2/11/2011

学校の立て直し

Facebookの友だちとのやり取りから、学校の立て直しについて考えてみた。

学校教育立て直しについての基本方針は

  1. 学校としての取組方針を明確にし、全保護者に周知徹底する。教師と保護者が学校の問題点、現状を的確に把握し、共通理解を図る必要があり、それに対してどう取り組んでいくかという骨子を明確にしなければなりません。
  2. 学校の基本方針が決まったらそれを各学級や部活動において確実に実践しなければなりません。この線引きが生徒指導上最も大切なラインとなります。この線引きが曖昧だとクラスによって、あるいは指導する先生によって誤差が生じてしまい、学級崩壊の序章となります。これがいわゆる共通理解であり、指導する先生個人の考えを反映させてはいけない部分なのです。先生が自分の個性を発揮するのは、指導の方法のみであり、「ならぬものはならぬ」というそのラインの是非を問うてはならないのです。
もしもここまで徹底することができたなら、学校あるいは学級としても崩壊することはまずないと言っていいでしょう。実はこの部分が学校の取組として最も難しい部分であり、教育の根幹となる部分です。指導上の枠組みを明確にし、かつ確実に実践することができれば生徒たちはその枠組みの中で安心して学校生活を送ることができます。
ただ現実問題としてここまで出来ていないために学級崩壊が起こっています。教師個々の指導力にも関わる問題でもあるし、採用の問題点や学校内の研修の問題点も絡んできます。

実はこの枠組、荒れた中学校を立て直すときには必ずやっていることなのですが、教師が危機感を持つまで常に忘れ去られています。荒れた学校を立て直すときには教員総入れ替えも行うことがあります。それだけ教師の意識が大切なのです。

この学校の雰囲気作りが子どもたちにとっては最も大切な事であり、学校の雰囲気によって救われる子どもたちも大変多いのです。我儘な行為をできない、自分勝手な振る舞いができない雰囲気では、その行為に及ぶことが自分を孤立させたり、浮いたりしてしまうものなのです。
「ここでは馬鹿をやっても仕方がない」
その雰囲気を醸成することが最も大切な教師の責務なのです。

ここまで学校の雰囲気が良くなっていれば、問題行動の芽が発芽することが少ないのですが、やはり心に深い傷を追っている子は決められた枠をはみ出してしまいます。あとはこのはみ出した子をどのように個別指導していくか、そしてはみ出した子に追随しようとする子をいかに切り離すか、が課題となってきます。
極端に学校の指導の域を逸脱している場合には、やはり児童相談所や生活安全課の力を借りなければなりません。

最後に最も今後頭を痛めそうな問題は常識が通用しない保護者であると思いますが、何の根拠もなく非常識なことを持ちかける親はほとんどいないはずであり、自分の子どもが学校生活を楽しみ、満足していればクレームは起きにくいはずなのです。
しかし、実態は教師が言葉の選択一つを誤ったために誤解されてしまったり、逆に子どもに真意が十分伝わらず、保護者が感情的になって怒鳴りこむケースが多いと思います。

学校、学級での指導に法律的な問題が全くなければ、後は感情論のみとなりますが、これが最も厄介なのです。ここまでこじれてしまった場合は、その保護者に好きなように対処してもらうより方法はありません。逆に学校に非がなければこの方法が最善の選択になることがほとんどです。
結局感情的になって非常識な対応をしてくる保護者は、その保護者自身が自分の仕事上などで同様の目に遭わなければ目が醒めることはないからです。

このようなケースになると保護者にばかり目を奪われがちですが、こどもの存在を忘れてはならないし、クレームの多い非常識な親であっても子どもは別な話です。

結論は出ませんが、最後の最後は非常識な親は何を言ってきても相手にする必要はありません。その非常識である親の子が大人になった時に、真っ当な価値観を持てるように教育的な指導を続けていくしかないのかもしれません。
それが10年先か20年先かはわかりませんが、今子供たちに指導していることがいつか結実して欲しいと願って指導を継続するしか道はないように思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿