下記の記事を読んで失望しましたね。
「市が文科省に報告書 背景に「教員の多忙化」など 大津中2自殺」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/dompolicy/628203/
教員が多忙化する最大の要因は生徒指導事案の増加、つまり校内外における暴行事件、傷害、窃盗、いじめ、不登校などが増加することである。それによって個別指導が多くなり、時間と精神的な余裕がなくなってくることは多々ある。(慣れれば処理できる)
一見「多忙化」が正当な理由に感じられるかもしれないが、それは明らかに矛盾が生じる。
落ち着きのある学校では問題行動は少ない。つまり、教師が本気で対処している学校は生徒たちに落ち着きがあり、教師が掻き回されるような問題行動は少ない。
指導の手抜き・甘さ→問題行動多発→時間がない→さらに問題行動が増加→ますます時間がなくなる→・・・・・・と悪い連鎖しか起こらない。
結局自分たちの日頃の行いがツケとなって回ってくるだけ。自業自得と非難されても弁解の余地はないだろう。
それともう一つ、生徒たちを見つめようとしない教師がいくら集まっても、問題は何も解決されない。今最も問われているのは教師としてのあり方・質である。
そこを改善しない限り悲劇は繰り返す。
自身が知っている学校現場の実態とか現状とか、あるいはマスコミで報道された様々な問題点、改善点、もちろん評価に値する事も含めてつれづれなるままに書き綴ります。辛口コメント多いですが、現場の実情もよく把握している人間の一人です。
2/08/2013
2/06/2013
柔道の暴力問題について思う
勝利至上主義がもたらした体たらくとしか言いようがない。
代表監督に任命され、勝利へのプレッシャーと闘いながら結果のみを追い求める。
運よく結果が出れば「お前の指導方法は正しい」、結果が出なければ「お前の指導法が悪い」となって辞任。
監督が独裁者となって自分の体制づくりから始め、意にそぐわない者は切り捨てるという構図が見える。
日本の代表という視点から見れば、実力的にそぐわなければ切り捨てられてもそれは致し方ないことではある。しかし問題なのは指導方法であり、暴力や精神的な嫌がらせに至ったのでは選手育成力や指導力の無さを露呈することと同じ。
つまり、日本の柔道界のトップの連中は一丸となって選手の育成、指導法の改善をしてこなかったということだ。
そして内部告発について・・・
内部告発の場合、プラバシーの保護が前提になる。
こういう形で告発するしか方法はないと判断したのだろう。つまり、対面で苦情を申し立てた所で体質改善は全く期待できないばかりか、逆に選手生命を絶たれたり、自分の母校や企業からその後選手が選出されないなど冷遇されることまで彼女たちは考えたのだろう。
なぜそういう告発が発生したのか、その根本的な原因を突き止め、抜本的な改革に取り組むべきである。
問題の根の深さを究明し、改善しようとする真摯な姿勢が微塵も感じられない日本柔道界トップたち。
これは学校にもよくあることだが、苦情、クレームの内容よりも「誰が?」が最優先される典型でもある。その「誰が?」が優先される状況が変わらない限り、柔道界も教育界も何も変わらない。
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130206/mrt13020611430004-n1.htm
ヘッドライン | 主要 | スポーツ | 告発15選手の名前公表検討 柔道暴力問題で弁護士スポーツ - 47NEWS(よんななニュース) http://www.47news.jp/news/2013/02/post_20130206133800.html
柔道暴力問題 告発選手の名前公表を…橋本聖子氏が要請 ― スポニチ Sponichi Annex 柔道 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/02/06/kiji/K20130206
引き金はテレビ中継、女子柔道告発 スポーツ文化の問題として検証を - スポーツ - ZAKZAK http://www.zakzak.co.jp/sports/etc_sports/news/20130206/spo1302060859003-n1.htm
代表監督に任命され、勝利へのプレッシャーと闘いながら結果のみを追い求める。
運よく結果が出れば「お前の指導方法は正しい」、結果が出なければ「お前の指導法が悪い」となって辞任。
監督が独裁者となって自分の体制づくりから始め、意にそぐわない者は切り捨てるという構図が見える。
日本の代表という視点から見れば、実力的にそぐわなければ切り捨てられてもそれは致し方ないことではある。しかし問題なのは指導方法であり、暴力や精神的な嫌がらせに至ったのでは選手育成力や指導力の無さを露呈することと同じ。
つまり、日本の柔道界のトップの連中は一丸となって選手の育成、指導法の改善をしてこなかったということだ。
そして内部告発について・・・
内部告発の場合、プラバシーの保護が前提になる。
こういう形で告発するしか方法はないと判断したのだろう。つまり、対面で苦情を申し立てた所で体質改善は全く期待できないばかりか、逆に選手生命を絶たれたり、自分の母校や企業からその後選手が選出されないなど冷遇されることまで彼女たちは考えたのだろう。
なぜそういう告発が発生したのか、その根本的な原因を突き止め、抜本的な改革に取り組むべきである。
問題の根の深さを究明し、改善しようとする真摯な姿勢が微塵も感じられない日本柔道界トップたち。
これは学校にもよくあることだが、苦情、クレームの内容よりも「誰が?」が最優先される典型でもある。その「誰が?」が優先される状況が変わらない限り、柔道界も教育界も何も変わらない。
告発した15選手の肉声なし 「痛み」伝わらず
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130206/mrt13020611430004-n1.htm
ヘッドライン | 主要 | スポーツ | 告発15選手の名前公表検討 柔道暴力問題で弁護士スポーツ - 47NEWS(よんななニュース) http://www.47news.jp/news/2013/02/post_20130206133800.html
柔道暴力問題 告発選手の名前公表を…橋本聖子氏が要請 ― スポニチ Sponichi Annex 柔道 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/02/06/kiji/K20130206
引き金はテレビ中継、女子柔道告発 スポーツ文化の問題として検証を - スポーツ - ZAKZAK http://www.zakzak.co.jp/sports/etc_sports/news/20130206/spo1302060859003-n1.htm
Facebookも危ないよ〜
Facebookにもこういう輩が多くなってきている。
友達申請され、同市在住だからということで承認してみたものの、こんな具合!
手は込んでないけど、一応考えて段階を踏んでいるみたい。
友達申請され、同市在住だからということで承認してみたものの、こんな具合!
手は込んでないけど、一応考えて段階を踏んでいるみたい。
及川宮子
こんばんは!承認ありがとうございます♪
気づいたら妹が勝手に申請を出してたみたいで( ̄ε ̄;)
妹はフェイスブックは怖くてやらないんですけど、たまたま私のパソコンで見て貴方のことが気になったみたいです(^_^;)妹は一人暮らしで恋人もずっといないらしく寂しいんだと思うんですけどね(;´∀`)
ちなみに、かおりんって言ってあげると喜ぶと思いますよ♪よかったら連絡してあげてください♪これがアドレスです
↓
bq.93@docomo.ne.jp
↓
bq.93@docomo.ne.jp
もしよかったらでいいので、連絡無ければ妹も諦めるとおもいますから!笑
- 今日
2/03/2013
体罰の定義について
結論から言えば、これについてはどこから体罰になるのかという明確なラインを引くことはできないだろう。
ただし、メディアで伝えられているような「暴行を加えた挙句、生徒を自殺に追い込むまで精神的に追い詰める」というのは体罰以上の犯罪であり厳重な処分(懲戒免職および刑事罰)が妥当であるし、並行して民事訴訟も起きるであろう。(依願退職は認めてはいけない・諭旨免職も妥当な措置ではない)
上記のような案件なら誰しもが体罰を否定しないだろう。
しかし、例えば頭を軽く小突くことやデコピンなどは、生徒と教師の人間関係、信頼関係が醸成されているかどうかによって全く違ってくる。
この体罰の問題を解決(完全に解決することは不可能と思うが)するには、生徒の実態、保護者の実態、教師の実態をそれぞれ検証しなければならないだろう。
最後に残るのは人としての心のあり方になってしまうと思うのだが・・・。
下記リンクは文部科学省の通知文です。
・学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に対する考え方
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/07020609.htm#a01
ただし、メディアで伝えられているような「暴行を加えた挙句、生徒を自殺に追い込むまで精神的に追い詰める」というのは体罰以上の犯罪であり厳重な処分(懲戒免職および刑事罰)が妥当であるし、並行して民事訴訟も起きるであろう。(依願退職は認めてはいけない・諭旨免職も妥当な措置ではない)
上記のような案件なら誰しもが体罰を否定しないだろう。
しかし、例えば頭を軽く小突くことやデコピンなどは、生徒と教師の人間関係、信頼関係が醸成されているかどうかによって全く違ってくる。
この体罰の問題を解決(完全に解決することは不可能と思うが)するには、生徒の実態、保護者の実態、教師の実態をそれぞれ検証しなければならないだろう。
最後に残るのは人としての心のあり方になってしまうと思うのだが・・・。
下記リンクは文部科学省の通知文です。
・学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に対する考え方
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/07020609.htm#a01
2/02/2013
先生に殴られた思い出
体罰の件、あまり口を挟まないようにしていたのですが・・・・・
まぁ、自分も現役時代は殴った経験もありましたし(^_^;)
子供の頃、教師に殴られた記憶で最も鮮明に記憶しているのが1つ。
卒業式の練習をしていた時、6年生が一人ずつ一文を担当し、それを全員で繋げるというのがあったのですが(今もやっているのかな?)、ある男子がとても訛っていたのです。
それがおかしくてクラスの7〜8名が式の練習中に吹き出してしまったのです。
担任のK先生は、「訛りは仕方ないことだ。卒業生の最後の晴れ舞台、笑ったりしてはいかん!」と口頭で注意。
しかし卒業式当日、指導されたにもかかわらず私を含めた数名がやはり吹き出してしまったのです。必死に堪えていた友達もいたのですが、4名ほど連鎖して吹き出してしまった。
さすがに「これはとんでもないことをしてしまった。」と教室に戻ってからの事を考え、観念しました。
教室に戻ると、担任のK先生は当然のことながら烈火のごとく怒った。
「式で笑ったもの前へ出てこい!」
観念して前へ出て行くと、一人ずつビンタを喰らったのです。
K先生は
「あれほど注意したのになぜ吹き出したんだ。卒業生に対して申し訳ないと思わないのか?一生に一度の卒業式なんだぞ!」
と怒鳴り声を上げ、吹き出した生徒を一人ずつビンタしたわけです。
殴られた痛みよりその時の先生の顔が今でも印象に残っているのですが、涙目だったように記憶しています。
門出を祝うべき卒業式で、卒業生に嫌な思いをさせて送り出してしまった、K先生にとってはそれが許せなかったのでしょう。
彼はいい先生でした。クラスで多少浮いている子にも笑顔で声をかけ笑わせたり、何事もなければとにかく明るく優しい教師。でも前述のように「人として許せないこと」があると、まるで別な人間になったように叱る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これも学校教育法で禁止されている体罰。
何も事情をしらない第三者が現場に居合わせたら大騒ぎになるだろうが、もしもその第三者が制止に入ったとしても、怒られている私達が「余計なことはしないで下さい」と逆に割って入った相手に言い返すかもしれませんね。
表面的な行為にまさるというか、行為を打ち消すようなもっと深い情というものがあったりするわけです。物事、杓子定規で解決できることばかりではないのです。
行為とすれば同じ行為である体罰、しかし現在取り沙汰されている体罰と上記のように本気で叱る行為を一緒にはできないと思いますね。
勿論体罰を肯定するわけではありません。でも・・・・という部分が昔はあったのです。
体罰については少しずつ書いていこうと思います。
まぁ、自分も現役時代は殴った経験もありましたし(^_^;)
子供の頃、教師に殴られた記憶で最も鮮明に記憶しているのが1つ。
卒業式の練習をしていた時、6年生が一人ずつ一文を担当し、それを全員で繋げるというのがあったのですが(今もやっているのかな?)、ある男子がとても訛っていたのです。
それがおかしくてクラスの7〜8名が式の練習中に吹き出してしまったのです。
担任のK先生は、「訛りは仕方ないことだ。卒業生の最後の晴れ舞台、笑ったりしてはいかん!」と口頭で注意。
しかし卒業式当日、指導されたにもかかわらず私を含めた数名がやはり吹き出してしまったのです。必死に堪えていた友達もいたのですが、4名ほど連鎖して吹き出してしまった。
さすがに「これはとんでもないことをしてしまった。」と教室に戻ってからの事を考え、観念しました。
教室に戻ると、担任のK先生は当然のことながら烈火のごとく怒った。
「式で笑ったもの前へ出てこい!」
観念して前へ出て行くと、一人ずつビンタを喰らったのです。
K先生は
「あれほど注意したのになぜ吹き出したんだ。卒業生に対して申し訳ないと思わないのか?一生に一度の卒業式なんだぞ!」
と怒鳴り声を上げ、吹き出した生徒を一人ずつビンタしたわけです。
殴られた痛みよりその時の先生の顔が今でも印象に残っているのですが、涙目だったように記憶しています。
門出を祝うべき卒業式で、卒業生に嫌な思いをさせて送り出してしまった、K先生にとってはそれが許せなかったのでしょう。
彼はいい先生でした。クラスで多少浮いている子にも笑顔で声をかけ笑わせたり、何事もなければとにかく明るく優しい教師。でも前述のように「人として許せないこと」があると、まるで別な人間になったように叱る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これも学校教育法で禁止されている体罰。
何も事情をしらない第三者が現場に居合わせたら大騒ぎになるだろうが、もしもその第三者が制止に入ったとしても、怒られている私達が「余計なことはしないで下さい」と逆に割って入った相手に言い返すかもしれませんね。
表面的な行為にまさるというか、行為を打ち消すようなもっと深い情というものがあったりするわけです。物事、杓子定規で解決できることばかりではないのです。
行為とすれば同じ行為である体罰、しかし現在取り沙汰されている体罰と上記のように本気で叱る行為を一緒にはできないと思いますね。
勿論体罰を肯定するわけではありません。でも・・・・という部分が昔はあったのです。
体罰については少しずつ書いていこうと思います。
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