7/26/2013

ネタが尽きませんな〜

「女子生徒に馬乗り体罰、交際申し込み…3教諭に懲戒処分」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/671363/

間違いなくクソ生意気なガキもいますが、なんで馬乗りなんでしょうか?

「女子生徒にテスト解答教え停職、北海道の中学教諭」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/671822/

これはこの時点で発覚してよかったのではないでしょうか?このまま見つからなければ更に深刻な事態に発展していたかもしれません。

「プレーヤーに入れたまま…中学教室でアダルトDVD再生 教諭を停職」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/669923/

短い時間でも一番いい所が再生されちゃったんでしょうね。見せようと思った映画がサウンド・オブ・ミュージックだけに残念!

「生徒7人に体罰、懲戒 三重の中学教諭」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/671803/

ごく当たり前のように体罰があったのでしょう。力で指導体制を築いていたということ。


これだけ体罰を含めた様々な問題が報じられているにもかかわらず、なんでこうなるのでしょうね?
やはり感覚的なズレが大きい世界なのでしょうか?

 大多数の教師は真面目にやっていると思うのですが、たった1件の信用失墜行為があると学校としての信用を取り戻すのに何年かかるか。ただ、うまくいっている学校では、世の中でどんな信用失墜行為があろうとも良好な関係を保ち、世間の喧騒など全く関係ないのです。不思議なもんですよね。

 親もわけのわからない論理を展開する人が増えました。その理論は「公共の福祉」を目指すものの一環であればいいのですが、蓋を開けてみると単なる「わがまま」。
教師は教師で上記の通り。

 画一化とも思える教育がずっと推進されてきたのですが、それに比べるとある意味ごく普通の状態に戻りつつあるのが現在なのかと思ってしまいます。

それにしても、預かる側ぐらいはもうちょっときちんとしないとね〜。
子供たちが可哀想!

7/24/2013

虚しい

【東京新聞】

調布の小5アレルギー死亡事故 再発防止へ報告書


http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013072390135536.html

ーーー部分引用ーーー
事故につながった女児の「おかわり」は、クラスで目標としていた、給食の食べ残しをしない「完食記録」に貢献したかったからだと、同級生が新盆の際に泣きながら教えてくれた」


◆調布市検討委の報告書主な対策
▽教職員が緊急時に児童に行うエピペン注射は市教委が責任を負う
▽事故防止に同級生の目を活用するため、全校児童にアレルギー授業を実施。互いに認め、助け合う力を育成
▽小学校給食室にアレルギー対応食の調理・配膳専用スペースを設置
▽食物アレルギーのある児童は当面、おかわりを禁止
▽重篤な食物アレルギーの原因となるピーナツとそばを献立から削除
▽全小中学校に食物アレルギー問題に対処する常設委員会の設置を義務づける
▽各校にPHSを配備し、提携病院の専門医と緊急時にホットラインをつなぐ
▽アレルギー児童向けの特別食と一般食のトレーや食器の色分けを徹底

ーーー引用ここまでーーー

こういう記事を読む度に悔しさと虚しさをおぼえる。

アレルギーというものが全く未知のもので初めての経験ならわかる。

しかしアレルギーの死亡者はすでにかなりの数に達しているはず。

子ども一人の大切な命を犠牲にしての対策が上記の通り。

こんな対策、尊い命を犠牲にする前にできただろうに・・・。

ご冥福をお祈り致します。

7/22/2013

怠慢だった

小6女児の自殺未遂で会見
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kennaitopix/2013/07/20093336011035.shtml

また自殺未遂が起こってしまいましたね。

 この学校の校長さんは「怠慢だった」「チェックが足りなかった」と話していますが、おそらく校長にはこの子の情報が全く伝わっていなかったのでしょう。

もし校長が事前に情報を入手していたら、最低でも「いじめとは認識していなかった」とか「学校で協議し、対策を講じていた」などと釈明していたでしょう。

つまり、学校の生徒指導が全く機能していなかったということです。
おそらく担任だけが「靴隠し」「仲間はずれ」の指導をして、情報はすべてそこで途切れていたということです。

 これは小学校の指導体制の怖さ、弱点でもあります。
学校によっても違いますが、小学校はごく一部の教科以外はすべて一人の教師が授業を受け持ちます。良好な学級経営ができればいいのですが、同じ人間が担当している故、盲点が改善されないままであることが多々あるのです。
結果的に担任の指導力任せということになるのですが、アンテナが敏感な教師の場合にはいじめに至る前の初期の時点で対策を講じることができますが、感度の鈍い教師の場合には何も感じず、からかいがいじめにエスカレートして初めて気づくことになるのです。感度がひどい場合には子供の死という最悪の結果になった時さえ「気づかなかった」ということになります。

 ではこのケースのような場合はどうすればよいか?

 まず、学校内における連絡系統および指導体制を充実させなければなりません。
学級における子供たちの動向や問題など、学年会や学校全体で話し合う必要がありますので、連絡報告内容の充実と情報の共有が大切です。
ただし、上記の通り担任一人がすると観察能力の問題と限界が生じてきますので、もうひとつの目が鍵となります。
子供たちのいじめを事前に食い止めるためには、その「もう一つの目」の役割を果たす教師が必要だと思います。しかもその教師は学習指導の補助要因を兼ねた観察指導の熟練者で、学校内すべてのクラスを担当。この仕事はスクールカウンセラーには絶対にできない仕事です。
 「このような体制は財政的に無理」とか「校務分掌的に無理」批判されるかもしれませんが、子供一人の命が救える可能性があるなら、現状を打破するためにも考えるべき措置ではないでしょうか?

 さらにもう一つ、教師の観察力をより感度が良くなるように高める必要があります。
おそらくこちらの方が実践する難易度は高いと思われます。つまり、ひとそれぞれの感受性、観察力などは生まれてから現在までの人生で無意識の内に身についたものであり、一朝一夕に培われるものではないからです。
 最終的には現場での実践において感覚を研ぎ澄ますようになるのですが、大学の履修科目にいじめ、不登校、自殺についての専門科目の理論と現場実習(教育実習とは異なる)を設けたり、採用直後に一定期間重点的な研修をしたりといくつか方法が考えられます。

 肝心なのは若いうちにこの感覚を身につける努力をさせること。

感覚の鈍い10年選手に今更研修しても間違いなく時間と経費の無駄になるのです。

 昔からいじめ、不登校、自殺があり、今だにそれらはなくなりません。0にすることは不可能なのかもしれませんが、現在の学校を本気で抜本的に改革しない限り犠牲となる子供たちが減ることはないでしょう。

自殺未遂の子が1日も早く意識を取り戻しますように!

7/17/2013

チャイム考

いきなり結論:チャイムはいらない!!

ゆとりとか何とかになってチャイムを廃止する学校がかなり増えたのですが、問題も多くチャイムを復活する学校もあるとか・・・

記事
現在の小・中学校ではチャイムがならない!? – 尾木直樹 http://honmadekka.tv/post/onair/20130306/9298

【兵庫】授業知らせるチャイムは必要?不要?…「ノーチャイム制」を導入した小中学校で、成否が分かれる (274)
http://desktop2ch.tv/newsplus/1287884006/

消え行くチャイム 西日本新聞
http://www.naraken-pta.jp/kirinuki07.htm

こだわりの生活
http://kodawari-club.blog.ocn.ne.jp/diet/2009/05/post_de07.html

 上の各リンクを眺めてみると、「子どもたちの自律性を促す事につながった」という意見から「教師の姿を見て子どもたちが教室に入る」ためチャイムを復活、「チャイムがなくなると寂しい」というご意見まで様々。

ポイント1:チャイムなしがうまく機能するかどうかは先生方のやる気と行動力

 昔、僻地の中学校に勤務したことがあるのですが、その中学校はもちろんチャイムなし、ついでに時間割を自分で組む期間が設けられていました。
僻地で学年20名ほど1クラスでしたし、チャイムなしは小学校からずっと続けている子どもたち。
トラブルなどは全くありませんでした。
当たり前のように時計を見ながら子どもたちは行動していましたよ。

「時計を見る習慣をつけさせるなら腕時計を持たせなくちゃダメだろう」と考える方もいらっしゃると思いますが、学校は時計の宝庫、時計がないのはトイレと廊下ぐらいです。それに下手に腕時計など持たせたら「紛失・盗難」が必ず問題になってくるし、多機能な時計だと休み時間にゲームとか・・・。だから腕時計はいらないんです。

ポイント2:幼児期あるいは小学校低学年からの継続指導と連携が大切

 時計を読めるようになってからの継続指導が大切です。
可能であれば幼稚園保育園から徐々に時計を見る習慣をつけさせる。
小学校はその確立時期になると思いますので、先生方のフットワークが肝。
中学校はおそらくばらつきが出てくるので、うまく行動できない、行動しない子どもたちに留意すべきだと思います。

 継続的に9年ほど指導する事が出来れば、95%の生徒はチャイムなしで行動できると思いますが、残り5%は手をかけてあげないとダメだと思います。
その5%の子どもたちはそれぞれ問題や悩みを抱えた子どもたちなので、チャイムのあるなしに関係なく常に全職員で見守らなければならない対象であると思います。

 最後に一番大切なこと!
ちょっと昔のことを思い出してみて下さい。
授業が楽しい、面白い先生の場合、早めに移動して着席したりしてませんでしたか?「あ〜、もう終わっちゃった。もっとやりたい」と感じませんでしたか?
逆につまらない授業の先生の場合、終業チャイムが天の救いの音に聞こえませんでした?

チャイムの有無は時間的な区切りと行動を起こすタイミング、ただそれだけのものです。
その先にもっと楽しみがたくさんあれば、子どもたちは自分から飛びついていきますよね?


7/15/2013

スクールカウンセラー(問題点)

  今日はスクールカウンセラーの問題点ということについてですが、まずは下記リンクおよび動画をご覧ください。
大津の事件の調査に参加された尾木直樹さんの発言に注目です。

「スクールカウンセラーの真実」〜精神科医の犯罪を問う
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/53821500.html

 大津の中学校ではスクールカウンセラーが学年所属で教師たちの下請け状態、カウンセラーとしての独立性がない。
調査もずさんで、校長からのDVをいう説明を真に受けて、まずDVありきですべてを説明していく。

スクールカウンセラーは独立性が担保され、外部機関として存在しないとその役割を果すことは不可能でしょう。

ブログ「精神科医の犯罪を問う」さんでは以前から警鐘を鳴らしていたようです。
===引用ここから===

社会臨床学会は、早くから臨床心理学の技術の危険性に気付いていました。カウンセリングという技術は、管理側の問題を個人の内面の問題へと転嫁させることで不当な管理の技術になり得るということです。スクールカウンセラーの存在についても、子どものために導入するという見せかけの裏にある危険性をいち早く見抜いていました。
私自身は、スクールカウンセラーが精神科への安易な橋渡しになる危険性を指摘してきました。
そのどちらについても、世間からは全く同意が得られませんでした。残念なことに、スクールカウンセラー導入とは、まさに日本のお役所仕事にぴったりな事業だったからです。
お役所は、何か対策をしておく「ふり」をする必要があるのです。問題が生じた場合、事前に何もしていないことが発覚すると各方面から責められるからです。いじめ、不登校、校内暴力・・・教育現場で蔓延する問題に対処していることを示すパフォーマンスとなるのが、まさにこのスクールカウンセラー導入というものです。
問題は、目的や熱意がなくても、パターンだけで動けてしまうことです。彼らはそれがどのような結果になるのかについて知りません。責任も持ちません。決められたことをやったことのみが重要なのです。
これらは、自殺対策やメンタルヘルス対策にも見られることです。専門家につなげるという体制を作ることが第一の目的となっているのです。彼らは、つなぐ先の専門家がどのようなずさんな治療をしているのか関心がありません。それが却って自殺やメンタルの問題を引き起こしていると知っても、それを止めようとはしません。
===引用ここまで===


”スクールカウンセラーは目的や熱意がなくてもパターンだけで動けてしまう。
どのような結果になるのか知らず、責任も持たない。決められたことをやったのことのみが重要”
”専門家へ繋げるという体制を作ることが第一の目的”

 これらの厳しい指摘をスクールカウンセラーは肝に銘じなければなりません。
私は心理学の専門家ではなく現場での叩き上げの生徒指導担当でしたが、子供たちの深刻な問題に関わることがいかに大変なことであるか、そして己の無力さを思い知らされるばかりであったと思います。
 スクールカウンセラーとして週8時間、月32時間のうちでそれらの問題に対処しようとするなら、並大抵の覚悟ではできないでしょう。
上記大津の例は特殊なのかもしれませんが、いずれのカウンセラーも陥る可能性がある問題であると思います。
スクールカウンセラーに外部機関としての独立性と権限を持たせるなら、職務として遂行できなかった場合には資格剥奪、最悪の場合は刑事罰を科すぐらいの厳格さは必要。
子供たちを扱う仕事というのはそれだけ責任が重いということです。(これについては教師も同様です)

 何はともあれ、まず学校および教育機関としてのの体制づくりが急務。
スクールカウンセラーの特殊性を考慮し、専門のカウンセリング室を設置しなければなりません。そしてスクールカウンセラーが本当に機能するようにシステムを整えなければ、今の教師と同じように「子供たちが二の次」になってしまいます。
「とりあえずやりました!」だけのお役所仕事はもううんざりです。
そのお役所仕事でどれほどの子供たちが犠牲になったことか・・・。


「死ねは遊びの延長」

同級生「死ねは遊びの延長」 名古屋の中2転落死
http://www.asahi.com/national/update/0715/NGY201307140036.html

「死ね」という言葉、それほどまでに軽い言葉なのかと愕然。

アニメやドラマ、映画でも歌でも「死ね」という言葉が濫用されている。
「死ね」という言葉が乱れ飛んでいるという印象はあるのだけれど、内容をより効果的演出するための手法の一つであろうし、許容できることも多い。

問題は、子供たちの「死ね」という言葉の濫用に対して周囲の大人たちが関心を示さず、不快感も顕にしないことにあるのではないか?
現にこのクラスの担任の女性教師も「子供たち挨拶代わりのように使っていた」と話している。

「死」という言葉が濫用されている原因は、「死」自体が軽く扱われているからではないのだろうか?いや見方を変えれば「生」が軽視されているということになる。

何の罪もない動物たちを遊び感覚で殺す、顔が見えないことを良い事に他人に「死ね」と罵声を浴びせる。
挙句、子供たちは「クラスの挨拶代わりのように『死ね』」
まともな感覚ではない。

 言葉は人の心が音となって表現されたもの。
荒んだ言葉をで使えば、行いまでもがその影響を受ける。
心・ことば・体はひとつのもの。

私たち大人の無責任さを痛切に感じた記事。

スクールカウンセラー(実態・感想)

 各学校にスクールカウンセラーが配置されていますが、勤務時間は週8時間以内、時給は¥5,000ほど、「資格を取ってスクールカウンセラーになろう」という広告もよく見受けられます。
臨床心理士の資格は必要なようですが、広告を見る限りはアルバイト感覚。
時給¥5,000のバイトですから高給には違いないです。

実際に配置される方はベテランの方から大学院を卒業したての若い方まで様々。
やはりスクールカウンセラー自身も様々な苦悩を抱えているし、相談する保護者に不満も多いと思います。
下記リンクをちょっとご覧ください。

スクールカウンセラーとして活動されている方のブログ
「おふうの笑えるぼやき」
http://kuwa.way-nifty.com/ohuuboyaki/2005/06/post_9b30.html

「不登校解決ブログ」
http://futokou.blog106.fc2.com/blog-entry-124.html

◯現場の先生方の声
「ただ職員室に座っているだけ、何をしに来ているのか?」
「自ら子供たちと関わろうとしない」
「本当に悩んでいる子どもが見ず知らずの人間に相談するのだろうか?」
「職員との人間関係すら築けない。それで子供たちのカウンセリングなどできるのだろうか?」
「結局心療内科や精神科への橋渡しの役目しかないのではないか?」

またツイッターの友達であるお母さんからは「存在意義がわからない」という感想も寄せられました。

 心理学は大変重要な学問なのですが、現場の状況に適合させながら効力を発揮させるのが非常に難しい。そこがカウンセラーの手腕ということになるわけです。
また、現場でのポジションを明確にしないと活用できない存在でもあります。

色んな声を総合すると「スクールカウンセラーをまだまだ十分に活用できていない現場がほとんど」ということになりますでしょうか。

次回は動画をまじえて問題点の指摘!!


7/13/2013

中二男子自殺

J-CASTニュース
自殺した生徒に「死ねるものなら死んで見ろ」 中学担任女性教諭はそういったのか
http://www.j-cast.com/2013/07/12179391.html

痛いニュース

いじめ受けてた生徒「自殺する」→担任「やってみろ」 自殺当日のやり取り、同級生が証言

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1767727.html

東京新聞 7/12朝刊

中2男子いじめ自殺か メモに「死ねと言われた」 名古屋転落死

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013071202000119.html



 いじめが日常的に行われていれば、見ている子どもたちが必ずいます。
今後の調査でさらに具体的な内容が出てくる可能性がありますので、今後の調査次第。
まだまだわからないことが多いのですが・・・
本当にいじめだったのかどうか、まずそこから検証しなければなりません。

 中学生は友だちと一過性の喧嘩をする場合でも遊んでいる時でも「死ね」という言葉をよく使います。
日頃から「死ね」という言葉を浴びせられて、それ以外にも精神的、肉体的な苦痛があったとすれば「いじめ」であるし、逆に「この時だけたまたま」というのであればいじめに発展する可能性がある案件であると思います。
 ただし結果的に男子生徒が死を選択してしまったという事実がありますので、日常的ないじめがあった可能性が大きい事を前提としてアンケート調査以外にも聞き取り調査が必要だと思います。

なんて尤もらしい文章を書きましたが、中学校は教科担任制なので複数の大人が授業を担当しています。だからいじめがあればその微妙な雰囲気を感じ取ることができるはず。いじめが日常的にあり、それに大人たちが誰一人気づいていなかったとすれば、使いものにならない教師の集団ですね。しかし一過性の揉め事、いじめに発展する本当に初期の段階であったとすれば、担任を含めて気づかない場合もあります。実際のところどうなんでしょう?これだけの情報では判断しかねます。でも子どもたちは知っている!

部分引用(東京新聞より)
 複数の生徒によると、亡くなった当日は、帰りの会でクラスメートから「死んでみろ」「死ね」と言われ「死ねと言うから死ぬ」と言い返していた。その会話を聞いていた担任教諭は「死ぬ気もないのに、そんなことを言うもんじゃない」などと話していたという。
 担任教諭は十一日夜、市教委の調査に「そんな発言はしていない。死ねという言葉も耳にしていない。もし聞いていれば、必ず注意している」と答えた。

J-CASTニュースより引用
"この「事件」は、2013年7月10日の昼、クラスの一部の男子と女子が一人の男子生徒に対し繰り返し「死ね」と言った。言われた生徒は担任に「自殺してやる」と訴えたところ、担任は「やれるもんならやってみろ」と突き放した、とされている。"

痛いニュースより引用
「A君が(男子生徒に)死ね死ねって言っていた。Bちゃんも乗っかって死ね死ね言っていた。(男子生徒が)『自殺する』と言ったら、D先生があおった。『そんなのやれる勇気ないのに、やってみろ』と」(同級生)

 各ニュース、微妙にニュアンスが違っていますのでかなり不確定情報と言えます。
教諭が発言したとされる「死ぬ気もないのに、そんなことを言うもんじゃない」と「やれるもんならやってみろ」と『そんなのやれる勇気ないのに、やってみろ』は全く違いますが、当の教師は「そんな発言はしていない。死ねという言葉も耳にしていない。もし聞いていれば、必ず注意している」と市教委の調査に答えています。
帰りの会での出来事のようなので、他にも多くの生徒がこの状況を見ていただろうし、聞き取り調査によってさらに正確な情報が得られるだろうと思います。

 生徒からの情報で先生が何か言っているのは確実、しかもその発言内容は自殺した子を煽る、挑発する、追い詰めるような言い方だったんだろう。
この担任教師はもめている生徒たちを何故放課後指導しなかったのだろう?という素朴な疑問が湧いてくる。
担任がいじめについて全く知らなかったとしても、この状況であればなにか異様な雰囲気は感じたはず。放課後、それぞれ(死ねといった子どもたちと自殺した子)生徒指導をすればよかっただろうし、念には念をという考え方(いじめがすでにあるのではないかという前提)で指導するのであれば、学年の先生にお願いして生徒一人ひとりから聞き取りをすればいい(問題が大きいほど個別相談の効果が大きい)。
それをせず帰宅させてしまった。こういう光景が日常的見られる学校だということで、教師の感覚が麻痺しているのだろうか?

同級生のこんな発言もあったようです!
「止められたのに、2回チャンスがあった」(同級生)
「明るくて、人に心配をかけないように自分で背負い込むような性格だった」(同級生)


ということで今後の調査結果待ちですが・・・
 子どもたちが安易に(彼らにとってはその余地しかないのかもしれませんが)「死」を選択してしまう、これがどうしてもわからない、理解できない。
その選択をすることによって、大好きな人が苦しんでしまうということは考えないのだろうか?
なぜ「死」なのか?その他の選択肢はないのか?

ちょっと悩んでみます。

書き終えたら続報ありました!

朝日新聞

担任、自殺あおる発言否定 名古屋中2転落死で会見


http://www.asahi.com/national/update/0712/NGY201307120038.html

7/12/2013

同僚の自殺3

自殺した彼女の生育環境等について
分かる範囲ですが・・・
学力は優秀、育った地区で最も優秀な女子校に進学、そして大学の教育学部へ
「どうしても先生になりたかった」と教師志望が強かった女性

外見から感じる印象もそうですが、話し声はかなり小さめでした。非常に穏やかな性格で大声で笑ったり、興奮して声を荒げることなどなかったと思います。ただ、教師になって故意に声を荒げたことはあるかもしれません。

死後、彼女のご自宅に伺いましたが、ご両親とも温和な方。お盆休みや正月休みなど、帰省した際には父親と二人で散歩に出かけたり、大変仲の良いご家族。このご両親なら感情的になって娘を叱ったりしたことはないだろうと感じました。

優秀な女性でしたので授業なども様々な工夫を凝らしていたようです。たとえばゲームを取り入れながら授業を進めたりなど、授業内容について生徒からの苦情(授業がわかりにくい等)はなかったと思います。
子供たちから苦情が出ていたのは「声が小さい」ということぐらいではなかったかと思います。
保護者との飲み会で「あの先生何?」と訊かれたことがありますが、学校の先生としてはあまりにも大人しいタイプであったため、保護者も若干当惑気味だったようです。

 もし生育環境において「教師として問題になる部分」があるとすれば、あまりにも彼女が穏やかに育ちすぎた点かもしれません。
我々は親や担任に殴られながら育ったし、中学校の場合多くの先生が性格行動面では優等生なわけではありません。だから場合によっては感情的になったりしつつ生徒たちを接するわけです。
しかし彼女は「生徒を叱る」というより「諭す」タイプの先生であったのかと思います。それは教師として理想的な指導法であると思うのですが、子供たちは話の内容や指導形態よりも表面的な威圧感に敏感に反応してしまう。それ故「あの先生は怒っても怖くない」という捉え方をしていたはずです。

 非常に難しい問題ですが、本来なら一人の大人として自分をさらけ出して付き合うことも大切です。しかし反面、教師はパフォーマーでもあります。場合によっては大げさな演技をすることも大切で、その使い分けは非常に大切。それを上手く使い分けできない場合、教師自身にとっても辛いものかもしれません。

新採用教員に対する学校学年のバックアップ体制不足
当時新採用した場合、授業数を少なくして研修に当てるため補充教員を別枠で採用していました。しかし、それらの研修や指導担当教員の話が本当に意味のあるものであったか、それは疑問です。
形式的な講義よりも、ぶつかっている問題にどのように対処すべきか、その方が重要であり、新採用教員が最も望んでいることだと思います。
 学校というのは意外と先生を「放置」します。学年主任などがそばについて細かく指導してあげればよいのですが、面倒臭がってやらない、自分で失敗しながら覚えるものだという職人気質のような一面もあります。
 ある新採用教師が来た時新入生を担任。しかし学年主任は入学式当日に何をすればいいのか全く教えない。その先生が途方に暮れていたのでやるべきことを書いたプリントを作ってあげたことがあります。思った以上に冷たい現場ですよね。

 学校として新採用教員をいかに育てるか、その辺りはまだまだ改善しなかればならない点が多いと思いし、最低でも3年間(中学1〜3年)持つまでは責任をもって育てる必要があると思います。

他クラスの指導をどうするか?
私が彼女のクラスの生徒に対して強い指導を行いましたが、本来それをやってはいけません。
理由は「その先生に指導力がない」ことを生徒が確信してしまい信用が更に失墜してしまうこと、そして本人が自信を喪失してしまうからです。
 ではなぜあえて手を出してしまったのか?
あの時私が考えていたのは「これ以上放置すると他クラスに波及して収拾がつかなくなる」と感じたからだったと思います。事実私のクラスには卒業後少年院のお世話になるほどの奴がおりましたし、各クラスに追随しそうな男子は間違いなくいたのです。学年から学校全体へ影響が出ることを懸念していたのは間違いありません。

 しかし・・・・繰り返しますが、私の行為は本当にやってはいけない。
そのために学年で経験不足や悩んでいる先生をサポートするシステムが必須なのです。もちろんそれは力で抑える指導ではなく、学年全員で模索しながら最善策を打つ対策です。具体的には指導方法を変えることや場合によっては2人の教師が授業、その他の活動を行なってもいいと思います。
 あの当時は学年会でその策を真剣に議論したこともなかったし、もしかしたら今の学校でも同じかもしれません。
別な記事で「中学校の担任は日替わりでいい」と書きましたが、学年全体で子どもたちを見守るシステムができているなら何も問題はないわけです。でも実際は「自分のクラスは自分のクラス、他のクラスは他のクラス」、最終的には「自分のクラスさえよければいい」となってしまうのが現状です。
 また学年会が事務連絡と思っている先生方も非常に多いのですが、学年会の主題は生徒指導、情報交換が最も大切なのです。

教師の個人情報公開

 1,2をお読みになって気づいた方もいらっしゃると思いますが、彼女自身が電話で話していたこと(夜中に呼び鈴を押され、足音が聞こえる)、自殺の全校放送が流れた時に「俺のせいだ」と言って泣いた生徒。

 元担任の先生に対してのひどい仕打ちを反省して「俺のせいだ」ということかもしれませんが、もしかしたら何人かの生徒が夜中に彼女宅に向かい、呼び鈴を押して逃げる行為を行なっていた可能性もあります。(これについては確認していませんので状況からの推測です)

 当時は新採用の女性であっても電話番号と住所を保護者に公開していたと記憶しています。今であればかなり配慮がなされ、せめて電話番号をクラスの保護者に知らせる程度にすると思いますが、年賀状を出すために先生の住所を知りたがる子もいますので、職務上全く公開しないというのも難しいかもしれません。

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 長々と書いて来ましたが、学校は教師も追い詰められる現場でもあります。

「死を選択した彼女が弱すぎたんだろう」という批判もあると思いますが、教師が様々な個性の子どもたちを尊重しないのと同様、子どもたちや保護者も先生の個性を受容できずに排他してしまう傾向も強いのではないでしょうか?もちろん、同僚教師にも同じ事が言えます。
ある一定の枠組みや価値観によって人を判断し、是と非に選り分けしてしまう。それらが営利目的の企業であればある程度許容される事もあるでしょうが、公的教育機関としての学校ではその選り分けが様々な問題に発展していきます。

 今の学校は、他人から預かった大切な子どもたちを育てているという責任感と状況を見極める的確な判断力、そしてそれらを元にしての行動力、実践力が著しく欠如しています。子どもたちが育つ場所なら若い世代の大人たちも間違いなく育ちます。しかし実状は子どもも大人も育たない、育てられないのが今の教育現場なのかもしれません。

ご質問、ご意見等あればお気軽にどうぞ、お待ちしています!


7/11/2013

同僚の自殺2

 その後、その先生は病休を取ったのですが、生徒たちが2年生になってからだったと思います。

 彼女が病休を取って何ヶ月かした頃、夜7時すぎに学校に1本の電話。
その彼女からの電話だったのですが、まず教頭さんが応対したのですが同学年ということで私が話すようお願いされました。
久しぶりに話したのですが、その時彼女が話した内容はいまでも記憶しています。
「◯ ◯先生、こんなことを言ったら私の頭がおかしくなったと思われるかもしれませんが、夜中に自分のアパートの部屋の呼び鈴を誰かが押すんです。足音は確かにするのですが、外には誰も居ないのです。そんなことが続いていたんです。」

 それから数ヶ月後、ずいぶん明るくなってもうすぐ復帰できると周囲が思っていた矢先、彼女は実家で首を吊って自殺。
何が直接のきっかけとなったか全くわかりませんでしたし、遺書もなかったらしいので発作的に行為に及んでしまったのではないか・・・ということでした。

 学校に自殺の一報が入って緊急の打ち合わせ。
我々はもちろんですが、亡くなった先生の実家まで遊びに行っていた先生方は特にショックが大きく呆然としていました。ちょうどその1週間ほど前に会いに行って、そろそろ復帰できると確信していたらしいのです。彼女自身も復帰を口にしていたようですので、尚更受け入れ難い事実だったでしょう。

概略等校長から話があった後、生徒にどのように伝えるか校長から説明と指示がありました。
全校放送で生徒に伝える死因は「病死」、「自殺」は子供たちの動揺が激しいだろうという配慮。

打ち合わせ終了後に校長が彼女の死と死因について全校放送。
放送後に男女を問わず泣き出す子供たちが多かったのですが、中には「俺のせいだ」と言いながら泣きじゃくっていた男子もいたようです。

葬儀の日は土曜日(当時は土曜日の授業あり)だったのですが、職員の1/3が休暇、授業終了後に一切の活動を停止して残りの職員が葬儀場に駆けつけ、火葬前に全職員が顔を見ることができたそうです。

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ここまでがおよその流れとなります。

考察とか問題点その他諸々は明日書きます、本当に明日。


同僚の自殺1

 昨日の投稿で「若い人の命を守るためにも採用の前に講師経験が必要」と書きましたが、そう書いた理由には昔若い同僚が自殺したことが頭をよぎったからなのです。

事細かく記載できませんが・・・

 その先生は新採用として私のいる中学校に赴任、学級担任と教科担任、部活動は副顧問でした。
大変知性的な先生でしたが、性格は穏やかで声を荒げることなどなかったし、当然感情的になることなどありませんでした。
右も左もわからず学級担任を任され、当初は子どもたちも「優しい先生」だと言っていたのですが、1学期後半ぐらいからでしょうか、クラスが乱れ始まったのです。
子どもたちの中で「うちの先生は何をしても怒らない」という意識が強くなりだし、好き勝手な行動を起こすものが出て、その数が少しずつ増えていったのです。

 その先生が何もしていないような印象を受けるかもしれませんが、間違いなく注意、指導をしていたのです。
しかし、子どもたちにとってその先生が注意、指導する時の言動が「本気で怒っていない」ように見えたこと、つまり自分たちの過去の経験や教師像の範疇にはなかった先生だったのだろうと思います。

 1学期中は何とかその状況のままで終えたのです。
学年の飲み会の際に皆で励ましたりしたのですが、その先生は皆の前で泣いていました。
「初めてだし、そうやって色々自分が考えながらやっていくしかないよ」と皆が口々に言っていたと思います。
 口だけじゃなく、実際にクラスに入って助けてあげればいいじゃないか?と思うかもしれませんが、基本的な姿勢として間接的な助けはしますが、直接的な助け(つまりクラスでの補助的な対応)はしないのです。それはその先生が自分で解決できるかどうか、今後本当にやっていけるかどうかの試練でもあるためですが、それ以外にも、他の先生が助けに入ると益々その先生に対する子供たちの評価が下がってしまうのです。

 そして夏休み明け
さらに子どもたちはエスカレートし、2学期には先生の話を全く聞かず、授業中の出歩き、パンを食べるなどの行為が多くなり、通常は制止役に入るはずの女子のリーダークラスも男子に追随。ますます状況が悪化。
ここまで状況が悪化すると、他の先生の授業でもひどいのか?と思われるかもしれませんが、基本的にその先生の時だけひどかったのです。他の授業では皆無。
当然授業担当の先生も子供たちの不満の声を聞いたり、どうすべきか一緒に考えたり、その教師と情報交換したりしていたわけです。

 私は学年の生徒指導担当で、他の先生と同様情報収集したり、先生を励ましたりしていましたが、ある日、クラスの酷さを訴えてきた子がいたのです。
その時点で「もう無理」と判断し介入。
 素行がひどかった出し数名を保健室に呼び出し、ビンタ1発ずつくれてから説教。その後男子と同様に素行がひどかったリーダークラスの女子数名が保健室に入ってきて「先生、私達も殴って下さい」。
男女差別やえこひいきが嫌いな私はその女子たちにも遠慮せずにやりました。
おそらくそのリーダークラスの女子たちにとっては生涯一度のビンタだった思います。

 その後、クラスは落ち着きを取り戻したかといえば、表面的にはそうなったと思います。しかし、担任に対する本質的な不満の部分が解消されていないため、子供たちの内面ではずっとくすぶっているわけです。ただ、同じような行為をしたらまたこっぴどく叱られるということが一時的な歯止めになっていたに過ぎません。

その状況が続いたまま1年を終了し、クラス替えをして2年生になったわけですが、その先生はクラス担任を外され、副担任として学年所属。
担任を外されたことで、その先生は相当気落ちしていました。

とりあえず今日はここまで!続きは明日書きます。


7/10/2013

教員の採用について思うこと

 以前も別な記事で書いた記憶があるのですが、大学卒業後すぐに新採用教員となるのは反対です。
 若い人材は当然採用しなければならないのですが、新大卒でいきなり学級担任、部活動生顧問となると若い人たちの負担も大きいし、新採用教員の補充もしなければならなかったので現場の負担も大きかった。

そこで提案、教員採用試験を受験するための条件

公立学校教員を志望する者は、最低3年間の常勤講師経験を必要とする

  • 常勤講師として教科授業および校務分掌等の実務を学ぶ
  • 講師の力量と現場の裁量により、学級担任および部活動顧問を担当させることができる
  • 勤務評価が高い講師は、現場からの推薦による採用も考慮する。その場合教員採用試験における一般教養および教職教養試験を免除、面接試験のみとし、優先的に採用する
てな具合ですがいかがでしょう?

 学校現場が欲しいのは即戦力、講師経験(複数の学校だとさらにいい)によってその力が養われます。
それに、本当に自分がこの職に適しているのか、こういう学校現場で本当にやっていけるのか、について本人が3年間考えることもできますし、学校現場の実態だって知ることができます。

 若い人を講師として受け入れた時、学校の負担はやはり大きいものがありますが、それは致し方無いでしょう。必要最低限の負担です。

 現在講師で活躍されている方も多いのですが、彼らは採用試験に落ちてしまうことが多いのです。それは教師として不適格な人間だからということではなく、いざ現場の実務を普通にこなしていると試験勉強などほぼできない。その結果、時間的に余裕がある大学生が合格してしまうのです。現場からすると「もったいない」の一言。
大学生でも優秀な人材がいることはわかりますが、大学で学んだことなど現場では役に立たないことがほとんどです。役に立つのは教科指導に関すること(教育実習通りになど行きません。あるクラスで上手くいった授業でもクラスが違えばやり方を変えねばなりません)と今までの自分の生きざまだけ。
 せっかく夢と希望を持って教職の道を選び、教員採用試験に合格したのに、現実に打ちひしがれ、叩きのめされて結果的に死を選択した教師もいます。

 若い命を守るためにも考える時間は必要なのです。

7/09/2013

校長という仕事

 2006年の記事ですが、当時東京都杉並区立和田中学校の校長をされていた藤原先生の記事がありましたのでご紹介!

Nikkei BPnet :今学校で何が起きているのか 「校長という種族」

 教頭さんは事務処理係、膨大な文書を処理します。それと電話番。
今の教頭さんたち。定時の出勤退勤が増えているようですが、昔は朝7時に出勤して巡視を兼ねて子どもたちのために昇降口を解錠する。そしてお湯を沸かしつつ欠席連絡の電話番。1日の終りは日直巡視後に再度正常確認を行い、最終退庁となり。早くても午後8時の退勤。授業を持っている教頭さんもいますが、ほとんど事務処理と電話番が仕事となります。ついでに問題ある校長に仕えた場合、その心労たるやすごいらしく、常に退職願を背広の内ポケットに忍ばせていた教頭さんもいるほどです。
 これだけの仕事で管理職手当が月に4〜5万円と聞いたことがありますが、隣でいつも眺めていて「この仕事はやらなくていいや!」と思ったものです。

こういう事務職を経験するので藤原先生の下記の記載となるのでしょう!

===転載ここから===
校長は「上がり」の仕事か
 こうした中途半端な権限しかない校長だが、新米教師として初任地に赴任し「先生」と呼ばれるようになってから20年から30年。一通り主任を経験して教頭となり、その後校長任用試験を受けて、学校という世界ではいちばん偉い地位に就く。多くの校長はそれを「上がり」の立場として安住する。だから保守的になり、新しいことにチャレンジする気持ちが失せる。
 教頭在職中は校長に仕えて死ぬほど事務仕事をこなすから、校長になったとたんに「お山の大将」気分になるのも無理からぬところだ。しかし、実際にはマネジメントの「マ」の字も知らないで校長職に乗っかっちゃっている諸氏も少なからずいる。ただの事務長のままなのである。
 唯一の上司である教育長には、忘年会の席などで、酒を注いでなんとか機嫌を取ろうと校長先生の長蛇の列ができる。サラリーマンとかわらない。
 外の世界をほとんど知らないから、校長は校長同士で傷をなめあい、校長サークルの中で人生を営んでゆく。60歳で校長を辞めても、嘱託で教育研修所長とか教育相談担当の参与になりたいので、教育委員会には相変わらず頭が上がらない。その後も校長仲間とだけゴルフをし、旅行会や山登り会に参加する。
 でも、生徒に及ぼす影響では、最後まで教員で通すプロ教師にはかなわない。生徒が大人になって結婚式に招くのは、校長ではなくて、「担任してくれた先生」だからだ。
===転載ここまで===

 校長となって最も大切なのはやはり教育熱というか愛というか、自分の理想の具現化であると思うのです。現場でどうしても納得できず、「俺は校長になって自分の理想に使い教育をしたい」と思った熱意を忘れてはならないですよね。
それなくして安住の地になってしまうとやはり学校は何も変わりませんし、逆に質が低下します。
 年をとっても情熱は失っちゃいけませんよね。
教師は、情熱がなくなった時、子どもたちとの関わりに楽しみを覚えなくなった時が退職時だと思います。金のためだけに職にすがりつく情熱のない教師は、生徒にとって迷惑な存在、不幸でしかありません。

7/08/2013

教育委員会とは?

 某中学校のいじめの件で教育委員会の指導力とその存在意義が問われましたが、今日は教育委員会についてです。

教育委員会、学校教育がその仕事と思いがちですが、実は仕事は多岐にわたります。

例えば生涯学習や文化、体育スポーツに関わるものがあったりと様々な部署があります。その中の学校教育課というのが学校の専門部署になります。

リンク:全国都道府県教育委員会連合会

紙上を賑わせたのはこの学校教育担当部署、教育委員会から校長教頭に昇任したり、現場との中継点となったりするためおそらく人間関係も独特のパイプがあるのでしょう。だから隠蔽工作に走った可能性もあります。

しかし、この部署がなくなるとどうなるのか?

リンク:Nikkei BPnet 「教育委員会とは」

教育委員会は行政区内の環境整備とか様々な調整とか実務全般を行いますが、それ以外にも国や県からの膨大な文書処理も行なっています。
つまり、この機関がなくなると連絡系統が県と直接学校が行うようになり、相当混乱してしまうと思います。

ということで教育委員会は事務処理という観点からはなくすわけにはいかない。

 実は最大の問題は学校教育専門部署である「学校教育課」なのです。
ここが本来の指導力を発揮して教育の質の向上に努めればいいのですが、例のいじめの問題のようにともに隠蔽と言われても仕方がない工作に走るわけです。

これには頷ける理由があります。
なぜなら学校教育課の指導主事はほぼ学校の先生です。そしてここを経由してまた現場に戻り昇任したりするわけです。さらに教育委員会は学校の上位組織ですし、良くも悪くも現場に圧力をかけることができます。
教員同士の人間関係が優先されれば、当然隠蔽と言われても仕方がない行為が横行しやすい環境であると言えます。

 教育委員会は、現場の教員が教育行政について学べる機関であるとは思うのですが、もっと独立性のある指導組織であって欲しいと思います。もちろん、教育事務、行政事務も必要ですが、指導部と事務部を明確に分担し、学校教育目標の具現化のためにさらに専門的部署としての質を高めてほしい。
 そして原発事故の経験から、国や県の指示がなくても行政単位で子供たちを守れる組織であってほしい。
 未来の宝を守るための切なる願いでもあります。

アスペルガー症候群〜対処法求む

 自分は直接受け持ったことがない(少なくともそういう診断を受けた子がいなかった)のですが、知人からアスペルガー症候群を持つ子について少し情報を得ているのでご参考まで書き留めます。

Wiki アスペルガー症候群

 高機能自閉症などと書かれていることが多いのですが、学力的には中の上クラス以上、ある特定の分野については教師が舌を巻くほどの知識を持っていたりします。
ですから能力的には人並み或いは人並み以上と言えます。

 ただ問題は生活行動面。
アスペルガー症候群にはかなり個人差があるようですが、中学生でも3〜4歳児と同等にしか見えないこともあるらしいのです。
同じクラスの子供たちもそういうものだと思って面倒を見てくれているらしいのですが、他人とのコミュニケーションは成立せず、その時々の気分によって大騒ぎしたりすることが多いそうです。
なにか気になることがあれば、そのことをずっと口走ってこだわり続けたりすることも多く、授業中立ち上がったり、常に落ち着きのない状態が続いたりします。

 もう一つ心配なことは、中学生にもなると異性に対する目覚めもあり、男の子の場合は女の子に抱きついたりということがあるそうです。
当然女子生徒は嫌がりますので教師がその都度指導するわけですが、それでも同じ事を繰り返す。そうなると、最初は「仕方がない」と思って面倒を見てくれていたクラスメイトが厳しく糾弾するようになります。
当然クラスで孤立(いじめには発展しません)するわけです。

通常の子が抱きついたりする場合の対処は問題ないのですが、アスペルガー症候群の子供たちに関しては判断が難しいようです。
女子生徒に抱きついたりすることが幼児の感覚としての行為なのか、あるいは高機能だけに幼児のように振舞って故意に抱きついたりしているのか?

 いずれにせよ担任は同じ指導を繰り返し、必要があれば学校での状況を家庭に連絡しているらしいのですが、思うような状況の変化は見られないことが多いようです。

もし、アスペルガー症候群の子供たちへの指導で大変効果的なものがありましたら、何卒ご教授下さい。宜しくお願い致します。

7/06/2013

忘れ物〜やってはいけない指導

 忘れ物に対する指導でやってはいけないこと(これは教師の認識不足が原因となっています)は、何だと思いますか?
体罰は法令違反となるので当然ですが、それ以外で大きな事故に繋がる可能性がある指導・・・・・

「忘れ物をした児童生徒を自宅に戻らせること」

 これはご法度です。法令で「自宅に戻らせてはいけない」とされているわけではありませんが、重大な事故に繋がる可能性があります。(この指導は昔よくやっていましたが、今はおそらく滅多にお目にかかれないでしょう)

具体例
 ある中学生が忘れ物をしたため自宅に戻りました。
そして忘れ物を持って学校へ戻る途中、不幸にも交通事故。
一時はかなり重篤な状態だったようですが、この子は助かったそうです。

 担任の先生は「戻らなくていい」と話したそうですが、このお子さんは真面目なお子さんだったのでしょう。教師の指示を無視して自宅に戻ってしまったのです。

このケースは教師が生徒に自宅に戻るように指示したわけではありませんが、やはり管理上の問題が生じると思います。

学校は、朝お子さんを預かったら下校時まで責任を持たなければなりません。
早退させる場合には必ず保護者の方に連絡を入れます。
一度預かったお子さんを単独で校外へ出すことは早退する時以外はないのです(昼食を買いに行かせるようなケースがなきにしもあらずですが、それは認めません)
だから、お子さんが戻ってしまったこのケースでも学校の管理責任は問われると思います。

 親御さんの立場になって考えたらどうでしょうか?
保護者の方は通常の帰宅時間までは子供たちが学校にいてくれる、と思って安心しています。しかし、学校にいるはずの時間帯に交通事故に遭い、もしも最悪命を落としてしまったら、その子の親は「忘れ物をした我が子が悪いので仕方がない」と思うでしょうか?それとも「何故忘れ物ぐらいで一人で自宅に戻らせたんだ?」と思うでしょうか?

交通事故以外にもリスクはあります。
例えば、変質者被害、連れ去りなどの突発的な事故のリスクです。

「忘れ物を取りに戻らせる」指導はリスクを伴うのです。

忘れたという結果に対する指導も大切ですが、忘れ物をしないような工夫をする方が最も大切な指導だし、その指導の方がリスクを伴わないのです。

今は保護者に連絡する手段も増えていますので、色んな手を使って忘れ物に対する指導を工夫したいものです。具体的には先生方が考えて頂戴!


7/05/2013

教育公務員の残業手当

公立学校の先生方、残業手当はつくのでしょうか?

答え:つきません。少なくともそういう項目がありません。

 この点について20年以上前に上司である教頭さんに聞いてみました。
「残業手当はないです。それらしいものがあるとすれば”教職調整額”に含まれていると思います。」
という回答でした。

記憶が定かではないのですが、当時で7,000〜8,000円ぐらいだったと思います。

◯ 文部科学省 教職調整額の経緯について
◯ なぜ公立学校教員に残業手当がつかないのか?(PDF資料)

つまり、勤務態様に特殊性があるため、一般行政職と同じような勤務時間管理はなじまないので、給料の4%を教職調整額として支給している、そうです。

 学校の出勤時間によって当然退勤時間も変わりますが、だいたい16:30〜17:00が退勤時間となります。
そこで帰れればいいのですが、中学校の場合はそのあとも部活動指導が続きます。
17:00に部活動を終了させても服務上何も問題はないのですが、実際はそうはいきませんよね。夏場だと17:00以降が勝負の時間帯だったりしますから・・・。
17:00以降の部活動は、顧問教師のボランティア活動の要素が強いし、先生方も部活が好きだから苦にもしていないのです。

 深夜に家出した子どもたちを捜すとか、そういうこともボランティアということになります。ただ子供たちを捜すのは超過勤務手当がどうこの問題ではないですけど。

 ちなみに休業日の部活動手当もあります。
4時間以上の部活動指導が条件だったと思いますが、¥1,200/日となります。(各地区によって違いがあるかもしれません)
8時間指導しても4時間指導しても1日¥1200です。時給じゃないですよ、日給!!

 先生方、口に出しませんが、好きで一生懸命やっている部活動にもかかわらず保護者のわがままクレームが多くなると
「そんなに文句を言われるなら、退勤時間に帰宅して自分の子供の世話でもした方がずっといい」と思ってしまうわけです。あまりにも心無いクレームがあると本当にそう思います。
部活に関しては「金は出すけど口は出さず、助けが必要であればいつでも助ける」がベストの保護者の立ち位置かもしれません。

ちょっとは参考になりましたでしょうか?

あくまでお金の問題についての解説ですので、指導についてはまた別な話。
部活動指導に全く熱意が感じられないとか、いい加減だとか、直接子どもたちに影響を及ぼすのであれば手を打たねばなりません。それについては具体例をまじえながら別の機会に書こうと思います。

7/04/2013

教員免許更新制について

教員免許更新制の目的(文部科学省)

教員免許更新制は、その時々で教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すものです。  
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/koushin/08051422/002.htm


目的は「社会の尊敬と信頼を得ることを目指す」わけですが、つまり社会の尊敬と信頼が全くないから一生懸命勉強してますよとアピールするだけということになりますかね。

免許更新制については知人からも話を聞いたのですが、感想は下記のような感じでした。
  • 講義の内容がつまらない
  • 時間と費用の無駄
  • 教員の質の向上とは全く無関係
  • 講師の小遣い稼ぎ
  • 更新講習会の必要性を感じない
2ちゃんねるにもスレがあるのでご参考まで!


これに時間と経費をかけるなら、学校現場の教育の質を向上させるために力を注いでほしいとお考えの方のほうが断然多いと思います。

 社会の尊敬と信頼を得るためには教育活動の質を向上させるしか方法はないと思うのです。
学校には保護者と生徒の信頼が厚い先生が結構います。そういう教師を一人でも多く、というよりそういう教師が当たり前になるほど質を向上させなければなりません。
そのためには現在のシステムを抜本的に変革しない限り無理のような気がするのです。

 例えば60歳定年、教育に関して言えばこれが本当に退職年齢として妥当な年齢なのか?
離任式の当日まで子どもたちに慕われながら退職する教師もいれば、在職当時から授業が成立せず無気力な教師もいます。

思い切って退職年齢を50歳にして、そこから後は単年契約年俸制にしても面白いのではないか?

しかしその後の契約更新のために人事評価を下すのが能なし校長の場合もある。それはそれで大きな問題であるし、その下駄を生徒と保護者に預けるのも荷が重すぎるだろう。
上には役立たず教育委員会や教育事務所、都道府県教育庁がある。

ん〜、とにかく管理職としていい人材とか、機能する組織がないことで手詰まりとなってしまう。続きはまた今度「組織改革案」ということで書きたいと思います。

校長・教頭の評価と降格処分

「お願いです、校長と教頭を降格処分にするのだけはやめて下さい。
降格処分されるような管理職がもしも現場に戻ってきたら、私達、そして子どもたちが甚大な被害を被ります。降格処分になるような管理職は、そもそも現場では使いものにならない方々なのです。現場に戻すぐらいなら、いっそ解雇するか、教育委員会や教育事務所の事務局で定年まで面倒を見てあげて下さい。お願い致します(大泣)」

 こんな陳情書がわんさか来そうな管理職の降格処分。

具体的に名前を挙げるわけには行きませんが・・・

 ある教頭は事務処理が全くできない。送付された文書を、雪崩が起きるほど机上に積み上げ、それで足りなくなるとダンボールの箱に詰めたまま放置。
突然、先生の出張先から電話が入る。
「今日◯◯の会議なんですが、おたくの先生がまだお見えになっていないのですがどうなっていますか?」
慌てふためく担当教諭と教頭、出張依頼文書は書類の山かダンボールの中にあるわけです。
 別な教頭は事故(これは学校における事故や生徒指導案件すべて)処理の際、自分で判断し、教諭に適切な指示を出すことができない。
そういう方は決まって「校長の指示がない」とか「校長と連絡が取れない」とか指示待ち。校長への報告と指示伝達は当然必要なのですが、物事はそうそう待ってくれないし、間を置かずに対応しないと傷口が更に広がる場合もあるわけです。
判断できない管理職を目の当たりにした時点で先生方は「ダメだこいつ」の一生消えない烙印を心の中で焼き付けるわけです。

 アホ校長に至っては、校長=独裁者と勘違いしている輩もおります。
自分の意見に反論する教諭を捕まえて説教、しかもその先生の授業が始まって生徒たちが待っているにもかかわらず延々と説教。
その他勤務時間中に行楽地へ出かけて問題になった校長、生徒が家出や行方不明になっているのに自宅に戻ってのんびりしている校長。

教頭は現場と直結しているので、能力がない教頭は実害が多いのです。しかし、校長は「何かあった時に責任をとってくれればいい」程度にしか思われていないので、現場に実害を及ぼす可能性が低くなります。
つまり、先生方は「処理能力のない教頭は早く校長になってほしい」と思っているのです。そして降格してヒラとして現場には絶対戻ってきてほしくないと切に願っています。

こんな管理職が現場に戻ってきたら呼び捨てにして、いじめますよね?
あ、いじめはいかんか(笑)


7/03/2013

中学校の担任は日替わりでいい

 中学校の担任の実務の中で重要なもの(教科指導を除く)

  1. 通知表を書く
  2. 家庭訪問
  3. 指導要録の記載
この3つが重要で重い仕事だと思います。
その他、クラスの生徒についての生徒指導用資料の作成とか色々なものがありますが、さほど苦労せずに作成できるものばかり。

つ〜ことは、上の3つを含めた事務処理を担当する人を決めてしまえば、残りは学級活動、道徳、朝と帰りの学活(ホームルーム)、昼食は誰がやっても大丈夫。

中学校の担任は、同じ学年所属の先生で日替わりOK!!

これにはいい効果があります!

ご存知のように学級の雰囲気はクラスごとにまるで違います。
☆ やたら明るくて反応が良いクラス
★ よどんだ雰囲気で、底なしの井戸のような無反応のクラス
★ やたら落ち着きのないクラス

 これらの雰囲気は担任の先生の影響も少なからずあります。
同じ先生がずっと上のようなクラスを1年間継続したら、その差(学力も含めて)は歴然です。☆のクラスはいいとしても、★のクラスは何としても雰囲気を変えてあげなければなりません。

 その雰囲気を変えるには方法が2つしかありません。
  1. 担任教師が考えを改めて指導方法を劇的に変えること
  2. 外部から様々な刺激を与えること

担任の先生が自分の考えや行動、その他指導方法をすぐにしかも劇的に変えることはできるでしょうか?これは難しいと思います。
ということは外部から様々な刺激を与えることがより早く学級の雰囲気を変える方法。
そのために日替わり担任は実施する価値があると思っています。
学年所属以外にも、校長、教頭、他学年の先生の授業(学級活動や道徳)も面白いのではないでしょうか。

 実は子どもたちは自分の学年の先生を強く意識しています。それ自体悪いことではないのですが、学年所属以外の先生の話を聞こうとしない傾向もあるのです。また他学年の先生は「自分の学年じゃないから特に注意しなくてもいい。学年の先生がやるべきこと」と考えがちです。
それらの考えを排除し、生徒にとっては「すべての先生が自分たちを見守ってくれる学校」、教師にとっては「すべての生徒が自分の生徒」という意識付けをするために大変効果的な手段が、担任日替わりを含めた様々な外部刺激だと思います。

しかし日替わり担任を実施するには大前提となる条件があります。それは

学校、学年として生徒指導における共通理解が確実に図られており、すべての教師がそれを実践しようと努力している

上記が最も重要な条件です。

この共通理解、その学校ですべての教師が指導しなければならないベースラインと考えて頂いて結構です。生徒たちにとっては、最低限守るべきこと、これをやったらすべての先生に同じ注意をされることです。
 これ、実践するのがかなり難しいのです。これを否応なしに迫られるのが、学校が荒れた時。そういう時は教師の入れ替えをしつつ全職員が一丸となって取り組むのですが、何故か学校が平和な時は手を抜いてしまいがちです。

ある中学校の教頭に共通理解のことを話したら、「そんなものは必要ない」と一蹴されたことがありますが、おそらくその教頭は生徒指導が苦手だったのかもしれませんね。また僻地の教頭先生だったのでその言葉が出たのかもしれません。

ここまで推し進めてきて最後に矛盾したようなことを述べますが、「学校、学年として生徒指導における共通理解が確実に図られており、すべての教師がそれを実践しようと努力している」学校であるなら、荒れることは滅多にないし(地域性もありますがそれについてはまた記事を書きます)、担任を日替わりにする必要もほとんどないでしょう。
子供たちを見守るべき先生すべてが最低ラインの指導を守り実践し、その上で十分個性を発揮する。そんな学校なら、今の諸問題はほとんど解決されるのではないかと思っています。

7/02/2013

教師の評価を誰がする?

 今、公立学校では各教諭は校長から通知表をもらっています。
通知表というと子どもと同じになってしまいますが、決められた項目ごとに評定がくだされています。

 学校の管理者ですから校長が教諭の評価・評定を下すのは当たり前なのですが、実は問題点があります。

子どもたちに置き換えてみるとわかりやすいのですが、先生方が子供たちの評価や評定をつける時にどのようにしているか?

  • 学力評価ならテストを実施、その他授業中の集中力や発言などをチェックします。単元や題材ごとに評価項目が決められていますのでそれに沿って評価をしています。
  • 生活の様子も基本的生活習慣(挨拶とか時間を守るとか)などの項目があるので、それに日頃の観察記録を照らしあわせて評価しています。

 では、校長は上記のように各教諭の授業の様子、企画力や行動力について細かく観察しているのでしょうか?

答えはNO

 職員会議や行事、その他事務的なことについては校長室や職員室でも把握することはできると思いますが、一番大事な授業については観察できていないはずです。生徒指導についても同様でしょう。事実、問題行動を度々起こしている児童生徒の名前すら覚えていない校長がいる始末ですから。
だから、現場の先生方に聞くと、「何でこういう評価が下されるのかよくわからない」と話しますし、先生方は全く気にも留めていないのです。

 当然校長が把握、情報収集にも限界があります。

 校長の限界をカバーすることができるのは一体誰かというと、児童生徒の皆さんしかいないのです。彼らは授業とか日頃の指導内容をすべて知り尽くしています。つまり校長が管理職として最も把握したい部分を知っているのが子供たち。

 ならば、
  • 子どもたちに担任の先生方の通知表をつけてもらいましょう!
  • ついでに「おらが学校のベストティーチャー賞」を作って生徒会またはPTAで表彰してあげましょう。

大規模校ならベストティーチャーを3人ぐらい選出してもいいでしょう。
担任の先生については、各学期ごとに子どもたちから通知表を手渡す。

 アンケートを記名にするか無記名にするか、どのような項目を設定するか、大変神経を使うところですが、子供たちの考えも取り入れながら作った方が面白いと思います。使い方によっては非常に有効な手段だと思うのですがいかがでしょう。
実際に先生の通知表を発行している学校もあるかもしれません(この方法は昔から知っていたネタですので)。

◯参考リンク
http://www.kyo-sin.net/reportcard.htm
http://www5.ocn.ne.jp/~kkazushi/tuutihyou.htm
http://www.tos-land.net/teaching_plan/contents/1513
http://mimizunotawagoto.blog.fc2.com/blog-entry-62.html


先生によっては「くらだらない、教師の通知表など意味が無い」と反論するかもしれませんが、そんな先生方には下記の言葉を言い放ちたい。
ではあなたの学校の先生方は皆子どもたちのために粉骨砕身努力していますか?」
「あなたは自己評価をどの程度厳しくしていますか?それだけで本当に十分ですか?」
「あなたの指導力を最もわかっているのは子供たち、その評価が最も大切ではないのですか?」
「あなたは子どもたちに授業をして給与を得ています。ならば授業を受ける子どもたちの評価を今後に生かすのは当然ではないですか?」
「口先ばかりで何もしない教師はあなたの学校には誰一人いないのですか?」
「すべての先生が創意工夫に満ちた質の高い授業をしていますか?」
「みんなが子どもたちのために本気で議論し、目標実現のために実践している学校なのですか?

 教師とは自分は自分、他人は他人となる傾向が非常に強い仕事なのです。でも実際指導の現場に立つと、そういう学校は荒れやすく、子どもたちも教師も質が向上しません。

アンケート調査を嫌がる教師が多いかもしれませんが、それを実施することで教師の意識が少しでも良い方向に変わってくれればまずは大成功と言えると思います。

具体的な苦情や悩みなどは、保護者が直接電話で校長や生徒指導担当に話をしてもらうべきでしょう。それだけ話しやすい学校の雰囲気である必要がありますが、それは校長がリーダーシップを発揮して保護者の信頼を得るしか方法はありません。

子どもたちの力を借りながら先生方の意識を変える第一歩に過ぎないのかもしれませんが、いかがでしょうか?校長だけの評価よりもずっと有益だと思うのです。

一生残る(だろう)手書きの恋文

手紙文化が廃れてしまうのか…小学生の半数「はがきの表書き分からない」(産経新聞) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130630-00000540-san-soci

全国の国語の先生が頭を痛めている傾向でしょう。
中学校では手紙の書き方指導もしているようです。

メールは便利、すぐに届くし、料金も安いし、文字も美しい。文面をやわらげるために顔文字とか絵文字も多数ある。
入力ミスさえなければこの上なく便利なツールです。

しかし、直筆の手紙は書いて封筒に入れて切手を貼って、郵便局かコンビニ、設置されたポストに投函しなければなりません。
でも手間がかかる分、どんなに下手な字であっても(そうあってほしい)、「こんなに一生懸命書いてくれた」という感動が生涯残る記憶と記録。

直筆の手紙なら後生大事に特別の場所に保管しておくかもしれないけれど、メールはハードディスクやクラウド保存。

どっちがというより、どっちもできるようにしたいね。

ということで、最後に芥川龍之介の恋文のご紹介です↓

芥川龍之介ゆかりの宿 九十九里浜 一宮館
http://www.ichinomiyakan.com/akutagawa/000.html

7/01/2013

続報・民間人校長退職

「大阪市・民間人校長「公」無き退場 「給料最低」「外資の経験生かせない」」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/665799/

以下、上記記事より部分引用と感想
ア ”記者会見では謝罪はなく、「体験を生かせる学校ではない」などと不満をぶちまけた。”
そもそも体験など生かせないことは当初からわかっていたはず。校内でどのようなことがあったについても知りたい。 
イ ”4月に着任したばかりだったが、「児童は千葉氏と校庭で一緒に遊び、慕っていた」(学校関係者)”
  子どもたちと校庭で遊ぶのは大したもんです。50代の校長だとなかなかできないものです。
ウ”「不祥事で辞めるわけではないので、謝罪するつもりはない」”
 引き受けた以上責任はあるわけだし、それを放棄した。だからまず子どもたち、そして保護者に詫びることが筋だろう。子どもたちに対しては詫びたと思いますが・・・。 
エ ”そして同小配属をめぐり、「市教委に英語教育の強化を訴えたが、学校では基礎学力の習得が優先課題。自分の力を活用できない」と退職を決意した。”

 英語に力を入れたかったのはわかるのだが、それが市教委の方針と合わなかったからと言って退職事由にするのはわがまま。裏を返せば「お前は英語しかできないのか?」ということになる。そんな人間なら最初から要らない。
市教委の方針を踏まえつつ英語に力を入れることだってできるはず。やり方次第。


オ 同じ民間出身の梅香小(此花区)の玉川実二校長(53)も「自分よりも、子供に何をするのかを考えなければいけない」と批判した。
 その通りだと思います。学校の主役は児童生徒、教師は支援者です。ただ、子供たちを主役に置きつつ、自分の教育方針をいかに織り交ぜて具現化させていくか、その技術が校長の手腕でもあります。

カ 教育評論家の尾木直樹氏はこう切り捨てる。「児童たちの心の傷が心配。教育現場にマッチしていない人を選んだ市教委の責任は重い」
 感受性の強い子は感情的になるケースもあります。心の傷とありますが、それ以外にも保護者を含めた学校、教育への不信感が募らないかと心配です。子どもたち自身が「自分たちは一体なんなの?」ということになったりします。


 おそらく記者会見では言えないようなことも他にあっただろうと思います。例えば教職員との人間関係とか・・・それが一番の苦痛だったのではないかとも思いますが、憶測の範疇です。

 基本的にこの退職された方は非常にわがままそのもの、企業の管理職体質そのままなので自分の思いがすぐに実行できると勘違いしていたと思います。
 それから校長の中では給料は自分が一番安いと言っていたようですが、公務員の世界では当たり前の話、まして実績のない人間なので中途採用の校長など高い給与は払う価値が有るかどうかさえわからない。この世界、企業と違って給与体系も経験年数で条例化等されていたりするし、金じゃない所もあるんですよ。

 退職した彼がすべてを話しているとは思えません。校内では相当嫌な思いをしていたのではないかと思います。
たまたま彼は今後のことを考えて即断しこのような結果となったが、では残っている外部登用の校長たちが優秀な校長なのかといえばそうとは思えない。
自分が思い描いていいた理想とは裏腹に、何をしていいかわからず、結局教職員にとって最も有難い単なる「雛壇の飾り」になっていることも考えられる。

 この記事で最も根が深い問題だと思うのは、教育界から優秀な人材が輩出されず、外部から登用するという情けなさ。自分たち教育界の人間がどれほど体たらくか、質の高い教育者を輩出できない組織であるのかそれを周知させたに過ぎない。


お掃除考


ほうきや雑巾の掃除を先生が学ぶ、市教委が寺子屋講座/厚木(カナロコ by 神奈川新聞) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130630-00000015-kana-l14

学校の先生たちも、小中学校を卒業して以来久しぶりに雑巾と箒を手にするのが、教員として現場に立ってからなのかもしれません。

 雑巾がけ、箒で掃く、これは今のご家庭でも結構あるとは思うのですが、雑巾がけはスチームの機器、箒は掃除機のみになりつつあるのでしょうか?

 昔の掃除は、ハタキ、掃き掃除、拭き掃除の順番でしたが、お若い方でハタキをご存じの方はいらっしゃいますでしょうか?ハタキは箒で掃けない場所、たとえば障子のさん とか置物とか、そんな場所にある埃を下に落とすために使います。



ペットがいるとこんな使い方もできますが・・・



 学校の場合は、今も雑巾を学期始めに持参するので箒と雑巾のお掃除が多いと思うのですが、モップがけの学校も増えつつあるのかな?

学校によっては児童生徒に清掃させないで、すべて業者委託という所もあるという話を随分前に聞いたことがあります。

 すべてを業者委託というのはどうかな?という気もします。
せめて自分たちが使用する教室ぐらいは自分たちでやらないと、公共心とか育たないような・・・。
今の大人に最も欠如している部分でもある公共心公共のためを思う心。社会一般の利益を図ろうとする精神。「―を養う」】、みんなで使う場所を一人ひとりの心がけで綺麗にしようとせず、自宅以外は全てゴミ箱同様ですから。幼いうちから植え付けたい心がけの一つであると思うのです。

 経験からトイレ掃除は抵抗がある生徒が多いと思うのですが、最も生徒が嫌がったのが職員トイレの清掃。
宴会の次の日は男子の職員便所が凄いことになってたりして・・・。
生徒から「何であたしたちが職員便所を掃除なくちゃならないんですか?」と痛いところを突かれた記憶があります。

 清掃指導もやり方一つで非常に効果的なものになります。
お掃除のプロにお願いして授業をしてもらうのも効果的かもしれません。
先生が指示するばかりではなく、一緒になって雑巾がけをするとさらに学級の雰囲気もよくなります。

 みんなで使う場所はみんなで綺麗にしよう、その心は大切ですよね!