4/18/2014

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 こちらのブログ、ご無沙汰しておりますが、実はAmebaにて毎日ブログを更新しております。
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学校問題悩み相談室のブログ
http://ameblo.jp/gakkou-seitoshidou/


よろしくお願いいたします。

2/19/2014

道徳に係る教育課程の改善等について(諮問)の考察

2/17に文科省が発表した文書について考えてみる。

道徳に係る教育課程の改善等について(諮問)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1344356.htm

引用1
我が国の道徳教育を全体として捉えると,歴史的な経緯に影響され,いまだに道徳教育そのものを忌避しがちな風潮があること

 歴史的な経緯とは一体何のことでしょうか?もしかしたら戦争や戦後処理についてなのでしょうか?
そのせいで道徳教育が忌避しがちな風潮などありますか?
そんな風潮は全く感じたことはありません。
歴史的な経緯と道徳という生き方に関わること、心のことは別問題だと思います。

引用2
グローバル化や情報通信技術の進展,少子高齢化の進行など,今後の変化の激しい社会において,道徳教育に期待される役割は極めて大きく,道徳教育は人間教育の普遍的で中核的な構成要素であると同時に,その充実は,我が国の教育の現状を改善し,今後の時代を生き抜く力を一人一人に育成する上での緊急課題であること

 随分長々とそれらしいことを書いていますが、前段の下りなどどうでもいいこと。
我が国の教育の現場を改善するなら、今の教育システムを全廃して新たな視点でシステムを再構築する方が効果的である。今後の時代を生き抜く力とは、国やメディアに騙されず、本質を見抜く力のことではないのか?

引用3
道徳教育が学校教育活動全体の真の中核としての役割を果たすこととなるよう

 道徳は学校の教育活動の一つ、すべての今日に深く関わっていますが、中核ではないでしょう。「道徳」の2文字でなんとかなる程教育とは甘いモノではありませんよ。それこそ生まれて10年15年、あるいはそれ以上の時間を要して初めて形成されてくるものでしょう。

引用4
数値による評価を行うことは不適切であるが,児童生徒の成長の振り返りや指導計画・指導方法の改善のため,道徳教育の特性を踏まえた多様な評価方法を検討すること

 そもそも人の心の評価は可能でしょうか?評価する必要があるのでしょうか?
何も話さず、何も書かず、でも深く心に刻む子もいますよ。それをどうやって評価するの?

引用5
どの学校でも一定水準の授業が実施されるよう,主たる教材を安定的・継続的に提供するとともに,民間発行者の切磋琢磨によって質の向上を図るなどの観点から,「特別の教科 道徳」(仮称)に検定教科書を導入すること

 これが最も問題視される点でしょう。
一定水準?主たる教材を安定的・継続的に提供する?検定教科書?
つまり国が認めた教材をを使用して、国が求めるような道徳心を持つ人間を育成するという解釈でOK?
それって思想教育、挙句、思想統制になりはしないのか?
人の心は何人にも束縛されない、いやされてはいけない。
道徳教材など日々の出来事や町中を歩くだけどいくらでも得ることができる。だから検定教科書などいらない。
現場に責任を持たせないから管理的教育が横行し、悪循環を断ち切れないのではなだろうか?

引用6
学校,家庭,地域の連携の強化を図ること

 何十年前から同じ言葉を使いまわしているんだ?
形骸化した施策、つまり何の効果も得られていない。いつまで経っても何も変わらない。同じ言葉を使っているのはそれを証明しているようなものだ。


 対症療法を何度繰り返しても効果などないよ。それはすべてここ数十年で立証済み。
システムを一気に変えなければダメ。

2/02/2014

道徳の教科化について思うこと

別ブログに書いた記事ですが・・・
Ameba Blog 学校問題悩み相談室のブログ http://ameblo.jp/gakkou-seitoshidou


道徳の教科化は無理、無駄、無意味、危険!!
以上(`・ω・´)ゞ


これで終わったら怒られますよね^^;

道徳の教科化について、まず下記の4つの記事があれば十分でしょう。

道徳の教科化 「愛国心」の押しつけだ(1月19日)(北海道新聞) http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/516135.html

NHK解説委員室
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/174520.html

【金曜討論】「道徳の教科化」 貝塚茂樹氏「賛成が84%。危機感の反映」、藤田英典氏「現状でうまくいっている」 - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131206/plc13120610000010-n1.htm

なぜ道徳が「特別の教科」に? ‐渡辺敦司‐【Benesse(ベネッセ)教育情報サイト】 http://benesse.jp/blog/20131113/p2.html @benesse_kyouikuさんから

元現場の教員として素朴な疑問

◯ 道徳を教科化するということは、評価や評定をつけるということになりますがどうやって実施するの?

例えば数学なら答えは1つになりますよね?
しかし道徳の場合、答えは出ますか?法規に絡む問題ならその法規に沿った考えは導き出せますが、倫理観や心という内面に関することをどうやって評価するのでしょうか?

無理でしょう!
正答例を明示してそれに合わせて何らかの評価を下すのですか?
無理です、絶対に無理!そんな時間があるのなら子どもたちと触れ合う時間を増やした方がずっと効果的だと思いますよ。

◯ 教科にするということは教科書が必要、しかも教科書の検定もある。つまりこれは思想上非常に危険極まりないものになる可能性があるということ!

ごく一部の人間が編集し、検定したものを採用することになりますが、その考え方は危ないです。いくらでも思想統制が可能になりますよ。
現場の教師でさえ訳の分からない人間がいるのが現状、まして教科書化したら子どもたちが混乱してしまう。
人間の思想にある程度の基準はあったとしても、正解はない。

◯ そもそも道徳とは人としてどのように生きるべきかが基本となっている。しかもその基本的な姿勢や判断を形成するのは家庭である。

おそらく教科化のきっかけはいじめ自殺問題。
幼児期の家庭教育のあり方に問題があるであろうし、根本的な解決には全く至っていない。道徳の教科化によってそれらの根本的な問題は解決されないだろう。
国として策を講じるならば、家庭教育をいかに改善するかが主眼となり、そして各家庭を支える地域の教育力、共生力の向上にテコ入れすべきだろう。
基本的生活共同体である各家庭に手を差し伸べて改善しない限り、人の心を育てることなどできない。

◯ 今の道徳の質をいかに向上させるか、そして各教科や活動において心の教育をいかに浸透させるか、それが肝要ではないだろうか?

道徳の授業において、子どもたちは正解を導き出すことができる。つまり求められている答えを導き出してしまうということ。それは現在の道徳自体が心に響くものになっていないということではないだろうか。
本来道徳的なことは各教科の中で実践されるべきであるし、部活動でも実践できる。担任であれば、短学活の中で一言問題提起をするだけで子どもたちは真剣に考え、そして自分の考えを述べることができる。
あるいは校外活動を通して学ぶ方法もあるし、生徒たちにとっての効果は絶大なものがあるだろう。

◯ これから求められることは国がすべてを管理することではなく、弾力的な運用によって現場に責任を持たせること。

今の国は何から何まで管理する方向で教育の質をあげようとしている。たしかに一部にやりたい放題の教師たちが存在し、子どもたちが安心して学べる場所になっていないこともあるが、それらについては中長期的な教員養成システムの改革と短期的な雇用改革によって対応できる。
すべてを管理する弊害、それは自分たちで判断し責任を持てない現場を作ってしまうことである。現に教諭は校長に、校長は教育委員会に、各市町村教育委員会は都道府県教育委員会に、都道府県教育委員会は文科省に指示を仰ぎ、すべてが指示待ち人間と化しているではないか。
現場に責任を持たせることが教育を見直す上で今の日本に最も足りないことであり、今後最も必要とされることであろう。

んなもんか?(^^)
ではまた!


1/30/2014

教育改革メモ〜教師

別ブログに書いた記事を転載します!

 教育改革についてのメモ
フィンランド方式は魅力がある

☆大学教育学部
・門戸を狭くし、難易度を上げる
・大学入学時より付属(あるいは提携)の小中学校、高校で授業実習を行う
・コースは義務教育科と高校教育科に分けるか、小学校課程、中学校課程、高校課程をそれぞれ設置するか、小学校課程と中高課程に分けるか
・実習の過程で教師に向かない学生を転部させる
・修士課程の取得が教員免許取得の条件

ここまでできれば相当質の高い教員が育成されるだろう。今までとは比較にならないレベルだと思う。

☆教員採用試験
・国家試験とする ※現在の都道府県ごとの試験および採用は廃止
・合格者は日本全国のいずれかの都道府県に配置される
・赴任地については本人の希望も考慮するが、原則、教員が不足する都道府県に配置
・教員採用試験不合格者は、採用試験合格まで講師として国に登録される。臨時教員として常勤講師採用または期間講師として採用できる。赴任地は各都道府県の希望に応じて配置

☆教員
・国家公務員とする

ちょっと無理があるか?
国家公務員となるので給与も当然今までより高くなる。

本当に質の高いプロ教師が日本全国に配置できるだろう。入れ替えまでに時間を要するのが難点。

赴任地については、今だと「大阪は勘弁して」とか出てきそうな気がする(^_^;)
年老いた両親の面倒をみたいという希望も出るだろうが、全国規模の人事異動となるのでその点は大変だろうな (´ヘ`;)ウーム…

大学のカリキュラムもガラッと変えなければならない

やはり国の一大イベント

とりあえずメモなので・・・



フィンランドの教育改革

別ブログに掲載したものを転載します。
この改革、見習うべき点ばかりであり、実践も容易だと思います。

フィンランドの教育~教育の機会均等

☆要点書き起こし
・ヘイノネン氏(元教育大臣)
教育で大切なのは機会の均等、その基盤があって世界の頂点に立てる高い水準の人材育成ができる。
教育はいわば「投資」である。
フィンランドは一部の人間だけ良い教育をすればいいとは考えていない。国民全員の教育レベルの向上が必要。教育こそが組織、企業、国全体の競争力を上げる方法。
人口520万人の国、ひとりとりの学力を上げなければならない。
人という資本に投資が必要だった。

・教育現場に大きな裁量権を持たせる。
・内容や教え方を教師に任せた。

・指導要領はあるが項目が大幅に減った。
・教科書の検定もない。

・学校ごとに独自のカリキュラムを作成

・大幅な権限の移譲
・地方自治体と学校の裁量でほとんどのことが決めることができるようになった

教師の責任が大きくなった
教師が意欲的になった

《校長》
学校に指図する権威は存在しない
自分たちでカリキュラムを作ることができ、人事権もあり適材適所に教員を配置することができる
フィンランドの教育の強みは教育現場が大きな自治権を持っていること

・ヘイノネン氏(元教育大臣)
教育の基礎ができており、中央政府がこれ以上コントロールする必要はないと感じた
教育関係者が持つ能力をもっと取り入れたいと思った
彼らこそが現場を知り抜いている専門家、プロ
システムに柔軟性をもたせる(地域により状況が大きく異なるから)
管理は現場の長所を活かせなくなる
教師や教育関係者の指導レベルを上げるため国の要求を削減し、核となる部分だけに限定した
教育には自由が欠かせない
それぞれの現場に任せるべき、阻害してはならない
意欲、モチベーションが最も重要、厳しい管理はモチベーションを下げる
教室で起こることに責任があるのは教師

《教育学部》
教師の社会的地位が高い
志願者の10%しか入学できない
教師になるには最低5年学び、修士号を習得

入学後、1年生時から教育実習を行う
教師に向いていなければ転部を勧められることもある
社会的ネットワークを築く能力が求められる
すべての教師は年1回の研修に参加
クラブは別の専門家が担当
授業に専念する
懇談会が頻繁にあり、率直な意見交換が行われる

各学校の自己評価が法律で定められている
自己評価の結果は保護者の求めに応じて公開される
教師は自由な代わりに保護者や子どもたちに対して大きな責任を負っている

・ヘイノネン氏(元教育大臣)
教育制度というものは急転換して無理やり法案を通すようなことはできない
関係者を巻き込む必要がある、彼ら自身が動き始めなければならない
教育改革とは例えるなら船
教師と連携なしに改革できない
全国各地で教育政策を議論することが大事、共通認識が大切

国内のどんな地域に住んでいても全く変わらない教育を平等に受けることができる
国内のすべての学校にコンピュータを配置
使うことを学ぶために設置したのではなく教科での活用、情報を読み解く力をつけるため

現代は未来がどうなるかわからない世界
自分で自分を導かなければならない
自ら学ぶ力が大切
他者と協力、他国とコミュニケーションを取る力が必要
学校で学ぶあらゆる事柄コンピュータを活用できるように政策を推し進めた
情報を読み解く力=リテラシー すべての基本が読解力

図書館の存在
ヘルシンキは56万人、図書館が38ある、日本の4倍
国民の77%が1時間以上/日 読書
図書館利用率も世界一
学校と図書館の連携

なぜ本が好きなのか、読むのか?
自分自身を教育することで人生をより豊かにすることができると思っている
至る所に図書館があり気軽に利用、習慣になっており、伝統でもある
新聞文化が教育と密接に結びついている

給食無料、大学まで授業料無料、筆記用具も無料

すべての子どもに平等な教育と食事が約束されている

移住してきた子どもたちには補助学習指導員がつく
病欠、ついていけなくなった子には補習授業が行われる

他人と比べるのではなく一人一人のペースで学べるようなシステム

教育の機会の平等がなければ教育の質の向上は不可能だと考えている
教育の機会の平等はすべての前提
どこにすんでいような同じ機会が与えられる
人はそれぞれ違う、様々なアプローチの仕方を考慮すべき
だれでもついていけるようにシステムに柔軟性が必要
子どもを育てるには村が必要、社会全体で教育制度を支えている

人々が互いが思いやる社会をどうやって築くか
人はそれぞれ違う事を理解、自分と異なる人を受け入れ、コミュニケーションをとる。それが自分の強みなると気づくべき
他人を理解するには自分を知らなければならない。自分に価値があるということを知らなければならない。
どうやって自分を知り他者の価値を知り、自己中心的な人間にならないようにするか、これが福祉国家のベースになる

フィンランドの教育の次の目標
・教育制度や教育政策というものは決して完成することはない
・それぞれの時代社会情勢、文化に応じて決断を下さなければならない
・変化のスピードがあまりにも早すぎて多くの人が精神的にまいっている
・変化と選択肢の多さが問題
・次世代の大人になる力が弱まっている
・自分たちの大切で貴重な価値観を次世代に承継
・しっかりと自分たちの時代を築くこと、次世代にチャンスを与えること
・洞察力が失われつつある
・これからはあえてペースを落としより深く考える必要がある
・頭で考え心で感じたことを信じること
・子どもたちの創造性を引き出しモチベーションを高め内なる洞察力を彼らが手にすることができれば、私たちには幸せな未来が待っている

私たちは学校のためではなく人生のために学ぶ



1/29/2014

吉岡たすく先生の講演

別ブログに書いた投稿をまとめてみました。
吉岡先生の講演、時間がある時にぜひ前編お聴きください。

テレビ寺子屋という番組に吉岡たすく先生が出演されていたのですが、今でも記憶に鮮明に残っているほど面白い講演でした。

もともと小学校の教師をされていた方なので話の内容は興味深いものばかり。今聴いても頷ける内容ばかりで大変参考になります。












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1/25/2014

国家賠償法について

第一条  国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
○2  前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。

公務員が職務中に故意または過失によって他人に損害を与えた場合、国または地方公共団体が賠償するわけですが、公務員に故意または重大な過失があった時は、国または地方公共団体はその公務員に対して支払った賠償金を求償することができるわけです。

一部の公務員は、自分がミスをしても国や地方公共団体が賠償金を払い、自分は支払わなくていいと勘違いしているようですが、それは間違い。

故意および重大な過失とはいかなるものなのか?

体罰は法令で禁止されている事項であり、間違いなく故意または重大な過失となります。

暴行の事実があれば刑法も適されて当然なはずなのですが、下記の記事では「国家賠償
法」で個人責任が問われていなかったそうです。

JanJanブログ
http://www.janjanblog.com/archives/106418

あり得ないことです。

随分昔の話ですが、地元の中学校で部活動をしていた生徒が倒れ、救急搬送されましたが
心不全のために死亡。
顧問は部活動に来ないで職員室で仕事をしていたため、生徒の異常に気づくのが遅れたこ
と、そして部活動についていなかったことにより個人責任を問われ裁判の賠償金を全額、
県および市から求償されたそうです。
地元の事例から考えれば、上記ブログの記載内容は更に悪質であり、暴行傷害致死、学校
教育法に違反となるはず。

なぜ「個人責任を問わない」という判決が出るのでしょう?
私は理解に苦しみます。





12/26/2013

教師に求められるもの

 教師として求められるもの、色んな意見が出てきそうですが、私個人としては次の2点が最も重要だと思います。

  1. 授業が上手いこと
  2. 生徒指導ができること
 授業に関しては必須条件です。このための先生なので、授業が下手、あるいは授業が成立しない教師は教師の資格なしです。

 生徒指導ができること、これは非常に広範囲になるのですが、例えばまず学級経営がしっかりできていること。子どもたちの個性を見極めつつ、集団としての質も高め、生徒たちを納得させるだけの価値観や指導観を兼ね備えていなければならないと思います。
一朝一夕にできることではないし、自分の今までの生き方に関わるものなのである程度の時間を要するかもしれませんが、教師という仕事はパフォーマンスなのでなるべく早く身につけなければならない絶対的な資質と言えます。

 その他、部活動の指導力がある先生も魅力がありますが、全国で1位になったとか、そういう結果のみで教師として高評価を下してはならないのです。
なぜなら、真面目にやるのは部活動の指導のみで、授業もろくにできず、滅茶苦茶な学級経営をしている教師が実在するからです。保護者としては結果で判断し敬う方もいらっしゃいますが、同じ教師からすれば「役に立たない教師」に過ぎません。

 部活動の指導はできないよりできた方がいい。しかしそれしかできない人間は教師としては不適格なのです。部活動のみなら外部からプロの指導者を呼んだ方が質は確実に向上するのですから。

 授業が上手く、学級や学年の生徒指導を安心して任せることができ、部活動の指導も優秀なら言うことはありません。

 ※悪いことをした生徒を叱ったりすることが生徒指導と誤解されがちですが、子どもたちをいかに守り育てるか、つまり学校の指導すべてが生徒指導の中に包括されているのです。

 どんな先生か確かめるには、まず授業を見に行きましょう。授業が上手い先生か、下手な先生なのかか。
そしてその先生が担任しているクラスを見ましょう。クラスの子どもたちの雰囲気は先生の生徒指導の現れなのです。(脅しによる緊張感のある無言の状態がいいわけではありませんよ)
 そして最後に部活動の指導を観察する。

ここまで観察して問題点がなければその先生は子どもたちに好かれる先生であると思います、たぶん。

 

12/20/2013

民間人校長二人採用〜宮城


河北新報 東北のニュース/宮城県教委 民間人校長2人採用 着任は4月 http://www.kahoku.co.jp/news/2013/12/20131219t11028.htm @kahoku_shimpoさんから

 宮城県でも2名の民間人(電力会社と銀行)の校長採用が決まったようですが、大阪でも失敗しているだけに頑張って欲しいものです。

 以上!

 これで終わりじゃつまらないので

 以前大阪の民間校長の件でも書いたのですが、学校という現場において民間企業の感覚で校長という職務に就くのは困難を極めるだろうと思います。新しい感覚を取り入れて特色ある学校作りをしたい、してほしいという願いは十分わかるのですが、最悪の場合校長が自死を選択するケースもあったほど追い詰められる現場でもあります。

 教育現場においての難しさは
  1. 教職員が非協力的・批判的になり、校長と意見対立することが多い。民間出身の校長であれば尚更風当たりが強いかもしれない。
  2. 語弊はあると思うが、民間企業というのは営利目的で利益が最優先される組織であり、それが社員の給与に直結するため組織としてまとまりやすい傾向はあると思うが、公立学校という現場ではその意識は全く通用しない。いじめがあろうが生徒が自殺しようが教職員の給与に影響することは滅多にない現場である。
  3. 学校の主役は子どもたちであり、その子どもたちの実態把握なくして学校経営はあり得ない。利益のための経営と人を育てるための経営、これが企業との決定的な違いであり、50歳を過ぎた校長が子どもたちの中にどれだけ入っていけるか、それで校長の質が決まるだろう。
  4. 保護者の理解と協力が得られるかどうか。保護者は民間出身の校長に期待しつつも怪訝する雰囲気もある。子どもに関してのクレームは民間企業のクレームの比ではないし、校長自身がクレームの窓口対応者となる。
 企業経営のつもりで単にシステムを構築するだけであれば、おそらくそう時間はかからずに進むだろう。つまり、校長が上司として職務権限を最大に使い「職務上の命令」を行使すればいいだけの話である。
でもそれをやったら職員会議が紛糾する、企業では考えられえないほどの怒号が飛び交う、単なる理想論者である校長の命令など簡単に無視することができる。

 教師との関係もだが、保護者とのトラブルをいかに回避できるか、それは腕の見せどころになるだろう。企業なら「代替品で」「弊社の商品券で」、あるいは非を認めてひたすら謝罪して乗り切ることもできようが、学校という現場はそれができない。下手に保護者に迎合してしまったら学校の生徒指導が崩壊することすらあり得る。

 あとは子どもたちとの関係をいかに築き、特色ある学校づくるを子どもたちといかに進めるか。実態把握ができないことには特色も何もないし、単なる理想論なら誰で打ち上げることができるわけだし。

 民間採用校長の人気は6〜9年ほどだが、今の学校制度に風穴をあけて特色ある学校作りを目指し、生徒たちが「卒業したくない」と思うような学校を目指してほしいものです。

また辛口になってしまいましたね(^^ゞ



12/19/2013

体罰考

 体罰は是か非かと問われれば当然「非」である。
これは刑事事件にも発展するし、民事訴訟にも至る。教員の場合には服務規程違反にもなる。
 ただし、学校現場において体に少し触れたりするぐらいの程度が体罰と訴えられるのであれば、それはそもそも形成すべき人間関係がない、ラポートがないという状況に他ならない場合。例えば、教師を嫌う生徒にとっては、その教師の言動すべてが不快そのものであり、きつい言葉を浴びせられれば言葉の暴力であり、体に少しでも触れようものなら暴力以外何ものでもない。間違いなく何か原因があってそうなっているわけだが、人としての信頼関係がない以上、同じ行為でも感情が先に立って容認出来ないのである。

 どこからが体罰かという点はさておき、なぜ体罰が起きるかについて考えてみたい。
結論を言ってしまうと「子どもを預かり育てることよりも、自分の欲求や感情が優先されるから」。

 まず最も多いのが「指導者の地位保全・絶対性の保全」。
これを保つことができれば自分の意のままにクラスや組織、団体を経営することができ、指導者にとって最も快適な場を構築するために体罰を使用する。

 第二に「大人としてのプライドを保つ」ことが目的の体罰。
これも学校現場では多いのではないだろうか。
要は「子どもたちになめられたくない」という気持ちの現われである。

 第三に「子どもに従順さを押し付ける」ための体罰。
これは上記と重複するかもしれないが、大人に従順なこどもはいい子、という己の過去を振り返ることすら出来ない意味のない価値観の押し付けといえる。

 そして最後、これが最も問題であろうと思われる「指導力・指導理念の欠如」。
このような教師はその日の気分で怒り狂う場合もあるし、特定の生徒を目の敵にしたり、思いつきや行き当たりばったりで強い指導を行う。こんな教師を子どもたちは絶対に信頼しない。
 生徒たちから見て、「罰すべきを罰することができる教師」、「ダメなことをダメと言える教師」、「生徒たちが納得できる指導ラインが常にブレない教師」、「誰に対しても公平に指導できる教師」などは間違いなく信頼できる教師の資質を備えているし、安易に体罰を振るうことなどない。

 私も色々やったほうなので大口を叩くことはできないのですが、上記4つが体罰に至る教師側の問題点だと思われます。
 体罰の弁解として「感情を抑えきれず、ついカッとなって殴ってしまった」とありますが、その根底にあるのは上記4つのいずれかです。実は感情的になって殴ることはほとんどないと思います。子どもたちの言葉で言えば「ムカつく」から殴ったということになるでしょう。極稀に、体罰を振るったことのない教師が涙ながらに生徒を殴ることもあるかもしれませんが、その場合は体罰として訴えられることはまずないでしょう。

 各項目について説明したい点は多々ありますが、いずれまた!

12/13/2013

嘉納治五郎師範は泣いているだろう

まず下記転載記事をお読みいただき、どのように感じるだろうか?

・・・転載開始・・・
「人の生涯で、素晴らしい人との出会い、正しい教育、充たされた環境の中で培われ、育まれることにより、各人が人として立派に形成されるのではないか」と須坂氏は冒頭で問いかけ、それらの条件を満たすものとして日本の武道文化、「とりわけ柔道によって全て充たされるものと信じています」と続ける。
 さらに、須坂氏は「日本人が豊かな生活と便利と快適を求め続けた」と指摘し、「経済大国の美名の下で『叱ることの出来ない日本社会』が作り出されてしまいました」と嘆く。
 たしかに、現代において一部の親や教師などが子どもたちを「叱れない」という指摘は当たっているかもしれないが、問題は次の一節である――「現在の日本は、誤った暴力観と言うか愛のムチも体罰も区別がつかない大人が横行したため、子供たちは、愛のムチの痛さも愛の鉄拳の痛さも知らずに、世におくり出され、そこで遭遇するあらゆる想定外事案におびえ、おののき、不幸な結果をまねいてしまう」、「柔道の少年修行者は、道場において少なからず、愛のムチ・愛の鉄拳の痛みを経験するでしょう。『弟子がにくくて、殴る師匠はいない』 愛の鉄拳は、痛みの中に熱い情を感じるものである。これを体罰と受け止める子供はいないはず。叱ることのできない現在の日本社会において『武道』(柔道)こそ、この“じれんま”を解消させる唯一の手段と信じています。」 
・・・転載ここまで・・・

叱ること=鉄拳制裁 かつ 唯一の手段 と結論づけている。

柔道を指導する人間は、言葉を理解することができないほど知能が低いから暴力でしか教えることができないのでしょうか?
愛のムチという身勝手な理論と暴力で痛みを覚えれば、社会に出て不幸な結果を招かないのでしょうか?

こんな身勝手な理論は指導者として失格である。
子どもたちの心を育てるために真摯に柔道に向き合い、熱心に子どもたちを指導している他の指導者たちにとって失礼極まりない暴言である。

己の非を認め、律することすらできない人間が武道の精神を語れるのか?
柔道の人間教育は殴ることで成り立っているのか?
それが嘉納治五郎師範の教えなのか?

さらにもう1つ転載させていただく。
・・・転載開始・・・
【5】 「無事故」で定年を迎えたい? 相原中学松本雅之校長の思惑
 以上、【1】~【4】まで、おもに柔道界の問題点を指摘したが、最後に相原中学の松本雅之校長の言動についてふれておきたい。
 2010年4月に相原中学に赴任した松本校長は、赴任の年から在学生らが住民票を移して寝泊りしている柔道場での暴力について「不知/関知しない」との立場を採った。
 大手メディアによる暴力報道があっても、「柔道場は学習塾と同じ扱い」といった発言をし、批判を浴びた。さらに、暴力問題に嫌気がさして転校を決めた生徒が久しぶりに登校して来た時には「転校の理由が柔道部にあることは、クラスで発言しないように」と生徒に何ともオメデタイ口止めまでしているのだ。これが教育者のすることかと残念に思う。
 さらに、そのオメデタイ松本校長――2014年3月に定年を迎えるそうで、学校関係に詳しい人物に聞くと、処分歴が無く“無事故”で定年を迎えられるとだいたいどの自治体でも〈教育功労賞〉などの金一封が退職時にもらえるとのこと。おそらく松本校長もそのような計算があって、これまでの暴力問題についてひた隠しにして来たのかもしれない。その陰で、どれだけの生徒が悔しい思いを噛み殺して来たことか、学校関係者は考えてみるべきだ。
・・・転載終了・・・

生徒が学校敷地内の柔道場に住民票を移し、そこで暴力問題。柔道場は学習塾と同じ扱いで関知せず、しかも生徒に口止め。

開いた口が塞がらない発言。
こんな馬鹿が校長をやっているから日本の教育は良くならない。
このような校長は懲戒免職でいいだろう。給与、退職金の無駄遣いだ。
しかし教育委員会も同等の立場ということなのか?それも呆れる。

上記はJANJAN BLOGさんより転載させていただいた。
ぜひ記事全文をお読みいただきたいと強く思う。

JANJAN BLOG 現職警察官による暴力 ―問われる柔道界トップの〈愛の鉄拳〉論―

12/12/2013

体罰という観念の形成

 体罰って突然おきるのでしょうか?誰しもが行ってしまうのでしょうか?

 変な言い方ですが、体罰は受け継がれますよね?
自分が実際体罰の現場に遭遇してそれが当たり前の環境となっていたり(見たぐらいでは実際に手は出さないと思う)、自分自身が体罰を受けており自分の経験がごく一般的であり、正当な行為の尺度となってしまっていたり。

 まず体罰という経験をなくすことが下記のような事件を防ぐことになりますよね。
指導者のあり方については過去に書いたので割愛します。

 結びつきの強い人間が本気で怒り、感情的になって平手打ち。
この平手打ちは相手の人生に多大な影響を与え、劇的に変わることだってあるのは事実。

 難しいね〜^^;

【下記はAmebaに投稿した記事のコピー】
桜宮高体罰 男子生徒遺族 大阪市を提訴|MBSニュース-MBS毎日放送の動画ニュースサイト- http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000003244.shtml @mbs_newsさんから

親御さんとすれば当然の措置だろう。

手塩にかけて育ててきたわが子が、法令違反にもかかわらず長年放置されてきた体罰教師によって追い込まれて自殺してしまったわけだから。

 しかしこのような事件があったにも関わらず体罰事件の報道が跡を絶つことはない。

指導者というのはその組織のピラミッドの頂点であり、自分の指導が浸透しやすいようなシステムを構築しなければならない。自分の指導力を誇示し、常に地位を保ち、従順な下僕を育てるために使われる手段が体罰であり、それは指導の一環である。そのシステムの構築こそが常勝につながるのである。

さしずめ体罰とは彼らにとってこの程度の認識ではないだろうか?

戦後教育の腐敗のツケ、これは容易に改善できるものではないが、何十年かかろうともひとつひとつ悪しき習慣や意識の芽を摘んでいかねばならない。

12/11/2013

H24児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査


この書類ずっと書かされていたのですが、毎年6月ぐらいに書いて市教委に提出していたように記憶しています。
全国の集計なのでやはり半年ぐらいは時間を要すのでしょう。

 それはさておき、この集計結果、集計されている数値よりも諸問題の数はもう少し増えると思います。その理由ですが
  • 学校判断で記載するため学校ごとの認識の差が出てしまう。この資料をまず市教委に提出することもあって、校長によっては「それは書かなくていい」とか根拠の無い体裁を繕うための減数もありえます(校長の頭の中に学校の実態がインプットされていないことが多い)。また、判断が難しい事例(とくにいじめなどはその最たるもの、不登校も同じような傾向あり)についてはカウントしなかったりすることが多く、学校ごとの認識のズレがかなり生じます。
 暴力行為や器物損壊、出席停止措置、自殺などは数を把握しやすいのですが、いじめ・不登校に関しては判断が難しい事例が多いことも確かです。
 いじめ・不登校に関しては発表された統計よりもさらに多いことを念頭におくべきでしょう。

12/10/2013

ひとり親家庭支援(こんなのあったらいいな案)

こんなのがあったらひとり親家庭は助かるだろうと思うことを無責任に書いてみた。

企業・事業主さんに検討してほしい有給休暇

  • こども慶事休暇
入学式、卒業式のための有給休暇。時間休は認めず1日フル休暇。入学式、卒業式の案内文書のコピー添付。太っ腹の社長は祝い金を出す。
  • こども介護休暇
かぜ、インフルエンザ、ケガその他、子どもの傷病の際には社に申請し、領収書の控えを添付。入院の場合は別途医師の診断書を添付する。
  • PTA役員、委員休暇
PTAの会議出席のための休暇(時間給可能)、PTAからの実施要項のコピーを添付して申請する。
  • 授業参観休暇
授業参観のための休暇(時間給可能)、学校からの授業参観案内のコピーを添付して申請する。
  • 面談休暇
これは家庭訪問、三者面談、進路相談のための休暇、文書とともに時間申請。

このぐらいあったら今までの有給は殆ど使わなくていいんじゃないかな?親自身が体調不良の時ぐらいしか使わないだろう。

お役所への要望

  • ひとり親家庭証明書の発行
目的は医療機関での診断書発行の際に使用し、その診断書作成料については自治体が負担するため。
  • 病み上がりの子どもたちのための公立託児所を作る
これがあったら親が安心して働くことができる。
  • 小児がん、白血病、その他難病にかかる費用全額を国が負担する。
これ、国が早急に何とかしてほしい!(各自治体負担はきつすぎる)実現したらどれほど親が救われるか。保険が適用にならない治療もあるが、それも国が負担してほしい。とにかく18歳まで全額。
ろくに調べずに好き放題書いてしまったけど、もう既設のものもあるかな?
社長さんや事業主さんからは苦情がきそう、しかしひとり親の精神的負担を取り払えば生産性も上がるっつ〜もんだよ!
やれそうなものはどんどん実施してほしい。
悪用する人間もいるんだろうとは思うが・・・助かる人が多いよね?

この投稿に関しての苦情は一切受け付けません(笑)


12/09/2013

ひとり親家庭への支援

  今も同じ用語かどうかはわかりませんが、以前は経済的な困窮度に沿って「要保護」「準要保護」という援助制度がありました。
具体的にどんなものかというと、例えば修学旅行費や鑑賞代金など学校行事にかかる費用が全額返金される制度ですが、私自身が手続きを行った記憶がないので、小学校時に役所に手続きを行い、それが中学校でも継続されていたのだと思います。

調べてみたのですが、各自治体や国でも様々支援を行っています。(やはり要保護、準要保護でした)

阿見町の制度案内
http://www.town.ami.ibaraki.jp/kakuka/kyoikuiinkai/gakkokyoikuka/gakkokyoikuka/school_support.htm

手続きNETさんのシングルマザー手続き
http://www.tetuzuki.net/life/singlemother.html

厚生労働省 ひとり親家庭の支援について
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/boshi-katei/index.html


 と様々な支援があるのですが、問題は受け入れ側(企業や施設など)の実態がどうなっているかということ。
 最もわかりやすい例でいうと、母子二人だけの家庭で子どもが幼い場合、ウイルスに感染したりすると数日間保育所を休ませなければなりません。祖父母と同居していればお願いすることもできるでしょうし、近隣に病気のお子さんでも預かってくれる施設があれば助かりますが、そのいずれも期待できない場合やはり母親が数日にわたり仕事を休まなければなりません。
 正社員であっても有給をもらいにくい状況であるし、病弱なお子さんの場合頻繁にお休みとなってしまいます。ましてパート採用の場合「解雇」される可能性が高いのではないでしょうか。(その前に幼い子がいる場合には採用されない可能性大)
 せっかく母親が自立しようとしているのにそれを受け入れる体制ができていないという現実があります。

 今は大手企業でさえ正社員を雇用せずにパートでまかなっているのが現状。
法を整備(活用)して安心して働ける状況を作るのが急務と思います。

ちなみに、企業に対する助成金も結構あるのですよ!
厚生労働省 事業主の方のための雇用関係助成金
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/kyufukin/index.html


12/07/2013

学校が荒れるということ

 何かのウイルスにでも感染したかのように学校が荒れることがあります。

不思議ですよね?
学校の荒廃を促すような悪い菌でもあるかのように荒れが伝播していきます。

学校外の要素も当然大きいのですが、学校内の事について書きたいと思います。

  • どこの学校も荒れる可能性を秘めている
 大規模校のみが荒れるわけではなく、僻地の学校ですら荒れる可能性を持っています。たしかに規模によって荒れる要素が多い少ないは違ってくるのですが、ひとつ間違えれば学年1クラスの中学校でさえ荒れてしまいます。

  • 荒れる原因は?
 学校が荒れる場合、必ず鍵となる子どもたちの存在があります。
たった一人の生徒からすべてが始まってしまうこともあります。
このような書き方をすると生徒が悪いような印象を与えてしまいますが、彼らが悪いわけではありません。それについては後述します。

  • 鍵となる子供たちとは?
 中学生といえば13〜15歳ですが、それぞれがいろんなことを背負って生きてきています。家庭環境や経済的にに恵まれなかったり、あるいはそれらは満たされているように見えても心が満たされていなかったりと様々です。
鍵となる子供たちとは、心が満たされず不満の多い子供たち。

  • きっかけとなる事件がある
 不満を持っているからと言って必ず暴走してしまうとは限りません。
ほとんどの子供たちは自分を何とか抑えて行動していますが、教師の指導や態度そのものが彼らの暴発の引き金を引いてしまうのです。

  • どのように伝播していくか
 ある一人の教師に対して反発した生徒に追随する生徒が出てきます。
まずは同じクラスの生徒が追随し、他クラスへと伝播していきます。
その後、生徒たちは教師を見ながら授業によって態度を変えていき、「この教師は大して注意をしない、怒らない」と判断すると行動がエスカレートしていくのです。そして他学年へと波及し、他の学校への波及していくのです。

 この時鎮静化のために体罰を使うことが常であったと思いますが、体罰というのは鎮静剤になるかカンフル剤になるかの賭けとなります。教師の力が勝れば沈静化に向かいやすくなりますが、生徒の力が勝ればさらに暴徒化することになります。
  • 立て直し
 一つの事件があり、3ヶ月もあれば学校は崩れていきます。特に夏休み後は子供たちに歯止めが効かない状況下となり、2学期はそれが顕著に現れます。
一度荒れると、学校を立て直すためには荒れた学年が卒業して2〜3年は必要になるかもしれません。
その間、人事異動で生徒指導を強化する措置を講じたりします。
  • 指導における共通理解と実践の大切さ
 教師は同じポイントあるいはラインで皆同じように生徒を注意する。そのポイントやラインのことを共通理解と思ってください。
実践の手段については各教師の個性に任せて指導していいと思います。例えばキツめに叱る先生もいれば穏やかに説諭する先生もいる、そういう教師がそれぞれ持つ個性を発揮できればいいことです。
最も大切なのは同じポイント、同じラインを見極めて適時指導すること。
この共通理解を図らないことこそが学校の生徒指導を揺るがす最大の原因です。
  • わがままな教師が多い学校は崩れやすい
 生徒は別に何とも思っていませんが、教師は学級経営者でクラスの頂点。
その教師たちが自分のやりたいように指導したらクラスによって子供たちの不満が爆発することになります。「◯組はいいのになぜうちのクラスはダメなんですか?」
こんな些細な事から学級崩壊、学校崩壊の芽が育ってしまいます。
共通理解と実践を守ろうとしない教師はわがままなのです。
  • 学校が荒れないようにするためには
 「指導における共通理解と実践の大切さ」が大切なのは前述の通りです。
子供たちはやってダメなことはわかっています。だからダメなことをダメと当たり前に言ってくれる教師や大人を望んいでいるし、それが大人として当然だと思っているのです。「ダメなことをダメと言えない大人」、子どもたちはそういう大人を最も軽蔑します。

 そして落ち着いて生活できる環境を作ることが大切。
卒業後少年院に速攻でぶち込まれた生徒がおりましたが、その子は校内ではほとんど悪いことはしませんでした。(校外、特に休日はやらかしましたが)
「お前よく学校の中で悪さしたりしないよな」と訊いたら彼曰く
「この学校で何かやっても馬鹿らしいから」。

学校のいい雰囲気を作り、落ち着いて生活できること、これが荒れを防止する最良の手段です。
  • 学校が落ち着いている時こそ生徒指導の基盤を固める時
学校が荒れればどんな教師でも本気になって立て直しに取り組みます。
しかしそれは荒れた時ではなく、落ち着いている時にこそしっかり取り組むべきことです。
平和だとその平和に浸りきって甘くなったり手抜きになったり、見過ごしてはいけないことを見過ごしてしまいがちです。結果的にそれが蓄積されて荒れる原因を作ってしまうのです。
学校が平和なときにこそ基礎をしっかり固め、それを継続して行くことが肝要なのです。


12/06/2013

不登校・登校拒否への協力体制

 本音の話ですが、不登校や登校拒否の児童生徒を抱えると担任の負担は間違いなく大きくなります。
実務上は家庭への連絡(電話・訪問)が増えるということになりますが、すべて自分だけで背負い込んでしまうという精神的な負担も大きい物があります。

こんな所に書くのもなんですが、一番多い時、クラスに2人の不登校生徒を抱えていた時がありました。

  • 一人は小学校時代からの不満が爆発して友人ともめてそのまま不登校、ただ部活だけは来ていたという男子、ちなみに部活顧問は私
  • もう一人は飛行(非行)タイプ女子・・・「先生わりぃ〜、心配すんな」と言いつつ家出、自由飛行。何故かたまに私に電話を入れるアホ娘
二人共卒業式で呼名しても返事がありませんでした(^_^;)

私の場合、幸運にも親御さんや生徒たちと意思の疎通がとれていた分、非常に救われた部分もあるのですが、でも教室の机が2つも主役が座っていないとやはり寂しいもんです。

 不登校の生徒がいると、朝迎えに行ったりして若干通勤に支障をきたし、自分のクラスの他の保護者から「来ている子もちゃんとみてください」とご尤もなお叱りを受けたりします。

 そんな時に助かるのが学年のバックアップ体制。
当時は朝の学活に副担の先生にいってもらう程度でしたが助かりました!

 でも実際今の現場でバックアップ体制は充実しているのでしょうか?
意外と担任任せで学年で本気になって不登校に取り組む学校は少ないかもしれません。
学校によっては生徒指導部会で話し合い、校長自ら家庭訪問したりしているとこもあるらしいですが、殆どの学校は担任任せが実態ではないでしょうか?
ベテラン教師なら様々対処できると思いますが、新採用やかなり若い先生には手に負えず、様々なトラブルが発生するかもしれません。

 やはり不登校、勿論いじめなどもそうですが、校内に専門チームが必要だと感じます。スクールカウンセラーも配置されていますが、彼らも含めた実効性のある専門組織が求められると思います。

不登校の場合、無理に登校刺激を与えると間違いなく逆効果になるケースもありますし、その判断を下すのは複数の教員の経験と知識。
子どもたちを無理に登校させてよしとするのではなく、不登校を保護者がどう受け入れるか、そちらの方が解決法としては効果があると思います。

12/05/2013

いろんな保護者がいらっしゃいます(^_^;)

 学校の先生という職は様々なお子さんと関わりを持つわけですが、子どもたちの数以上に個性的な保護者の方との関わりをもつことになります。
当然の事ながら現役のあるいはリタイアされた団体関係や組関係の保護者の方もいらっしゃいます(^_^;)

こう書くと
「いやいや、それは大変だっぺ〜?」
と言われるのですが、実はご心配いただいている点で苦労したことはないのです。
過去その筋の保護者の皆様とトラブッたことは一度もなかったのです。(単にラッキーという話もありますが)

 家庭訪問において初めて保護者の方々にお会いするわけですが、いろいろ話していくうちに「あら?」と感じる部分があり、よく見ると「あわわわ、小指が・・・・」とか確認。こちらも平然を装っておりますが内心は「(´゚д゚`)アチャー ヤバ」と思っているわけであります。

 しかし直接話しをすると「親として子を可愛がる」気持ちが伝わってくるもので、話が色々弾んだり(たまに)します。
ある程度打ち解けたところで、こちらの指導方針や切り出すわけです←ここがすごく大事!
それが明確だと「わかった、先生に任せる。何かあったら色々教えてくんちぇ」となることが多いのです。
それはすべての保護者に対して伝えることなのですけどね。

あとはひたすら筋を通して接する!!

 ただ、ひとつ問題があってですね、彼らの多くは「口で言ってわからん奴は・・・」という傾向が非常に強いので、事あるごとにお子さんの問題について電話連絡すると翌日、生徒が木刀で殴られてぱっくり割れた頭のまま登校するなんてこともあります。
思わず病院で縫うように電話したら「いい。口で言って分かんね奴は仕方ね〜んだ。そのうちくっつくから大丈夫だ」
この程度でおしまいになりますので、伝えるべき内容とタイミングを考えなければなりませんね。

 もう一つ大事なこと。
彼らの世界の話をしてはならないということ。
話すのは子供に関することのみです。

色んな話も聞けるので驚きもあるのですが、一切口外しないことです(^^)

12/04/2013

児童相談所について

 以前別記事(虐待とその判断)で知り合いから聞いた話について投稿したのですが、児相の判断ミスもあって子どもたちが虐待死に至ってしまった報道もあったように記憶しています。

 児相のお世話になった経験がない(相談したこともない)ので、児相の現状や問題点も今ひとつ認識していないため調べてみました。


かなり厳しい内容ですがkarimerojuniaのブログさんの下記記事
http://blog.livedoor.jp/karimerojunia/archives/2972274.html

心に青雲 さんのブログ
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/215874958.html

DV防止法犠牲家族支援の会 さんのサイト
http://www5f.biglobe.ne.jp/~constanze/nomarin258.html


 各サイトを拝見して(すべて読みきれていません)感じたのは、児相といよりお役所の杜撰さ。こんないい加減な案件処理で子どもたちの一生が左右されてしまうのか、という驚愕でもありました。

 日頃から学校教育についてのみ考えていましたが、これは公的施設の組織、構造自体を改革しないと子どもたちの犠牲はなくならないと感じた次第です。下手に連携したら子どもたちの将来を滅茶苦茶にしてしまうのではないでしょうか?

下記の書籍、批判も多いですがかなり真実味が増してきます。
著者の内海さんにはかなり裏情報が流れていると思われます。
児童相談所の怖い話児童相談所の怖い話
(2013/01/23)
内海 聡

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生活安全課とか派出所のお話

 中学校で生徒指導担当を任されると、裁判所や警察との合同会議に出席したり、悪さをした生徒を引き取りに行ったり、生活安全課にお願いして同行してもらったり・・・と様々なお付き合いが増えます。
警察官に顔も覚えてもらえるので突然パトカーから「せんせ〜」なんていうドスの利いた声がかかったりします(^_^;)

 現役時代、相当お世話になったのですが、みなさんいい方ばかりで大変助かりました。

具体的には・・・
生活安全課の方に自分の学校の万引き生徒の数とか名前とか教えていただいたり(今は個人情報漏洩に関してうるさいのでないと思います)、保護者に啓蒙するために学校まで出向いていただいて講義をしていただいたり、またある時は盗癖のある生徒を直接指導(被害届が出ていないので警察署での取り調べにはならないような案件)していただいたりしました。
大きな問題を起こした生徒については、未然に今後の犯罪を食い止めるよう情報交換を行ったり、ずいぶんとお世話になった記憶ばかりです。

 先生と生徒だけの場合、お互いに手の内を知り尽くしていますので指導しても効果がないことも多いのですが、警察官に説教していただくと絶大な効果があったりするものです。特に女性と年配の警察官の方の説諭は重みがありました。

学校としてはなるべく警察のお世話にならないようにというのが基本ですが、それもケースバイケース。

学校と警察がお互いに意思の疎通があるとメリットも多く、生徒が拾得したものを顔見知りの派出所に届けてくれて犯罪の検挙に繋がったこともあります。

警察というのは特殊な機関ではありますが、彼らも地域との連携を積極的に推進しようとしていますし、積極的に関わりを持つ方のメリットが非常に大きいと思います。