しつけだ(1月19日)(北海道新聞) http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/516135.html

NHK解説委員室
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/174520.html

【金曜討論】「道徳の教科化」 貝塚茂樹氏「賛成が84%。危機感の反映」、藤田英典氏「現状でうまくいっている」 - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131206/plc13120610000010-n1.htm

なぜ道徳が「特別の教科」に? ‐渡辺敦司‐【Benesse(ベネッセ)教育情報サイト】 http://benesse.jp/blog/20131113/p2.html @benesse_kyouikuさんから

元現場の教員として素朴な疑問

◯ 道徳を教科化するということは、評価や評定をつけるということになりますがどうやって実施するの?

例えば数学なら答えは1つになりますよね?
しかし道徳の場合、答えは出ますか?法規に絡む問題ならその法規に沿った考えは導き出せますが、倫理観や心という内面に関することをどうやって評価するのでしょうか?

無理でしょう!
正答例を明示してそれに合わせて何らかの評価を下すのですか?
無理です、絶対に無理!そんな時間があるのなら子どもたちと触れ合う時間を増やした方がずっと効果的だと思いますよ。

◯ 教科にするということは教科書が必要、しかも教科書の検定もある。つまりこれは思想上非常に危険極まりないものになる可能性があるということ!

ごく一部の人間が編集し、検定したものを採用することになりますが、その考え方は危ないです。いくらでも思想統制が可能になりますよ。
現場の教師でさえ訳の分からない人間がいるのが現状、まして教科書化したら子どもたちが混乱してしまう。
人間の思想にある程度の基準はあったとしても、正解はない。

◯ そもそも道徳とは人としてどのように生きるべきかが基本となっている。しかもその基本的な姿勢や判断を形成するのは家庭である

おそらく教科化のきっかけはいじめ自殺問題。
幼児期の家庭教育のあり方に問題があるであろうし、根本的な解決には全く至っていない。道徳の教科化によってそれらの根本的な問題は解決されないだろう。
国として策を講じるならば、家庭教育をいかに改善するかが主眼となり、そして各家庭を支える地域の教育力、共生力の向上にテコ入れすべきだろう。
基本的生活共同体である各家庭に手を差し伸べて改善しない限り、人の心を育てることなどできない。

◯ 今の道徳の質をいかに向上させるか、そして各教科や活動において心の教育をいかに浸透させるか、それが肝要ではないだろうか?

道徳の授業において、子どもたちは正解を導き出すことができる。つまり求められている答えを導き出してしまうということ。それは現在の道徳自体が心に響くものになっていないということではないだろうか。
本来道徳的なことは各教科の中で実践されるべきであるし、部活動でも実践できる。担任であれば、短学活の中で一言問題提起をするだけで子どもたちは真剣に考え、そして自分の考えを述べることができる。
あるいは校外活動を通して学ぶ方法もあるし、生徒たちにとっての効果は絶大なものがあるだろう。

◯ これから求められることは国がすべてを管理することではなく、弾力的な運用によって現場に責任を持たせること。

今の国は何から何まで管理する方向で教育の質をあげようとしている。たしかに一部にやりたい放題の教師たちが存在し、子どもたちが安心して学べる場所になっていないこともあるが、それらについては中長期的な教員養成システムの改革と短期的な雇用改革によって対応できる。
すべてを管理する弊害、それは自分たちで判断し責任を持てない現場を作ってしまうことである。現に教諭は校長に、校長は教育委員会に、各市町村教育委員会は都道府県教育委員会に、都道府県教育委員会は文科省に指示を仰ぎ、すべてが指示待ち人間と化しているではないか。
現場に責任を持たせることが教育を見直す上で今の日本に最も足りないことであり、今後最も必要とされることであろう。

んなもんか?(^^)
ではまた!


1/30/2014

教育改革メモ〜教師

別ブログに書いた記事を転載します!

 教育改革についてのメモ
フィンランド方式は魅力がある

☆大学教育学部
・門戸を狭くし、難易度を上げる
・大学入学時より付属(あるいは提携)の小中学校、高校で授業実習を行う
・コースは義務教育科と高校教育科に分けるか、小学校課程、中学校課程、高校課程をそれぞれ設置するか、小学校課程と中高課程に分けるか
・実習の過程で教師に向かない学生を転部させる
・修士課程の取得が教員免許取得の条件

ここまでできれば相当質の高い教員が育成されるだろう。今までとは比較にならないレベルだと思う。

☆教員採用試験
・国家試験とする ※現在の都道府県ごとの試験および採用は廃止
・合格者は日本全国のいずれかの都道府県に配置される
・赴任地については本人の希望も考慮するが、原則、教員が不足する都道府県に配置
・教員採用試験不合格者は、採用試験合格まで講師として国に登録される。臨時教員として常勤講師採用または期間講師として採用できる。赴任地は各都道府県の希望に応じて配置

☆教員
・国家公務員とする

ちょっと無理があるか?
国家公務員となるので給与も当然今までより高くなる。

本当に質の高いプロ教師が日本全国に配置できるだろう。入れ替えまでに時間を要するのが難点。

赴任地については、今だと「大阪は勘弁して」とか出てきそうな気がする(^_^;)
年老いた両親の面倒をみたいという希望も出るだろうが、全国規模の人事異動となるのでその点は大変だろうな (´ヘ`;)ウーム…

大学のカリキュラムもガラッと変えなければならない

やはり国の一大イベント

とりあえずメモなので・・・



フィンランドの教育改革

別ブログに掲載したものを転載します。
この改革、見習うべき点ばかりであり、実践も容易だと思います。

フィンランドの教育~教育の機会均等

☆要点書き起こし
・ヘイノネン氏(元教育大臣)
教育で大切なのは機会の均等、その基盤があって世界の頂点に立てる高い水準の人材育成ができる。
教育はいわば「投資」である。
フィンランドは一部の人間だけ良い教育をすればいいとは考えていない。国民全員の教育レベルの向上が必要。教育こそが組織、企業、国全体の競争力を上げる方法。
人口520万人の国、ひとりとりの学力を上げなければならない。
人という資本に投資が必要だった。

・教育現場に大きな裁量権を持たせる。
・内容や教え方を教師に任せた。

・指導要領はあるが項目が大幅に減った。
・教科書の検定もない。

・学校ごとに独自のカリキュラムを作成

・大幅な権限の移譲
・地方自治体と学校の裁量でほとんどのことが決めることができるようになった

教師の責任が大きくなった
教師が意欲的になった

《校長》
学校に指図する権威は存在しない
自分たちでカリキュラムを作ることができ、人事権もあり適材適所に教員を配置することができる
フィンランドの教育の強みは教育現場が大きな自治権を持っていること

・ヘイノネン氏(元教育大臣)
教育の基礎ができており、中央政府がこれ以上コントロールする必要はないと感じた
教育関係者が持つ能力をもっと取り入れたいと思った
彼らこそが現場を知り抜いている専門家、プロ
システムに柔軟性をもたせる(地域により状況が大きく異なるから)
管理は現場の長所を活かせなくなる
教師や教育関係者の指導レベルを上げるため国の要求を削減し、核となる部分だけに限定した
教育には自由が欠かせない
それぞれの現場に任せるべき、阻害してはならない
意欲、モチベーションが最も重要、厳しい管理はモチベーションを下げる
教室で起こることに責任があるのは教師

《教育学部》
教師の社会的地位が高い
志願者の10%しか入学できない
教師になるには最低5年学び、修士号を習得

入学後、1年生時から教育実習を行う
教師に向いていなければ転部を勧められることもある
社会的ネットワークを築く能力が求められる
すべての教師は年1回の研修に参加
クラブは別の専門家が担当
授業に専念する
懇談会が頻繁にあり、率直な意見交換が行われる

各学校の自己評価が法律で定められている
自己評価の結果は保護者の求めに応じて公開される
教師は自由な代わりに保護者や子どもたちに対して大きな責任を負っている

・ヘイノネン氏(元教育大臣)
教育制度というものは急転換して無理やり法案を通すようなことはできない
関係者を巻き込む必要がある、彼ら自身が動き始めなければならない
教育改革とは例えるなら船
教師と連携なしに改革できない
全国各地で教育政策を議論することが大事、共通認識が大切

国内のどんな地域に住んでいても全く変わらない教育を平等に受けることができる
国内のすべての学校にコンピュータを配置
使うことを学ぶために設置したのではなく教科での活用、情報を読み解く力をつけるため

現代は未来がどうなるかわからない世界
自分で自分を導かなければならない
自ら学ぶ力が大切
他者と協力、他国とコミュニケーションを取る力が必要
学校で学ぶあらゆる事柄コンピュータを活用できるように政策を推し進めた
情報を読み解く力=リテラシー すべての基本が読解力

図書館の存在
ヘルシンキは56万人、図書館が38ある、日本の4倍
国民の77%が1時間以上/日 読書
図書館利用率も世界一
学校と図書館の連携

なぜ本が好きなのか、読むのか?
自分自身を教育することで人生をより豊かにすることができると思っている
至る所に図書館があり気軽に利用、習慣になっており、伝統でもある
新聞文化が教育と密接に結びついている

給食無料、大学まで授業料無料、筆記用具も無料

すべての子どもに平等な教育と食事が約束されている

移住してきた子どもたちには補助学習指導員がつく
病欠、ついていけなくなった子には補習授業が行われる

他人と比べるのではなく一人一人のペースで学べるようなシステム

教育の機会の平等がなければ教育の質の向上は不可能だと考えている
教育の機会の平等はすべての前提
どこにすんでいような同じ機会が与えられる
人はそれぞれ違う、様々なアプローチの仕方を考慮すべき
だれでもついていけるようにシステムに柔軟性が必要
子どもを育てるには村が必要、社会全体で教育制度を支えている

人々が互いが思いやる社会をどうやって築くか
人はそれぞれ違う事を理解、自分と異なる人を受け入れ、コミュニケーションをとる。それが自分の強みなると気づくべき
他人を理解するには自分を知らなければならない。自分に価値があるということを知らなければならない。
どうやって自分を知り他者の価値を知り、自己中心的な人間にならないようにするか、これが福祉国家のベースになる

フィンランドの教育の次の目標
・教育制度や教育政策というものは決して完成することはない
・それぞれの時代社会情勢、文化に応じて決断を下さなければならない
・変化のスピードがあまりにも早すぎて多くの人が精神的にまいっている
・変化と選択肢の多さが問題
・次世代の大人になる力が弱まっている
・自分たちの大切で貴重な価値観を次世代に承継
・しっかりと自分たちの時代を築くこと、次世代にチャンスを与えること
・洞察力が失われつつある
・これからはあえてペースを落としより深く考える必要がある
・頭で考え心で感じたことを信じること
・子どもたちの創造性を引き出しモチベーションを高め内なる洞察力を彼らが手にすることができれば、私たちには幸せな未来が待っている

私たちは学校のためではなく人生のために学ぶ