8/28/2012

保護者からの訴え

昔、担任していた男子生徒が水泳部に所属していたが、水泳部が県外の上位大会に進出した。
その男子生徒はレギュラーではなく見学および応援という形で同行したが、本人も喜んで参加していた。

ここまでなら何も問題はないはずだった、後日その子の母親から涙ながらに訴えられるまでは・・・。

お母さんの話によると、上位大会に行っている息子から、夜自宅に電話が入ったそうだ、
「お母さん、迎えに来て。もうこの場にはいたくない。」

理由を尋ねると
「顧問教師から馬鹿にされた。お前は泳いでも遅いのに一体何しに来たの?」
と仲間たちの前で嘲笑されたそうだ。
男子生徒はそれに耐え切れず涙ながらに自宅に電話を入れたらしい。
お母さんは平素からは考えられない息子の様子に驚き、片道400キロを車で迎えに行ったそうだ。

ーーー私から見たその男子生徒ーーー
大人しく温和であったが真面目でしっかりした男の子。ちょっとからかわれたぐらいなら笑ってその場をやり過ごしたり、からかい返したりできる子だった。真面目な性格なので女子からも信頼されていたし、クラスでトラブルなども一切なし。目立たない存在かもしれないが、欠席すると周囲が健康を気遣ったりする。間違いなく人柄の良さからだろう。
運動能力は高いわけではなかったが、とにかく自分なりに一生懸命に取り組むタイプ。水泳の記録も飛び抜けて優れてはいないが、それでも腐ることなく努力を怠ることはなかった。

経緯を説明した後、お母さん曰く
うちの子は確かに能力が低いので記録なんて出すことはできない。水泳を続けさせている理由は、他の友だちよりもうちの子の運動能力が劣っているかもしれないから、全身運動ができる水泳を選んだのです。記録とか成績とか、そんなものは全く期待していません。
顧問の先生は過去に記録を残したようなすごい先生かもしれない。でも部活動に参加している子はそんな子供ばかりじゃないし、なぜうちの子が顧問に笑い者にされなければならないのですか?

お母さんの仰ったこと、尤もだと思います。

この顧問の先生の指導者としての資質が著しく欠如していることは勿論ですが、こういう先生、あちこちにいるのではないでしょうか?

先生の問題以外にも部活動のあり方について、色々思う所は多いのです。

8/10/2012

実技教科に評定はいらない(と思う)

夏休み、中学生たちは所属している各部活動に勤しんでおります。

子供たちの笑顔を見ながら考えたこと、「実技教科に評定は本当に必要なのだろうか?」

実技教科は保健体育、技術家庭科、美術、音楽だと思いますが、これらすべて評価項目を設定して評定を出します。そしてそれが高校入試の調査書や指導要録(学校にたぶん30年保存の記録)に記載されます。
結局、実技教科は入試のために評定を出しているだけに過ぎないのではないだろうか?と感じるわけであります。

例えば音楽、歌ったり、楽器を演奏したり、曲を鑑賞したりしますが、生徒たちはそれぞれ得意不得意があるし、学校の教科書に記載されているものだけが音楽ではないのです。
歌わせれば音程は外れるし、笛を吹けば最後まで演奏できない。でもある分野の音楽については涙を流すほど感動してしまうが、言葉や文字でうまく表現できないから周囲には伝わらない。おそらくそれらは教師の物差しでは測定できないものがほとんどなのです。

それに、実際の話、中学校の音楽の成績が「5」よりもカラオケで90点取るほうが社会においては高評価だと思うのです(笑)

芸術領域は生涯の趣味となるケースが多いし、技術家庭は生活に密着している。保健体育は生活にも密接な関連があり、尚且つ命に直結していますよね。
だったら学校教育の小さな物差しで評価評定をつけるより、「生きていく上での有益な知識と実践」を重点的に教え、将来子供たちが「あの時学校で習ったことが本当に役に立った」と思える機会を増やしてあげられるような、中身の濃い教科にしてあげられたらと思うのですが、皆さんどうでしょうか?

7/27/2012

電車内での出来事

Twitterを閲覧していたら、考えさせられる記事が掲載されていたのでご紹介。

これを書かれた方と同じ感想を抱いたことがありました。私の場合は病院の待合室ででした。

「親の体面、子の心」とありますが、まさにその通りではないかと感じます。

今の時代は「子」よりも親の「個」が優先されているような気がしてならないことがよくあります。


sabotem's Tumblr

興味趣味甘味


ソースはこちら→ http://sabotem.tumblr.com/post/27430691440

ーーー転載ここから
先日電車内でのこと。とある親子が乗ってました。子供はまだ幼稚園ぐらいですかね。おかあさんのスカートをずーっと握ってまして…まぁ甘えたい年頃なんだなぁと思いつつ最初は注意を払ってなかったんですよね。
そしたらまぁ何が原因かよくわからないんですが子供が大声で泣き出した。スマホの画面から目を離して見てみると、結構なガチ泣き。もうわんわん泣いてて見ているこっちがどうしたんだ何があったんだと子供に聞きたいぐらい。知らない子じゃなければ背中さすってなだめてるところです。

車内は子供の泣き声でいっぱいに。とはいえあのぐらいの子供はまぁ泣くものです。乗ってる客もそうイラだった雰囲気はなく。そのうち収まるかな…うーんしかし何が原因で泣いてるんだろう?なんて思ってましたが、これがまた一向に泣きやまない。

で母親が一生懸命諭してるのかな…と見てるとどうもただ怒っている。ひたすら子供を怒ってるわけです。

「もう、なんで泣くの!みっともないでしょう!」
「ほら…みんなが見てるじゃないの…」
「そんな子は知らないわよ!泣けばいいってもんじゃないでしょう!」


聞いてるとどうも違和感が。
泣いてる原因は聞いてないんですよね。
ただ「自分が恥ずかしいから」泣くなといってるように聞こえる。母親の怒りのボルテージは上がる一方。
むしろ子供の泣き声より母親の言動の方がイラっとくる状態。
とはいえ他人の家族の間に入り込むのも気がひける。が、子供の泣き声が胸に痛い。自分が子供の時もガチ泣きしてたことはあるわけで…まぁ誰だって人ごとじゃないはずなんですよね。泣く子供ってのは。誰しも一度はくぐってる時代のはずですし。

その後も数駅。子供はひたすら泣きわめきながら「おかーさーーーんうわーーーーーーっ」とかやってるんですが、母親の方はともかく泣くのをやめなさいを繰り返すばかり。

あれで泣き止むもんなら子育てはきっと苦労はないんだろうなぁ…と思っていたところ優先席に座っていた年輩の夫婦がそっと立ち上がって子供のそばに。旦那さんの方が母親に、奥様の方が子供と同じ視線にしゃがむようにして壁に寄りかかりながらドアのそばの手すりをつかんで。

「子供がなくと大変ですなぁ…」
なんて会話を旦那さんがしていて、母親の気を紛らわせ始めます。
「どうしたのかな?どっか痛いのかな?」
奥様は子供の気を引きます。優しい笑顔で頭をそっとなでる。くびすじをなでる。ぽんぽんと肩をたたく。そうしつつ子供と目線を合わせている。
旦那様の方は母親を気遣いながら子育ての大変さを聞き出しはじめる。
ぼんやりと見ること2分もたたないうちに子供は泣き止み母親もテンションが普通に戻っている。うわーこれは見事だなぁと見ていてびっくり。
まぁここまで見てるだけってのもあれだったので、スーツのポケットに飴をいれてたのを思い出しまして。そっと近づいてしゃがんでいるおばあさんに渡すとそれはもういい笑顔で子供に渡してあげてくれて。

その次の駅で母子は降りて行きました。
私は老夫婦に席をゆずり(子供をあやしている間に優先席は別の人に取られてしまっていた)手際のよさを褒め称えました。
すると旦那さんの方が「あんた顔しかめてたねぇ。あれかな女性のヒステリーは苦手な方かな?」
などと問われる。見てるところは見てるもんだなぁと恐縮。
「子供が泣いてるのに体面ばかり気にする言葉ばかりで…どうにもいらいらしてしまいました」
素直にそう言うとこれもまたいい笑顔で「私もだよ」なんて言われまして。
「子供が親の話を聞くなんてのは親が勝手に思ってるだけでね。子供に言葉で諭したってだめなんだよな。触ってあげて優しくしてあげればいいんだ。疲れてすぐに泣き止む。怒るのは泣いてない時にやるんだよ。すくなくともうちのかみさんはそれで何人も育ててるんだから」
自慢げにそう言われてこちらもなるほどそうなのかぁ…とうなずくばかり。まぁ子育てなんてやったこともないんでそう言われればそうなのかなぁと。
私が思っていたのは叱り方の方で。
「みんなが見ているから」
とか
「恥ずかしいでしょ」
としきりに言ってたんですが、それってあんたが恥ずかしいだけだよな?子供じゃないよな?と思いつつ見ていた。
老夫婦にその辺りを聞いて見たかったのですが、私も降りる駅がきてしまったので挨拶だけして電車を降りました。

会話の端に「何人も子供を育てた」という言葉があったので、老夫婦はいわば子育てのエキスパートだったのでしょうかね。奥様のやり方を旦那さんが肯定していて自然にサポートしている。まぁ実際の子育ての頃は今ほど落ち着いてはいなかったのでしょうけれど、やはり経験ってのは人を磨くものだなぁと思ったりも。

そして今でも思うのは母親の叱り方。
他の場面でもよく見るのです。椅子の上で変な座り方をしていたりはしゃいでるいるのを放置していたり、叱る時も「みんなが見ている」とか「恥ずかしい」を連発している親を。
その叱る言葉は本当に子供のための言葉なんだろうか…ただ自分が恥ずかしいから子供を叱っているのではないか。
そして「みんなが見ている」という言葉。
みんなが見ているからやめなさい…ではなく本当は「それはしてはいけない事だから」やめなさいではないだろうか。
自分が母親に叱られていた子供時代はどうだったか。
それが社会の仕組みでみんながきちんとしているのはなぜか。他の子も泣いてないでしょう?こういう乗り物はみんなが乗るものだから自分だけわがまま言っちゃだめでしょう?そう諭されていた気がします。
まぁそれでも泣いて最後にはげんこつ食らってさらに泣いてた気もしますが(苦笑)言うこと聞かない子供だったしなぁ…

それはさておき。

子供を持たぬ独身男には不思議なのですが、子供を叱るってのはどういうことなのかと。
これから社会で生きていくために必要なルールを教える。それはとても大切なこと。特に日本ははみ出しものには辛いところですから、最低限のところは教えてあげないといけない。
公共の場と自宅の違いも教えてあげないといけない。
でも。
泣いているならば。
他人の目がどうこうではなく。なんで泣いているのか。泣いている原因がわがままなら叱るでしょうし、そうでないなら他人の目なんて気にせず子供に相対して欲しいな…と個人的には思うのです。
たぶんその方が早く泣き止むと思うので。

自分の子にあまり触れない親が増えているとも聞きます。
体面ばかりを気にする親が増えているとも聞きます。

今回の件でそうなのかもな…と思いつつ。それでも子供を産み育てる苦労を考えると、それをしていない身としては何も言えず。せいぜい飴のひとつも子供にあげるぐらいしか出来なかったわけで。
世の親とは大変だなぁとも思うのですが、それでも…
子供の立場を考えれば…あのぐらいの子では表現が泣くか笑うかぐらいしかないんだろうな…とも思うので。あまり親の都合で叱ってほしくはないかなぁ…と思うのです。まぁ子育ての大変さから子供に当たるというのもわからないではないんですが。子供からしたらたまったものではないだろうなぁと。

私の母も女手ひとつで私を子育てしてましたので、ストレスを私にぶつけてくることはありました。離婚の理由。分かれた父親への怨嗟の言葉。酔えばもう出てくるのはひどい言葉ばかり。あんたなんて生むんじゃなかったと何度聞いたことか。人格形成に大きく影響を与えるヒトコマではありましたが、長じて大人になると母の言葉もわかってくるものです。今の自分が一人で子育てを…働きながらしたらどういうことになるのか。それを考えると母に文句は言えないなぁと。
あの頃はなんで遊んでくれないのか構ってくれないのかと泣いてたもんですけれどね(笑)子供には親の事情がわからないってのは実感出来るなぁ…自分がそうだったから。
親も子も。ボルテージをあげずにうまくやっていけるといいんですが…なかなか難しいのでしょう。あの老夫婦のように何回も子育てしてる家庭なんて今時そうはない訳ですし。みんな始めてで最後の子育てに挑戦している。それはとても大変だろうなと。でもまぁ、親ってのは大人な訳で。子供よりは我慢も効く。なら…なんて。
あんな時母親を叱る人ってのも車内にはいたりするのです。

正義の味方のように。

「あなたは体面ばかりを気にしてるじゃないか」
なんて言っちゃう人もいる訳です。私も心ではそう思いました。思いましたが、それをやったらたぶん子供はもっと泣くだろうなぁ…と。なんで泣いてるのかわからんけれど、なんか伝えたいんだろうな。だから泣くんだろうな…そう思ったら出来ませんで。
ともかく泣き止んでくれれば母親も恥ずかしくはないんだろうなぁ…さてどうするかな。そう思った矢先の老夫婦の行動。
最近道を占有したり電車内で大きな声で携帯を使ってる老人などを見て、あれが昔聞いた「老いるのに失敗した人達」なのだろうな…などと思ったりすることも増えていたので、今回の件は結構晴れやかな気持ちになれました。

時間にしてわずかに十数分の出来事。

大したことのない日常のヒトコマ。
けれどいろいろと思うことが増えるヒトコマではあったかなと思います。
親の体面子の心。
 自分が親になることはないかもしれませんが…もしなったとしたら。思い返してみたい出来事だったな…と思っています。
ーーー転載ここまで 

6/29/2012

教え子の死

中学2年から卒業まで担任し、卒業後に単車の事故で死亡した生徒がいた。

能力的には非常に高く、市内のトップレベルの高校に進学できる学力を彼は持っていた。実際に中学2年時には定期テストで満点をとることがあり、その実力はクラスメートたちも認めていたほどだ。しかも、運動能力も高く、身長175cmほどでありながらバスケットのリングを掴めるほどの跳躍力があった。

その後中学3年になると不登校傾向が強くなった。深夜にゲームをし、生活時間帯が昼夜逆転してしまったために登校時間に起床できなくなっていたようだ。そして喫煙、しかも制服、背負カバンを背負ったままコンビニでセブンスターを購入するほどの常習。

進路を決定する際も登校せず、近隣の合格しやすい高校を選択したが不合格、その後予備校に行くとヤル気を見せたのだが挫折し、暴走族に入って事故で死亡してしまった。

この子について深く考えさせられたことは、入試の際、私が調査書の欠席日数と欠席理由(当時は「悪心」と書くことが多かった。更に一歩踏み込んで書くなら「怠学」)について事実を書いていなければ、もしかしたらこの子の死はなかったのではないか?ということだった。
事実を調査書に記載しないことは文書の偽造となるが、彼にとっては学力、能力的に見合わない高校で有っても、生きてさえいればいずれやりたいものを見出して彼本来の力を発揮でき、死という終止符を打たなくても済んだのではないか。

私は出張のため葬儀には参列できなかったが、後日訪問し、位牌の前で号泣してしまった。

そしてラストチャンスだった予備校入学。彼は自分から予備校に行くと父に言い出したらしい。
しかし入学時に寝坊、遅れて出席したが、いきなり予備校の教師に平手打ちを食らったそうだ。そしてその翌日から彼は1日も出席せず、結果的に暴走族に入って走りまくったようだ。

結果として、私と予備校講師、二人の対処ミスがこの子の人生を左右してしまったのかもしれない。
大人として、教師として本当に自分の対処で良かったのだろうか?そう思い悩む事がいまだにある。

6/07/2012

教育実習

大学生が教員の免許を取得するために実習がありますが、それが教育実習。

だいたい期間は3週間ほどのようですが、大学生の皆さんはほとんどの方が楽しい思いをされて学校に復帰するようです。
ま、稀に苦労して帰る人もいるとは思いますが(^^)

実習について思いつくままに・・・

まず実習生を受け入れる学校サイドとしては、実習生を受け入れるということが大変な負担となります。
大学で指導案の書き方等しっかり教わってくればいいのですが、ほぼ白紙の状態で実習を行う場合がほとんど。教える方とすれば結構しんどいというか、部活動終了後の少ない時間出指導しなければならないので大変なのです。
せめて指導案の書き方ぐらいは大学で事前に勉強してきてほしいし、大学の先生方もきちんと指導してほしいものです。

しかし生徒たちは実は大喜びです。
つまり生徒たちにとっては本当の先生ではなく、大学生のお兄ちゃん、お姉ちゃんが遊びに来たぐらいの感覚なのです。
だから年齢が近い分気軽に話しかけるし、特に日頃生徒指導上問題がある子たちが安らぎを求めて接近していく傾向が強いのです。
そういう子たちにとっては、ある意味「癒し」なのでしょう。

そうこうしている内に緊張感と楽しさがある実習期間が過ぎ去っていくわけですが、その楽しい経験=教員というわけではありませんので注意しましょう。
すなわちお互いに嫌な思いをせずに終了するのが実習期間であり、いざ正教員となるとそんなに甘い世界ではないのです。

生徒が一番触れてほしくない部分に触れて指導しなければならないのです。
お互いに感情的になったり、生徒から敬遠されることだって度々あります。
ノイローゼになる教員もいるし、最悪命を絶ってしまう人もいるのです。

安定志向だから教員や公務員が楽でいい、と思っている方も多いようですが、いざ実際に修羅場を経験してみるとそんなに楽な仕事ではありません。

おそらく現場に入ったら、大学で学んだことは殆ど役立たないと思うことが多いでしょうし、自分で悩み苦しみながら指導法を確立していくしかないのです。

教師は楽しいけど、とても大変な仕事なのです。