5/14/2011

県、いわき市への要望

私個人として、子どもの年間被曝量20mSVとそれに達する空間線量率3.8μSVという基準値は、子どもたちを健康被害から守る観点から言えば全く危険極まりない規定値である。事実、原発労働者で白血病として労災認定された方の中には、年間10mSV以下の被曝または数年に亘り10mSV以下の被曝によって死亡された方もいる。
幼い子供達を守るために、福島県およびいわき市に対して下記の通り要望したい。

○ 県および市町村機関に対して
  1. 学校、教育施設の外部被爆線量を軽減すべく措置を講じなければならない。
  2. 環境放射能測定値が事故以前の平常値に戻るまで各学校、教育施設の測定を毎日継続し、必要に応じて公表すべきである。
  3. 再度事故が発生した場合を想定し、緊急時の連絡および子どもたちを安全に保護する態勢を整えるべきである。
  4. 学校給食については、放射性物質が不検出の食材および原乳のみを使用すること。
  5. 現在、放射性物質の検出はヨウ素とセシウムのみが対象となっているが、その他の放射性物質についてもすべて測定し、公表すべきである。
  6. 環境放射能と同様に食材および原乳の放射性物質測定を毎日継続すること。それは環境放射能測定値が平常値に戻り、且つすべての食材および原乳等から放射性物質が不検出となるまでである。
  7. 原発事故当初から福島県に居住している子どもたちは、内部被曝についての健康診断を県および市町村の責任において年2回実施してほしい。その期間は最低でも15〜20年間は必要であると思われる。
親としては内部被曝および外部被曝から子供達を守らなければならない。完全に身を守ることは不可能だが、子どもたちの活動に配慮しつつ最善の努力をしたい。
◯ 親として
  1. 内部被曝を避けるため、放射性物質が含まれる飲食物を子どもたちに食させない。放射性物質が暫定基準値以下であるとかの問題ではない。子どもたちに食べさせるのは、放射性物質が不検出のもののみである。
  2. 自宅からの外出、登下校時および学校における活動すべてにおいてマスクを着用させる。特に部活動やスポーツ少年団など、屋外で活動する場合は特に注意したい。

5/11/2011

ソフト部の保護者会

今日は中学へ入学した娘が入部した、ソフトボール部の保護者会があった。
※娘はバスケ部に入部すると言っていたので3月に新しいバスケットシューズを購入したが、蓋を開けたらソフト部入部。ただ、野球少年だった父としてはちょっとドヤ顔気味です(^^)v

10数名の保護者と顧問の先生二人が出席。
あるお母さんからの質問
「朝から夕方4時まで練習予定を組んでいるが、放射能は大丈夫なのでしょうか?」
見事に核心を突いた質問でもあり、保護者の最大の関心事!

顧問の先生もかなり困った様子であり、「上から問題ないとの話なので設定しています。ただ、マスクの着用もして頂いて結構です。また、午前中で練習を終了したり、長時間の練習にはお子さんを参加させないことも問題ありません。」

顧問の先生にとってはおそらくこれが精一杯の回答だと思うし、校長が明確な安全対策を指示していない限りは顧問の先生を責めるわけにもいかない。

私も下記の発言させてもらった。

  • 子どもたちに健康被害が及ぶのはおそらく10年後あたりからになるだろう
  • 学校の環境放射能測定値を細かく測定して公開すべき
  • 最終的には親が子どもを守るしかないだろう
他にも「長時間練習したからうまくなるわけではない」とか「効率的、合理的な指導方法を考えよう」とか色々言いたかったが長くなるので上記に絞った。(練習内容にはあまり口を挟みたくないので・・・)

さらにもう1点提案させて頂いたのは、遠征等に出向く際の承諾書について。
遠征の際は、同級生の親御さんの車に子どもたちを同乗させて頂いたり、お互いに助け合うことが多くなる。
しかし問題は交通事故が起きた時。
その事故が学校管理下なのか、保護者会の管理下なのか明確に区分すべき。
視点を変えれば「責任逃れ」と言われそうだが、他人の命を預かる場合には絶対に必要な事前措置。
勿論、その承諾書一枚を取ったから死亡事故を起こしても精神的な負担が楽になるわけではないが、最終的にこじれた場合に最も効力を発揮するのが承諾書になる。

安全管理とは「最悪の事態を想定する」ことから始まる。そうでないと、いざ事が起きた時に絶対に対処することはできない。

2/26/2011

幸せになる秘訣

From Evernote:

幸せになる秘訣-Facebookの友人のWallから

いつだったか、Facebookの友だちのWallに掲載されていた文です。
お名前、忘れてしまいました、ごめんなさい。
あまりにも素敵な教え、生き方の指針だったので心に残っています。
著作権上問題があればご連絡下さい。すぐに削除します。

『幸せになる秘訣』
だれかに善きことをしてもらったら、けっして忘れないようにしましょう。
だれかに悪しきことをされても、それは忘れておしまいなさい。
同様に 誰かに
一度でも愛してもらったことは、けっして忘れないようにしましょう。
それはあなたの永遠の宝物なのです。
だれかを一度でも愛したことがあったら、それは忘れておしまいなさい。
それは相手にあげたプレゼントなのです。
その愛はすでに相手のものであって、あなたのものではありません。
有形のものでも無形のものでも、もらったものに感謝し、与えたものはさっぱりと手放すこと、
それが幸せになる秘訣ですよo(^-^)o
(82歳の女性より。
「亡き母からの教え」)

2/18/2011

外国語以前に大切な物

小学校から英語の授業を取り入れたり、海外における日本人の英語力が問われ、英語教育の重要性が叫ばれているが、特にそれについて異論はなし。外国人とのコミュニケーションを図る手段としてはいいことだと思う。英語以外の言語でも勿論いいわけだし・・・。

もしも自分が他国の言語を思い通り使いこなせるとして考えてみた。

私は一体相手に何を求めるだろう?

当たり障りのない日常的な事を皮切りに話を進めると思うが、私なら最終的に相手の国の文化、歴史、政治、思想について聞いてみたいと思うだろう。
昔、学校ではこのように教わったが実際はどうなのか?あなたの国の精神文化はどうなのか?今の国の現状についてはどうなのか?それについてあなたはどう思うのか?
おそらく、外国人も日本人に対して最終的にはそれらを求めてくるのではないだろうか?

そうなった時に母国の歴史、文化、政治、経済、思想、精神文化についての見識、知識が乏しければ
「こいつは自分の国のことも全くわからない」という烙印を押されてしまうし、私自身も「この人は深い話をするだけの価値のない人」と判断してしまうだろう。間違っても相手のことを知性的な人間とは思わない。

言語とはあくまで手段であり、単なる道具にすぎない。道具をいくら揃えたとしても使いこなすだけの技量や相手が納得するだけの技量を持っていなければ、稚拙さを露呈するだけの話である。
つまりその技量とは、「日本人として母国語、歴史、文化、思想、精神文化を学び、知識として蓄え、自分の中で咀嚼し、それに対する自分の考えを持っていること」である。

外国語教育は否定せず、しかし最も大切なのは母国語および母国についての学びである。いずれ文科省が言い出すと思う、「もっと日本語および母国について見直しましょう」と。そしてまた学習指導要領が改定される。

2/11/2011

学校の立て直し

Facebookの友だちとのやり取りから、学校の立て直しについて考えてみた。

学校教育立て直しについての基本方針は

  1. 学校としての取組方針を明確にし、全保護者に周知徹底する。教師と保護者が学校の問題点、現状を的確に把握し、共通理解を図る必要があり、それに対してどう取り組んでいくかという骨子を明確にしなければなりません。
  2. 学校の基本方針が決まったらそれを各学級や部活動において確実に実践しなければなりません。この線引きが生徒指導上最も大切なラインとなります。この線引きが曖昧だとクラスによって、あるいは指導する先生によって誤差が生じてしまい、学級崩壊の序章となります。これがいわゆる共通理解であり、指導する先生個人の考えを反映させてはいけない部分なのです。先生が自分の個性を発揮するのは、指導の方法のみであり、「ならぬものはならぬ」というそのラインの是非を問うてはならないのです。
もしもここまで徹底することができたなら、学校あるいは学級としても崩壊することはまずないと言っていいでしょう。実はこの部分が学校の取組として最も難しい部分であり、教育の根幹となる部分です。指導上の枠組みを明確にし、かつ確実に実践することができれば生徒たちはその枠組みの中で安心して学校生活を送ることができます。
ただ現実問題としてここまで出来ていないために学級崩壊が起こっています。教師個々の指導力にも関わる問題でもあるし、採用の問題点や学校内の研修の問題点も絡んできます。

実はこの枠組、荒れた中学校を立て直すときには必ずやっていることなのですが、教師が危機感を持つまで常に忘れ去られています。荒れた学校を立て直すときには教員総入れ替えも行うことがあります。それだけ教師の意識が大切なのです。

この学校の雰囲気作りが子どもたちにとっては最も大切な事であり、学校の雰囲気によって救われる子どもたちも大変多いのです。我儘な行為をできない、自分勝手な振る舞いができない雰囲気では、その行為に及ぶことが自分を孤立させたり、浮いたりしてしまうものなのです。
「ここでは馬鹿をやっても仕方がない」
その雰囲気を醸成することが最も大切な教師の責務なのです。

ここまで学校の雰囲気が良くなっていれば、問題行動の芽が発芽することが少ないのですが、やはり心に深い傷を追っている子は決められた枠をはみ出してしまいます。あとはこのはみ出した子をどのように個別指導していくか、そしてはみ出した子に追随しようとする子をいかに切り離すか、が課題となってきます。
極端に学校の指導の域を逸脱している場合には、やはり児童相談所や生活安全課の力を借りなければなりません。

最後に最も今後頭を痛めそうな問題は常識が通用しない保護者であると思いますが、何の根拠もなく非常識なことを持ちかける親はほとんどいないはずであり、自分の子どもが学校生活を楽しみ、満足していればクレームは起きにくいはずなのです。
しかし、実態は教師が言葉の選択一つを誤ったために誤解されてしまったり、逆に子どもに真意が十分伝わらず、保護者が感情的になって怒鳴りこむケースが多いと思います。

学校、学級での指導に法律的な問題が全くなければ、後は感情論のみとなりますが、これが最も厄介なのです。ここまでこじれてしまった場合は、その保護者に好きなように対処してもらうより方法はありません。逆に学校に非がなければこの方法が最善の選択になることがほとんどです。
結局感情的になって非常識な対応をしてくる保護者は、その保護者自身が自分の仕事上などで同様の目に遭わなければ目が醒めることはないからです。

このようなケースになると保護者にばかり目を奪われがちですが、こどもの存在を忘れてはならないし、クレームの多い非常識な親であっても子どもは別な話です。

結論は出ませんが、最後の最後は非常識な親は何を言ってきても相手にする必要はありません。その非常識である親の子が大人になった時に、真っ当な価値観を持てるように教育的な指導を続けていくしかないのかもしれません。
それが10年先か20年先かはわかりませんが、今子供たちに指導していることがいつか結実して欲しいと願って指導を継続するしか道はないように思います。