もう退職して10年を経過したが、その当時を振り返ってみたい。
幸運にも私が勤務していた各中学校では生徒の自殺は1件もなかったが、不登校やいじめはやはり当然のことのように転勤先すべてにあったと思う。(唯一、郡部の僻地の学校は不登校およびいじめはなかった。学年1クラスで保育所から中学校卒業まで同一メンバーで過ごす地区だった。ただしいじめはなくても地区特有の人間関係が感じられた。)
ご存知のように小学校は一部教科を除きほとんど担任が自分のクラスの授業を行い、中学校は教科担任制となっている。中学校の教科担任制でさえ孤立した子どもやいじめられているであろう子どもを見分けることは可能である。
しかし、教科担任制でさえと記述するのはもしかしたら間違いかもしれない。教科担任制だからこそ複数の教師からの観察状況を得ることができ、発見しやすいと言えるのかも。
***教師がいじめを認識できるケース***
発見しにくいと言われるいじめだが、教師が見つけようと努めさえすれば発見できるケースはいくらでもある。たとえば
- 授業中にある特定の生徒が発言すると周囲の数名から厳しい非難がある
- 授業中の活動の際に孤立しがちが子がいる(周囲から声を掛けてもらえないなど)
- 授業中の口数が少なくなり、伏し目がちになる
- 授業中発言すると笑われることが多い
- 保健室への出入りが多い
- 物が失くなる子がいる
などなど色々な場合があるが、最も大切なのは上記のような状況を見て教師がそれをどう捉えるかということ。小学校のように一日の大半を担任教師と過ごす場合、教師自身が何も感じなければそれで終わってしまうことになる。
<最大にして最後のチャンス>
さらにいじめが進行していくと、傍観していた生徒たちが黙っていられずに教師に訴える。ただし、訴えは1回のみ。そのたった1回の訴えで教師が解決できないと「あの先生は指導力がない」と生徒たちからレッテルを貼られる事になる。そのレッテルはいじめに関してのみのレッテルではなく、その教師の指導力すべてを否定されたことになるため、よく聞く「学級崩壊」の序章となるわけである。
当然ながら教師の適切な対応力、指導力は子どもたちの口から親の耳に入るわけだし、親たちの不信感も募る。あとは悪循環のみで、教師が何をしても信頼を回復することは困難になっていく。
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