8/28/2012

部活動の送迎(乗り合い送迎)・・・・・追記

部活動の乗り合い送迎について以前投稿しましたが、アクセス数が大変多いので気にしている保護者の方が随分多いものだと驚いています。

それについて追記ということでまた投稿してみます。

この件で最も大切なことは承諾書を作成することではないと思います。
承諾書はあくまでそれまで話し合った内容の確認書類。

最も大切なのは、送迎事故の実態、事故を起こしたらどのような事態に発展してしまうのか、について知り、送迎の際の安全運転意識を高めることではないでしょうか?
(実際に送迎している保護者でも、任意保険に加入していない、スピード違反や信号無視、後部座席の子供たちにシートベルトを着用させないなどの問題が多くあります)

保護者会で安全運転意識を高めた上で、最後の最後に承諾書で念を押す形が望ましいと思います。
つまり、主は話し合いの内容を深めることであり、話し合いを深めずに「承諾書」に押印してもらったとしても、安全運転意識は高まらないと思うのです。

そして承諾書の内容は、なるべく具体的に書くなら
「私達◯◯中学校◎◎部保護者会は、生徒乗り合い送迎の際には交通法規を遵守し、子供たちを安全に送迎することに努めます。
にもかかわらず事故が起こってしまった際には、加入保険(自賠責保険、任意保険、傷害保険)によりできうる限りの補償を致します。
しかしそれ以外の不当な請求には一切応じませんし、また請求も致しません」

ちょっとくどすぎですか?

ご参考まで!


保護者からの訴え

昔、担任していた男子生徒が水泳部に所属していたが、水泳部が県外の上位大会に進出した。
その男子生徒はレギュラーではなく見学および応援という形で同行したが、本人も喜んで参加していた。

ここまでなら何も問題はないはずだった、後日その子の母親から涙ながらに訴えられるまでは・・・。

お母さんの話によると、上位大会に行っている息子から、夜自宅に電話が入ったそうだ、
「お母さん、迎えに来て。もうこの場にはいたくない。」

理由を尋ねると
「顧問教師から馬鹿にされた。お前は泳いでも遅いのに一体何しに来たの?」
と仲間たちの前で嘲笑されたそうだ。
男子生徒はそれに耐え切れず涙ながらに自宅に電話を入れたらしい。
お母さんは平素からは考えられない息子の様子に驚き、片道400キロを車で迎えに行ったそうだ。

ーーー私から見たその男子生徒ーーー
大人しく温和であったが真面目でしっかりした男の子。ちょっとからかわれたぐらいなら笑ってその場をやり過ごしたり、からかい返したりできる子だった。真面目な性格なので女子からも信頼されていたし、クラスでトラブルなども一切なし。目立たない存在かもしれないが、欠席すると周囲が健康を気遣ったりする。間違いなく人柄の良さからだろう。
運動能力は高いわけではなかったが、とにかく自分なりに一生懸命に取り組むタイプ。水泳の記録も飛び抜けて優れてはいないが、それでも腐ることなく努力を怠ることはなかった。

経緯を説明した後、お母さん曰く
うちの子は確かに能力が低いので記録なんて出すことはできない。水泳を続けさせている理由は、他の友だちよりもうちの子の運動能力が劣っているかもしれないから、全身運動ができる水泳を選んだのです。記録とか成績とか、そんなものは全く期待していません。
顧問の先生は過去に記録を残したようなすごい先生かもしれない。でも部活動に参加している子はそんな子供ばかりじゃないし、なぜうちの子が顧問に笑い者にされなければならないのですか?

お母さんの仰ったこと、尤もだと思います。

この顧問の先生の指導者としての資質が著しく欠如していることは勿論ですが、こういう先生、あちこちにいるのではないでしょうか?

先生の問題以外にも部活動のあり方について、色々思う所は多いのです。

8/10/2012

実技教科に評定はいらない(と思う)

夏休み、中学生たちは所属している各部活動に勤しんでおります。

子供たちの笑顔を見ながら考えたこと、「実技教科に評定は本当に必要なのだろうか?」

実技教科は保健体育、技術家庭科、美術、音楽だと思いますが、これらすべて評価項目を設定して評定を出します。そしてそれが高校入試の調査書や指導要録(学校にたぶん30年保存の記録)に記載されます。
結局、実技教科は入試のために評定を出しているだけに過ぎないのではないだろうか?と感じるわけであります。

例えば音楽、歌ったり、楽器を演奏したり、曲を鑑賞したりしますが、生徒たちはそれぞれ得意不得意があるし、学校の教科書に記載されているものだけが音楽ではないのです。
歌わせれば音程は外れるし、笛を吹けば最後まで演奏できない。でもある分野の音楽については涙を流すほど感動してしまうが、言葉や文字でうまく表現できないから周囲には伝わらない。おそらくそれらは教師の物差しでは測定できないものがほとんどなのです。

それに、実際の話、中学校の音楽の成績が「5」よりもカラオケで90点取るほうが社会においては高評価だと思うのです(笑)

芸術領域は生涯の趣味となるケースが多いし、技術家庭は生活に密着している。保健体育は生活にも密接な関連があり、尚且つ命に直結していますよね。
だったら学校教育の小さな物差しで評価評定をつけるより、「生きていく上での有益な知識と実践」を重点的に教え、将来子供たちが「あの時学校で習ったことが本当に役に立った」と思える機会を増やしてあげられるような、中身の濃い教科にしてあげられたらと思うのですが、皆さんどうでしょうか?