11/29/2013

大人たちがバカ過ぎるこの国

 今のいい年をしたおっさんたちは何を考えているのでしょうか?

学校別成績、都道府県教委も公表可能 競争激化の懸念も(朝日新聞デジタル) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131129-00000029-asahi-soci

 昔、学校が荒廃し、偏差値教育が問題だと言って「ゆとり教育」を実施、そして「ゆとり教育」により学力が低下したため「学校別成績を公表」し、点取り競争。概ねこのような流れということでよろしいでしょうか?

 これは、井の中の蛙が大海があることをわかっていながら無視して、どんぐりの背比べに明け暮れてセコい優越感に浸ることじゃないの?

あれほど子供たちのいじめとか自殺で大騒ぎしたはずなのに、そんなことよりも都道府県別学力選手権大会の方が大切?
道徳なんか何十年もやってきたのに、それを教科にすればもう心の教育は大丈夫なの?

 今の日本の教育に足りないものは一体何?
ものの豊かさを得た代わりに失ってしまったものは何?
学力が上がれば、行政がいじめ対策の法を整備すれば失われたものは取り戻せるのか?

大人たちのバカさ加減に言葉を失い、行く末を案じざるを得ない。
後世に残すべき「人」というかけがえのない宝を磨かなかったら、本当にこの国は終わってしまうのではないか?

こういう校長さんもいるんですよね!

JanJan Blogさんをいつも拝読しているのですが、下記の記事がとても素晴らしかったのでご紹介致します。

生徒のために、生徒とともに ――土肥信雄氏の教育実践 (前) 

http://www.janjanblog.com/archives/104221

”「用務員のおじさん」のように生徒が思っていた校長
あの先生が校長室にいるのを見たことがない
今朝校舎前で生徒一人ひとりの名を名前を呼んで迎え・・・
あの人の顔を見ないと学校に来た気がしなかった
校長が壇上に上がると生徒がみんな喜んでウエーブして歓迎する

 しかし東京都教育委員会は退職教員790人中790位という業績評価をつけて、現場から排斥しようとした”そうです。

この校長先生(土肥信雄先生)のような人間ほど現在求められている教師はいないだろう。この校長先生の実践、今の現場の校長たちで何人が実践できるでしょうか?

教師の評価は誰がする?教育委員会?
いや最も正当な評価をするのは生徒たちです。

ぜひ記事をお読みください。

指導者論について

素晴らしい記事あったのでご紹介。

目からウロコの…〈スポーツ指導者〉論

http://www.janjanblog.com/archives/102964

【転載開始】
「中高の公教育でのすぐれたスポーツ指導者とは、どれだけ〈バスケ好き〉〈柔道好き〉の子どもたちを育てられたかではないだろうか」
 彼によれば、「すぐれたスポーツ指導者」とは、県大会優勝とか全国大会優勝などという順位ではなく、たとえば、その教員が中学に赴任してから、下手でもいいから、どれだけその指導者の部(バスケ部、柔道部etc)の愛好者を増やせたかで評価すべきだという。
 「ひと握りのトップを育てることより、ズブの素人をバスケ好き、柔道好きにして、その種目を生徒が生涯続けられるように育てることのほうがどれだけ指導として大変かわからない。結果、結果…と大会結果に大騒ぎしている指導者には、『おまえの学校を柔道好きの中学生だらけにしてみろ!』と言いたい」
 ◇
  さらに、彼はこんなことも口にする――「“厳しい指導者”のことを世の中は誤解している」 彼によれば、「厳しい指導者」とは…
◎ 何があっても、体調不良の生徒には練習させない(徹底した安全指導)
◎ 何があっても、生徒を怒鳴らない(徹底した自己抑制)
◎ 何があっても、順位を気にしない(徹底したアンチ勝利主義)
 といった指導者のことだという。
  世間でよく聞く「厳しい指導者」像は、それとは対照的だ。
● 試合では少しのミスも許さない
● 試合は勝つことに意味があると考える

● 「病は気から」―多少体調が悪くても、練習に必ず参加させる

【転載終了】

ついでに私個人の経験からもう一つ追加しておきたい。
これはスポーツでも音楽でも言えることだが、優れた指導者とはたったひとつのプレーに対しても決して妥協しない指導者のことである
安全指導を徹底し、感情的な指導をせず、目先の勝利にこだわらない。しかしどんなプレーや演奏に対しても決して妥協しない。
つまりこの「妥協しない」部分は、指導者の意識、知識、指導技術の高さが最も問われる部分でもある。
妥協しないという意識は子供たちの能力を引き出す上で非常に大切な要素なのである。

自己満足で終わってないか、練習試合

 音楽の世界ではあまりないのですが、スポーツの世界では対外試合や練習試合は頻繁にありますよね?
でも練習試合さえしていれば満足しているという部分はありませんか?

 練習試合とか遠征とか否定するつもりはないのですが、それさえやっていれば満足しているという傾向が強くなっていないか?と思うことがよくあるわけです。

課題を持って練習する
練習試合、対外試合を行う
今までの練習の反省点や今後の課題を検証する
課題を新たに設定して練習する


 日々の活動はこれの繰り返しですよね?

確かに対外試合や練習試合は、日々の練習とは桁違いの緊張感が生まれるので効果的です。しかし検証や課題設定がうまくなされなかったらやはり上達には結びつきにくいのではないでしょうか?

遠征費用についての問題などは別記事に 既に投稿ずみですが、特に公立学校で「湯水のごとく」活動費を浪費するのはいかがなものかと思います。

 体罰の件もそうですが、指導者の意識の転換点を迎えていると思います。