7/15/2013

「死ねは遊びの延長」

同級生「死ねは遊びの延長」 名古屋の中2転落死
http://www.asahi.com/national/update/0715/NGY201307140036.html

「死ね」という言葉、それほどまでに軽い言葉なのかと愕然。

アニメやドラマ、映画でも歌でも「死ね」という言葉が濫用されている。
「死ね」という言葉が乱れ飛んでいるという印象はあるのだけれど、内容をより効果的演出するための手法の一つであろうし、許容できることも多い。

問題は、子供たちの「死ね」という言葉の濫用に対して周囲の大人たちが関心を示さず、不快感も顕にしないことにあるのではないか?
現にこのクラスの担任の女性教師も「子供たち挨拶代わりのように使っていた」と話している。

「死」という言葉が濫用されている原因は、「死」自体が軽く扱われているからではないのだろうか?いや見方を変えれば「生」が軽視されているということになる。

何の罪もない動物たちを遊び感覚で殺す、顔が見えないことを良い事に他人に「死ね」と罵声を浴びせる。
挙句、子供たちは「クラスの挨拶代わりのように『死ね』」
まともな感覚ではない。

 言葉は人の心が音となって表現されたもの。
荒んだ言葉をで使えば、行いまでもがその影響を受ける。
心・ことば・体はひとつのもの。

私たち大人の無責任さを痛切に感じた記事。

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