9/14/2012

いじめの延長

いじめが後を絶たない。
下記は川越市の中学生がいじめにより意識不明となった事件。

川越・中学生意識不明 「いじめの延長」市教委謝罪
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news/20120913-OYT8T01620.htm

記事の中で教育長はこう述べている。
「学校はけんかなどのトラブルは把握していたが、どうしてもいじめとしての認識を持つことができなかった。重大な傷害事件に至ってしまい本当に申し訳ない」

基本的に教育委員会は学校のことはほとんど知らない(市教委の生徒指導担当者ぐらいは各学校の問題生徒や問題行動を把握しているかもしれない)。
つまり、市教委というのはほとんどが事故が社会的問題になってから学校から聴取し、実態を知ることになる。
この発言で最も問題なのは「どうしてもいじめとしての認識を持つことができなかった」という点だろう。各学校の実態を正確に把握している組織ではないので、こういう表現しかできず、この表現で責任逃れをしていると思われても弁解の余地はないだろう。

担任教諭が過去に数回、「いじめられているのではないか」と生徒に聞いたが、その都度「大丈夫」と回答していたことを明かし、「ささいなことでも、その裏に根の深いことがないかというのを、教員が複数の目で確認し合うことが、現場の学校にとっては一番重要。いじめに気づけず申し訳ない」

担任が被害者本人に質問しているが、「大丈夫」と言われておそらく観察と指導の手を緩めているのだろう。
通常は本人と話をすれば間違い無く否定する。加害者たちも否定する。
しかしそのいじめを確実に見ている生徒がいる。
だから周囲からの情報を収集して裏付けを取らなければならないのである。

実は上記の説明には問題点が隠れている。
それは担任教師の生徒指導力と生徒たちからの信頼の欠如である。
もしもこの担任教師が指導力のある教師であれば、被害者に聞いた時点で本人からいじめの事実を聞く事ができただろうし、いじめに関係のない生徒たちからすでに情報が入っていただろう。
つまり、それが全くなかったということであれば、指導力不足で子供たちから信頼されていなかったことになる。

もう一つ、「教員が複数の目で確認・・・」と市教委が説明しているが、中学校の場合は教科担任制なので最低でも教科数分の教師が子供たちを観察している。
にもかかわらず、その当たり前の観察や指導ができないということは、学年および学校の生徒指導態勢そのものが崩壊しているということになる。
学校で最も大切なのは生徒指導である。その生徒指導という優しく、柔軟性があり、時には厳しさのある空間の中で授業や部活動、その他の活動が関わり合いないが機能しなければならない。

この学校にかぎらず、学年経営、学校経営、1からすべて見直す必要がある。
学校に本当の自省と自浄が必要であり、誰のための学校であるのか、教育組織が本気で取り組まない限り、いじめを含め諸問題が解決することは決してないだろう。

最後に意識不明のお子さんが回復されること、切に願って止まない。

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