11/30/2010

学校教育の現場ーいじめ3

昔、自分が担任していた女子生徒と話していた時
生徒「先生、あたし早く大人になりたい!」
私 「なんで?」
生徒「だって大人になればいじめはなくなるでしょ?だから早く大人になりたい。」
私 「・・・・・・・・」
としばし考えこんでから、その子には申し訳なかったが大人は大人でいじめがあるということを話したことがある。
その子は、いじめとは子どもが成長する過程での一過性の症状であると思っていたらしい。

いじめをなくすにはどうすればいいだろうか?
いじめはなくなるのだろうか?

おそらく答えはNOになると思う。

子どもの世界は大人社会の縮図のようなもの。人間同士が付き合えば当然トラブルも起こるし、社会的な立場を利用して圧力をかけたり、会社の上下関係や取引での関係もある。ほとんどは継続しないかもしれないが、場合によっては圧力が慢性化したり継続したり、ほぼいじめ状態に陥ることもあるのではないかと思う。

そんなことを言ったら子どもたちが可哀想だろう?と批判されそうだが、子どもたちの場合には自殺まで一個人を追い込むことなく、精神的な苦痛を和らげることはできる。

いじめの陰湿化を防ぐためには、学校の場合は教師個人の力量であり、学級経営、学年経営、学校経営であり、家庭においてはしつけがそれにあたる。
しかし、残念ながら現状はいずれも崩壊しているのではないだろうか?何かトラブルがあれば互いに責任のなすりあいになり、10年以上前から叫ばれている学校と家庭の連携や地域との連携などいう言葉からは程遠い状況である。

学校は学校として子どもたちに指導すべきことがあり、家庭は最低限のしつけをしなければならないが、双方に必ず共通している部分はある。それは「人としてやってはならないこと」であり、理屈抜きで子どもたちに教え込まなければならいことである。
そのなかの一つが「弱い者いじめ」ではないかと思う。抵抗出来ない人間に集団で言葉あるいは行為による暴力を振るうこと、これほど卑怯なことはない。

家庭も学校も子どもために努力しなければならないのは同じ。ならば必ず歩調を合わせることができるはずである。お互いに非難しあっても子どもの成長にとってプラスに成ることは何も無い。

学校と家庭については、また別の機会に書きたいと思う。
最後に、参考までに会津藩什の掟をお読みください。部分的には時代にそぐわないと解釈できることもありますが、ほぼ子どもの教育に関しては核心を突いた掟であると思います。

1.年長者の言うことに背いてはなりませぬ
2.年長者には御辞儀(おじぎ)をしなければなりませぬ
3.嘘言(うそ)をいう事はなりませぬ
4.卑怯な振舞(ふるまい)をしてはなりませぬ
5.弱い者をいぢめてはなりませぬ
6.戸外で物を食べてはなりませぬ
7.戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

11/29/2010

学校教育の現場ーいじめ(質問への回答です)

ツイッターの友達から感想および質問があったので下記に掲載します。


「いじめられっこマインドを持つ人間としては、w やはり大抵のいじめられっこ達は「チクんなよ」などと脅されたり、 教師や親たちが大きく騒ぎ立てて、その結果迷惑をかけたり、目立ったりするのが嫌で相談するのを遠慮し、自分から進んで隠そうとする傾向があると思います(そうした結果悪化しないとも限りませんし)、 そのような時にいかに穏便に対応するものなのですか。」


これを読んで納得、というかいじめられている子にとってはまさにその通りだと感じましたね。
いじめられている子にとって最も嫌なことは「チクッたことによってさらにいじめが悪化すること」、「そして周囲が騒ぎ立てること」だと思います。


あくまで私が実践してきたやり方ですが・・・
  • クラスを担任した時点で保護者および生徒たちにやってはならないことを公言します。もちろんいじめに関してばかりではなく、特に「人としてやってはならないこと」を学級活動や保護者会、学級通信で徹底的に周知させます。
新入生を担任した時は最も効果的な方法であり、この「やってはならないこと」は絶対にぶれてはならない。教師の考えが気分で変わったり、子供に左右されてはならないのです。
保護者に対しても同じことを告げるのですが、親というのは勝手なもので、子どもが被害者になると大騒ぎをしますが、加害者になると「それはふざけていただけです」と子供の一方的な弁護に回ります。この辺りの意識をまず変える必要があるわけです。
この線引きがなされているかどうかが基本的な分岐点と言えます。

では、すでにいじめがひどい状況になっていて、表面的な指導をしてしまうとさらに悪化すると予想される場合はどうするか?
たとえば、1年からではなく2年や3年から持たされた場合・・・・・

基本は全く同じです。ただし最初は表立った行動は控えて徹底的に情報収集に努めることが必要であり、確証をもって指導に当たらなければなりません。換言すれば、いじめに関しての逃げ道をすべて塞ぐわけです。
子供というのは最も知られたくない部分の核心を突かれると「誰が言ったの?」と聞いてきます。この時点でほぼそれが事実と確定することが多いのです。

たとえば、
先生「◯◯くんをいじめているという話だけど?」
生徒「誰が言ったんですか?」
と情報源を聞き出そうとします。

この時点ですでに確定です。誰がチクッたのかを知りたがるわけです。やっていない子は「僕はやっていません!」と行為を否定します。

この後の指導ですが、いじめを行っている子ども達もそれぞれ抱え込んでいるものが違うのです。ほとんどの場合家庭的なことが不満となり、それが学校において「いじめる」という行為になって現れます。
最も大きな要因は「不満」となります。家庭内で自分の意見を聞いてもらうことがなく、一方的に抑えこまれている場合が多く、それは両親であったり兄姉であったりします。暴力で抑えつけられたり、言葉で抑えつけられたり・・・・・。
その不満が募って友達に対して同じような行為に及ぶことが多いようです。

いじめを無くすためには、いじめている子の根本的な不満を解消してやらない限り、解消は難しいし、時間もかかるのです。家庭教育のツケが爆発した形で子ども達の行動となって現れているわけですから、ものすごく傷が深いのです。

いじめを解消するには、いじめている子の親と懇談して家庭内における不満を解消しなければなりません。保護者にとっては、最も他人から触れてほしくない部分に学校の先生が触れてくるのです。当然認めたくもないし、触れて欲しくもないから徹底抗戦してきますし、絶対に認めないわけです。
もしも家庭的な問題が解消されたとしたら、その子どもは見違えるように人が変わります。

ちょっと質問の回答からそれましたが、いじめへの対処を穏便にするかどうか(穏便とは外に対して穏便にするのではなく、いじめられている子に配慮して表面化させるべきかどうかという意味)は常にケースバイケースとなります。

最後に、担任が同じなのに途中からいじめがひどくなった場合、担任が余程強い意志をもっていじめに取り組むか、または担任を替えてもらうか(実質不可能)、登校を拒否するか、転校するか、いずれかの方法になります。基本的にいじめが進行するまで放置していた、気付かなかった、あるいは解消できなかった担任なので劇的にクラスが変わることはないと思います。

随分立派なことを書いて、さも順風満帆な印象を受けるかもしれませんが、初任の時には保護者から不登校への対応でつるし上げを食らったり、先輩の先生に怒鳴られ続けていました。
決して優等生ではなかったですね!でも唯一の自慢は、他人を観察することが大変得意だったことですかね!

学校教育の現場ーいじめ2

いじめではないか?と思われる状況が確認できた場合には、次は検証しなければならない。

中学校の場合、まず学年会でその子がどのような状況にあるのか各教科担任への確認作業を行う。ただし、前回記載した通り気がつかない人間は全く気がつかないので、簡単な確認となってしまうことがほとんどである。

最も確実な方法は学校生活面のアンケート調査などと題して筆記調査を行い、その項目の一つにクラスのいじめの状況について質問すれば必ずと言っていいほど回答が得られる。いじめを行っている生徒がクラス全体に影響を及ぼすような場合を除き、中学3年生になっても実態については記載してくれる。
また、クラスのまとめ役となっている委員長、副委員長や間違いなくいじめに無関係で冷静に状況を把握している生徒から情報を収集する。

ここまで来れば実態はかなり明らかになってくる。いじめられていると思っていた子が、力の連鎖で別の子をいじめていたり、いじめられているばかりではなくかなり報復していたり(この場合やられた時だけ被害者を強調するのでいじめとは別だと思うのだが・・・)。

マスコミの報道では学校関係者からの謝罪報道がメインになっているが、クラスメイトはほぼすべて把握していると思っていい。いじめの当事者は何も言わないだろうが、その他の生徒はいじめの事実を目の当たりにしている。

いじめの実態をある程度把握出来れば後は実際にどのように指導していくか、ということになる。
過日自殺した小学6年生の女子生徒の場合は、本人がいじめを訴え、その後に保護者まで学校に訴えている。転入生であったし、担任も周囲の生徒と馴染めるかどうか重点的に観察しなければならないし、担任以外の生徒も自ずとその子の動向を観察するのが普通である。おそらく学年会でも話題にはなるはずである。

保護者が学校に訴えに来るほどであれば、必ず学年会で話し合われたし、校長教頭の耳にも入ったであろうし、学級担任も何らかの指導はしたはずである。

それでもなぜ自殺まで彼女を追い詰めなければならなかったのか?

それは前回記載した最後に書いたことが原因だと思う。
担任教師が<最大で最後のチャンス>を指導に生かすことができなかったから、つまりすでにクラスの生徒から「指導力のない教師」とレッテルを貼られていたからである。

子ども達は冷静に判断し、教師にSOSを送っている。しかも期待を込めながら信号を発している。でも大人がそれに十分応えてあげることができなかったら、一生懸命さが伝わらなかったら、他の教師に助けを求めるか、あるいはもう諦めるしかないのである。

此処から先は皆さんがマスコミで知る通りの状況となります。

11/28/2010

学校教育の現場ーいじめ1

子ども達の自殺が相次いだけれども、マスコミから流れる学校および教育関係者からの答弁は相変わらず情けないものばかり・・・怒りばかりが込み上げてくる。

もう退職して10年を経過したが、その当時を振り返ってみたい。

幸運にも私が勤務していた各中学校では生徒の自殺は1件もなかったが、不登校やいじめはやはり当然のことのように転勤先すべてにあったと思う。(唯一、郡部の僻地の学校は不登校およびいじめはなかった。学年1クラスで保育所から中学校卒業まで同一メンバーで過ごす地区だった。ただしいじめはなくても地区特有の人間関係が感じられた。)

ご存知のように小学校は一部教科を除きほとんど担任が自分のクラスの授業を行い、中学校は教科担任制となっている。中学校の教科担任制でさえ孤立した子どもやいじめられているであろう子どもを見分けることは可能である。
しかし、教科担任制でさえと記述するのはもしかしたら間違いかもしれない。教科担任制だからこそ複数の教師からの観察状況を得ることができ、発見しやすいと言えるのかも。

***教師がいじめを認識できるケース***
発見しにくいと言われるいじめだが、教師が見つけようと努めさえすれば発見できるケースはいくらでもある。たとえば

  1. 授業中にある特定の生徒が発言すると周囲の数名から厳しい非難がある
  2. 授業中の活動の際に孤立しがちが子がいる(周囲から声を掛けてもらえないなど)
  3. 授業中の口数が少なくなり、伏し目がちになる
  4. 授業中発言すると笑われることが多い
  5. 保健室への出入りが多い
  6. 物が失くなる子がいる
などなど色々な場合があるが、最も大切なのは上記のような状況を見て教師がそれをどう捉えるかということ。小学校のように一日の大半を担任教師と過ごす場合、教師自身が何も感じなければそれで終わってしまうことになる。

<最大にして最後のチャンス>
さらにいじめが進行していくと、傍観していた生徒たちが黙っていられずに教師に訴える。ただし、訴えは1回のみ。そのたった1回の訴えで教師が解決できないと「あの先生は指導力がない」と生徒たちからレッテルを貼られる事になる。そのレッテルはいじめに関してのみのレッテルではなく、その教師の指導力すべてを否定されたことになるため、よく聞く「学級崩壊」の序章となるわけである。
当然ながら教師の適切な対応力、指導力は子どもたちの口から親の耳に入るわけだし、親たちの不信感も募る。あとは悪循環のみで、教師が何をしても信頼を回復することは困難になっていく。