12/19/2013

体罰考

 体罰は是か非かと問われれば当然「非」である。
これは刑事事件にも発展するし、民事訴訟にも至る。教員の場合には服務規程違反にもなる。
 ただし、学校現場において体に少し触れたりするぐらいの程度が体罰と訴えられるのであれば、それはそもそも形成すべき人間関係がない、ラポートがないという状況に他ならない場合。例えば、教師を嫌う生徒にとっては、その教師の言動すべてが不快そのものであり、きつい言葉を浴びせられれば言葉の暴力であり、体に少しでも触れようものなら暴力以外何ものでもない。間違いなく何か原因があってそうなっているわけだが、人としての信頼関係がない以上、同じ行為でも感情が先に立って容認出来ないのである。

 どこからが体罰かという点はさておき、なぜ体罰が起きるかについて考えてみたい。
結論を言ってしまうと「子どもを預かり育てることよりも、自分の欲求や感情が優先されるから」。

 まず最も多いのが「指導者の地位保全・絶対性の保全」
これを保つことができれば自分の意のままにクラスや組織、団体を経営することができ、指導者にとって最も快適な場を構築するために体罰を使用する。

 第二に「大人としてのプライドを保つ」ことが目的の体罰。
これも学校現場では多いのではないだろうか。
要は「子どもたちになめられたくない」という気持ちの現われである。

 第三に「子どもに従順さを押し付ける」ための体罰。
これは上記と重複するかもしれないが、大人に従順なこどもはいい子、という己の過去を振り返ることすら出来ない意味のない価値観の押し付けといえる。

 そして最後、これが最も問題であろうと思われる「指導力・指導理念の欠如」
このような教師はその日の気分で怒り狂う場合もあるし、特定の生徒を目の敵にしたり、思いつきや行き当たりばったりで強い指導を行う。こんな教師を子どもたちは絶対に信頼しない。
 生徒たちから見て、「罰すべきを罰することができる教師」、「ダメなことをダメと言える教師」、「生徒たちが納得できる指導ラインが常にブレない教師」、「誰に対しても公平に指導できる教師」などは間違いなく信頼できる教師の資質を備えているし、安易に体罰を振るうことなどない。

 私も色々やったほうなので大口を叩くことはできないのですが、上記4つが体罰に至る教師側の問題点だと思われます。
 体罰の弁解として「感情を抑えきれず、ついカッとなって殴ってしまった」とありますが、その根底にあるのは上記4つのいずれかです。実は感情的になって殴ることはほとんどないと思います。子どもたちの言葉で言えば「ムカつく」から殴ったということになるでしょう。極稀に、体罰を振るったことのない教師が涙ながらに生徒を殴ることもあるかもしれませんが、その場合は体罰として訴えられることはまずないでしょう。

 各項目について説明したい点は多々ありますが、いずれまた!

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