6/24/2013

『社会的な親』の存在

移転も完了したので久しぶりにブログ投稿、本当に久しぶり。ネタは腐るほどあったのですが、書く気力も失せていたというか・・・

さて、教育イザ!というサイトさんがあるのですが、教育関係の記事を専門に掲載されています。そこで見つけた記事についてちょっと書きたいと思います。
まずは記事をご覧ください。

「かくれんぼができない子供急増…いじめ遠因に?」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/664352/
衝撃的な一文「かくれんぼができない子どもたちが最近急激に増えている。
そして「一人になることを怖がる。これが見て見ぬふりをするいじめの遠因」
最後は「子供を見ているのは親と教師だけ。社会的な親の存在が大切になってくる」
大学の先生が調査された内容だそうです。
かくれんぼという遊びは一人になる怖さを伴うということですが、たしかにそれはあるかも。たった一人で鬼に見つかるまでじっとしていなければならないし・・・。缶蹴りもよくやった遊びでしたが、連続して鬼になることもしばしばだったと思います。

でも昔はいじめの遠因にはなりませんでしたよね?

子供たちを取り巻く環境は、技術のの進歩とか発展によって間違いなく変わりました。
しかし、子どもの本質自体は何も変わっていないと思うのです。
ではいったい何が問題なのでしょうか?

【希薄・表面的・情が通わない人間関係】
今の子供たちは本音をぶつけあって人間関係を築いているでしょうか?
泣いて笑って喧嘩して、そしてみんなで怒られたり・・・こんなことが普通にあったのですが、今はそこまで感情を顕にすることがなくなってきているのかもしれません。

今の人間関係はガラス細工のように繊細かつ脆いと感じます。しかもそれは子供たちだけの問題ではなく大人たちにも共通して言えることだと思うのです。
しかしそのまま細工が壊れないように保つことができるのかといえば、SNSを使ってリアルでは決して言えない事を書き残し、結果的にそれが発覚していじめ化してしまう。

大人ですらそのような状況ですから、その環境の中に置かれた子供たちは尚更敏感にその雰囲気を感じ取り、対面では体裁を取り繕ったり、自分の存在の確保や保身に走ってしまうのでしょう。

【地域が子どもを見守る】
もう20年以上前から「家庭・学校・地域の連携」が叫ばれていますが、実質的には形骸化してしまうことがほとんどです。なぜなら、更に一歩踏み込んだ連携まで及んでいないから頓挫してしまうのです。
何とかしなければならないと思っている大人が多い反面、変わり果てた大人の価値観が障壁となって子供たちを守り切れない、そんな印象です。

だから『社会的な親』の存在ということになるのでしょう。
おそらくは専門的な資格や経験のある方が担当されることになると思いますが、それだけでは手が足りなくなるのは明らかだと思います。

大切なのは「子供たちを育てる」ことに関して同じ認識や価値観を共有することだと思うのです。そのベースになるものが確立されない限り、地域を含めた社会全体で子供たちを見守り育てることはできないと思うのです。

昔は「社会的な親」が結構いたんです。それは近所のじーちゃん、ばーちゃんだったのですが、コミュニティーをまとめる存在としても非常に大きかったし、言うことは言ったけどやることはやった方々でした。

現代は生活音やピアノ、風鈴の音一つで隣近所から苦情が来て、最悪殺人事件にまで発展してしまう、そんな世の中です。
しかし、今子供たちのために大人が意識改革をし、それを実践しなかったら、子供たち、いやに日本の将来は暗澹たるものになってしまうと思うのです。
数十年後の日本を夢見てできることから1つずつ改革する、それが今の私達に課せられた重い課題です。

0 件のコメント:

コメントを投稿