6/27/2013

先生見逃さないで!

東京新聞:高崎の児童生徒いじめ問題議論 「やり方変わっていく」「先生見逃さないで」:群馬(TOKYO Web) http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20130626/CK2013062602000162.html

 子どもたちからの指摘、重く受け止めなければなりませんね。

「やり方変わっていく」
 より陰湿で見つかりにくい方法を選択していじめているという実態があるのでしょう。
授業中の雰囲気で「変だな?」と気づくことがあったのですが・・・それは特定の子が指名されると一部の子の態度に変化が見られたとか、周囲の反応が明らかに違うとか。
しかし、先生の前ではその雰囲気すら感じさせないようになっているのかもしれません。

「先生見逃さないで」
 子どもたちはいじめの当事者以外でもサインを送っていることが多いのです。それは言葉で伝えることもあるし、作文の中に書かれていることもある。多くは授業の雰囲気の一部として発信されているように感じます。
上記の雰囲気の違いもそうですが、その「いつもと違う雰囲気」や「送られたサイン」を見逃すとすべて後手の対応になり、結果的に傷口が大きくなってしまいます。
「何も感じてくれない先生が多い」という現状が「先生見逃さないで」という言葉に凝縮されているということです。

 教師が場の雰囲気を敏感に察知して行動を起こす・・・この敏感に察知できるかどうかが最も大切なのですが、この感覚は一朝一夕に身につかないのが難しい所。よほど注意深く観察しない限り見えてこないのです。しかもその感覚には個人差があり、しかも激しいのです。

この感覚をいかに身につけるか、教師の資質としての最重要課題かつ最難題と言えます。

6/26/2013

専門に学んだ人間が犯しやすい勘違い

 子供たちに楽器を教えていると、「このぐらいはわかっているだろう」と思うことを、実は子供たちが全然わかっていないことが多い。

「この程度のことはわかっているはず、できるはず」

 これは専門に勉強してきた指導者に多く見られる傾向であり、自分の過去の経験と長い年月をかけて学んできた「いまの自分の視点」でしか見ることが出来ないことに起因する勘違い、思い込み。

 逆に初めて指導する人間は自分の経験がないために一生懸命学習する。
スタートラインは生徒と全く同じあり、指導する側としてとにかく本気で勉強する。教えてもらう生徒とすれば多少心許ない面もあるだろうが、真摯な姿勢で教師が共に学ぶ姿に不快感は感じないだろう。
その結果、数年の時を経ると専門に学んできた人間の指導力を遥かに凌ぐことがある。

 子供たちを目の前に指導する場合、まず自分ができなかった頃に立ち返ることが指導の原点となる。
「こんなことも知らないの?できないの?」と口にしたくなるかもしれないが、そこはグッと堪えて子供たちそれぞれの躓(つまず)きの原因を究明する。
具体的な躓き解消法を提示してあげれば、子供たちは思いの外すんなり問題を自己解決してくれることが多いし、次の壁にぶつかるまで意外に上達に時間がかからないものである。

 もう一つ、子どもたちの能力の限界を勝手に決めないこと!
音楽に関して言えば、子どもたちは楽器奏法の基礎を正しく学んでおらず、ほとんど独学であるということを前提にしなければならない。だから最初の数ヶ月は指導者が手間ひまかけて基礎をしっかり教えることが必須。
実はこの基礎段階は最も大切で、将来その子が音楽の道を目指した時に弊害にならないよう指導しなければならない(こう書かれるとプレッシャーがあるかもしれないが、事実でもある)。
この点についてはまた別記事で書きたいと思う。

 指導者が「いい演奏を!」と思っているのなら、子どもたちとともに学ぶ姿勢と自分ができなかった頃(初心)を忘れてはならないし、手間ひまをかけるべき時にしっかりかける、これが大切です。

 言うは易し、書くは易しで実際大変なことは重々わかる。
でも今の環境を与えてもらったことに感謝して頑張ろう、指導者諸氏(^^)

いじめ防止法

「いじめ防止法成立 「意識高まる」一方、「教師の負担増」」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/664142/

いじめ防止法が成立、学校に通報義務…今秋施行(読売新聞) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130621-00000476-yom-pol


 結論から申し上げると「極端に効果は上がらない」だろう。

 いじめはある日突然始まるわけではない。必ずその前段階があり、その段階を経て徐々にエスカレートしていくのである。
そのいじめに至るまでの段階を、クラスや同じ部活動の子どもたちの数名以上が必ず目撃している。

その前段階で適切な指導と処置を講じない限り、いじめは減らない。

 前段階においては教師の観察力、洞察力、直接的な指導力が問われる。つまりいじめを減らすには、教師として卓越した眼と耳と持ち、生徒と保護者からの信頼に足る指導力のある教師の育成が最も肝要であるということだ。
それを差し置いていくら法整備したとしても、結局は事後処理に過ぎず、被害者となる子供たちがあとを絶たないだろう。法整備しても、生徒の死後に謝罪会見で「いじめだとは認識していなかった」「本人が否定したのでいじめが原因で自殺とは思えない」等の発言が今後もなくならないだろう。

まず教育現場としては、教師としての磨きぬかれた鋭敏な感覚と指導力の育成が急務なのである。

 もちろんこれだけでいじめがなくなるとは思えないが、指導力のある教師が多い学校は教師と生徒の信頼関係が築かれていることが多く、いじめ等の情報が教師の耳に入りやすく初期段階で対応できることがほとんどである。そういう学校の雰囲気があるだけでいじめや非行が激減するものである。

6/25/2013

日本人の心のあり方、生き方

 まずはある書籍の目次をご覧ください↓

1.世の役に立つ人になろう
2.智恵のある人になろう
3.お金よりも智恵を残そう
4.どんどん自分を磨いていこう
5.毎日学ぶことが一番大事
6.相手を思いやる心を持とう
7.勉強のすすめ
8.覚悟を決めたらやりとげよう
9.自分から積極的に学ぼう
10.繰り返しのすすめ
11.良い仲間と切磋琢磨しよう
12.努力をすれば花が咲く
13.目上の人を尊敬しよう
14.一生の友だちをつくろう
15.人間として大切なもの
16.落ち着いた気持ちをつくろう
17.「慈・悲・喜・捨」の四つの心を育てよう
18.幸せな人生を歩くためには
19.お年寄りと小さな子を大切に
20.まず相手を大切にしよう
21.「人のため」が「自分のため」になる
22.ともに悲しみ、ともに喜ぶ
23.いいことはすぐにまねしよう
24.親切は必ず報われる
25.偉くなっても忘れてはいけないこと
26.油断しないで学び続けよう
27.読み書きは人生の基本
28.学問をすることは命を養うこと
29.学びの第一歩となる『実語教』


この目次は、[現代語抄訳]言志四録 という書籍の目次です。(上の目次はこのページのレビューより引用致しました)

 目次を見ただけで何か感じるものはありませんでしょうか?

いじめやその他の問題で法整備がなされていますが、もっと人としての生き方、あり方に影響が大きい思想を見直すべきなのではないでしょうか?

 法整備は確かに対症療法的効果はあると思いますが、それはあくまで対症療法的であり人の心にまで響かないこともあるはずです。
それに対して、幼い頃に学んだ生き方としての指針はおそらく死ぬまで心に深く刻まれているでしょう。

ものは豊かになった、生活も快適になった、便利になった、しかし根底にあるべき心を喪失してしまった。それが我々の生きている今ではないでしょうか?
今の日本に必要なのは、古くから語り継がれ忘却の彼方に追いやられてしまった日本人の教え、心ではないかと思うのです。

6/24/2013

『社会的な親』の存在

移転も完了したので久しぶりにブログ投稿、本当に久しぶり。ネタは腐るほどあったのですが、書く気力も失せていたというか・・・

さて、教育イザ!というサイトさんがあるのですが、教育関係の記事を専門に掲載されています。そこで見つけた記事についてちょっと書きたいと思います。
まずは記事をご覧ください。

「かくれんぼができない子供急増…いじめ遠因に?」:イザ! http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/664352/
衝撃的な一文「かくれんぼができない子どもたちが最近急激に増えている。
そして「一人になることを怖がる。これが見て見ぬふりをするいじめの遠因」
最後は「子供を見ているのは親と教師だけ。社会的な親の存在が大切になってくる」
大学の先生が調査された内容だそうです。
かくれんぼという遊びは一人になる怖さを伴うということですが、たしかにそれはあるかも。たった一人で鬼に見つかるまでじっとしていなければならないし・・・。缶蹴りもよくやった遊びでしたが、連続して鬼になることもしばしばだったと思います。

でも昔はいじめの遠因にはなりませんでしたよね?

子供たちを取り巻く環境は、技術のの進歩とか発展によって間違いなく変わりました。
しかし、子どもの本質自体は何も変わっていないと思うのです。
ではいったい何が問題なのでしょうか?

【希薄・表面的・情が通わない人間関係】
今の子供たちは本音をぶつけあって人間関係を築いているでしょうか?
泣いて笑って喧嘩して、そしてみんなで怒られたり・・・こんなことが普通にあったのですが、今はそこまで感情を顕にすることがなくなってきているのかもしれません。

今の人間関係はガラス細工のように繊細かつ脆いと感じます。しかもそれは子供たちだけの問題ではなく大人たちにも共通して言えることだと思うのです。
しかしそのまま細工が壊れないように保つことができるのかといえば、SNSを使ってリアルでは決して言えない事を書き残し、結果的にそれが発覚していじめ化してしまう。

大人ですらそのような状況ですから、その環境の中に置かれた子供たちは尚更敏感にその雰囲気を感じ取り、対面では体裁を取り繕ったり、自分の存在の確保や保身に走ってしまうのでしょう。

【地域が子どもを見守る】
もう20年以上前から「家庭・学校・地域の連携」が叫ばれていますが、実質的には形骸化してしまうことがほとんどです。なぜなら、更に一歩踏み込んだ連携まで及んでいないから頓挫してしまうのです。
何とかしなければならないと思っている大人が多い反面、変わり果てた大人の価値観が障壁となって子供たちを守り切れない、そんな印象です。

だから『社会的な親』の存在ということになるのでしょう。
おそらくは専門的な資格や経験のある方が担当されることになると思いますが、それだけでは手が足りなくなるのは明らかだと思います。

大切なのは「子供たちを育てる」ことに関して同じ認識や価値観を共有することだと思うのです。そのベースになるものが確立されない限り、地域を含めた社会全体で子供たちを見守り育てることはできないと思うのです。

昔は「社会的な親」が結構いたんです。それは近所のじーちゃん、ばーちゃんだったのですが、コミュニティーをまとめる存在としても非常に大きかったし、言うことは言ったけどやることはやった方々でした。

現代は生活音やピアノ、風鈴の音一つで隣近所から苦情が来て、最悪殺人事件にまで発展してしまう、そんな世の中です。
しかし、今子供たちのために大人が意識改革をし、それを実践しなかったら、子供たち、いやに日本の将来は暗澹たるものになってしまうと思うのです。
数十年後の日本を夢見てできることから1つずつ改革する、それが今の私達に課せられた重い課題です。