7/13/2013

中二男子自殺

J-CASTニュース
自殺した生徒に「死ねるものなら死んで見ろ」 中学担任女性教諭はそういったのか
http://www.j-cast.com/2013/07/12179391.html

痛いニュース

いじめ受けてた生徒「自殺する」→担任「やってみろ」 自殺当日のやり取り、同級生が証言

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1767727.html

東京新聞 7/12朝刊

中2男子いじめ自殺か メモに「死ねと言われた」 名古屋転落死

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013071202000119.html



 いじめが日常的に行われていれば、見ている子どもたちが必ずいます。
今後の調査でさらに具体的な内容が出てくる可能性がありますので、今後の調査次第。
まだまだわからないことが多いのですが・・・
本当にいじめだったのかどうか、まずそこから検証しなければなりません。

 中学生は友だちと一過性の喧嘩をする場合でも遊んでいる時でも「死ね」という言葉をよく使います。
日頃から「死ね」という言葉を浴びせられて、それ以外にも精神的、肉体的な苦痛があったとすれば「いじめ」であるし、逆に「この時だけたまたま」というのであればいじめに発展する可能性がある案件であると思います。
 ただし結果的に男子生徒が死を選択してしまったという事実がありますので、日常的ないじめがあった可能性が大きい事を前提としてアンケート調査以外にも聞き取り調査が必要だと思います。

なんて尤もらしい文章を書きましたが、中学校は教科担任制なので複数の大人が授業を担当しています。だからいじめがあればその微妙な雰囲気を感じ取ることができるはず。いじめが日常的にあり、それに大人たちが誰一人気づいていなかったとすれば、使いものにならない教師の集団ですね。しかし一過性の揉め事、いじめに発展する本当に初期の段階であったとすれば、担任を含めて気づかない場合もあります。実際のところどうなんでしょう?これだけの情報では判断しかねます。でも子どもたちは知っている!

部分引用(東京新聞より)
 複数の生徒によると、亡くなった当日は、帰りの会でクラスメートから「死んでみろ」「死ね」と言われ「死ねと言うから死ぬ」と言い返していた。その会話を聞いていた担任教諭は「死ぬ気もないのに、そんなことを言うもんじゃない」などと話していたという。
 担任教諭は十一日夜、市教委の調査に「そんな発言はしていない。死ねという言葉も耳にしていない。もし聞いていれば、必ず注意している」と答えた。

J-CASTニュースより引用
"この「事件」は、2013年7月10日の昼、クラスの一部の男子と女子が一人の男子生徒に対し繰り返し「死ね」と言った。言われた生徒は担任に「自殺してやる」と訴えたところ、担任は「やれるもんならやってみろ」と突き放した、とされている。"

痛いニュースより引用
「A君が(男子生徒に)死ね死ねって言っていた。Bちゃんも乗っかって死ね死ね言っていた。(男子生徒が)『自殺する』と言ったら、D先生があおった。『そんなのやれる勇気ないのに、やってみろ』と」(同級生)

 各ニュース、微妙にニュアンスが違っていますのでかなり不確定情報と言えます。
教諭が発言したとされる「死ぬ気もないのに、そんなことを言うもんじゃない」と「やれるもんならやってみろ」と『そんなのやれる勇気ないのに、やってみろ』は全く違いますが、当の教師は「そんな発言はしていない。死ねという言葉も耳にしていない。もし聞いていれば、必ず注意している」と市教委の調査に答えています。
帰りの会での出来事のようなので、他にも多くの生徒がこの状況を見ていただろうし、聞き取り調査によってさらに正確な情報が得られるだろうと思います。

 生徒からの情報で先生が何か言っているのは確実、しかもその発言内容は自殺した子を煽る、挑発する、追い詰めるような言い方だったんだろう。
この担任教師はもめている生徒たちを何故放課後指導しなかったのだろう?という素朴な疑問が湧いてくる。
担任がいじめについて全く知らなかったとしても、この状況であればなにか異様な雰囲気は感じたはず。放課後、それぞれ(死ねといった子どもたちと自殺した子)生徒指導をすればよかっただろうし、念には念をという考え方(いじめがすでにあるのではないかという前提)で指導するのであれば、学年の先生にお願いして生徒一人ひとりから聞き取りをすればいい(問題が大きいほど個別相談の効果が大きい)。
それをせず帰宅させてしまった。こういう光景が日常的見られる学校だということで、教師の感覚が麻痺しているのだろうか?

同級生のこんな発言もあったようです!
「止められたのに、2回チャンスがあった」(同級生)
「明るくて、人に心配をかけないように自分で背負い込むような性格だった」(同級生)


ということで今後の調査結果待ちですが・・・
 子どもたちが安易に(彼らにとってはその余地しかないのかもしれませんが)「死」を選択してしまう、これがどうしてもわからない、理解できない。
その選択をすることによって、大好きな人が苦しんでしまうということは考えないのだろうか?
なぜ「死」なのか?その他の選択肢はないのか?

ちょっと悩んでみます。

書き終えたら続報ありました!

朝日新聞

担任、自殺あおる発言否定 名古屋中2転落死で会見


http://www.asahi.com/national/update/0712/NGY201307120038.html

0 件のコメント:

コメントを投稿