別ブログに書いた記事ですが・・・
Ameba Blog 学校問題悩み相談室のブログ http://ameblo.jp/gakkou-seitoshidou
道徳の教科化は無理、無駄、無意味、危険!!
以上(`・ω・´)ゞ
これで終わったら怒られますよね^^;
道徳の教科化について、まず下記の4つの記事があれば十分でしょう。
道徳の教科化 「愛国心」の押しつけだ(1月19日)(北海道新聞) http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/516135.html
NHK解説委員室
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/174520.html
【金曜討論】「道徳の教科化」 貝塚茂樹氏「賛成が84%。危機感の反映」、藤田英典氏「現状でうまくいっている」 - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131206/plc13120610000010-n1.htm
なぜ道徳が「特別の教科」に? ‐渡辺敦司‐【Benesse(ベネッセ)教育情報サイト】 http://benesse.jp/blog/20131113/p2.html @benesse_kyouikuさんから
元現場の教員として素朴な疑問
◯ 道徳を教科化するということは、評価や評定をつけるということになりますがどうやって実施するの?
例えば数学なら答えは1つになりますよね?
しかし道徳の場合、答えは出ますか?法規に絡む問題ならその法規に沿った考えは導き出せますが、倫理観や心という内面に関することをどうやって評価するのでしょうか?
無理でしょう!
正答例を明示してそれに合わせて何らかの評価を下すのですか?
無理です、絶対に無理!そんな時間があるのなら子どもたちと触れ合う時間を増やした方がずっと効果的だと思いますよ。
◯ 教科にするということは教科書が必要、しかも教科書の検定もある。つまりこれは思想上非常に危険極まりないものになる可能性があるということ!
ごく一部の人間が編集し、検定したものを採用することになりますが、その考え方は危ないです。いくらでも思想統制が可能になりますよ。
現場の教師でさえ訳の分からない人間がいるのが現状、まして教科書化したら子どもたちが混乱してしまう。
人間の思想にある程度の基準はあったとしても、正解はない。
◯ そもそも道徳とは人としてどのように生きるべきかが基本となっている。しかもその基本的な姿勢や判断を形成するのは家庭である。
おそらく教科化のきっかけはいじめ自殺問題。
幼児期の家庭教育のあり方に問題があるであろうし、根本的な解決には全く至っていない。道徳の教科化によってそれらの根本的な問題は解決されないだろう。
国として策を講じるならば、家庭教育をいかに改善するかが主眼となり、そして各家庭を支える地域の教育力、共生力の向上にテコ入れすべきだろう。
基本的生活共同体である各家庭に手を差し伸べて改善しない限り、人の心を育てることなどできない。
◯ 今の道徳の質をいかに向上させるか、そして各教科や活動において心の教育をいかに浸透させるか、それが肝要ではないだろうか?
道徳の授業において、子どもたちは正解を導き出すことができる。つまり求められている答えを導き出してしまうということ。それは現在の道徳自体が心に響くものになっていないということではないだろうか。
本来道徳的なことは各教科の中で実践されるべきであるし、部活動でも実践できる。担任であれば、短学活の中で一言問題提起をするだけで子どもたちは真剣に考え、そして自分の考えを述べることができる。
あるいは校外活動を通して学ぶ方法もあるし、生徒たちにとっての効果は絶大なものがあるだろう。
◯ これから求められることは国がすべてを管理することではなく、弾力的な運用によって現場に責任を持たせること。
今の国は何から何まで管理する方向で教育の質をあげようとしている。たしかに一部にやりたい放題の教師たちが存在し、子どもたちが安心して学べる場所になっていないこともあるが、それらについては中長期的な教員養成システムの改革と短期的な雇用改革によって対応できる。
すべてを管理する弊害、それは自分たちで判断し責任を持てない現場を作ってしまうことである。現に教諭は校長に、校長は教育委員会に、各市町村教育委員会は都道府県教育委員会に、都道府県教育委員会は文科省に指示を仰ぎ、すべてが指示待ち人間と化しているではないか。
現場に責任を持たせることが教育を見直す上で今の日本に最も足りないことであり、今後最も必要とされることであろう。
んなもんか?(^^)
ではまた!
自身が知っている学校現場の実態とか現状とか、あるいはマスコミで報道された様々な問題点、改善点、もちろん評価に値する事も含めてつれづれなるままに書き綴ります。辛口コメント多いですが、現場の実情もよく把握している人間の一人です。
2/02/2014
1/30/2014
教育改革メモ〜教師
別ブログに書いた記事を転載します!
教育改革についてのメモ
フィンランド方式は魅力がある
☆大学教育学部
・門戸を狭くし、難易度を上げる
・大学入学時より付属(あるいは提携)の小中学校、高校で授業実習を行う
・コースは義務教育科と高校教育科に分けるか、小学校課程、中学校課程、高校課程をそれぞれ設置するか、小学校課程と中高課程に分けるか
・実習の過程で教師に向かない学生を転部させる
・修士課程の取得が教員免許取得の条件
ここまでできれば相当質の高い教員が育成されるだろう。今までとは比較にならないレベルだと思う。
☆教員採用試験
・国家試験とする ※現在の都道府県ごとの試験および採用は廃止
・合格者は日本全国のいずれかの都道府県に配置される
・赴任地については本人の希望も考慮するが、原則、教員が不足する都道府県に配置
・教員採用試験不合格者は、採用試験合格まで講師として国に登録される。臨時教員として常勤講師採用または期間講師として採用できる。赴任地は各都道府県の希望に応じて配置
☆教員
・国家公務員とする
ちょっと無理があるか?
国家公務員となるので給与も当然今までより高くなる。
本当に質の高いプロ教師が日本全国に配置できるだろう。入れ替えまでに時間を要するのが難点。
赴任地については、今だと「大阪は勘弁して」とか出てきそうな気がする(^_^;)
年老いた両親の面倒をみたいという希望も出るだろうが、全国規模の人事異動となるのでその点は大変だろうな (´ヘ`;)ウーム…
大学のカリキュラムもガラッと変えなければならない
やはり国の一大イベント
とりあえずメモなので・・・
教育改革についてのメモ
フィンランド方式は魅力がある
☆大学教育学部
・門戸を狭くし、難易度を上げる
・大学入学時より付属(あるいは提携)の小中学校、高校で授業実習を行う
・コースは義務教育科と高校教育科に分けるか、小学校課程、中学校課程、高校課程をそれぞれ設置するか、小学校課程と中高課程に分けるか
・実習の過程で教師に向かない学生を転部させる
・修士課程の取得が教員免許取得の条件
ここまでできれば相当質の高い教員が育成されるだろう。今までとは比較にならないレベルだと思う。
☆教員採用試験
・国家試験とする ※現在の都道府県ごとの試験および採用は廃止
・合格者は日本全国のいずれかの都道府県に配置される
・赴任地については本人の希望も考慮するが、原則、教員が不足する都道府県に配置
・教員採用試験不合格者は、採用試験合格まで講師として国に登録される。臨時教員として常勤講師採用または期間講師として採用できる。赴任地は各都道府県の希望に応じて配置
☆教員
・国家公務員とする
ちょっと無理があるか?
国家公務員となるので給与も当然今までより高くなる。
本当に質の高いプロ教師が日本全国に配置できるだろう。入れ替えまでに時間を要するのが難点。
赴任地については、今だと「大阪は勘弁して」とか出てきそうな気がする(^_^;)
年老いた両親の面倒をみたいという希望も出るだろうが、全国規模の人事異動となるのでその点は大変だろうな (´ヘ`;)ウーム…
大学のカリキュラムもガラッと変えなければならない
やはり国の一大イベント
とりあえずメモなので・・・
フィンランドの教育改革
別ブログに掲載したものを転載します。
この改革、見習うべき点ばかりであり、実践も容易だと思います。
フィンランドの教育~教育の機会均等
☆要点書き起こし
・ヘイノネン氏(元教育大臣)
教育で大切なのは機会の均等、その基盤があって世界の頂点に立てる高い水準の人材育成ができる。
教育はいわば「投資」である。
フィンランドは一部の人間だけ良い教育をすればいいとは考えていない。国民全員の教育レベルの向上が必要。教育こそが組織、企業、国全体の競争力を上げる方法。
人口520万人の国、ひとりとりの学力を上げなければならない。
人という資本に投資が必要だった。
・教育現場に大きな裁量権を持たせる。
・内容や教え方を教師に任せた。
・指導要領はあるが項目が大幅に減った。
・教科書の検定もない。
・学校ごとに独自のカリキュラムを作成
・大幅な権限の移譲
・地方自治体と学校の裁量でほとんどのことが決めることができるようになった
教師の責任が大きくなった
教師が意欲的になった
《校長》
学校に指図する権威は存在しない
自分たちでカリキュラムを作ることができ、人事権もあり適材適所に教員を配置することができる
フィンランドの教育の強みは教育現場が大きな自治権を持っていること
・ヘイノネン氏(元教育大臣)
教育の基礎ができており、中央政府がこれ以上コントロールする必要はないと感じた
教育関係者が持つ能力をもっと取り入れたいと思った
彼らこそが現場を知り抜いている専門家、プロ
システムに柔軟性をもたせる(地域により状況が大きく異なるから)
管理は現場の長所を活かせなくなる
教師や教育関係者の指導レベルを上げるため国の要求を削減し、核となる部分だけに限定した
教育には自由が欠かせない
それぞれの現場に任せるべき、阻害してはならない
意欲、モチベーションが最も重要、厳しい管理はモチベーションを下げる
教室で起こることに責任があるのは教師
《教育学部》
教師の社会的地位が高い
志願者の10%しか入学できない
教師になるには最低5年学び、修士号を習得
入学後、1年生時から教育実習を行う
教師に向いていなければ転部を勧められることもある
社会的ネットワークを築く能力が求められる
すべての教師は年1回の研修に参加
クラブは別の専門家が担当
授業に専念する
懇談会が頻繁にあり、率直な意見交換が行われる
各学校の自己評価が法律で定められている
自己評価の結果は保護者の求めに応じて公開される
教師は自由な代わりに保護者や子どもたちに対して大きな責任を負っている
・ヘイノネン氏(元教育大臣)
教育制度というものは急転換して無理やり法案を通すようなことはできない
関係者を巻き込む必要がある、彼ら自身が動き始めなければならない
教育改革とは例えるなら船
教師と連携なしに改革できない
全国各地で教育政策を議論することが大事、共通認識が大切
国内のどんな地域に住んでいても全く変わらない教育を平等に受けることができる
国内のすべての学校にコンピュータを配置
使うことを学ぶために設置したのではなく教科での活用、情報を読み解く力をつけるため
現代は未来がどうなるかわからない世界
自分で自分を導かなければならない
自ら学ぶ力が大切
他者と協力、他国とコミュニケーションを取る力が必要
学校で学ぶあらゆる事柄コンピュータを活用できるように政策を推し進めた
情報を読み解く力=リテラシー すべての基本が読解力
図書館の存在
ヘルシンキは56万人、図書館が38ある、日本の4倍
国民の77%が1時間以上/日 読書
図書館利用率も世界一
学校と図書館の連携
なぜ本が好きなのか、読むのか?
自分自身を教育することで人生をより豊かにすることができると思っている
至る所に図書館があり気軽に利用、習慣になっており、伝統でもある
新聞文化が教育と密接に結びついている
給食無料、大学まで授業料無料、筆記用具も無料
すべての子どもに平等な教育と食事が約束されている
移住してきた子どもたちには補助学習指導員がつく
病欠、ついていけなくなった子には補習授業が行われる
他人と比べるのではなく一人一人のペースで学べるようなシステム
教育の機会の平等がなければ教育の質の向上は不可能だと考えている
教育の機会の平等はすべての前提
どこにすんでいような同じ機会が与えられる
人はそれぞれ違う、様々なアプローチの仕方を考慮すべき
だれでもついていけるようにシステムに柔軟性が必要
子どもを育てるには村が必要、社会全体で教育制度を支えている
人々が互いが思いやる社会をどうやって築くか
人はそれぞれ違う事を理解、自分と異なる人を受け入れ、コミュニケーションをとる。それが自分の強みなると気づくべき
他人を理解するには自分を知らなければならない。自分に価値があるということを知らなければならない。
どうやって自分を知り他者の価値を知り、自己中心的な人間にならないようにするか、これが福祉国家のベースになる
フィンランドの教育の次の目標
・教育制度や教育政策というものは決して完成することはない
・それぞれの時代社会情勢、文化に応じて決断を下さなければならない
・変化のスピードがあまりにも早すぎて多くの人が精神的にまいっている
・変化と選択肢の多さが問題
・次世代の大人になる力が弱まっている
・自分たちの大切で貴重な価値観を次世代に承継
・しっかりと自分たちの時代を築くこと、次世代にチャンスを与えること
・洞察力が失われつつある
・これからはあえてペースを落としより深く考える必要がある
・頭で考え心で感じたことを信じること
・子どもたちの創造性を引き出しモチベーションを高め内なる洞察力を彼らが手にすることができれば、私たちには幸せな未来が待っている
私たちは学校のためではなく人生のために学ぶ
この改革、見習うべき点ばかりであり、実践も容易だと思います。
フィンランドの教育~教育の機会均等
☆要点書き起こし
・ヘイノネン氏(元教育大臣)
教育で大切なのは機会の均等、その基盤があって世界の頂点に立てる高い水準の人材育成ができる。
教育はいわば「投資」である。
フィンランドは一部の人間だけ良い教育をすればいいとは考えていない。国民全員の教育レベルの向上が必要。教育こそが組織、企業、国全体の競争力を上げる方法。
人口520万人の国、ひとりとりの学力を上げなければならない。
人という資本に投資が必要だった。
・教育現場に大きな裁量権を持たせる。
・内容や教え方を教師に任せた。
・指導要領はあるが項目が大幅に減った。
・教科書の検定もない。
・学校ごとに独自のカリキュラムを作成
・大幅な権限の移譲
・地方自治体と学校の裁量でほとんどのことが決めることができるようになった
教師の責任が大きくなった
教師が意欲的になった
《校長》
学校に指図する権威は存在しない
自分たちでカリキュラムを作ることができ、人事権もあり適材適所に教員を配置することができる
フィンランドの教育の強みは教育現場が大きな自治権を持っていること
・ヘイノネン氏(元教育大臣)
教育の基礎ができており、中央政府がこれ以上コントロールする必要はないと感じた
教育関係者が持つ能力をもっと取り入れたいと思った
彼らこそが現場を知り抜いている専門家、プロ
システムに柔軟性をもたせる(地域により状況が大きく異なるから)
管理は現場の長所を活かせなくなる
教師や教育関係者の指導レベルを上げるため国の要求を削減し、核となる部分だけに限定した
教育には自由が欠かせない
それぞれの現場に任せるべき、阻害してはならない
意欲、モチベーションが最も重要、厳しい管理はモチベーションを下げる
教室で起こることに責任があるのは教師
《教育学部》
教師の社会的地位が高い
志願者の10%しか入学できない
教師になるには最低5年学び、修士号を習得
入学後、1年生時から教育実習を行う
教師に向いていなければ転部を勧められることもある
社会的ネットワークを築く能力が求められる
すべての教師は年1回の研修に参加
クラブは別の専門家が担当
授業に専念する
懇談会が頻繁にあり、率直な意見交換が行われる
各学校の自己評価が法律で定められている
自己評価の結果は保護者の求めに応じて公開される
教師は自由な代わりに保護者や子どもたちに対して大きな責任を負っている
・ヘイノネン氏(元教育大臣)
教育制度というものは急転換して無理やり法案を通すようなことはできない
関係者を巻き込む必要がある、彼ら自身が動き始めなければならない
教育改革とは例えるなら船
教師と連携なしに改革できない
全国各地で教育政策を議論することが大事、共通認識が大切
国内のどんな地域に住んでいても全く変わらない教育を平等に受けることができる
国内のすべての学校にコンピュータを配置
使うことを学ぶために設置したのではなく教科での活用、情報を読み解く力をつけるため
現代は未来がどうなるかわからない世界
自分で自分を導かなければならない
自ら学ぶ力が大切
他者と協力、他国とコミュニケーションを取る力が必要
学校で学ぶあらゆる事柄コンピュータを活用できるように政策を推し進めた
情報を読み解く力=リテラシー すべての基本が読解力
図書館の存在
ヘルシンキは56万人、図書館が38ある、日本の4倍
国民の77%が1時間以上/日 読書
図書館利用率も世界一
学校と図書館の連携
なぜ本が好きなのか、読むのか?
自分自身を教育することで人生をより豊かにすることができると思っている
至る所に図書館があり気軽に利用、習慣になっており、伝統でもある
新聞文化が教育と密接に結びついている
給食無料、大学まで授業料無料、筆記用具も無料
すべての子どもに平等な教育と食事が約束されている
移住してきた子どもたちには補助学習指導員がつく
病欠、ついていけなくなった子には補習授業が行われる
他人と比べるのではなく一人一人のペースで学べるようなシステム
教育の機会の平等がなければ教育の質の向上は不可能だと考えている
教育の機会の平等はすべての前提
どこにすんでいような同じ機会が与えられる
人はそれぞれ違う、様々なアプローチの仕方を考慮すべき
だれでもついていけるようにシステムに柔軟性が必要
子どもを育てるには村が必要、社会全体で教育制度を支えている
人々が互いが思いやる社会をどうやって築くか
人はそれぞれ違う事を理解、自分と異なる人を受け入れ、コミュニケーションをとる。それが自分の強みなると気づくべき
他人を理解するには自分を知らなければならない。自分に価値があるということを知らなければならない。
どうやって自分を知り他者の価値を知り、自己中心的な人間にならないようにするか、これが福祉国家のベースになる
フィンランドの教育の次の目標
・教育制度や教育政策というものは決して完成することはない
・それぞれの時代社会情勢、文化に応じて決断を下さなければならない
・変化のスピードがあまりにも早すぎて多くの人が精神的にまいっている
・変化と選択肢の多さが問題
・次世代の大人になる力が弱まっている
・自分たちの大切で貴重な価値観を次世代に承継
・しっかりと自分たちの時代を築くこと、次世代にチャンスを与えること
・洞察力が失われつつある
・これからはあえてペースを落としより深く考える必要がある
・頭で考え心で感じたことを信じること
・子どもたちの創造性を引き出しモチベーションを高め内なる洞察力を彼らが手にすることができれば、私たちには幸せな未来が待っている
私たちは学校のためではなく人生のために学ぶ
1/29/2014
吉岡たすく先生の講演
別ブログに書いた投稿をまとめてみました。
吉岡先生の講演、時間がある時にぜひ前編お聴きください。
テレビ寺子屋という番組に吉岡たすく先生が出演されていたのですが、今でも記憶に鮮明に残っているほど面白い講演でした。
もともと小学校の教師をされていた方なので話の内容は興味深いものばかり。今聴いても頷ける内容ばかりで大変参考になります。
吉岡先生の書籍が中古で販売されています。
吉岡先生の講演、時間がある時にぜひ前編お聴きください。
テレビ寺子屋という番組に吉岡たすく先生が出演されていたのですが、今でも記憶に鮮明に残っているほど面白い講演でした。
もともと小学校の教師をされていた方なので話の内容は興味深いものばかり。今聴いても頷ける内容ばかりで大変参考になります。
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吉岡 たすく
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売り上げランキング: 796,561
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1/25/2014
国家賠償法について
第一条 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
故意および重大な過失とはいかなるものなのか?
体罰は法令で禁止されている事項であり、間違いなく故意または重大な過失となります。
暴行の事実があれば刑法も適されて当然なはずなのですが、下記の記事では「国家賠償
法」で個人責任が問われていなかったそうです。
JanJanブログ
http://www.janjanblog.com/archives/106418
あり得ないことです。
随分昔の話ですが、地元の中学校で部活動をしていた生徒が倒れ、救急搬送されましたが
心不全のために死亡。
顧問は部活動に来ないで職員室で仕事をしていたため、生徒の異常に気づくのが遅れたこ
と、そして部活動についていなかったことにより個人責任を問われ裁判の賠償金を全額、
県および市から求償されたそうです。
地元の事例から考えれば、上記ブログの記載内容は更に悪質であり、暴行傷害致死、学校
教育法に違反となるはず。
なぜ「個人責任を問わない」という判決が出るのでしょう?
私は理解に苦しみます。
○2 前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。
公務員が職務中に故意または過失によって他人に損害を与えた場合、国または地方公共団体が賠償するわけですが、公務員に故意または重大な過失があった時は、国または地方公共団体はその公務員に対して支払った賠償金を求償することができるわけです。
一部の公務員は、自分がミスをしても国や地方公共団体が賠償金を払い、自分は支払わなくていいと勘違いしているようですが、それは間違い。
公務員が職務中に故意または過失によって他人に損害を与えた場合、国または地方公共団体が賠償するわけですが、公務員に故意または重大な過失があった時は、国または地方公共団体はその公務員に対して支払った賠償金を求償することができるわけです。
一部の公務員は、自分がミスをしても国や地方公共団体が賠償金を払い、自分は支払わなくていいと勘違いしているようですが、それは間違い。
故意および重大な過失とはいかなるものなのか?
体罰は法令で禁止されている事項であり、間違いなく故意または重大な過失となります。
暴行の事実があれば刑法も適されて当然なはずなのですが、下記の記事では「国家賠償
法」で個人責任が問われていなかったそうです。
JanJanブログ
http://www.janjanblog.com/archives/106418
あり得ないことです。
随分昔の話ですが、地元の中学校で部活動をしていた生徒が倒れ、救急搬送されましたが
心不全のために死亡。
顧問は部活動に来ないで職員室で仕事をしていたため、生徒の異常に気づくのが遅れたこ
と、そして部活動についていなかったことにより個人責任を問われ裁判の賠償金を全額、
県および市から求償されたそうです。
地元の事例から考えれば、上記ブログの記載内容は更に悪質であり、暴行傷害致死、学校
教育法に違反となるはず。
なぜ「個人責任を問わない」という判決が出るのでしょう?
私は理解に苦しみます。
12/26/2013
教師に求められるもの
教師として求められるもの、色んな意見が出てきそうですが、私個人としては次の2点が最も重要だと思います。
- 授業が上手いこと
- 生徒指導ができること
授業に関しては必須条件です。このための先生なので、授業が下手、あるいは授業が成立しない教師は教師の資格なしです。
生徒指導ができること、これは非常に広範囲になるのですが、例えばまず学級経営がしっかりできていること。子どもたちの個性を見極めつつ、集団としての質も高め、生徒たちを納得させるだけの価値観や指導観を兼ね備えていなければならないと思います。
一朝一夕にできることではないし、自分の今までの生き方に関わるものなのである程度の時間を要するかもしれませんが、教師という仕事はパフォーマンスなのでなるべく早く身につけなければならない絶対的な資質と言えます。
その他、部活動の指導力がある先生も魅力がありますが、全国で1位になったとか、そういう結果のみで教師として高評価を下してはならないのです。
なぜなら、真面目にやるのは部活動の指導のみで、授業もろくにできず、滅茶苦茶な学級経営をしている教師が実在するからです。保護者としては結果で判断し敬う方もいらっしゃいますが、同じ教師からすれば「役に立たない教師」に過ぎません。
部活動の指導はできないよりできた方がいい。しかしそれしかできない人間は教師としては不適格なのです。部活動のみなら外部からプロの指導者を呼んだ方が質は確実に向上するのですから。
授業が上手く、学級や学年の生徒指導を安心して任せることができ、部活動の指導も優秀なら言うことはありません。
※悪いことをした生徒を叱ったりすることが生徒指導と誤解されがちですが、子どもたちをいかに守り育てるか、つまり学校の指導すべてが生徒指導の中に包括されているのです。
どんな先生か確かめるには、まず授業を見に行きましょう。授業が上手い先生か、下手な先生なのかか。
そしてその先生が担任しているクラスを見ましょう。クラスの子どもたちの雰囲気は先生の生徒指導の現れなのです。(脅しによる緊張感のある無言の状態がいいわけではありませんよ)
そして最後に部活動の指導を観察する。
ここまで観察して問題点がなければその先生は子どもたちに好かれる先生であると思います、たぶん。
12/20/2013
民間人校長二人採用〜宮城
河北新報 東北のニュース/宮城県教委 民間人校長2人採用 着任は4月 http://www.kahoku.co.jp/news/2013/12/20131219t11028.htm @kahoku_shimpoさんから
宮城県でも2名の民間人(電力会社と銀行)の校長採用が決まったようですが、大阪でも失敗しているだけに頑張って欲しいものです。
以上!
これで終わりじゃつまらないので
以前大阪の民間校長の件でも書いたのですが、学校という現場において民間企業の感覚で校長という職務に就くのは困難を極めるだろうと思います。新しい感覚を取り入れて特色ある学校作りをしたい、してほしいという願いは十分わかるのですが、最悪の場合校長が自死を選択するケースもあったほど追い詰められる現場でもあります。
教育現場においての難しさは
- 教職員が非協力的・批判的になり、校長と意見対立することが多い。民間出身の校長であれば尚更風当たりが強いかもしれない。
- 語弊はあると思うが、民間企業というのは営利目的で利益が最優先される組織であり、それが社員の給与に直結するため組織としてまとまりやすい傾向はあると思うが、公立学校という現場ではその意識は全く通用しない。いじめがあろうが生徒が自殺しようが教職員の給与に影響することは滅多にない現場である。
- 学校の主役は子どもたちであり、その子どもたちの実態把握なくして学校経営はあり得ない。利益のための経営と人を育てるための経営、これが企業との決定的な違いであり、50歳を過ぎた校長が子どもたちの中にどれだけ入っていけるか、それで校長の質が決まるだろう。
- 保護者の理解と協力が得られるかどうか。保護者は民間出身の校長に期待しつつも怪訝する雰囲気もある。子どもに関してのクレームは民間企業のクレームの比ではないし、校長自身がクレームの窓口対応者となる。
企業経営のつもりで単にシステムを構築するだけであれば、おそらくそう時間はかからずに進むだろう。つまり、校長が上司として職務権限を最大に使い「職務上の命令」を行使すればいいだけの話である。
でもそれをやったら職員会議が紛糾する、企業では考えられえないほどの怒号が飛び交う、単なる理想論者である校長の命令など簡単に無視することができる。
教師との関係もだが、保護者とのトラブルをいかに回避できるか、それは腕の見せどころになるだろう。企業なら「代替品で」「弊社の商品券で」、あるいは非を認めてひたすら謝罪して乗り切ることもできようが、学校という現場はそれができない。下手に保護者に迎合してしまったら学校の生徒指導が崩壊することすらあり得る。
あとは子どもたちとの関係をいかに築き、特色ある学校づくるを子どもたちといかに進めるか。実態把握ができないことには特色も何もないし、単なる理想論なら誰で打ち上げることができるわけだし。
教師との関係もだが、保護者とのトラブルをいかに回避できるか、それは腕の見せどころになるだろう。企業なら「代替品で」「弊社の商品券で」、あるいは非を認めてひたすら謝罪して乗り切ることもできようが、学校という現場はそれができない。下手に保護者に迎合してしまったら学校の生徒指導が崩壊することすらあり得る。
あとは子どもたちとの関係をいかに築き、特色ある学校づくるを子どもたちといかに進めるか。実態把握ができないことには特色も何もないし、単なる理想論なら誰で打ち上げることができるわけだし。
民間採用校長の人気は6〜9年ほどだが、今の学校制度に風穴をあけて特色ある学校作りを目指し、生徒たちが「卒業したくない」と思うような学校を目指してほしいものです。
また辛口になってしまいましたね(^^ゞ
12/19/2013
体罰考
体罰は是か非かと問われれば当然「非」である。
これは刑事事件にも発展するし、民事訴訟にも至る。教員の場合には服務規程違反にもなる。
ただし、学校現場において体に少し触れたりするぐらいの程度が体罰と訴えられるのであれば、それはそもそも形成すべき人間関係がない、ラポートがないという状況に他ならない場合。例えば、教師を嫌う生徒にとっては、その教師の言動すべてが不快そのものであり、きつい言葉を浴びせられれば言葉の暴力であり、体に少しでも触れようものなら暴力以外何ものでもない。間違いなく何か原因があってそうなっているわけだが、人としての信頼関係がない以上、同じ行為でも感情が先に立って容認出来ないのである。
どこからが体罰かという点はさておき、なぜ体罰が起きるかについて考えてみたい。
結論を言ってしまうと「子どもを預かり育てることよりも、自分の欲求や感情が優先されるから」。
まず最も多いのが「指導者の地位保全・絶対性の保全」。
これを保つことができれば自分の意のままにクラスや組織、団体を経営することができ、指導者にとって最も快適な場を構築するために体罰を使用する。
第二に「大人としてのプライドを保つ」ことが目的の体罰。
これも学校現場では多いのではないだろうか。
要は「子どもたちになめられたくない」という気持ちの現われである。
第三に「子どもに従順さを押し付ける」ための体罰。
これは上記と重複するかもしれないが、大人に従順なこどもはいい子、という己の過去を振り返ることすら出来ない意味のない価値観の押し付けといえる。
そして最後、これが最も問題であろうと思われる「指導力・指導理念の欠如」。
このような教師はその日の気分で怒り狂う場合もあるし、特定の生徒を目の敵にしたり、思いつきや行き当たりばったりで強い指導を行う。こんな教師を子どもたちは絶対に信頼しない。
生徒たちから見て、「罰すべきを罰することができる教師」、「ダメなことをダメと言える教師」、「生徒たちが納得できる指導ラインが常にブレない教師」、「誰に対しても公平に指導できる教師」などは間違いなく信頼できる教師の資質を備えているし、安易に体罰を振るうことなどない。
私も色々やったほうなので大口を叩くことはできないのですが、上記4つが体罰に至る教師側の問題点だと思われます。
体罰の弁解として「感情を抑えきれず、ついカッとなって殴ってしまった」とありますが、その根底にあるのは上記4つのいずれかです。実は感情的になって殴ることはほとんどないと思います。子どもたちの言葉で言えば「ムカつく」から殴ったということになるでしょう。極稀に、体罰を振るったことのない教師が涙ながらに生徒を殴ることもあるかもしれませんが、その場合は体罰として訴えられることはまずないでしょう。
各項目について説明したい点は多々ありますが、いずれまた!
これは刑事事件にも発展するし、民事訴訟にも至る。教員の場合には服務規程違反にもなる。
ただし、学校現場において体に少し触れたりするぐらいの程度が体罰と訴えられるのであれば、それはそもそも形成すべき人間関係がない、ラポートがないという状況に他ならない場合。例えば、教師を嫌う生徒にとっては、その教師の言動すべてが不快そのものであり、きつい言葉を浴びせられれば言葉の暴力であり、体に少しでも触れようものなら暴力以外何ものでもない。間違いなく何か原因があってそうなっているわけだが、人としての信頼関係がない以上、同じ行為でも感情が先に立って容認出来ないのである。
どこからが体罰かという点はさておき、なぜ体罰が起きるかについて考えてみたい。
結論を言ってしまうと「子どもを預かり育てることよりも、自分の欲求や感情が優先されるから」。
まず最も多いのが「指導者の地位保全・絶対性の保全」。
これを保つことができれば自分の意のままにクラスや組織、団体を経営することができ、指導者にとって最も快適な場を構築するために体罰を使用する。
第二に「大人としてのプライドを保つ」ことが目的の体罰。
これも学校現場では多いのではないだろうか。
要は「子どもたちになめられたくない」という気持ちの現われである。
第三に「子どもに従順さを押し付ける」ための体罰。
これは上記と重複するかもしれないが、大人に従順なこどもはいい子、という己の過去を振り返ることすら出来ない意味のない価値観の押し付けといえる。
そして最後、これが最も問題であろうと思われる「指導力・指導理念の欠如」。
このような教師はその日の気分で怒り狂う場合もあるし、特定の生徒を目の敵にしたり、思いつきや行き当たりばったりで強い指導を行う。こんな教師を子どもたちは絶対に信頼しない。
生徒たちから見て、「罰すべきを罰することができる教師」、「ダメなことをダメと言える教師」、「生徒たちが納得できる指導ラインが常にブレない教師」、「誰に対しても公平に指導できる教師」などは間違いなく信頼できる教師の資質を備えているし、安易に体罰を振るうことなどない。
私も色々やったほうなので大口を叩くことはできないのですが、上記4つが体罰に至る教師側の問題点だと思われます。
体罰の弁解として「感情を抑えきれず、ついカッとなって殴ってしまった」とありますが、その根底にあるのは上記4つのいずれかです。実は感情的になって殴ることはほとんどないと思います。子どもたちの言葉で言えば「ムカつく」から殴ったということになるでしょう。極稀に、体罰を振るったことのない教師が涙ながらに生徒を殴ることもあるかもしれませんが、その場合は体罰として訴えられることはまずないでしょう。
各項目について説明したい点は多々ありますが、いずれまた!
12/13/2013
嘉納治五郎師範は泣いているだろう
まず下記転載記事をお読みいただき、どのように感じるだろうか?
・・・転載開始・・・
叱ること=鉄拳制裁 かつ 唯一の手段 と結論づけている。
柔道を指導する人間は、言葉を理解することができないほど知能が低いから暴力でしか教えることができないのでしょうか?
愛のムチという身勝手な理論と暴力で痛みを覚えれば、社会に出て不幸な結果を招かないのでしょうか?
こんな身勝手な理論は指導者として失格である。
子どもたちの心を育てるために真摯に柔道に向き合い、熱心に子どもたちを指導している他の指導者たちにとって失礼極まりない暴言である。
己の非を認め、律することすらできない人間が武道の精神を語れるのか?
柔道の人間教育は殴ることで成り立っているのか?
それが嘉納治五郎師範の教えなのか?
さらにもう1つ転載させていただく。
・・・転載開始・・・
生徒が学校敷地内の柔道場に住民票を移し、そこで暴力問題。柔道場は学習塾と同じ扱いで関知せず、しかも生徒に口止め。
開いた口が塞がらない発言。
こんな馬鹿が校長をやっているから日本の教育は良くならない。
このような校長は懲戒免職でいいだろう。給与、退職金の無駄遣いだ。
しかし教育委員会も同等の立場ということなのか?それも呆れる。
上記はJANJAN BLOGさんより転載させていただいた。
ぜひ記事全文をお読みいただきたいと強く思う。
JANJAN BLOG 現職警察官による暴力 ―問われる柔道界トップの〈愛の鉄拳〉論―
・・・転載開始・・・
「人の生涯で、素晴らしい人との出会い、正しい教育、充たされた環境の中で培われ、育まれることにより、各人が人として立派に形成されるのではないか」と須坂氏は冒頭で問いかけ、それらの条件を満たすものとして日本の武道文化、「とりわけ柔道によって全て充たされるものと信じています」と続ける。
さらに、須坂氏は「日本人が豊かな生活と便利と快適を求め続けた」と指摘し、「経済大国の美名の下で『叱ることの出来ない日本社会』が作り出されてしまいました」と嘆く。
たしかに、現代において一部の親や教師などが子どもたちを「叱れない」という指摘は当たっているかもしれないが、問題は次の一節である――「現在の日本は、誤った暴力観と言うか愛のムチも体罰も区別がつかない大人が横行したため、子供たちは、愛のムチの痛さも愛の鉄拳の痛さも知らずに、世におくり出され、そこで遭遇するあらゆる想定外事案におびえ、おののき、不幸な結果をまねいてしまう」、「柔道の少年修行者は、道場において少なからず、愛のムチ・愛の鉄拳の痛みを経験するでしょう。『弟子がにくくて、殴る師匠はいない』 愛の鉄拳は、痛みの中に熱い情を感じるものである。これを体罰と受け止める子供はいないはず。叱ることのできない現在の日本社会において『武道』(柔道)こそ、この“じれんま”を解消させる唯一の手段と信じています。」
・・・転載ここまで・・・叱ること=鉄拳制裁 かつ 唯一の手段 と結論づけている。
柔道を指導する人間は、言葉を理解することができないほど知能が低いから暴力でしか教えることができないのでしょうか?
愛のムチという身勝手な理論と暴力で痛みを覚えれば、社会に出て不幸な結果を招かないのでしょうか?
こんな身勝手な理論は指導者として失格である。
子どもたちの心を育てるために真摯に柔道に向き合い、熱心に子どもたちを指導している他の指導者たちにとって失礼極まりない暴言である。
己の非を認め、律することすらできない人間が武道の精神を語れるのか?
柔道の人間教育は殴ることで成り立っているのか?
それが嘉納治五郎師範の教えなのか?
さらにもう1つ転載させていただく。
・・・転載開始・・・
【5】 「無事故」で定年を迎えたい? 相原中学松本雅之校長の思惑
以上、【1】~【4】まで、おもに柔道界の問題点を指摘したが、最後に相原中学の松本雅之校長の言動についてふれておきたい。
2010年4月に相原中学に赴任した松本校長は、赴任の年から在学生らが住民票を移して寝泊りしている柔道場での暴力について「不知/関知しない」との立場を採った。
大手メディアによる暴力報道があっても、「柔道場は学習塾と同じ扱い」といった発言をし、批判を浴びた。さらに、暴力問題に嫌気がさして転校を決めた生徒が久しぶりに登校して来た時には「転校の理由が柔道部にあることは、クラスで発言しないように」と生徒に何ともオメデタイ口止めまでしているのだ。これが教育者のすることかと残念に思う。
さらに、そのオメデタイ松本校長――2014年3月に定年を迎えるそうで、学校関係に詳しい人物に聞くと、処分歴が無く“無事故”で定年を迎えられるとだいたいどの自治体でも〈教育功労賞〉などの金一封が退職時にもらえるとのこと。おそらく松本校長もそのような計算があって、これまでの暴力問題についてひた隠しにして来たのかもしれない。その陰で、どれだけの生徒が悔しい思いを噛み殺して来たことか、学校関係者は考えてみるべきだ。
・・・転載終了・・・生徒が学校敷地内の柔道場に住民票を移し、そこで暴力問題。柔道場は学習塾と同じ扱いで関知せず、しかも生徒に口止め。
開いた口が塞がらない発言。
こんな馬鹿が校長をやっているから日本の教育は良くならない。
このような校長は懲戒免職でいいだろう。給与、退職金の無駄遣いだ。
しかし教育委員会も同等の立場ということなのか?それも呆れる。
上記はJANJAN BLOGさんより転載させていただいた。
ぜひ記事全文をお読みいただきたいと強く思う。
JANJAN BLOG 現職警察官による暴力 ―問われる柔道界トップの〈愛の鉄拳〉論―
12/12/2013
体罰という観念の形成
体罰って突然おきるのでしょうか?誰しもが行ってしまうのでしょうか?
変な言い方ですが、体罰は受け継がれますよね?
自分が実際体罰の現場に遭遇してそれが当たり前の環境となっていたり(見たぐらいでは実際に手は出さないと思う)、自分自身が体罰を受けており自分の経験がごく一般的であり、正当な行為の尺度となってしまっていたり。
まず体罰という経験をなくすことが下記のような事件を防ぐことになりますよね。
指導者のあり方については過去に書いたので割愛します。
結びつきの強い人間が本気で怒り、感情的になって平手打ち。
この平手打ちは相手の人生に多大な影響を与え、劇的に変わることだってあるのは事実。
難しいね〜^^;
【下記はAmebaに投稿した記事のコピー】
桜宮高体罰 男子生徒遺族 大阪市を提訴|MBSニュース-MBS毎日放送の動画ニュースサイト- http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000003244.shtml @mbs_newsさんから
親御さんとすれば当然の措置だろう。
手塩にかけて育ててきたわが子が、法令違反にもかかわらず長年放置されてきた体罰教師によって追い込まれて自殺してしまったわけだから。
しかしこのような事件があったにも関わらず体罰事件の報道が跡を絶つことはない。
指導者というのはその組織のピラミッドの頂点であり、自分の指導が浸透しやすいようなシステムを構築しなければならない。自分の指導力を誇示し、常に地位を保ち、従順な下僕を育てるために使われる手段が体罰であり、それは指導の一環である。そのシステムの構築こそが常勝につながるのである。
さしずめ体罰とは彼らにとってこの程度の認識ではないだろうか?
戦後教育の腐敗のツケ、これは容易に改善できるものではないが、何十年かかろうともひとつひとつ悪しき習慣や意識の芽を摘んでいかねばならない。
変な言い方ですが、体罰は受け継がれますよね?
自分が実際体罰の現場に遭遇してそれが当たり前の環境となっていたり(見たぐらいでは実際に手は出さないと思う)、自分自身が体罰を受けており自分の経験がごく一般的であり、正当な行為の尺度となってしまっていたり。
まず体罰という経験をなくすことが下記のような事件を防ぐことになりますよね。
指導者のあり方については過去に書いたので割愛します。
結びつきの強い人間が本気で怒り、感情的になって平手打ち。
この平手打ちは相手の人生に多大な影響を与え、劇的に変わることだってあるのは事実。
難しいね〜^^;
【下記はAmebaに投稿した記事のコピー】
桜宮高体罰 男子生徒遺族 大阪市を提訴|MBSニュース-MBS毎日放送の動画ニュースサイト- http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000003244.shtml @mbs_newsさんから
親御さんとすれば当然の措置だろう。
手塩にかけて育ててきたわが子が、法令違反にもかかわらず長年放置されてきた体罰教師によって追い込まれて自殺してしまったわけだから。
しかしこのような事件があったにも関わらず体罰事件の報道が跡を絶つことはない。
指導者というのはその組織のピラミッドの頂点であり、自分の指導が浸透しやすいようなシステムを構築しなければならない。自分の指導力を誇示し、常に地位を保ち、従順な下僕を育てるために使われる手段が体罰であり、それは指導の一環である。そのシステムの構築こそが常勝につながるのである。
さしずめ体罰とは彼らにとってこの程度の認識ではないだろうか?
戦後教育の腐敗のツケ、これは容易に改善できるものではないが、何十年かかろうともひとつひとつ悪しき習慣や意識の芽を摘んでいかねばならない。
12/07/2013
学校が荒れるということ
何かのウイルスにでも感染したかのように学校が荒れることがあります。
不思議ですよね?
学校の荒廃を促すような悪い菌でもあるかのように荒れが伝播していきます。
学校外の要素も当然大きいのですが、学校内の事について書きたいと思います。
不思議ですよね?
学校の荒廃を促すような悪い菌でもあるかのように荒れが伝播していきます。
学校外の要素も当然大きいのですが、学校内の事について書きたいと思います。
- どこの学校も荒れる可能性を秘めている
大規模校のみが荒れるわけではなく、僻地の学校ですら荒れる可能性を持っています。たしかに規模によって荒れる要素が多い少ないは違ってくるのですが、ひとつ間違えれば学年1クラスの中学校でさえ荒れてしまいます。
- 荒れる原因は?
学校が荒れる場合、必ず鍵となる子どもたちの存在があります。
たった一人の生徒からすべてが始まってしまうこともあります。
このような書き方をすると生徒が悪いような印象を与えてしまいますが、彼らが悪いわけではありません。それについては後述します。
- 鍵となる子供たちとは?
中学生といえば13〜15歳ですが、それぞれがいろんなことを背負って生きてきています。家庭環境や経済的にに恵まれなかったり、あるいはそれらは満たされているように見えても心が満たされていなかったりと様々です。
鍵となる子供たちとは、心が満たされず不満の多い子供たち。
- きっかけとなる事件がある
不満を持っているからと言って必ず暴走してしまうとは限りません。
ほとんどの子供たちは自分を何とか抑えて行動していますが、教師の指導や態度そのものが彼らの暴発の引き金を引いてしまうのです。
- どのように伝播していくか
ある一人の教師に対して反発した生徒に追随する生徒が出てきます。
まずは同じクラスの生徒が追随し、他クラスへと伝播していきます。
その後、生徒たちは教師を見ながら授業によって態度を変えていき、「この教師は大して注意をしない、怒らない」と判断すると行動がエスカレートしていくのです。そして他学年へと波及し、他の学校への波及していくのです。
この時鎮静化のために体罰を使うことが常であったと思いますが、体罰というのは鎮静剤になるかカンフル剤になるかの賭けとなります。教師の力が勝れば沈静化に向かいやすくなりますが、生徒の力が勝ればさらに暴徒化することになります。
- 立て直し
一つの事件があり、3ヶ月もあれば学校は崩れていきます。特に夏休み後は子供たちに歯止めが効かない状況下となり、2学期はそれが顕著に現れます。
一度荒れると、学校を立て直すためには荒れた学年が卒業して2〜3年は必要になるかもしれません。
その間、人事異動で生徒指導を強化する措置を講じたりします。
- 指導における共通理解と実践の大切さ
教師は同じポイントあるいはラインで皆同じように生徒を注意する。そのポイントやラインのことを共通理解と思ってください。
実践の手段については各教師の個性に任せて指導していいと思います。例えばキツめに叱る先生もいれば穏やかに説諭する先生もいる、そういう教師がそれぞれ持つ個性を発揮できればいいことです。
最も大切なのは同じポイント、同じラインを見極めて適時指導すること。
この共通理解を図らないことこそが学校の生徒指導を揺るがす最大の原因です。
- わがままな教師が多い学校は崩れやすい
生徒は別に何とも思っていませんが、教師は学級経営者でクラスの頂点。
その教師たちが自分のやりたいように指導したらクラスによって子供たちの不満が爆発することになります。「◯組はいいのになぜうちのクラスはダメなんですか?」
こんな些細な事から学級崩壊、学校崩壊の芽が育ってしまいます。
共通理解と実践を守ろうとしない教師はわがままなのです。
- 学校が荒れないようにするためには
「指導における共通理解と実践の大切さ」が大切なのは前述の通りです。
子供たちはやってダメなことはわかっています。だからダメなことをダメと当たり前に言ってくれる教師や大人を望んいでいるし、それが大人として当然だと思っているのです。「ダメなことをダメと言えない大人」、子どもたちはそういう大人を最も軽蔑します。
そして落ち着いて生活できる環境を作ることが大切。
卒業後少年院に速攻でぶち込まれた生徒がおりましたが、その子は校内ではほとんど悪いことはしませんでした。(校外、特に休日はやらかしましたが)
「お前よく学校の中で悪さしたりしないよな」と訊いたら彼曰く
「この学校で何かやっても馬鹿らしいから」。
学校のいい雰囲気を作り、落ち着いて生活できること、これが荒れを防止する最良の手段です。
- 学校が落ち着いている時こそ生徒指導の基盤を固める時
学校が荒れればどんな教師でも本気になって立て直しに取り組みます。
しかしそれは荒れた時ではなく、落ち着いている時にこそしっかり取り組むべきことです。
平和だとその平和に浸りきって甘くなったり手抜きになったり、見過ごしてはいけないことを見過ごしてしまいがちです。結果的にそれが蓄積されて荒れる原因を作ってしまうのです。
12/05/2013
いろんな保護者がいらっしゃいます(^_^;)
学校の先生という職は様々なお子さんと関わりを持つわけですが、子どもたちの数以上に個性的な保護者の方との関わりをもつことになります。
当然の事ながら現役のあるいはリタイアされた団体関係や組関係の保護者の方もいらっしゃいます(^_^;)
こう書くと
「いやいや、それは大変だっぺ〜?」
と言われるのですが、実はご心配いただいている点で苦労したことはないのです。
過去その筋の保護者の皆様とトラブッたことは一度もなかったのです。(単にラッキーという話もありますが)
家庭訪問において初めて保護者の方々にお会いするわけですが、いろいろ話していくうちに「あら?」と感じる部分があり、よく見ると「あわわわ、小指が・・・・」とか確認。こちらも平然を装っておりますが内心は「(´゚д゚`)アチャー ヤバ」と思っているわけであります。
しかし直接話しをすると「親として子を可愛がる」気持ちが伝わってくるもので、話が色々弾んだり(たまに)します。
ある程度打ち解けたところで、こちらの指導方針や切り出すわけです←ここがすごく大事!
それが明確だと「わかった、先生に任せる。何かあったら色々教えてくんちぇ」となることが多いのです。
それはすべての保護者に対して伝えることなのですけどね。
あとはひたすら筋を通して接する!!
ただ、ひとつ問題があってですね、彼らの多くは「口で言ってわからん奴は・・・」という傾向が非常に強いので、事あるごとにお子さんの問題について電話連絡すると翌日、生徒が木刀で殴られてぱっくり割れた頭のまま登校するなんてこともあります。
思わず病院で縫うように電話したら「いい。口で言って分かんね奴は仕方ね〜んだ。そのうちくっつくから大丈夫だ」
この程度でおしまいになりますので、伝えるべき内容とタイミングを考えなければなりませんね。
もう一つ大事なこと。
彼らの世界の話をしてはならないということ。
話すのは子供に関することのみです。
色んな話も聞けるので驚きもあるのですが、一切口外しないことです(^^)
当然の事ながら現役のあるいはリタイアされた団体関係や組関係の保護者の方もいらっしゃいます(^_^;)
こう書くと
「いやいや、それは大変だっぺ〜?」
と言われるのですが、実はご心配いただいている点で苦労したことはないのです。
過去その筋の保護者の皆様とトラブッたことは一度もなかったのです。(単にラッキーという話もありますが)
家庭訪問において初めて保護者の方々にお会いするわけですが、いろいろ話していくうちに「あら?」と感じる部分があり、よく見ると「あわわわ、小指が・・・・」とか確認。こちらも平然を装っておりますが内心は「(´゚д゚`)アチャー ヤバ」と思っているわけであります。
しかし直接話しをすると「親として子を可愛がる」気持ちが伝わってくるもので、話が色々弾んだり(たまに)します。
ある程度打ち解けたところで、こちらの指導方針や切り出すわけです←ここがすごく大事!
それが明確だと「わかった、先生に任せる。何かあったら色々教えてくんちぇ」となることが多いのです。
それはすべての保護者に対して伝えることなのですけどね。
あとはひたすら筋を通して接する!!
ただ、ひとつ問題があってですね、彼らの多くは「口で言ってわからん奴は・・・」という傾向が非常に強いので、事あるごとにお子さんの問題について電話連絡すると翌日、生徒が木刀で殴られてぱっくり割れた頭のまま登校するなんてこともあります。
思わず病院で縫うように電話したら「いい。口で言って分かんね奴は仕方ね〜んだ。そのうちくっつくから大丈夫だ」
この程度でおしまいになりますので、伝えるべき内容とタイミングを考えなければなりませんね。
もう一つ大事なこと。
彼らの世界の話をしてはならないということ。
話すのは子供に関することのみです。
色んな話も聞けるので驚きもあるのですが、一切口外しないことです(^^)
12/02/2013
休暇・休職措置は本当に適切か?
ひどい記事が載っていた。
免停中の中学教諭、オートバイを酒気帯び運転 : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20131202-OYT8T00895.htm?from=tw
”スピード違反、一時停止違反等で60日間の免許停止中の酒気帯び運転。
本人はアルコール依存症と診断されて、休職と病気休暇を繰り返しており、現在も休職中だった。”そうである。
気になるのは”休職と病気休暇”を繰り返していたこと。
この間の所得は一体どうなるのか?
勿論、全額ではないにせよ、給料を貰えます。ただし民間と違い支給される年数が2年間(あるいはそれ以上)となっているようです。
金額にして通常通り勤務していた時の給料の6〜8割ぐらい。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1496009739
アルコール依存症で休職、病気休暇を繰り返してお給料をいただき、免停中に酒気帯び運転で逮捕となったというわけです。
この先生、懲戒免職は間違いないと思いますが、それにしても「教員が優遇されすぎじゃないか?」と言われても当然ですね。
精神疾患が増えている中、判断が難しい事例も間違いなくありますが、傷病の程度により給与支給期間を決めなければならないかもしれません。
病気を本気で治す気もないのに、それを理由に仕事を休めてしかもお給料をいただけるのが教員。こんな風に思われたら本当にひどい症状の教師たちが休職できず、命を落としかねないですね!
免停中の中学教諭、オートバイを酒気帯び運転 : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20131202-OYT8T00895.htm?from=tw
”スピード違反、一時停止違反等で60日間の免許停止中の酒気帯び運転。
本人はアルコール依存症と診断されて、休職と病気休暇を繰り返しており、現在も休職中だった。”そうである。
気になるのは”休職と病気休暇”を繰り返していたこと。
この間の所得は一体どうなるのか?
勿論、全額ではないにせよ、給料を貰えます。ただし民間と違い支給される年数が2年間(あるいはそれ以上)となっているようです。
金額にして通常通り勤務していた時の給料の6〜8割ぐらい。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1496009739
アルコール依存症で休職、病気休暇を繰り返してお給料をいただき、免停中に酒気帯び運転で逮捕となったというわけです。
この先生、懲戒免職は間違いないと思いますが、それにしても「教員が優遇されすぎじゃないか?」と言われても当然ですね。
精神疾患が増えている中、判断が難しい事例も間違いなくありますが、傷病の程度により給与支給期間を決めなければならないかもしれません。
病気を本気で治す気もないのに、それを理由に仕事を休めてしかもお給料をいただけるのが教員。こんな風に思われたら本当にひどい症状の教師たちが休職できず、命を落としかねないですね!
調査書ってなぁに?
点を取るためだけの高校入試、もうそこからある程度脱却すべきと考えつつも現実的な話。そろそろ願書とか推薦の話が聞こえてくるようになりました。そこで今日は調査書について。
調査書、高校や大学の入試の際に、お子さんが所属している学校が記録を書いて提出する書類なのですが、大凡下記のような内容だと思います。
http://www.koukou.fks.ed.jp/shidou/nyusi/25nyusi/25tyui.pdf
記載事項は多岐にわたりますが、「生徒の長所を記載する」書類です。
つまり、短所や本人の不利益になるようなことは書かないし、書けないし、書く必要もないのです。
昔は(今もかもしれませんが)「調査書のせいで不合格になった」と騒ぐ保護者がいましたが、まずこの程度の書類だけで高校が合否判定を下すことは考えられません。
もしこの書類の中で最も気にするとすれば、出席・欠席の欄の可能性大。やはり高校入学後もちゃんと学校に来てくれるかどうか、それは高校の先生方が最も気にする所だと思います。その他、市内で悪行三昧をはたらき、高校まで名が知れ渡った場合は、名前を見ただけで「不合格」ということも昔はあったようです。
しかし高校によっては調査書など見もしないところもあるほどです(特に進学校と言われる高校など)。調査書を重視するのは生徒指導面を重視している学校がほとんどではないでしょうか?
現在は県によって呼称が違うと思いますが、私が居住する県では1期選抜、2期選抜というのがあって、1期選抜は「推薦入試」。学力あるいは部活動面が特に優れている生徒を優先します。つまり1期選抜は調査書の記載内容をかなり重視することになります。2期選抜は一般入試なので入学試験の点数と調査書の 内容を高校独自の比率で点数化して合否を決めているような話です。
ということで、調査書というものはほとんど気にせず、日がろから学業や部活動に熱心であればいいのではないでしょうか?
本人の不利益になるようなことは絶対書きませんから、気にしなくても大丈夫です!
調査書、高校や大学の入試の際に、お子さんが所属している学校が記録を書いて提出する書類なのですが、大凡下記のような内容だと思います。
http://www.koukou.fks.ed.jp/shidou/nyusi/25nyusi/25tyui.pdf
記載事項は多岐にわたりますが、「生徒の長所を記載する」書類です。
つまり、短所や本人の不利益になるようなことは書かないし、書けないし、書く必要もないのです。
昔は(今もかもしれませんが)「調査書のせいで不合格になった」と騒ぐ保護者がいましたが、まずこの程度の書類だけで高校が合否判定を下すことは考えられません。
もしこの書類の中で最も気にするとすれば、出席・欠席の欄の可能性大。やはり高校入学後もちゃんと学校に来てくれるかどうか、それは高校の先生方が最も気にする所だと思います。その他、市内で悪行三昧をはたらき、高校まで名が知れ渡った場合は、名前を見ただけで「不合格」ということも昔はあったようです。
しかし高校によっては調査書など見もしないところもあるほどです(特に進学校と言われる高校など)。調査書を重視するのは生徒指導面を重視している学校がほとんどではないでしょうか?
現在は県によって呼称が違うと思いますが、私が居住する県では1期選抜、2期選抜というのがあって、1期選抜は「推薦入試」。学力あるいは部活動面が特に優れている生徒を優先します。つまり1期選抜は調査書の記載内容をかなり重視することになります。2期選抜は一般入試なので入学試験の点数と調査書の 内容を高校独自の比率で点数化して合否を決めているような話です。
ということで、調査書というものはほとんど気にせず、日がろから学業や部活動に熱心であればいいのではないでしょうか?
本人の不利益になるようなことは絶対書きませんから、気にしなくても大丈夫です!
12/01/2013
学校の質は教員の質
施設が立派な学校(幼稚園)があり、新しいこともあって入園希望者も多かったのですが、ある時園児同士がケンカをして片方のお子さんが軽い怪我をしてしまったそうです。
ここまでなら子ども同士のケンカで目くじらを立てるほどのことはないと思うのですが、この後の学校の対応が問題。
保育時間内に起きた出来事にもかかわらず、「親同士の問題だから園には関係ない」 というような発言が園関係者(おそらく園長)から出てしまい、一部の保護者からは「管理下の事故なのに関係ないとはどういうこと?」と対応に疑問の声が上がったそうです。
当たり前ですよね?
「後は親同士で・・・」は保護者が発すべき言葉ですから。
本来なら
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・事情を調べて子どもたちに説諭する
・保護者に事故の経緯、学校の対応(指導の経過等)、子どもたちのその後の様子について電話連絡または家庭訪問で説明する
・子どもたちのケンカなので両成敗が多いのだが、場合によっては一方的なこともあるので保護者の心情を配慮しながら適切に対応することが必要
・子ども同士のケンカであれ、相手に怪我をさせたことを重く考える保護者も多いはず。その際、保護者から「謝罪に行きたい」旨の話があれば、相手方の保護者の了承を得て連絡先を教える等の措置を講じる。
(ここまでくればあとは保護者同士にお任せして差し支えない)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このような幼稚園の場合、お子さんたちがかなり大きな怪我をした場合も「親同士の問題だから園には関係ない」と最初から責任逃れをしてしまうのではないでしょうか?
最終的に保護者にお任せすることになったとしても、それは保護者の判断でそうなります。学校管理下で起きた事故は学校の責任があるわけですから、まずそれを果たさなければなりません。
管理下の事故にもかかわらず「保護者の問題だから学校には関係ない」という無責任な学校経営では、安心して自分のこともを預けることができませんし、若い先生方は絶対に育ちません。先生方はいずれ保護者との板挟みとなってつぶれてしまうかもしれません。
他人のお子さんを責任をもって預かる、これができないなら教育の現場を悪用した金儲けをしているに過ぎないと思います。
学校の質は教師の質、またその教師たちを育て管理する校長、園長の経営者の質です。
ここまでなら子ども同士のケンカで目くじらを立てるほどのことはないと思うのですが、この後の学校の対応が問題。
保育時間内に起きた出来事にもかかわらず、「親同士の問題だから園には関係ない」 というような発言が園関係者(おそらく園長)から出てしまい、一部の保護者からは「管理下の事故なのに関係ないとはどういうこと?」と対応に疑問の声が上がったそうです。
当たり前ですよね?
「後は親同士で・・・」は保護者が発すべき言葉ですから。
本来なら
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・事情を調べて子どもたちに説諭する
・保護者に事故の経緯、学校の対応(指導の経過等)、子どもたちのその後の様子について電話連絡または家庭訪問で説明する
・子どもたちのケンカなので両成敗が多いのだが、場合によっては一方的なこともあるので保護者の心情を配慮しながら適切に対応することが必要
・子ども同士のケンカであれ、相手に怪我をさせたことを重く考える保護者も多いはず。その際、保護者から「謝罪に行きたい」旨の話があれば、相手方の保護者の了承を得て連絡先を教える等の措置を講じる。
(ここまでくればあとは保護者同士にお任せして差し支えない)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このような幼稚園の場合、お子さんたちがかなり大きな怪我をした場合も「親同士の問題だから園には関係ない」と最初から責任逃れをしてしまうのではないでしょうか?
最終的に保護者にお任せすることになったとしても、それは保護者の判断でそうなります。学校管理下で起きた事故は学校の責任があるわけですから、まずそれを果たさなければなりません。
管理下の事故にもかかわらず「保護者の問題だから学校には関係ない」という無責任な学校経営では、安心して自分のこともを預けることができませんし、若い先生方は絶対に育ちません。先生方はいずれ保護者との板挟みとなってつぶれてしまうかもしれません。
他人のお子さんを責任をもって預かる、これができないなら教育の現場を悪用した金儲けをしているに過ぎないと思います。
学校の質は教師の質、またその教師たちを育て管理する校長、園長の経営者の質です。
11/29/2013
こういう校長さんもいるんですよね!
JanJan Blogさんをいつも拝読しているのですが、下記の記事がとても素晴らしかったのでご紹介致します。
”「用務員のおじさん」のように生徒が思っていた校長
あの先生が校長室にいるのを見たことがない
今朝校舎前で生徒一人ひとりの名を名前を呼んで迎え・・・
あの人の顔を見ないと学校に来た気がしなかった
校長が壇上に上がると生徒がみんな喜んでウエーブして歓迎する
しかし東京都教育委員会は退職教員790人中790位という業績評価をつけて、現場から排斥しようとした”そうです。
この校長先生(土肥信雄先生)のような人間ほど現在求められている教師はいないだろう。この校長先生の実践、今の現場の校長たちで何人が実践できるでしょうか?
教師の評価は誰がする?教育委員会?
いや最も正当な評価をするのは生徒たちです。
ぜひ記事をお読みください。
生徒のために、生徒とともに ――土肥信雄氏の教育実践 (前)
http://www.janjanblog.com/archives/104221”「用務員のおじさん」のように生徒が思っていた校長
あの先生が校長室にいるのを見たことがない
今朝校舎前で生徒一人ひとりの名を名前を呼んで迎え・・・
あの人の顔を見ないと学校に来た気がしなかった
校長が壇上に上がると生徒がみんな喜んでウエーブして歓迎する
しかし東京都教育委員会は退職教員790人中790位という業績評価をつけて、現場から排斥しようとした”そうです。
この校長先生(土肥信雄先生)のような人間ほど現在求められている教師はいないだろう。この校長先生の実践、今の現場の校長たちで何人が実践できるでしょうか?
教師の評価は誰がする?教育委員会?
いや最も正当な評価をするのは生徒たちです。
ぜひ記事をお読みください。
指導者論について
素晴らしい記事あったのでご紹介。
目からウロコの…〈スポーツ指導者〉論
http://www.janjanblog.com/archives/102964
【転載開始】
目からウロコの…〈スポーツ指導者〉論
http://www.janjanblog.com/archives/102964
【転載開始】
「中高の公教育でのすぐれたスポーツ指導者とは、どれだけ〈バスケ好き〉〈柔道好き〉の子どもたちを育てられたかではないだろうか」
彼によれば、「すぐれたスポーツ指導者」とは、県大会優勝とか全国大会優勝などという順位ではなく、たとえば、その教員が中学に赴任してから、下手でもいいから、どれだけその指導者の部(バスケ部、柔道部etc)の愛好者を増やせたかで評価すべきだという。
「ひと握りのトップを育てることより、ズブの素人をバスケ好き、柔道好きにして、その種目を生徒が生涯続けられるように育てることのほうがどれだけ指導として大変かわからない。結果、結果…と大会結果に大騒ぎしている指導者には、『おまえの学校を柔道好きの中学生だらけにしてみろ!』と言いたい」
◇
さらに、彼はこんなことも口にする――「“厳しい指導者”のことを世の中は誤解している」 彼によれば、「厳しい指導者」とは…
◎ 何があっても、体調不良の生徒には練習させない(徹底した安全指導)
◎ 何があっても、生徒を怒鳴らない(徹底した自己抑制)
◎ 何があっても、順位を気にしない(徹底したアンチ勝利主義)
といった指導者のことだという。
世間でよく聞く「厳しい指導者」像は、それとは対照的だ。
● 試合では少しのミスも許さない
● 試合は勝つことに意味があると考える
● 「病は気から」―多少体調が悪くても、練習に必ず参加させる
【転載終了】
ついでに私個人の経験からもう一つ追加しておきたい。
これはスポーツでも音楽でも言えることだが、優れた指導者とはたったひとつのプレーに対しても決して妥協しない指導者のことである。
安全指導を徹底し、感情的な指導をせず、目先の勝利にこだわらない。しかしどんなプレーや演奏に対しても決して妥協しない。
つまりこの「妥協しない」部分は、指導者の意識、知識、指導技術の高さが最も問われる部分でもある。
妥協しないという意識は子供たちの能力を引き出す上で非常に大切な要素なのである。
【転載終了】
ついでに私個人の経験からもう一つ追加しておきたい。
これはスポーツでも音楽でも言えることだが、優れた指導者とはたったひとつのプレーに対しても決して妥協しない指導者のことである。
安全指導を徹底し、感情的な指導をせず、目先の勝利にこだわらない。しかしどんなプレーや演奏に対しても決して妥協しない。
つまりこの「妥協しない」部分は、指導者の意識、知識、指導技術の高さが最も問われる部分でもある。
妥協しないという意識は子供たちの能力を引き出す上で非常に大切な要素なのである。
7/26/2013
ネタが尽きませんな〜
「女子生徒に馬乗り体罰、交際申し込み…3教諭に懲戒処分」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/671363/
間違いなくクソ生意気なガキもいますが、なんで馬乗りなんでしょうか?
「女子生徒にテスト解答教え停職、北海道の中学教諭」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/671822/
これはこの時点で発覚してよかったのではないでしょうか?このまま見つからなければ更に深刻な事態に発展していたかもしれません。
「プレーヤーに入れたまま…中学教室でアダルトDVD再生 教諭を停職」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/669923/
短い時間でも一番いい所が再生されちゃったんでしょうね。見せようと思った映画がサウンド・オブ・ミュージックだけに残念!
「生徒7人に体罰、懲戒 三重の中学教諭」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/671803/
ごく当たり前のように体罰があったのでしょう。力で指導体制を築いていたということ。
これだけ体罰を含めた様々な問題が報じられているにもかかわらず、なんでこうなるのでしょうね?
やはり感覚的なズレが大きい世界なのでしょうか?
大多数の教師は真面目にやっていると思うのですが、たった1件の信用失墜行為があると学校としての信用を取り戻すのに何年かかるか。ただ、うまくいっている学校では、世の中でどんな信用失墜行為があろうとも良好な関係を保ち、世間の喧騒など全く関係ないのです。不思議なもんですよね。
親もわけのわからない論理を展開する人が増えました。その理論は「公共の福祉」を目指すものの一環であればいいのですが、蓋を開けてみると単なる「わがまま」。
教師は教師で上記の通り。
画一化とも思える教育がずっと推進されてきたのですが、それに比べるとある意味ごく普通の状態に戻りつつあるのが現在なのかと思ってしまいます。
それにしても、預かる側ぐらいはもうちょっときちんとしないとね〜。
子供たちが可哀想!
間違いなくクソ生意気なガキもいますが、なんで馬乗りなんでしょうか?
「女子生徒にテスト解答教え停職、北海道の中学教諭」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/671822/
これはこの時点で発覚してよかったのではないでしょうか?このまま見つからなければ更に深刻な事態に発展していたかもしれません。
「プレーヤーに入れたまま…中学教室でアダルトDVD再生 教諭を停職」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/669923/
短い時間でも一番いい所が再生されちゃったんでしょうね。見せようと思った映画がサウンド・オブ・ミュージックだけに残念!
「生徒7人に体罰、懲戒 三重の中学教諭」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/671803/
ごく当たり前のように体罰があったのでしょう。力で指導体制を築いていたということ。
これだけ体罰を含めた様々な問題が報じられているにもかかわらず、なんでこうなるのでしょうね?
やはり感覚的なズレが大きい世界なのでしょうか?
大多数の教師は真面目にやっていると思うのですが、たった1件の信用失墜行為があると学校としての信用を取り戻すのに何年かかるか。ただ、うまくいっている学校では、世の中でどんな信用失墜行為があろうとも良好な関係を保ち、世間の喧騒など全く関係ないのです。不思議なもんですよね。
親もわけのわからない論理を展開する人が増えました。その理論は「公共の福祉」を目指すものの一環であればいいのですが、蓋を開けてみると単なる「わがまま」。
教師は教師で上記の通り。
画一化とも思える教育がずっと推進されてきたのですが、それに比べるとある意味ごく普通の状態に戻りつつあるのが現在なのかと思ってしまいます。
それにしても、預かる側ぐらいはもうちょっときちんとしないとね〜。
子供たちが可哀想!
7/22/2013
怠慢だった
小6女児の自殺未遂で会見
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kennaitopix/2013/07/20093336011035.shtml
また自殺未遂が起こってしまいましたね。
この学校の校長さんは「怠慢だった」「チェックが足りなかった」と話していますが、おそらく校長にはこの子の情報が全く伝わっていなかったのでしょう。
もし校長が事前に情報を入手していたら、最低でも「いじめとは認識していなかった」とか「学校で協議し、対策を講じていた」などと釈明していたでしょう。
つまり、学校の生徒指導が全く機能していなかったということです。
おそらく担任だけが「靴隠し」「仲間はずれ」の指導をして、情報はすべてそこで途切れていたということです。
これは小学校の指導体制の怖さ、弱点でもあります。
学校によっても違いますが、小学校はごく一部の教科以外はすべて一人の教師が授業を受け持ちます。良好な学級経営ができればいいのですが、同じ人間が担当している故、盲点が改善されないままであることが多々あるのです。
結果的に担任の指導力任せということになるのですが、アンテナが敏感な教師の場合にはいじめに至る前の初期の時点で対策を講じることができますが、感度の鈍い教師の場合には何も感じず、からかいがいじめにエスカレートして初めて気づくことになるのです。感度がひどい場合には子供の死という最悪の結果になった時さえ「気づかなかった」ということになります。
ではこのケースのような場合はどうすればよいか?
まず、学校内における連絡系統および指導体制を充実させなければなりません。
学級における子供たちの動向や問題など、学年会や学校全体で話し合う必要がありますので、連絡報告内容の充実と情報の共有が大切です。
ただし、上記の通り担任一人がすると観察能力の問題と限界が生じてきますので、もうひとつの目が鍵となります。
子供たちのいじめを事前に食い止めるためには、その「もう一つの目」の役割を果たす教師が必要だと思います。しかもその教師は学習指導の補助要因を兼ねた観察指導の熟練者で、学校内すべてのクラスを担当。この仕事はスクールカウンセラーには絶対にできない仕事です。
「このような体制は財政的に無理」とか「校務分掌的に無理」批判されるかもしれませんが、子供一人の命が救える可能性があるなら、現状を打破するためにも考えるべき措置ではないでしょうか?
さらにもう一つ、教師の観察力をより感度が良くなるように高める必要があります。
おそらくこちらの方が実践する難易度は高いと思われます。つまり、ひとそれぞれの感受性、観察力などは生まれてから現在までの人生で無意識の内に身についたものであり、一朝一夕に培われるものではないからです。
最終的には現場での実践において感覚を研ぎ澄ますようになるのですが、大学の履修科目にいじめ、不登校、自殺についての専門科目の理論と現場実習(教育実習とは異なる)を設けたり、採用直後に一定期間重点的な研修をしたりといくつか方法が考えられます。
肝心なのは若いうちにこの感覚を身につける努力をさせること。
感覚の鈍い10年選手に今更研修しても間違いなく時間と経費の無駄になるのです。
昔からいじめ、不登校、自殺があり、今だにそれらはなくなりません。0にすることは不可能なのかもしれませんが、現在の学校を本気で抜本的に改革しない限り犠牲となる子供たちが減ることはないでしょう。
自殺未遂の子が1日も早く意識を取り戻しますように!
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kennaitopix/2013/07/20093336011035.shtml
また自殺未遂が起こってしまいましたね。
この学校の校長さんは「怠慢だった」「チェックが足りなかった」と話していますが、おそらく校長にはこの子の情報が全く伝わっていなかったのでしょう。
もし校長が事前に情報を入手していたら、最低でも「いじめとは認識していなかった」とか「学校で協議し、対策を講じていた」などと釈明していたでしょう。
つまり、学校の生徒指導が全く機能していなかったということです。
おそらく担任だけが「靴隠し」「仲間はずれ」の指導をして、情報はすべてそこで途切れていたということです。
これは小学校の指導体制の怖さ、弱点でもあります。
学校によっても違いますが、小学校はごく一部の教科以外はすべて一人の教師が授業を受け持ちます。良好な学級経営ができればいいのですが、同じ人間が担当している故、盲点が改善されないままであることが多々あるのです。
結果的に担任の指導力任せということになるのですが、アンテナが敏感な教師の場合にはいじめに至る前の初期の時点で対策を講じることができますが、感度の鈍い教師の場合には何も感じず、からかいがいじめにエスカレートして初めて気づくことになるのです。感度がひどい場合には子供の死という最悪の結果になった時さえ「気づかなかった」ということになります。
ではこのケースのような場合はどうすればよいか?
まず、学校内における連絡系統および指導体制を充実させなければなりません。
学級における子供たちの動向や問題など、学年会や学校全体で話し合う必要がありますので、連絡報告内容の充実と情報の共有が大切です。
ただし、上記の通り担任一人がすると観察能力の問題と限界が生じてきますので、もうひとつの目が鍵となります。
子供たちのいじめを事前に食い止めるためには、その「もう一つの目」の役割を果たす教師が必要だと思います。しかもその教師は学習指導の補助要因を兼ねた観察指導の熟練者で、学校内すべてのクラスを担当。この仕事はスクールカウンセラーには絶対にできない仕事です。
「このような体制は財政的に無理」とか「校務分掌的に無理」批判されるかもしれませんが、子供一人の命が救える可能性があるなら、現状を打破するためにも考えるべき措置ではないでしょうか?
さらにもう一つ、教師の観察力をより感度が良くなるように高める必要があります。
おそらくこちらの方が実践する難易度は高いと思われます。つまり、ひとそれぞれの感受性、観察力などは生まれてから現在までの人生で無意識の内に身についたものであり、一朝一夕に培われるものではないからです。
最終的には現場での実践において感覚を研ぎ澄ますようになるのですが、大学の履修科目にいじめ、不登校、自殺についての専門科目の理論と現場実習(教育実習とは異なる)を設けたり、採用直後に一定期間重点的な研修をしたりといくつか方法が考えられます。
肝心なのは若いうちにこの感覚を身につける努力をさせること。
感覚の鈍い10年選手に今更研修しても間違いなく時間と経費の無駄になるのです。
昔からいじめ、不登校、自殺があり、今だにそれらはなくなりません。0にすることは不可能なのかもしれませんが、現在の学校を本気で抜本的に改革しない限り犠牲となる子供たちが減ることはないでしょう。
自殺未遂の子が1日も早く意識を取り戻しますように!
7/17/2013
チャイム考
いきなり結論:チャイムはいらない!!
ゆとりとか何とかになってチャイムを廃止する学校がかなり増えたのですが、問題も多くチャイムを復活する学校もあるとか・・・
記事
現在の小・中学校ではチャイムがならない!? – 尾木直樹 http://honmadekka.tv/post/onair/20130306/9298
【兵庫】授業知らせるチャイムは必要?不要?…「ノーチャイム制」を導入した小中学校で、成否が分かれる (274)
http://desktop2ch.tv/newsplus/1287884006/
消え行くチャイム 西日本新聞
http://www.naraken-pta.jp/kirinuki07.htm
こだわりの生活
http://kodawari-club.blog.ocn.ne.jp/diet/2009/05/post_de07.html
上の各リンクを眺めてみると、「子どもたちの自律性を促す事につながった」という意見から「教師の姿を見て子どもたちが教室に入る」ためチャイムを復活、「チャイムがなくなると寂しい」というご意見まで様々。
ポイント1:チャイムなしがうまく機能するかどうかは先生方のやる気と行動力
昔、僻地の中学校に勤務したことがあるのですが、その中学校はもちろんチャイムなし、ついでに時間割を自分で組む期間が設けられていました。
僻地で学年20名ほど1クラスでしたし、チャイムなしは小学校からずっと続けている子どもたち。
トラブルなどは全くありませんでした。
当たり前のように時計を見ながら子どもたちは行動していましたよ。
「時計を見る習慣をつけさせるなら腕時計を持たせなくちゃダメだろう」と考える方もいらっしゃると思いますが、学校は時計の宝庫、時計がないのはトイレと廊下ぐらいです。それに下手に腕時計など持たせたら「紛失・盗難」が必ず問題になってくるし、多機能な時計だと休み時間にゲームとか・・・。だから腕時計はいらないんです。
ポイント2:幼児期あるいは小学校低学年からの継続指導と連携が大切
時計を読めるようになってからの継続指導が大切です。
可能であれば幼稚園保育園から徐々に時計を見る習慣をつけさせる。
小学校はその確立時期になると思いますので、先生方のフットワークが肝。
中学校はおそらくばらつきが出てくるので、うまく行動できない、行動しない子どもたちに留意すべきだと思います。
継続的に9年ほど指導する事が出来れば、95%の生徒はチャイムなしで行動できると思いますが、残り5%は手をかけてあげないとダメだと思います。
その5%の子どもたちはそれぞれ問題や悩みを抱えた子どもたちなので、チャイムのあるなしに関係なく常に全職員で見守らなければならない対象であると思います。
最後に一番大切なこと!
ちょっと昔のことを思い出してみて下さい。
授業が楽しい、面白い先生の場合、早めに移動して着席したりしてませんでしたか?「あ〜、もう終わっちゃった。もっとやりたい」と感じませんでしたか?
逆につまらない授業の先生の場合、終業チャイムが天の救いの音に聞こえませんでした?
チャイムの有無は時間的な区切りと行動を起こすタイミング、ただそれだけのものです。
その先にもっと楽しみがたくさんあれば、子どもたちは自分から飛びついていきますよね?
ゆとりとか何とかになってチャイムを廃止する学校がかなり増えたのですが、問題も多くチャイムを復活する学校もあるとか・・・
記事
現在の小・中学校ではチャイムがならない!? – 尾木直樹 http://honmadekka.tv/post/onair/20130306/9298
【兵庫】授業知らせるチャイムは必要?不要?…「ノーチャイム制」を導入した小中学校で、成否が分かれる (274)
http://desktop2ch.tv/newsplus/1287884006/
消え行くチャイム 西日本新聞
http://www.naraken-pta.jp/kirinuki07.htm
こだわりの生活
http://kodawari-club.blog.ocn.ne.jp/diet/2009/05/post_de07.html
上の各リンクを眺めてみると、「子どもたちの自律性を促す事につながった」という意見から「教師の姿を見て子どもたちが教室に入る」ためチャイムを復活、「チャイムがなくなると寂しい」というご意見まで様々。
ポイント1:チャイムなしがうまく機能するかどうかは先生方のやる気と行動力
昔、僻地の中学校に勤務したことがあるのですが、その中学校はもちろんチャイムなし、ついでに時間割を自分で組む期間が設けられていました。
僻地で学年20名ほど1クラスでしたし、チャイムなしは小学校からずっと続けている子どもたち。
トラブルなどは全くありませんでした。
当たり前のように時計を見ながら子どもたちは行動していましたよ。
「時計を見る習慣をつけさせるなら腕時計を持たせなくちゃダメだろう」と考える方もいらっしゃると思いますが、学校は時計の宝庫、時計がないのはトイレと廊下ぐらいです。それに下手に腕時計など持たせたら「紛失・盗難」が必ず問題になってくるし、多機能な時計だと休み時間にゲームとか・・・。だから腕時計はいらないんです。
ポイント2:幼児期あるいは小学校低学年からの継続指導と連携が大切
時計を読めるようになってからの継続指導が大切です。
可能であれば幼稚園保育園から徐々に時計を見る習慣をつけさせる。
小学校はその確立時期になると思いますので、先生方のフットワークが肝。
中学校はおそらくばらつきが出てくるので、うまく行動できない、行動しない子どもたちに留意すべきだと思います。
継続的に9年ほど指導する事が出来れば、95%の生徒はチャイムなしで行動できると思いますが、残り5%は手をかけてあげないとダメだと思います。
その5%の子どもたちはそれぞれ問題や悩みを抱えた子どもたちなので、チャイムのあるなしに関係なく常に全職員で見守らなければならない対象であると思います。
最後に一番大切なこと!
ちょっと昔のことを思い出してみて下さい。
授業が楽しい、面白い先生の場合、早めに移動して着席したりしてませんでしたか?「あ〜、もう終わっちゃった。もっとやりたい」と感じませんでしたか?
逆につまらない授業の先生の場合、終業チャイムが天の救いの音に聞こえませんでした?
チャイムの有無は時間的な区切りと行動を起こすタイミング、ただそれだけのものです。
その先にもっと楽しみがたくさんあれば、子どもたちは自分から飛びついていきますよね?
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