ラベル 生徒指導 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 生徒指導 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

12/11/2013

H24児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査


この書類ずっと書かされていたのですが、毎年6月ぐらいに書いて市教委に提出していたように記憶しています。
全国の集計なのでやはり半年ぐらいは時間を要すのでしょう。

 それはさておき、この集計結果、集計されている数値よりも諸問題の数はもう少し増えると思います。その理由ですが
  • 学校判断で記載するため学校ごとの認識の差が出てしまう。この資料をまず市教委に提出することもあって、校長によっては「それは書かなくていい」とか根拠の無い体裁を繕うための減数もありえます(校長の頭の中に学校の実態がインプットされていないことが多い)。また、判断が難しい事例(とくにいじめなどはその最たるもの、不登校も同じような傾向あり)についてはカウントしなかったりすることが多く、学校ごとの認識のズレがかなり生じます。
 暴力行為や器物損壊、出席停止措置、自殺などは数を把握しやすいのですが、いじめ・不登校に関しては判断が難しい事例が多いことも確かです。
 いじめ・不登校に関しては発表された統計よりもさらに多いことを念頭におくべきでしょう。

12/07/2013

学校が荒れるということ

 何かのウイルスにでも感染したかのように学校が荒れることがあります。

不思議ですよね?
学校の荒廃を促すような悪い菌でもあるかのように荒れが伝播していきます。

学校外の要素も当然大きいのですが、学校内の事について書きたいと思います。

  • どこの学校も荒れる可能性を秘めている
 大規模校のみが荒れるわけではなく、僻地の学校ですら荒れる可能性を持っています。たしかに規模によって荒れる要素が多い少ないは違ってくるのですが、ひとつ間違えれば学年1クラスの中学校でさえ荒れてしまいます。

  • 荒れる原因は?
 学校が荒れる場合、必ず鍵となる子どもたちの存在があります。
たった一人の生徒からすべてが始まってしまうこともあります。
このような書き方をすると生徒が悪いような印象を与えてしまいますが、彼らが悪いわけではありません。それについては後述します。

  • 鍵となる子供たちとは?
 中学生といえば13〜15歳ですが、それぞれがいろんなことを背負って生きてきています。家庭環境や経済的にに恵まれなかったり、あるいはそれらは満たされているように見えても心が満たされていなかったりと様々です。
鍵となる子供たちとは、心が満たされず不満の多い子供たち。

  • きっかけとなる事件がある
 不満を持っているからと言って必ず暴走してしまうとは限りません。
ほとんどの子供たちは自分を何とか抑えて行動していますが、教師の指導や態度そのものが彼らの暴発の引き金を引いてしまうのです。

  • どのように伝播していくか
 ある一人の教師に対して反発した生徒に追随する生徒が出てきます。
まずは同じクラスの生徒が追随し、他クラスへと伝播していきます。
その後、生徒たちは教師を見ながら授業によって態度を変えていき、「この教師は大して注意をしない、怒らない」と判断すると行動がエスカレートしていくのです。そして他学年へと波及し、他の学校への波及していくのです。

 この時鎮静化のために体罰を使うことが常であったと思いますが、体罰というのは鎮静剤になるかカンフル剤になるかの賭けとなります。教師の力が勝れば沈静化に向かいやすくなりますが、生徒の力が勝ればさらに暴徒化することになります。
  • 立て直し
 一つの事件があり、3ヶ月もあれば学校は崩れていきます。特に夏休み後は子供たちに歯止めが効かない状況下となり、2学期はそれが顕著に現れます。
一度荒れると、学校を立て直すためには荒れた学年が卒業して2〜3年は必要になるかもしれません。
その間、人事異動で生徒指導を強化する措置を講じたりします。
  • 指導における共通理解と実践の大切さ
 教師は同じポイントあるいはラインで皆同じように生徒を注意する。そのポイントやラインのことを共通理解と思ってください。
実践の手段については各教師の個性に任せて指導していいと思います。例えばキツめに叱る先生もいれば穏やかに説諭する先生もいる、そういう教師がそれぞれ持つ個性を発揮できればいいことです。
最も大切なのは同じポイント、同じラインを見極めて適時指導すること。
この共通理解を図らないことこそが学校の生徒指導を揺るがす最大の原因です。
  • わがままな教師が多い学校は崩れやすい
 生徒は別に何とも思っていませんが、教師は学級経営者でクラスの頂点。
その教師たちが自分のやりたいように指導したらクラスによって子供たちの不満が爆発することになります。「◯組はいいのになぜうちのクラスはダメなんですか?」
こんな些細な事から学級崩壊、学校崩壊の芽が育ってしまいます。
共通理解と実践を守ろうとしない教師はわがままなのです。
  • 学校が荒れないようにするためには
 「指導における共通理解と実践の大切さ」が大切なのは前述の通りです。
子供たちはやってダメなことはわかっています。だからダメなことをダメと当たり前に言ってくれる教師や大人を望んいでいるし、それが大人として当然だと思っているのです。「ダメなことをダメと言えない大人」、子どもたちはそういう大人を最も軽蔑します。

 そして落ち着いて生活できる環境を作ることが大切。
卒業後少年院に速攻でぶち込まれた生徒がおりましたが、その子は校内ではほとんど悪いことはしませんでした。(校外、特に休日はやらかしましたが)
「お前よく学校の中で悪さしたりしないよな」と訊いたら彼曰く
「この学校で何かやっても馬鹿らしいから」。

学校のいい雰囲気を作り、落ち着いて生活できること、これが荒れを防止する最良の手段です。
  • 学校が落ち着いている時こそ生徒指導の基盤を固める時
学校が荒れればどんな教師でも本気になって立て直しに取り組みます。
しかしそれは荒れた時ではなく、落ち着いている時にこそしっかり取り組むべきことです。
平和だとその平和に浸りきって甘くなったり手抜きになったり、見過ごしてはいけないことを見過ごしてしまいがちです。結果的にそれが蓄積されて荒れる原因を作ってしまうのです。
学校が平和なときにこそ基礎をしっかり固め、それを継続して行くことが肝要なのです。


12/04/2013

生活安全課とか派出所のお話

 中学校で生徒指導担当を任されると、裁判所や警察との合同会議に出席したり、悪さをした生徒を引き取りに行ったり、生活安全課にお願いして同行してもらったり・・・と様々なお付き合いが増えます。
警察官に顔も覚えてもらえるので突然パトカーから「せんせ〜」なんていうドスの利いた声がかかったりします(^_^;)

 現役時代、相当お世話になったのですが、みなさんいい方ばかりで大変助かりました。

具体的には・・・
生活安全課の方に自分の学校の万引き生徒の数とか名前とか教えていただいたり(今は個人情報漏洩に関してうるさいのでないと思います)、保護者に啓蒙するために学校まで出向いていただいて講義をしていただいたり、またある時は盗癖のある生徒を直接指導(被害届が出ていないので警察署での取り調べにはならないような案件)していただいたりしました。
大きな問題を起こした生徒については、未然に今後の犯罪を食い止めるよう情報交換を行ったり、ずいぶんとお世話になった記憶ばかりです。

 先生と生徒だけの場合、お互いに手の内を知り尽くしていますので指導しても効果がないことも多いのですが、警察官に説教していただくと絶大な効果があったりするものです。特に女性と年配の警察官の方の説諭は重みがありました。

学校としてはなるべく警察のお世話にならないようにというのが基本ですが、それもケースバイケース。

学校と警察がお互いに意思の疎通があるとメリットも多く、生徒が拾得したものを顔見知りの派出所に届けてくれて犯罪の検挙に繋がったこともあります。

警察というのは特殊な機関ではありますが、彼らも地域との連携を積極的に推進しようとしていますし、積極的に関わりを持つ方のメリットが非常に大きいと思います。

12/01/2013

学校の質は教員の質

 施設が立派な学校(幼稚園)があり、新しいこともあって入園希望者も多かったのですが、ある時園児同士がケンカをして片方のお子さんが軽い怪我をしてしまったそうです。

ここまでなら子ども同士のケンカで目くじらを立てるほどのことはないと思うのですが、この後の学校の対応が問題。
保育時間内に起きた出来事にもかかわらず、「親同士の問題だから園には関係ない」 というような発言が園関係者(おそらく園長)から出てしまい、一部の保護者からは「管理下の事故なのに関係ないとはどういうこと?」と対応に疑問の声が上がったそうです。
当たり前ですよね?
「後は親同士で・・・」は保護者が発すべき言葉ですから。

本来なら
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・事情を調べて子どもたちに説諭する
・保護者に事故の経緯、学校の対応(指導の経過等)、子どもたちのその後の様子について電話連絡または家庭訪問で説明する
・子どもたちのケンカなので両成敗が多いのだが、場合によっては一方的なこともあるので保護者の心情を配慮しながら適切に対応することが必要
・子ども同士のケンカであれ、相手に怪我をさせたことを重く考える保護者も多いはず。その際、保護者から「謝罪に行きたい」旨の話があれば、相手方の保護者の了承を得て連絡先を教える等の措置を講じる。
(ここまでくればあとは保護者同士にお任せして差し支えない)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 このような幼稚園の場合、お子さんたちがかなり大きな怪我をした場合も「親同士の問題だから園には関係ない」と最初から責任逃れをしてしまうのではないでしょうか?

最終的に保護者にお任せすることになったとしても、それは保護者の判断でそうなります。学校管理下で起きた事故は学校の責任があるわけですから、まずそれを果たさなければなりません。

 管理下の事故にもかかわらず「保護者の問題だから学校には関係ない」という無責任な学校経営では、安心して自分のこともを預けることができませんし、若い先生方は絶対に育ちません。先生方はいずれ保護者との板挟みとなってつぶれてしまうかもしれません。
他人のお子さんを責任をもって預かる、これができないなら教育の現場を悪用した金儲けをしているに過ぎないと思います。

 学校の質は教師の質、またその教師たちを育て管理する校長、園長の経営者の質です。

7/08/2013

アスペルガー症候群〜対処法求む

 自分は直接受け持ったことがない(少なくともそういう診断を受けた子がいなかった)のですが、知人からアスペルガー症候群を持つ子について少し情報を得ているのでご参考まで書き留めます。

Wiki アスペルガー症候群

 高機能自閉症などと書かれていることが多いのですが、学力的には中の上クラス以上、ある特定の分野については教師が舌を巻くほどの知識を持っていたりします。
ですから能力的には人並み或いは人並み以上と言えます。

 ただ問題は生活行動面。
アスペルガー症候群にはかなり個人差があるようですが、中学生でも3〜4歳児と同等にしか見えないこともあるらしいのです。
同じクラスの子供たちもそういうものだと思って面倒を見てくれているらしいのですが、他人とのコミュニケーションは成立せず、その時々の気分によって大騒ぎしたりすることが多いそうです。
なにか気になることがあれば、そのことをずっと口走ってこだわり続けたりすることも多く、授業中立ち上がったり、常に落ち着きのない状態が続いたりします。

 もう一つ心配なことは、中学生にもなると異性に対する目覚めもあり、男の子の場合は女の子に抱きついたりということがあるそうです。
当然女子生徒は嫌がりますので教師がその都度指導するわけですが、それでも同じ事を繰り返す。そうなると、最初は「仕方がない」と思って面倒を見てくれていたクラスメイトが厳しく糾弾するようになります。
当然クラスで孤立(いじめには発展しません)するわけです。

通常の子が抱きついたりする場合の対処は問題ないのですが、アスペルガー症候群の子供たちに関しては判断が難しいようです。
女子生徒に抱きついたりすることが幼児の感覚としての行為なのか、あるいは高機能だけに幼児のように振舞って故意に抱きついたりしているのか?

 いずれにせよ担任は同じ指導を繰り返し、必要があれば学校での状況を家庭に連絡しているらしいのですが、思うような状況の変化は見られないことが多いようです。

もし、アスペルガー症候群の子供たちへの指導で大変効果的なものがありましたら、何卒ご教授下さい。宜しくお願い致します。

7/06/2013

忘れ物〜やってはいけない指導

 忘れ物に対する指導でやってはいけないこと(これは教師の認識不足が原因となっています)は、何だと思いますか?
体罰は法令違反となるので当然ですが、それ以外で大きな事故に繋がる可能性がある指導・・・・・

「忘れ物をした児童生徒を自宅に戻らせること」

 これはご法度です。法令で「自宅に戻らせてはいけない」とされているわけではありませんが、重大な事故に繋がる可能性があります。(この指導は昔よくやっていましたが、今はおそらく滅多にお目にかかれないでしょう)

具体例
 ある中学生が忘れ物をしたため自宅に戻りました。
そして忘れ物を持って学校へ戻る途中、不幸にも交通事故。
一時はかなり重篤な状態だったようですが、この子は助かったそうです。

 担任の先生は「戻らなくていい」と話したそうですが、このお子さんは真面目なお子さんだったのでしょう。教師の指示を無視して自宅に戻ってしまったのです。

このケースは教師が生徒に自宅に戻るように指示したわけではありませんが、やはり管理上の問題が生じると思います。

学校は、朝お子さんを預かったら下校時まで責任を持たなければなりません。
早退させる場合には必ず保護者の方に連絡を入れます。
一度預かったお子さんを単独で校外へ出すことは早退する時以外はないのです(昼食を買いに行かせるようなケースがなきにしもあらずですが、それは認めません)。
だから、お子さんが戻ってしまったこのケースでも学校の管理責任は問われると思います。

 親御さんの立場になって考えたらどうでしょうか?
保護者の方は通常の帰宅時間までは子供たちが学校にいてくれる、と思って安心しています。しかし、学校にいるはずの時間帯に交通事故に遭い、もしも最悪命を落としてしまったら、その子の親は「忘れ物をした我が子が悪いので仕方がない」と思うでしょうか?それとも「何故忘れ物ぐらいで一人で自宅に戻らせたんだ?」と思うでしょうか?

交通事故以外にもリスクはあります。
例えば、変質者被害、連れ去りなどの突発的な事故のリスクです。

「忘れ物を取りに戻らせる」指導はリスクを伴うのです。

忘れたという結果に対する指導も大切ですが、忘れ物をしないような工夫をする方が最も大切な指導だし、その指導の方がリスクを伴わないのです。

今は保護者に連絡する手段も増えていますので、色んな手を使って忘れ物に対する指導を工夫したいものです。具体的には先生方が考えて頂戴!


7/01/2013

お掃除考


ほうきや雑巾の掃除を先生が学ぶ、市教委が寺子屋講座/厚木(カナロコ by 神奈川新聞) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130630-00000015-kana-l14

学校の先生たちも、小中学校を卒業して以来久しぶりに雑巾と箒を手にするのが、教員として現場に立ってからなのかもしれません。

 雑巾がけ、箒で掃く、これは今のご家庭でも結構あるとは思うのですが、雑巾がけはスチームの機器、箒は掃除機のみになりつつあるのでしょうか?

 昔の掃除は、ハタキ、掃き掃除、拭き掃除の順番でしたが、お若い方でハタキをご存じの方はいらっしゃいますでしょうか?ハタキは箒で掃けない場所、たとえば障子のさん とか置物とか、そんな場所にある埃を下に落とすために使います。



ペットがいるとこんな使い方もできますが・・・



 学校の場合は、今も雑巾を学期始めに持参するので箒と雑巾のお掃除が多いと思うのですが、モップがけの学校も増えつつあるのかな?

学校によっては児童生徒に清掃させないで、すべて業者委託という所もあるという話を随分前に聞いたことがあります。

 すべてを業者委託というのはどうかな?という気もします。
せめて自分たちが使用する教室ぐらいは自分たちでやらないと、公共心とか育たないような・・・。
今の大人に最も欠如している部分でもある公共心【公共のためを思う心。社会一般の利益を図ろうとする精神。「―を養う」】、みんなで使う場所を一人ひとりの心がけで綺麗にしようとせず、自宅以外は全てゴミ箱同様ですから。幼いうちから植え付けたい心がけの一つであると思うのです。

 経験からトイレ掃除は抵抗がある生徒が多いと思うのですが、最も生徒が嫌がったのが職員トイレの清掃。
宴会の次の日は男子の職員便所が凄いことになってたりして・・・。
生徒から「何であたしたちが職員便所を掃除なくちゃならないんですか?」と痛いところを突かれた記憶があります。

 清掃指導もやり方一つで非常に効果的なものになります。
お掃除のプロにお願いして授業をしてもらうのも効果的かもしれません。
先生が指示するばかりではなく、一緒になって雑巾がけをするとさらに学級の雰囲気もよくなります。

 みんなで使う場所はみんなで綺麗にしよう、その心は大切ですよね!

2/08/2013

いじめを防止できなかった一因が多忙化

 下記の記事を読んで失望しましたね。

「市が文科省に報告書 背景に「教員の多忙化」など 大津中2自殺」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/dompolicy/628203/

 教員が多忙化する最大の要因は生徒指導事案の増加、つまり校内外における暴行事件、傷害、窃盗、いじめ、不登校などが増加することである。それによって個別指導が多くなり、時間と精神的な余裕がなくなってくることは多々ある。(慣れれば処理できる)
 一見「多忙化」が正当な理由に感じられるかもしれないが、それは明らかに矛盾が生じる。
落ち着きのある学校では問題行動は少ない。つまり、教師が本気で対処している学校は生徒たちに落ち着きがあり、教師が掻き回されるような問題行動は少ない。
指導の手抜き・甘さ→問題行動多発→時間がない→さらに問題行動が増加→ますます時間がなくなる→・・・・・・と悪い連鎖しか起こらない。

結局自分たちの日頃の行いがツケとなって回ってくるだけ。自業自得と非難されても弁解の余地はないだろう。

それともう一つ、生徒たちを見つめようとしない教師がいくら集まっても、問題は何も解決されない。今最も問われているのは教師としてのあり方・質である。
そこを改善しない限り悲劇は繰り返す。

9/14/2012

いじめの延長

いじめが後を絶たない。
下記は川越市の中学生がいじめにより意識不明となった事件。

川越・中学生意識不明 「いじめの延長」市教委謝罪
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news/20120913-OYT8T01620.htm

記事の中で教育長はこう述べている。
「学校はけんかなどのトラブルは把握していたが、どうしてもいじめとしての認識を持つことができなかった。重大な傷害事件に至ってしまい本当に申し訳ない」

基本的に教育委員会は学校のことはほとんど知らない(市教委の生徒指導担当者ぐらいは各学校の問題生徒や問題行動を把握しているかもしれない)。
つまり、市教委というのはほとんどが事故が社会的問題になってから学校から聴取し、実態を知ることになる。
この発言で最も問題なのは「どうしてもいじめとしての認識を持つことができなかった」という点だろう。各学校の実態を正確に把握している組織ではないので、こういう表現しかできず、この表現で責任逃れをしていると思われても弁解の余地はないだろう。

”担任教諭が過去に数回、「いじめられているのではないか」と生徒に聞いたが、その都度「大丈夫」と回答していたことを明かし、「ささいなことでも、その裏に根の深いことがないかというのを、教員が複数の目で確認し合うことが、現場の学校にとっては一番重要。いじめに気づけず申し訳ない」”

担任が被害者本人に質問しているが、「大丈夫」と言われておそらく観察と指導の手を緩めているのだろう。
通常は本人と話をすれば間違い無く否定する。加害者たちも否定する。
しかしそのいじめを確実に見ている生徒がいる。
だから周囲からの情報を収集して裏付けを取らなければならないのである。

実は上記の説明には問題点が隠れている。
それは担任教師の生徒指導力と生徒たちからの信頼の欠如である。
もしもこの担任教師が指導力のある教師であれば、被害者に聞いた時点で本人からいじめの事実を聞く事ができただろうし、いじめに関係のない生徒たちからすでに情報が入っていただろう。
つまり、それが全くなかったということであれば、指導力不足で子供たちから信頼されていなかったことになる。

もう一つ、「教員が複数の目で確認・・・」と市教委が説明しているが、中学校の場合は教科担任制なので最低でも教科数分の教師が子供たちを観察している。
にもかかわらず、その当たり前の観察や指導ができないということは、学年および学校の生徒指導態勢そのものが崩壊しているということになる。
学校で最も大切なのは生徒指導である。その生徒指導という優しく、柔軟性があり、時には厳しさのある空間の中で授業や部活動、その他の活動が関わり合いないが機能しなければならない。

この学校にかぎらず、学年経営、学校経営、1からすべて見直す必要がある。
学校に本当の自省と自浄が必要であり、誰のための学校であるのか、教育組織が本気で取り組まない限り、いじめを含め諸問題が解決することは決してないだろう。

最後に意識不明のお子さんが回復されること、切に願って止まない。

8/28/2012

保護者からの訴え

昔、担任していた男子生徒が水泳部に所属していたが、水泳部が県外の上位大会に進出した。
その男子生徒はレギュラーではなく見学および応援という形で同行したが、本人も喜んで参加していた。

ここまでなら何も問題はないはずだった、後日その子の母親から涙ながらに訴えられるまでは・・・。

お母さんの話によると、上位大会に行っている息子から、夜自宅に電話が入ったそうだ、
「お母さん、迎えに来て。もうこの場にはいたくない。」

理由を尋ねると
「顧問教師から馬鹿にされた。お前は泳いでも遅いのに一体何しに来たの?」
と仲間たちの前で嘲笑されたそうだ。
男子生徒はそれに耐え切れず涙ながらに自宅に電話を入れたらしい。
お母さんは平素からは考えられない息子の様子に驚き、片道400キロを車で迎えに行ったそうだ。

ーーー私から見たその男子生徒ーーー
大人しく温和であったが真面目でしっかりした男の子。ちょっとからかわれたぐらいなら笑ってその場をやり過ごしたり、からかい返したりできる子だった。真面目な性格なので女子からも信頼されていたし、クラスでトラブルなども一切なし。目立たない存在かもしれないが、欠席すると周囲が健康を気遣ったりする。間違いなく人柄の良さからだろう。
運動能力は高いわけではなかったが、とにかく自分なりに一生懸命に取り組むタイプ。水泳の記録も飛び抜けて優れてはいないが、それでも腐ることなく努力を怠ることはなかった。

経緯を説明した後、お母さん曰く
「うちの子は確かに能力が低いので記録なんて出すことはできない。水泳を続けさせている理由は、他の友だちよりもうちの子の運動能力が劣っているかもしれないから、全身運動ができる水泳を選んだのです。記録とか成績とか、そんなものは全く期待していません。
顧問の先生は過去に記録を残したようなすごい先生かもしれない。でも部活動に参加している子はそんな子供ばかりじゃないし、なぜうちの子が顧問に笑い者にされなければならないのですか?」

お母さんの仰ったこと、尤もだと思います。

この顧問の先生の指導者としての資質が著しく欠如していることは勿論ですが、こういう先生、あちこちにいるのではないでしょうか?

先生の問題以外にも部活動のあり方について、色々思う所は多いのです。

4/28/2012

中学校の部活動遠征

どこの中学校でも部活動が盛んに行われている。
(放射性物質の問題はちょっと抜きにして・・・)

先日も公立学校の教師になった中学校の教え子と話をしたが、
「私は部活動命の中学校生活でした」
と話していた。
ちなみにその生徒は私が顧問をしていた部活動の部長であり、コンサートマスターであった娘。大人しく真面目な娘だったが、部活中はとにかく楽しそうであり、私も頼りにしていた。
子供たちが多忙になったと言われる昨今だが、今も部活動が毎日の励みになっているお子さんは多いだろうと思う。

しかし、小学校でスポーツ少年団に入団して熱心に活動し、優秀なチーム成績を残していながら、中学校では同じ競技の部活動に入部しないケースも多い。

理由はいくつか考えられる。

  • 子供たち自身が別な競技に興味を持った
  • スポ少の指導が厳しすぎてうんざりしてしまった
  • 友達との人間関係
  • 遠征が多く保護者の負担が大きい
特に保護者の意向が最も大きく影響するのが「遠征」の多い部活への入部。
部活動顧問の熱心さ(?)はわかるが、通常の活動費の集金以外に平均して月々2万円弱の遠征費(宿泊、交通費、その他)がかかってしまうのはいかがなものだろうか?

実際にある中学校では、ある学年の入部生徒がたった1名。他にスポーツ少年団で活躍し、優秀な成績を収めた子供たちが大勢いたにもかかわらず、誰一人入部しなかった。
理由は上記の「遠征費がかかりすぎる」ということのようだ。

公立中学校の部活動、やはり経済的な面を無視して過度の負担を保護者に強いるのは相応しく無いだろう。
経済的に余裕がある家庭の子しか参加できない部活動、それは公立中学校の全員参加が原則の教育活動にはそぐわない。

実は最大の問題点、それは部活動顧問の人間性に尽きる。
部活動顧問の人間性に問題がなければ、苦しいながらも保護者は何とか遠征費を工面しつつも子供たちのためにと頑張れるのかもしれないが、教師の教育者としての姿勢に不満がある上、金がかかるとなれば入部させたくなくなるのも当然かもしれない。


4/19/2012

学校への無理難題(?)

学校へは種々様々な苦情がくる。

  1. 風で校庭の砂が飛んでくるので何とかしろ!
  2. 体育祭の練習で使用している外の放送がうるさい!
  3. 玄関先にタバコが落ちていた。中学生に違いないのでしっかり指導しろ!
  4. 今中学生がくわえタバコで下校していたので厳しく指導してほしい!
学校の校庭の砂、どうしようもない。いちいち水を撒いていたら膨大な金額の水道料がかかる上、すべて税金だぞ!校庭をアスファルトで固めるか?
砂というのはある程度クッションの役目も果たすので、大怪我防止になること多い。

何でもかんでも外に放送を流しているなら別だが、年に一度の体育祭の練習。しかも全体練習時のみ使用するのがほとんど。その期間だけでも我慢出来ないもんだべか?

玄関先の煙草の吸殻=中学生の喫煙 なんで?

くわえタバコの現場を目の当たりにしたなら、大人としてその場で注意すべき。もしそれが出来ないなら警察に通報してもいい、法令違反なのだから。
「その場で怒鳴り飛ばして下さって結構ですよ!」→「何されるかわからないので怖い」

極めつけ・・・・・
学校には「指導訪問」と言って教育委員会が訪問してくる。
授業の指導を行ったり、学校経営全般をみて改善点を指摘したりするわけだ。

ある学校の指導訪問が終了し、教育委員会の面々が職員玄関を出た所で、その学校の生徒が喫煙をしていた。
しかし、あろうことか指導主事と呼ばれる面々はその場で注意せず(できず)、教育委員会に戻ってから学校に連絡を入れたそうだ。
「生徒が玄関先で喫煙していた。厳重に指導してほしい!」

「まず現場で見つけたお前がやれよ!!」

以上でございますm(_ _)m

3/16/2012

教師の規範意識と判断の甘さ

今日は娘の部活動指導で2つの問題があったが、指導者が全くその意味について理解していないので書きたい。それとこの件については子を預ける保護者としても知っておいて欲しい。


  • 問題点1:現在娘の学校の部活動終了時刻(=下校時刻)は午後6時。つまり6時にはすべての活動を終了して学校を出るということだ。しかし、明日大会のため午後6時30分まで保護者への通知や承諾なしに活動時間を延長した。

この問題点は、規範意識を教育すべき教師が自らルールを守っていないことにある。午後6時下校ならその時間を遵守しなければならない。
もしも時間を延長して活動したいのであれば、校長と部活動顧問の連名で活動時間延長承諾書を作成し、承諾した保護者の子供たちのみで延長時間を遵守して活動しなければならないのだ。


  • 問題点2:本日の練習は本来は外練習であったため、生徒たちは体育館用の競技シューズを持参していない。しかし、体育館が空いたため急遽通常練習に切り替え、シュージを持参していない生徒たちに対して「戻れる人は自宅に戻ってシューズを持ってきて」と言っている。
体育館が空いたので外練習から変更するのは別に問題ない。シューズは通常の上履きを使用すればいいだけだ。しかし、最大の問題は「シューズを自宅まで取りに行って欲しい」と言ってしまったことだ。

これは実際にあった話だが、忘れ物をした生徒に対して担任が「今すぐ戻って持って来なさい」と指導し、生徒が自宅へ戻る途中に交通事故に遭ってしまった。幸い命は取り留めたらしいが・・・。
教師は子供を預っている以上、自分の管理下外に子供たちを置いてはならないのだ。


2つの問題点、教師がルールを守らないことと教師が子供を管理できない状態においてしまうという事。
活動時間を勝手に延長したが故に性的被害や交通事故、その他の犯罪に巻き込まれるケースもある。良かれと思って自宅に戻したことが最悪交通死亡事故につながる。

そこまで最悪の事が起きてほしくはないが、いざ自分の子供達が教師のルール違反や配慮のなさから事故に巻き込まれて、死という最後を迎えてしまった場合、親として「うちの子は運が悪かったんです」で済むだろうか?教師さえ時間を守っていてくれれば、あるいは自宅にわざわざ戻す必要性はあったのか?と考えて怒りをぶつけるのが普通ではないだろうか?

指導者は常に子供たちが安全に、そして安心して活動できるように配慮しなければならないし、下校後自宅に戻るまでの安全指導は絶対に必要。そのために指導する側としての鉄則としてのルールがある。
また、保護者としても教師にルールを守ることを常に求めなければならない。大会が近いから、一生懸命やってくれているからという感情論に左右されてはならない。
ルールを無視した活動には子供が世話になっていても敢えて釘を刺さなければならない。

子供を育てるということはそれだけの配慮が指導者と保護者に必要ではないだろうか?

3/10/2012

引率計画・参加計画・指導計画の重要性

昨日、娘が所属する部活動顧問が参加計画を作成していなかったため、思わず電話で説教をかましてしまったが、たかだかA4 1枚の引率計画等がいかに重要か知ってほしい。

それらの書類作成の目的は?

  •  保護者および生徒に日程、時程、会場、留意事項、引率者、引率方法について周知徹底を図る。
  •  現況を考えれば、非常時の対応について確認しておく必要がある。例えば、生徒が怪我をした場合、交通事故の場合、その他災害時の確認事項。電話が通じればいくらでも連絡は可能だが、昨年の震災時のような場合、万が一の場合に子供たちを親に引き渡す場所を確認しておかなければならない。それを徹底しないと子を迎えに行った親が二次被害に巻き込まれる可能性も有り得る。
  • 全職員に引率計画を配布することにより、非常時に全職員が対応できるようにしなければならない。部活動指導にもかかわらず、自校の生徒がいつどこでどのような活動をしているのか、特に管理職、学年主任、学級担任は把握しておかなければならない。
  • 指導計画は、教職員自身が自分の身を守るための術となる。理解しにくいかもしれないが、たった1枚の書類が最終的には裁判において証拠となる。こういう書き方をすると「教師が保身のために作成するのか?」と怪訝な顔をする人間も多いが、いざ死亡事故が起きた時、指導計画の有無が過失責任の割合を確定してしまう。しかも、指導計画を作成していない場合や顧問が生徒の活動に伴っていない場合、県や市は教師を救ったりはしない。裁判の賠償金額を全額教師の個人負担とするのが通例だ。
指導計画は事故や災害が起きなければほとんど無視されがちで、口頭や携帯メールでも十分そうな気がするが、しかし他人の子供を責任をもって預かる以上きちんとした形で指導計画を形として残すのが義務である。
事故がなくて当たり前、しかし事故は思いがけず発生するものだ。
最悪の事態を想定して改革を立案しないと、非常時には全く対応できなくなってしまうであろうし、そこまで考えて対処するのが人の命を預かる人間の責務である。

1/30/2012

部活動のあり方

昔、転勤後にある部活動の顧問を任されたことがあった。

あるお母さんと懇親会で話したら
「うちの子は今先生が顧問をしている部活に在籍していたけど、クビになりました。まだ中学生なのに大人が解雇通知をもらったのと同じです。これが教育的なんですか?」

そのお子さんが部活動在籍中にどのような状況であったかとか、前顧問の指導とか、友達関係とか全くわからなかったが、「クビ」という通告はひどいし、教育的だとは思えないと共感した。
内情が分からないので具体的なことは書けないが、自分たちの居心地がいい場所を作るために同調できない、あるいは同調しない子を追放しただけに過ぎないんじゃないかと感じる。

子供たちは共感できる友だちを常に求めるし、その価値観に合わない子は排除しようとする傾向が強い。でもそれはその年代の子供特有の症状(実は大人になってもあると思うけど)であって、驚くほどのことではない。
驚くのは教師が自分が担当している部活動に所属している生徒に対して「クビ」を通告することだ。
つまりそういう先生は、生徒と同様に自分も居心地の良い場所にしたいわけだ。

しかし、学校の教育活動の一環である部活動指導として考えれば、生徒に「クビ」を通告する措置は間違いである。教育的指導という観点から言えば、友だちとのトラブルが多い子だったとしてもそれを地道に支援しながら背中を押してあげることではないだろうか?

私がかつて担当した部活動、総勢95名の大所帯になったことがある。男性は5名、残りはすべて女子生徒。
なぜそれほどの大所帯になったかというと、おそらく運動部と違い全員がレギュラーであり、大会に参加できることだったと思う。

しかしトラブルもあった。部長から直訴されたこともあった。
どんな直訴かというと「先生、あの◯◯さんは他の部を退部してうちらの部活に入ろうとしています。絶対に入れないで下さい」

その後、その◯◯さんが入部したいと申し出たので私は受諾。
部長や副部長から猛抗議があったけど何とか説得して受諾してもらった次第。

その時部長たちに話したのは
「中学校の部活とは嫌な子を拒絶したり、意にそぐわない者を排除する所ではないと思う。自分から入りたいと申し出てきたという事は、『今の自分を変えたい』と本人が願っている証拠ではないのか?だから結果的に上手く演奏できなくとも、出来る所だけ演奏して本番に出れればいい。
顧問としては『来る者拒まず、去る者は必死になって引き止める』、そんな部活動にしたいし、最後の砦であるうちの部活でその子を救ってあげられたら最高だと思う。」

部長たちは渋々納得したが、結果的にその〇〇さんは引き止めたにもかかわらず数ヶ月後に退部してしまった。

中学校の部活動、価値観を何に置くべきかで随分と指導が変わってしまう。
しかし、最も大切な事は子供たちが自信を持って活動でき、自分の居場所を確保できること、存在価値を見いだせる事だと思う。
子供たちが楽しんで活動できる部活動であれば、必然的に大会の結果もついてくるんじゃないか、そんな気がする。
事実、指導力のある先生はそれを実践しているし、実は目標はたった一つであり、それをどれだけ本気になって追求できるかなんだろうな、きっと!

1/29/2012

親の影響力

突然昔のことを思い出したので・・・

ある学校に赴任していた時のこと、2年生に「将来大物になるのではないか」と危惧されていた男子生徒がいた。
部活動の中心メンバーでもあったことから友だちへの影響力もあった。威圧して簡単に旧友をねじ伏せるだけの力は間違いなくあったと思う。

担任の先生(50代女性)二者面談、三者面談を通して指導を継続していたが、特に生徒自身に変化は見られなかった。

時は流れて卒業式後の謝恩会。たまたまその男子生徒の父親と話した。
失礼だとは思ったが、自分が疑問に思ったことを素直にぶつけてみた。
その疑問とは、あれだけ大物になると思われていたのにもかかわらず、その子がマイナス方向に成長せず、存在感が薄れるほどに大人しくなってしまった事についてだった。

話を聞き終えた時、理屈とか一般論で無難な方向へ誘導する教師の無力さを痛感したと共に、親が本気になった時の教育力(=愛情)に勝るものはないと思った。

私
「卒業おめでとうございます。息子さんえらく真面目に頑張っていましたね。途中から存在が感じられなくなるほど穏やかになっちゃいましたけど・・・」

父親
「先生、俺もあの頃は息子がこのままではとんでもない事になってしまうのではないか、と心配だった。」

私「じゃ、お父さんもかなり厳しい指導をしたのですか?」

父親
「いや、それはうちの息子には逆効果だと思ってやらなかった。だから当たり前のことを毎日やろうと考え、実践したんだ。」

私「毎日の実践とは一体何ですか?」

父親「恥ずかしい話だけど、俺はほとんど息子と一緒に食事を取ったことがなかった。朝は早めに仕事に出かけ、夜は一杯呑んで帰るので帰る頃には息子は寝ていた。だから朝と夜は必ず夕飯を息子と一緒に食べるようにしたんだ。」

私「他にもあるのですか?」

父親「いや、俺に出来るのはそれぐらいしかなかったので、それだけだよ、先生」


2/11/2011

学校の立て直し

Facebookの友だちとのやり取りから、学校の立て直しについて考えてみた。

学校教育立て直しについての基本方針は

  1. 学校としての取組方針を明確にし、全保護者に周知徹底する。教師と保護者が学校の問題点、現状を的確に把握し、共通理解を図る必要があり、それに対してどう取り組んでいくかという骨子を明確にしなければなりません。
  2. 学校の基本方針が決まったらそれを各学級や部活動において確実に実践しなければなりません。この線引きが生徒指導上最も大切なラインとなります。この線引きが曖昧だとクラスによって、あるいは指導する先生によって誤差が生じてしまい、学級崩壊の序章となります。これがいわゆる共通理解であり、指導する先生個人の考えを反映させてはいけない部分なのです。先生が自分の個性を発揮するのは、指導の方法のみであり、「ならぬものはならぬ」というそのラインの是非を問うてはならないのです。
もしもここまで徹底することができたなら、学校あるいは学級としても崩壊することはまずないと言っていいでしょう。実はこの部分が学校の取組として最も難しい部分であり、教育の根幹となる部分です。指導上の枠組みを明確にし、かつ確実に実践することができれば生徒たちはその枠組みの中で安心して学校生活を送ることができます。
ただ現実問題としてここまで出来ていないために学級崩壊が起こっています。教師個々の指導力にも関わる問題でもあるし、採用の問題点や学校内の研修の問題点も絡んできます。

実はこの枠組、荒れた中学校を立て直すときには必ずやっていることなのですが、教師が危機感を持つまで常に忘れ去られています。荒れた学校を立て直すときには教員総入れ替えも行うことがあります。それだけ教師の意識が大切なのです。

この学校の雰囲気作りが子どもたちにとっては最も大切な事であり、学校の雰囲気によって救われる子どもたちも大変多いのです。我儘な行為をできない、自分勝手な振る舞いができない雰囲気では、その行為に及ぶことが自分を孤立させたり、浮いたりしてしまうものなのです。
「ここでは馬鹿をやっても仕方がない」
その雰囲気を醸成することが最も大切な教師の責務なのです。

ここまで学校の雰囲気が良くなっていれば、問題行動の芽が発芽することが少ないのですが、やはり心に深い傷を追っている子は決められた枠をはみ出してしまいます。あとはこのはみ出した子をどのように個別指導していくか、そしてはみ出した子に追随しようとする子をいかに切り離すか、が課題となってきます。
極端に学校の指導の域を逸脱している場合には、やはり児童相談所や生活安全課の力を借りなければなりません。

最後に最も今後頭を痛めそうな問題は常識が通用しない保護者であると思いますが、何の根拠もなく非常識なことを持ちかける親はほとんどいないはずであり、自分の子どもが学校生活を楽しみ、満足していればクレームは起きにくいはずなのです。
しかし、実態は教師が言葉の選択一つを誤ったために誤解されてしまったり、逆に子どもに真意が十分伝わらず、保護者が感情的になって怒鳴りこむケースが多いと思います。

学校、学級での指導に法律的な問題が全くなければ、後は感情論のみとなりますが、これが最も厄介なのです。ここまでこじれてしまった場合は、その保護者に好きなように対処してもらうより方法はありません。逆に学校に非がなければこの方法が最善の選択になることがほとんどです。
結局感情的になって非常識な対応をしてくる保護者は、その保護者自身が自分の仕事上などで同様の目に遭わなければ目が醒めることはないからです。

このようなケースになると保護者にばかり目を奪われがちですが、こどもの存在を忘れてはならないし、クレームの多い非常識な親であっても子どもは別な話です。

結論は出ませんが、最後の最後は非常識な親は何を言ってきても相手にする必要はありません。その非常識である親の子が大人になった時に、真っ当な価値観を持てるように教育的な指導を続けていくしかないのかもしれません。
それが10年先か20年先かはわかりませんが、今子供たちに指導していることがいつか結実して欲しいと願って指導を継続するしか道はないように思います。

1/22/2011

中学校説明会で気になったこと

本日、4月から娘が入学する予定の中学校説明会があったので、気になったことについて書いてみたい。
  1. まず、壇上で講師が説明しているにもかかわらず、保護者の私語が多い。
  2. 中学校の生徒指導についての基本的な考え方が旧態依然としている。
1について、これは今に始まったことではなく、娘が保育所の頃からずっとある悪い癖。保護者自体が他人の話を聞く態度になっていない。つまり親がそうだということはその子も人の話は聞く態度が育っていないということ。

2について
具体的には、女子のスカートの丈の話が出たが、スカートの丈を短くしてはならない理由が「高校入試では認められていないから」ということであった。
では、高校を受験しない子はそのルールなんかクソくらえということになるし、そのルールを守る必要性なんて全くなくなってしまう。
その他、髪を縛るゴムの色やらソックスの種類やら、生徒指導担当が色々話していた。

髪を縛るゴムの色は黒、今、茶、白であり、高校入試の際は白はダメとのこと。
くるぶしが出るソックスは安全性の問題から禁止だそう。

なぜ、未だにこの程度の生徒指導方針しか持てないのか、それが不思議。これは今日行った中学校ばかりではなく、いわき市の中学校全体に言えること。

ルールを細かく決めるということは、子ども達自身が考えることを阻害してしまうし、何時まで経っても判断力が育まれない。自分で判断できない上、次にやることは1つ1つの品目について確認作業を行うようになる。髪のゴムの色は緑は?紫は?深緑は?スカートのの長さは何センチまで上げても大丈夫ですか?・・・。

また、子どもたちの判断力を育まない指導は、教師たちの首を締めることに繋がるのである。

中学生として本当に学ばなければならないルールとは一体なんだろう?

それは今後人として必要になってくる社会規範であったり、生きて行く上で必要不可欠なルールだったり、道徳的価値観ではないのか?

百歩譲ってスカートの丈の長さを指導してもかまわない。でも「高校入試では認められていないから」という理由ではなく、今後の生き方に関わるような上質な理由があって然るべきだと思う。