1/29/2014

吉岡たすく先生の講演

別ブログに書いた投稿をまとめてみました。
吉岡先生の講演、時間がある時にぜひ前編お聴きください。

テレビ寺子屋という番組に吉岡たすく先生が出演されていたのですが、今でも記憶に鮮明に残っているほど面白い講演でした。

もともと小学校の教師をされていた方なので話の内容は興味深いものばかり。今聴いても頷ける内容ばかりで大変参考になります。












吉岡先生の書籍が中古で販売されています。


のびのび子育て
のびのび子育て
posted with amazlet at 14.01.29
PHP研究所 (2013-03-15)
売り上げランキング: 39,969


あきらめないでお母ちゃん―吉岡たすくのショート・ショート講演
吉岡 たすく
佼成出版社
売り上げランキング: 796,561


1/25/2014

国家賠償法について

第一条  国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
○2  前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。

公務員が職務中に故意または過失によって他人に損害を与えた場合、国または地方公共団体が賠償するわけですが、公務員に故意または重大な過失があった時は、国または地方公共団体はその公務員に対して支払った賠償金を求償することができるわけです。

一部の公務員は、自分がミスをしても国や地方公共団体が賠償金を払い、自分は支払わなくていいと勘違いしているようですが、それは間違い。

故意および重大な過失とはいかなるものなのか?

体罰は法令で禁止されている事項であり、間違いなく故意または重大な過失となります。

暴行の事実があれば刑法も適されて当然なはずなのですが、下記の記事では「国家賠償
法」で個人責任が問われていなかったそうです。

JanJanブログ
http://www.janjanblog.com/archives/106418

あり得ないことです。

随分昔の話ですが、地元の中学校で部活動をしていた生徒が倒れ、救急搬送されましたが
心不全のために死亡。
顧問は部活動に来ないで職員室で仕事をしていたため、生徒の異常に気づくのが遅れたこ
と、そして部活動についていなかったことにより個人責任を問われ裁判の賠償金を全額、
県および市から求償されたそうです。
地元の事例から考えれば、上記ブログの記載内容は更に悪質であり、暴行傷害致死、学校
教育法に違反となるはず。

なぜ「個人責任を問わない」という判決が出るのでしょう?
私は理解に苦しみます。





12/26/2013

教師に求められるもの

 教師として求められるもの、色んな意見が出てきそうですが、私個人としては次の2点が最も重要だと思います。

  1. 授業が上手いこと
  2. 生徒指導ができること
 授業に関しては必須条件です。このための先生なので、授業が下手、あるいは授業が成立しない教師は教師の資格なしです。

 生徒指導ができること、これは非常に広範囲になるのですが、例えばまず学級経営がしっかりできていること。子どもたちの個性を見極めつつ、集団としての質も高め、生徒たちを納得させるだけの価値観や指導観を兼ね備えていなければならないと思います。
一朝一夕にできることではないし、自分の今までの生き方に関わるものなのである程度の時間を要するかもしれませんが、教師という仕事はパフォーマンスなのでなるべく早く身につけなければならない絶対的な資質と言えます。

 その他、部活動の指導力がある先生も魅力がありますが、全国で1位になったとか、そういう結果のみで教師として高評価を下してはならないのです。
なぜなら、真面目にやるのは部活動の指導のみで、授業もろくにできず、滅茶苦茶な学級経営をしている教師が実在するからです。保護者としては結果で判断し敬う方もいらっしゃいますが、同じ教師からすれば「役に立たない教師」に過ぎません。

 部活動の指導はできないよりできた方がいい。しかしそれしかできない人間は教師としては不適格なのです。部活動のみなら外部からプロの指導者を呼んだ方が質は確実に向上するのですから。

 授業が上手く、学級や学年の生徒指導を安心して任せることができ、部活動の指導も優秀なら言うことはありません。

 ※悪いことをした生徒を叱ったりすることが生徒指導と誤解されがちですが、子どもたちをいかに守り育てるか、つまり学校の指導すべてが生徒指導の中に包括されているのです。

 どんな先生か確かめるには、まず授業を見に行きましょう。授業が上手い先生か、下手な先生なのかか。
そしてその先生が担任しているクラスを見ましょう。クラスの子どもたちの雰囲気は先生の生徒指導の現れなのです。(脅しによる緊張感のある無言の状態がいいわけではありませんよ)
 そして最後に部活動の指導を観察する。

ここまで観察して問題点がなければその先生は子どもたちに好かれる先生であると思います、たぶん。

 

12/20/2013

民間人校長二人採用〜宮城


河北新報 東北のニュース/宮城県教委 民間人校長2人採用 着任は4月 http://www.kahoku.co.jp/news/2013/12/20131219t11028.htm @kahoku_shimpoさんから

 宮城県でも2名の民間人(電力会社と銀行)の校長採用が決まったようですが、大阪でも失敗しているだけに頑張って欲しいものです。

 以上!

 これで終わりじゃつまらないので

 以前大阪の民間校長の件でも書いたのですが、学校という現場において民間企業の感覚で校長という職務に就くのは困難を極めるだろうと思います。新しい感覚を取り入れて特色ある学校作りをしたい、してほしいという願いは十分わかるのですが、最悪の場合校長が自死を選択するケースもあったほど追い詰められる現場でもあります。

 教育現場においての難しさは
  1. 教職員が非協力的・批判的になり、校長と意見対立することが多い。民間出身の校長であれば尚更風当たりが強いかもしれない。
  2. 語弊はあると思うが、民間企業というのは営利目的で利益が最優先される組織であり、それが社員の給与に直結するため組織としてまとまりやすい傾向はあると思うが、公立学校という現場ではその意識は全く通用しない。いじめがあろうが生徒が自殺しようが教職員の給与に影響することは滅多にない現場である。
  3. 学校の主役は子どもたちであり、その子どもたちの実態把握なくして学校経営はあり得ない。利益のための経営と人を育てるための経営、これが企業との決定的な違いであり、50歳を過ぎた校長が子どもたちの中にどれだけ入っていけるか、それで校長の質が決まるだろう。
  4. 保護者の理解と協力が得られるかどうか。保護者は民間出身の校長に期待しつつも怪訝する雰囲気もある。子どもに関してのクレームは民間企業のクレームの比ではないし、校長自身がクレームの窓口対応者となる。
 企業経営のつもりで単にシステムを構築するだけであれば、おそらくそう時間はかからずに進むだろう。つまり、校長が上司として職務権限を最大に使い「職務上の命令」を行使すればいいだけの話である。
でもそれをやったら職員会議が紛糾する、企業では考えられえないほどの怒号が飛び交う、単なる理想論者である校長の命令など簡単に無視することができる。

 教師との関係もだが、保護者とのトラブルをいかに回避できるか、それは腕の見せどころになるだろう。企業なら「代替品で」「弊社の商品券で」、あるいは非を認めてひたすら謝罪して乗り切ることもできようが、学校という現場はそれができない。下手に保護者に迎合してしまったら学校の生徒指導が崩壊することすらあり得る。

 あとは子どもたちとの関係をいかに築き、特色ある学校づくるを子どもたちといかに進めるか。実態把握ができないことには特色も何もないし、単なる理想論なら誰で打ち上げることができるわけだし。

 民間採用校長の人気は6〜9年ほどだが、今の学校制度に風穴をあけて特色ある学校作りを目指し、生徒たちが「卒業したくない」と思うような学校を目指してほしいものです。

また辛口になってしまいましたね(^^ゞ



12/19/2013

体罰考

 体罰は是か非かと問われれば当然「非」である。
これは刑事事件にも発展するし、民事訴訟にも至る。教員の場合には服務規程違反にもなる。
 ただし、学校現場において体に少し触れたりするぐらいの程度が体罰と訴えられるのであれば、それはそもそも形成すべき人間関係がない、ラポートがないという状況に他ならない場合。例えば、教師を嫌う生徒にとっては、その教師の言動すべてが不快そのものであり、きつい言葉を浴びせられれば言葉の暴力であり、体に少しでも触れようものなら暴力以外何ものでもない。間違いなく何か原因があってそうなっているわけだが、人としての信頼関係がない以上、同じ行為でも感情が先に立って容認出来ないのである。

 どこからが体罰かという点はさておき、なぜ体罰が起きるかについて考えてみたい。
結論を言ってしまうと「子どもを預かり育てることよりも、自分の欲求や感情が優先されるから」。

 まず最も多いのが「指導者の地位保全・絶対性の保全」。
これを保つことができれば自分の意のままにクラスや組織、団体を経営することができ、指導者にとって最も快適な場を構築するために体罰を使用する。

 第二に「大人としてのプライドを保つ」ことが目的の体罰。
これも学校現場では多いのではないだろうか。
要は「子どもたちになめられたくない」という気持ちの現われである。

 第三に「子どもに従順さを押し付ける」ための体罰。
これは上記と重複するかもしれないが、大人に従順なこどもはいい子、という己の過去を振り返ることすら出来ない意味のない価値観の押し付けといえる。

 そして最後、これが最も問題であろうと思われる「指導力・指導理念の欠如」。
このような教師はその日の気分で怒り狂う場合もあるし、特定の生徒を目の敵にしたり、思いつきや行き当たりばったりで強い指導を行う。こんな教師を子どもたちは絶対に信頼しない。
 生徒たちから見て、「罰すべきを罰することができる教師」、「ダメなことをダメと言える教師」、「生徒たちが納得できる指導ラインが常にブレない教師」、「誰に対しても公平に指導できる教師」などは間違いなく信頼できる教師の資質を備えているし、安易に体罰を振るうことなどない。

 私も色々やったほうなので大口を叩くことはできないのですが、上記4つが体罰に至る教師側の問題点だと思われます。
 体罰の弁解として「感情を抑えきれず、ついカッとなって殴ってしまった」とありますが、その根底にあるのは上記4つのいずれかです。実は感情的になって殴ることはほとんどないと思います。子どもたちの言葉で言えば「ムカつく」から殴ったということになるでしょう。極稀に、体罰を振るったことのない教師が涙ながらに生徒を殴ることもあるかもしれませんが、その場合は体罰として訴えられることはまずないでしょう。

 各項目について説明したい点は多々ありますが、いずれまた!