2/09/2011

新大卒は現場にはいらない

大学生には申し訳ないけれど・・・・・・・
毎年大学を卒業したての初々しい先生が誕生するが、現場にとってはお荷物以外の何ものでもない。
せめて3年以上の講師経験を経てから担任を受け持って欲しい。講師である3年間は自分の専門教科の指導に専念すべきであり、学校という組織について必要最低限学んで欲しいと思っている。その3年間でいろいろな学校に赴任し、本当に自分が教師としてやっていけるのか、自分にはその資質があるのか、自分に問い直すべきだと思う。

そこまで言い切る理由は、自分の同僚であった女性教諭が自殺した苦い経験があるからだ。
彼女は新採用であり、学級担任を任されていた。彼女なりに一生懸命だったけど、その気持ちが子供たちには通じていなかった。(本当は通じていたのだろうけど、わかっていても中学生は反発したりするものです)

彼女は大変穏やかな家庭に育ったため、おそらくほとんど叱られるという経験はなかったのでないかと思うし、大声で怒鳴られるようなことも皆無だったようだ。四十九日に自宅に伺ったときに彼女のご両親とお話ししてそれは間違いないと感じた。
叱られたり、怒鳴られた経験がない人が他人の子どもに対して叱ったり、怒鳴ったりはできるものではない。
説諭すればいいだろう?と言う人もいると思うが、「◯◯くん、それはやってはいけませんよ!」なんて言おうものなら「うるせぇ!!」で終りになる。
彼女は自分が育つ過程において親から受けた指導と子どもに指導する態度のギャップを痛感していたのだろう。
クラス40人のうち10名ほどは彼女の言うことを聞かなくなっていた。おそらく彼女にとっては地獄だったろうと思う。
2年目は学担を外れ(彼女の意思で外れたのではなく、校務分掌上外すのが彼女のためだろうということで外された)休職となったが、復帰間近となった秋、彼女は自らの命を絶ってしまった。

子供たちを指導する際に思うこと、それは子供たちが生育環境で学んできた「叱られる」という基準と先生のそれが一致しないのは当たり前で、ギャップが激しい場合には教師のパフォーマンスが絶対的に必要だということだ。
あくまで教師自身の「叱られ基準」を適用すると、生徒たちは悲鳴を上げるかもしれないし、逆にのさばるかもしれない。だから指導するときの見えない基準を明確に設定しなければならない、それは個人の価値観という基準ではなく教師として、あるいは学年や学校の指導基準としてだ。

話が随分それてしまったが、教育実習は単なる「先生ごっこ」に過ぎない。だからあの程度の「お遊び」が学校の先生の仕事だと思ったら大変なことになる。
教員採用試験は30歳を過ぎても受けるチャンスはある。だからその前に民間企業でいろいろな経験をしてから意を決しても遅くはないし、大学4年次の採用試験に不合格ならぜひ講師として教育委員会に登録し、補充教員として講師経験を積むことをおすすめする。

その選択が最終的に自分自身を守ることにも繋がる。

もしも幸か不幸か教員採用試験に現役合格してしまったら、その時は意を決して取り組んで欲しい。生徒の前に立ったら、あなたの後ろ盾は何も無い。目の前の子供たちをたった一人で受け止めなければならないから・・・。

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