2/19/2014

道徳に係る教育課程の改善等について(諮問)の考察

2/17に文科省が発表した文書について考えてみる。

道徳に係る教育課程の改善等について(諮問)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1344356.htm

引用1
我が国の道徳教育を全体として捉えると,歴史的な経緯に影響され,いまだに道徳教育そのものを忌避しがちな風潮があること

 歴史的な経緯とは一体何のことでしょうか?もしかしたら戦争や戦後処理についてなのでしょうか?
そのせいで道徳教育が忌避しがちな風潮などありますか?
そんな風潮は全く感じたことはありません。
歴史的な経緯と道徳という生き方に関わること、心のことは別問題だと思います。

引用2
グローバル化や情報通信技術の進展,少子高齢化の進行など,今後の変化の激しい社会において,道徳教育に期待される役割は極めて大きく,道徳教育は人間教育の普遍的で中核的な構成要素であると同時に,その充実は,我が国の教育の現状を改善し,今後の時代を生き抜く力を一人一人に育成する上での緊急課題であること

 随分長々とそれらしいことを書いていますが、前段の下りなどどうでもいいこと。
我が国の教育の現場を改善するなら、今の教育システムを全廃して新たな視点でシステムを再構築する方が効果的である。今後の時代を生き抜く力とは、国やメディアに騙されず、本質を見抜く力のことではないのか?

引用3
道徳教育が学校教育活動全体の真の中核としての役割を果たすこととなるよう

 道徳は学校の教育活動の一つ、すべての今日に深く関わっていますが、中核ではないでしょう。「道徳」の2文字でなんとかなる程教育とは甘いモノではありませんよ。それこそ生まれて10年15年、あるいはそれ以上の時間を要して初めて形成されてくるものでしょう。

引用4
数値による評価を行うことは不適切であるが,児童生徒の成長の振り返りや指導計画・指導方法の改善のため,道徳教育の特性を踏まえた多様な評価方法を検討すること

 そもそも人の心の評価は可能でしょうか?評価する必要があるのでしょうか?
何も話さず、何も書かず、でも深く心に刻む子もいますよ。それをどうやって評価するの?

引用5
どの学校でも一定水準の授業が実施されるよう,主たる教材を安定的・継続的に提供するとともに,民間発行者の切磋琢磨によって質の向上を図るなどの観点から,「特別の教科 道徳」(仮称)に検定教科書を導入すること

 これが最も問題視される点でしょう。
一定水準?主たる教材を安定的・継続的に提供する?検定教科書?
つまり国が認めた教材をを使用して、国が求めるような道徳心を持つ人間を育成するという解釈でOK?
それって思想教育、挙句、思想統制になりはしないのか?
人の心は何人にも束縛されない、いやされてはいけない。
道徳教材など日々の出来事や町中を歩くだけどいくらでも得ることができる。だから検定教科書などいらない。
現場に責任を持たせないから管理的教育が横行し、悪循環を断ち切れないのではなだろうか?

引用6
学校,家庭,地域の連携の強化を図ること

 何十年前から同じ言葉を使いまわしているんだ?
形骸化した施策、つまり何の効果も得られていない。いつまで経っても何も変わらない。同じ言葉を使っているのはそれを証明しているようなものだ。


 対症療法を何度繰り返しても効果などないよ。それはすべてここ数十年で立証済み。
システムを一気に変えなければダメ。

2/02/2014

道徳の教科化について思うこと

別ブログに書いた記事ですが・・・
Ameba Blog 学校問題悩み相談室のブログ http://ameblo.jp/gakkou-seitoshidou


道徳の教科化は無理、無駄、無意味、危険!!
以上(`・ω・´)ゞ


これで終わったら怒られますよね^^;

道徳の教科化について、まず下記の4つの記事があれば十分でしょう。

道徳の教科化 「愛国心」の押しつけだ(1月19日)(北海道新聞) http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/516135.html

NHK解説委員室
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/174520.html

【金曜討論】「道徳の教科化」 貝塚茂樹氏「賛成が84%。危機感の反映」、藤田英典氏「現状でうまくいっている」 - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131206/plc13120610000010-n1.htm

なぜ道徳が「特別の教科」に? ‐渡辺敦司‐【Benesse(ベネッセ)教育情報サイト】 http://benesse.jp/blog/20131113/p2.html @benesse_kyouikuさんから

元現場の教員として素朴な疑問

◯ 道徳を教科化するということは、評価や評定をつけるということになりますがどうやって実施するの?

例えば数学なら答えは1つになりますよね?
しかし道徳の場合、答えは出ますか?法規に絡む問題ならその法規に沿った考えは導き出せますが、倫理観や心という内面に関することをどうやって評価するのでしょうか?

無理でしょう!
正答例を明示してそれに合わせて何らかの評価を下すのですか?
無理です、絶対に無理!そんな時間があるのなら子どもたちと触れ合う時間を増やした方がずっと効果的だと思いますよ。

◯ 教科にするということは教科書が必要、しかも教科書の検定もある。つまりこれは思想上非常に危険極まりないものになる可能性があるということ!

ごく一部の人間が編集し、検定したものを採用することになりますが、その考え方は危ないです。いくらでも思想統制が可能になりますよ。
現場の教師でさえ訳の分からない人間がいるのが現状、まして教科書化したら子どもたちが混乱してしまう。
人間の思想にある程度の基準はあったとしても、正解はない。

◯ そもそも道徳とは人としてどのように生きるべきかが基本となっている。しかもその基本的な姿勢や判断を形成するのは家庭である

おそらく教科化のきっかけはいじめ自殺問題。
幼児期の家庭教育のあり方に問題があるであろうし、根本的な解決には全く至っていない。道徳の教科化によってそれらの根本的な問題は解決されないだろう。
国として策を講じるならば、家庭教育をいかに改善するかが主眼となり、そして各家庭を支える地域の教育力、共生力の向上にテコ入れすべきだろう。
基本的生活共同体である各家庭に手を差し伸べて改善しない限り、人の心を育てることなどできない。

◯ 今の道徳の質をいかに向上させるか、そして各教科や活動において心の教育をいかに浸透させるか、それが肝要ではないだろうか?

道徳の授業において、子どもたちは正解を導き出すことができる。つまり求められている答えを導き出してしまうということ。それは現在の道徳自体が心に響くものになっていないということではないだろうか。
本来道徳的なことは各教科の中で実践されるべきであるし、部活動でも実践できる。担任であれば、短学活の中で一言問題提起をするだけで子どもたちは真剣に考え、そして自分の考えを述べることができる。
あるいは校外活動を通して学ぶ方法もあるし、生徒たちにとっての効果は絶大なものがあるだろう。

◯ これから求められることは国がすべてを管理することではなく、弾力的な運用によって現場に責任を持たせること。

今の国は何から何まで管理する方向で教育の質をあげようとしている。たしかに一部にやりたい放題の教師たちが存在し、子どもたちが安心して学べる場所になっていないこともあるが、それらについては中長期的な教員養成システムの改革と短期的な雇用改革によって対応できる。
すべてを管理する弊害、それは自分たちで判断し責任を持てない現場を作ってしまうことである。現に教諭は校長に、校長は教育委員会に、各市町村教育委員会は都道府県教育委員会に、都道府県教育委員会は文科省に指示を仰ぎ、すべてが指示待ち人間と化しているではないか。
現場に責任を持たせることが教育を見直す上で今の日本に最も足りないことであり、今後最も必要とされることであろう。

んなもんか?(^^)
ではまた!